あらすじ
歴史学案内の新しい決定版!
概論を学びたい学生や、歴史を見る眼を養いたい社会人にも最適
歴史とは何か、そして史料とは何か。ヨーロッパ史研究を牽引してきた著者が歴史学のさまざまな手法を解説、学問の基本と作法を平易に説く。歴史教育の現状も視野に入れ、私たちがこれからすすむべき道を示す。
【「はじめに」より】
歴史学の方法に関しては、もうほとんどのことは言い尽くされているし、後は誰が何を書いてもあまり代わり映えしない(…)ようにも思えるが、昔ながらの史学概論や、さまざまな新潮流のたんなる紹介にとどまらない、 もう一歩踏み込んだ主張をする余地は、まだ残っているのではなかろうか。
つまり、グローバル化する世界の混沌とした情況が、日本をはじめとする先進諸国の文化や学問のあり方にも跳ね返り、かつては疑いもされなかった歴史の見方に懐疑の目が注がれている現在、どのように歴史を考え、研究を進めるべきか、学界の状況をも踏まえて深く、そして広く考え、明確なメッセージとして読者に届けてみたいのである
【主要目次】
はじめに すべてを歴史の相の下に
第一章 歴史の道筋
第二章 いかに歴史を叙述するべきか
第三章 史料批判は終わらない
第四章 拡散する数量史
第五章 心性史と感情史
第六章 社会史の冒険
第七章 無告の民の歴史
第八章 文化史の課題
第九章 土台としての自然と身体
第一〇章 甦る政治史
おわりに これからの歴史学
あとがき
主要参考文献
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Posted by ブクログ
「はじめに」として、「どのように歴史を考え、研究を進めるべきか、学会の状況をも踏まえて深く、そして広く考え、明確なメッセージとして読者に届けたい」とあるように、近時の歴史学の動向を大掴みに示しつつ、それらに対する著者の考え方や見解がはっきりと打ち出されていて、非常に面白かった。
著者の主張を端的に言えば、社会史及び心性史をもっと進めようということになる。輪郭が曖昧との批判もあるが、社会的結合関係や心性こそが歴史の母体にして骨組みなのだから。
以下、まずは史料批判や歴史叙述の方法論など歴史家にとって必要な技法についての説明がある。
ます、歴史学にとって重要なことは、時間的パースペクティブ=道筋の下で全体としての歴史的世界の構造とその変容を見透し、出来事・行為などの意味と価値を明らかにし、理解していくこと、であると言う。その上で、「概念」の問題、因果関係、時代区分論について、見解が示される。
ここで今流行りのグローバル・ヒストリーについても言及があり、著者は、「接続・交差と統合に目を奪われて歴史的現実が平板化・標準化され、抽象的人間と空間のゲームのような歴史に見える」と手厳しい評価をしている。
「第2章 いかに歴史を叙述するべきか」では、言語論的転回に対する見解その他が、「第3章 史料批判は終わらない」では、各種歴史補助学の進展や、オリジナルとヴァリアントに対する考え方の変化、オーラル中島ヒストリーを巡る「記憶」と「歴史」の関係などが論じられる。
第5章以下は、心性史と感情史、社会史、民衆史(マルジノーのような周縁者、女性、子供等)、文化史、身体史、環境史、政治史など各分野ごとに、それぞれの成果や課題・問題点などを洗い出すとともに、今後の在るべき方向性が主張される。
”役に立つ歴史学“とすることについては著者は否定的である。しかしながら、歴史を知ることは現在の理解と未来に向かってのより良い生き方に繋がることを著者は信じてやまない。これまで自分は歴史関係の本を結構読んできたが、本書は、読者である自分にとって歴史を学ぶとは何なのか、改めて考える良いキッカケを与えてくれた。
Posted by ブクログ
どのように歴史を考え、歴史学の研究を進めるべきか、学界の状況も踏まえて考察。歴史学入門や史学概論的な書籍ではあるが、これからの歴史学のあるべき姿についての著者の考えがふんだんに込められているのが特色であり、その主要な主張は「社会史と心性史をもっと先に進めよう」というものである。
学生時代に歴史学を専攻していたが、社会史や心性史を中心に、最近の動向も含め、様々な歴史学の考え方や方法論、手法等が紹介されていて勉強になった。ただ、結構高度な内容も多く、社会史や心性史とは結局どういうものかといった基本的な部分を含めて十分に咀嚼できたかは心許ない。
歴史学の在り方についても考えを巡らすことができた。社会史的な観点が重要であり、全体史を目指すべきという理想もよくわかるが、個々の歴史家にできることには限界があり、結局は個々の歴史家の問題関心次第なのではないかという気はした(従来型の政治史研究も否定されるべきものではないのではないか)。また、著者は数量史的研究に懐疑的なようだが、個人的には個々の史料からは見えてこない側面をあぶり出せるといった点で、数量史的研究はもっと高く評価されるべきではないかと思う。
言語論的転回に対して歴史的認識や歴史学を理論的に弁護するものとして本書で紹介されていた野家啓一氏の「想起」や「合理的受容可能性」の議論は、自分としても強く納得感があった。