池上俊一のレビュー一覧
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大変興味深い内容でした。まずそもそも動物が裁判???なんで???という内容の突飛さに引かれて手に取ったのですが、ブタやウシ、ウマ、イヌ、ネコ、どころか虫や氷河に森まで対象とは驚きました。きちんと記録も残っている通り実際に起こったことなんですね。ここで昔の人のやることはよく分からないなぁと突き放してしまうのは簡単ですが、この本はそこから踏み込んで「動物裁判は何故起こったのか?」「当時の人にとってどういう意義があったのか?」を探り始めます。中世というのがどのような時代であったのか、開墾とキリスト教の背景を元に、中世に変容した人々の自然に対する態度を様々な面から検証し、それが如何にして動物裁判へと結びついたのかを非常にわかりやすく解説してくれています。無知なもので色々と提示される情報全てが新鮮に写り、大変勉強になりました。また、人間の観念の移り変わり、それをどう検証すればいいのかという手法論としても参考になりそうだと感じました。絵画や文学、当時の思想論に見られるイメージや観念から何を読み取るのか、どのように考えるべきか、大変詳細に解説いただいているのでとても分かりやすかったです。西洋以外の思想等に着いて考える時にもこの本の内容が参考になりそうだと感じました。
総じて非常に興味深く勉強になる本でした。最後の日本と西洋の対比は少々論拠というか説得力に欠ける感じはありましたが、動物裁判に関しての本文のボリュームと内容は大満足でしたし、そして後書きに置ける現代への警鐘は、人文学の持つ意義を再確認出来るものだと感じました。面白かったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレイギリス、そこは昔から今までずっと、王と女王の国。
イギリスは、日本が特に親しみを感じているヨーロッパの国ではないかと思う。島国であること、そして、王室があること。ある意味、王様でたどる歴史というのは、普通の視点のようにも感じるが、時代区分ではなく王様を中心に歴史を追うのには、また新たな発見もあった。
王様(女王様もいるけれど)の、征服者という戦闘性。世界中に植民地を広げ、身内になれば優しく抱える上から目線の侵略。好戦性と裏表な寛大さ。両輪となる議会との立ち位置や関わり。華やかな時代の裏にある貧富の差と、慈善という公私曖昧な社会福祉。食事はエネルギー補給でしかなく、感情はユーモアに包み込んでサラリと流し、居心地の良い家と、品格のある自然と、手塩にかけて整えた庭を愛する。
私が感じている、知っているだけの、いくつかのイギリス人らしさに関して、その理由をあげて解説されていて、なるほどと思いながら読んだ。王、騎士、そして紳士、やはりイギリス(的なもの)が好きだなと思う。
EUから離脱し、コモンウェルスは形だけ、スコットランドやアイルランドの独立も見え隠れする現代のイギリスは、激しく揺れ動いている。王室の存在感も、危機ではないけれど、永遠ではないだろう。実際、王室は変わらないものではなく、メンバーが増えたり離脱したり、それぞれが時代に応じて、様々な動きを見せている。いつまで王室が「イギリス」を代表できるのか、それがイギリスのポイントだと思う。また、ある意味、日本のポイントでもあると思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレドイツの歴史と国民性は、その自然にあり。
ドイツは、確かにイギリスやイタリアやフランスと違う。そのなんとなく思っていた気持ちに対する、ひとつの考え方を示してくれた本であった。
側にある森と川の積極的な利用。それは自然を愛でるのではなく、利用するもの。しかし、一方で自然の力に対する畏れや崇拝も、神話や妖精、民話や伝承として息づいていた。長く個々に別れてきたドイツの統一に、その自然への愛が危ない形で作用したというのも興味深い。
ロマンティックな自然崇拝、その土地の自然や民話・神話を題材とする音楽。ナチスに愛されたワーグナーを今も受け入れられないという考え方がある。「自然」を尊ぶが故の、行きすぎた潔癖、そして排除。環境大国の萌芽がナチスドイツにも見られたというのは衝撃的だった。アウトバーンがどういう考え方で、いつ建設計画が立てられたのかも知らなかった。
愛国心と結びつく故郷の自然への思い、と考えて思い出したのは、ミュージカル「I am from Austria」である。オーストリアのミュージカルだが、これを見たときの、故郷の自然を愛する者が同胞、ここが生まれて帰る場所という理想の歌い上げは、移民が増えて衝突が見え始めているこの時代で、どうしても座りの悪い気持ちになった経験を思い出した。
ドイツの人々にとって、自然は、大いなる力を信じると同時に、コントロールする対象でもある。その考え方は規則や秩序というドイツのイメージに合っている。これからのドイツはどうなっていくのか、この本は2015年の出版のためか、著者はポジティブにドイツの動きを捉えているが、5年経った今、あまり楽観的には見られないところがある。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ砂糖の歴史、西洋美術の歴史、宝石の歴史とあわせて、とうとうフランス史まで進出。
この好奇心が中学くらいに出てくれていたら…と再び煩悶する。
砂糖の歴史ではイギリスの紅茶文化にかなりスポットライトが当たっていたけど、最大の砂糖プランテーションを保持していたフランスで、砂糖文化が根付かないわけないよね!
キリスト教、奴隷貿易、絶対王政との関係から、どんなお菓子が発展してどうやってフランス料理の下地となったのか、がわかって面白い。
あと、岩波ジュニア文庫は岩波文庫とはまた違って、著者の思いが主張激しく書かれてたりもするのも面白い。
※サヴァランとかアマンディーヌとかいった鼻にかかった名前のお菓子のほうが、ザッハートルテなどといった、堅苦しく喉が痛くなるような名前のものより、洗練されておいしそうだ、と感じられませんか。(9ページ)
⇒絶対個人的な思い込みだと思う。少なくとも私はザッハトルテのほうが、名前馴染みある分おいしそうだと感じる…。
■古代のお菓子と文化
古代ローマ帝国時代(前1世紀)カエサルに支配された地域が現フランス辺り。
当時は甘味といえばハチミツ。「ハレ」の日の特別な食べ物。結婚式にお菓子を奉献する儀式や死者の葬式の際に地獄の番犬ケルベロスから死者を守る為、ハチミツケーキをケルベロスに与えて逃げるという風習もあった。
4世紀ころ、キリスト教が国教となり、多神教の文化や風習を捨てさせようとするも難しく、今までの風習にキリスト教的な意味合いを持たせて布教するようになった。
→ホスチア(聖体パン)やウーヴリなどを作って、ミサで配り、これを食べると聖別されるとした。
→神と人をつなぐお菓子は修道院が牛耳っていて、初期は修道女や修験者の作業だったが、中世には専門のウーヴリ職人が作るようになった。
■中世のお菓子と文化
中世初期は封建制度で3身分(農民、聖職者、騎士)となり、地方一帯を城主が治めていた。
カペー朝、フランスの王ユーグ・カペーは領地こそ少ないが、聖成式で正式にキリスト教会より認められていたため、その王の正当性を主張することができた。
・内部の領土争いをやめさせるため、敵を外に作る
→イスラムに奪われた聖地エルサレムを奪い返す!
→十字軍遠征で聖地エルサレム国奪還(略奪?)
→アラブ経由で砂糖や珍しい果物がヨーロッパ大陸にもたらされる(ドラジェ、オレンジピールの砂糖漬け(コンフィずりー)、ジャム(コンフィチュール)など)
・砂糖が中東経由で手に入るようになり、一部の特権階級が砂糖を食べることができるようになった
→キリスト教の大食の業に当たると批判されるも、砂糖は医薬品だという主張で切り抜ける
・12,13世紀にはパリがヨーロッパ随一の文化と学問の都となる。
→ルーブル宮殿建設、城壁の建築など、街の美化にお金をかけ始める。王国を中央集権化し、ローマ教皇をアヴィニョンへ移動させるなど力をつける。
ノートルダム教会1225年完成、ノートルダム大聖堂1220年完成
■大航海時代のお菓子と文化
・キリスト教の祭りにお菓子が庶民にも食べる文化ができる
→4/1復活祭(イースター)…古代の豊穣神に捧げられる聖なる食べ物の名残。キリスト教では卵=生命の象徴とされた。
→1/6公現祭…東方三博士がキリストを訪問する記念を祝う為に、ガトー・デ・ロワを食べるしきたりに
→2/2聖燭祭…マリアをたたえる祭り。なぜかクレープを焼く習慣となる。左手に金貨を握って右手で焼いたクレープを高く上げてキャッチすると金運アップするという迷信広まる
→ケーキの元祖、ハチミツとスパイスとライ麦粉で作られたパンが貴族の間で広まる。
・1337年、フィリップ4世の死後、後継者争いで英仏王家が対立。100年戦争始まる
→1429年オルレアンの戦いでジャンヌ・ダルク現れる。
・1340年代、ペスト(黒死病)大流行。国民の約三分の一が亡くなる。また小氷河期で農作物大打撃。
・100年戦争後、大航海時代始まる→スペインは中南米で宝石や金銀を、ポルトガルはブラジルで砂糖プランテーションを、フランスもアフリカ大陸で黒人奴隷による砂糖のプランテーション経営に力を入れる。
・16世紀前半、イタリア・ハプスブルク家と戦争→イタリアのルネサンス文化の影響を受ける→フランソワ一世は芸術・文化の重要性を理解→権力の要素と捉える。
・100年戦争後のフランスはパリに中央集権を進めながらフランス国民意識を刷り込む
→大航海の略奪の恩恵を受ける貴族達特権階級→差別化が進み、特殊な文化(世はバロック時代に進むがフランスは古典主義に走る)
・アンリ2世とメディチ家カトリーヌの結婚
→イタリアの食文化が流入。(マカロン、スポンジケーキ、ジェラート、フランジパーヌ、パスティヤージュ、ピエス・モンテ)また、カトリーヌによってフォークで肉を食べるというマナー、パラソル、香水がもたらされる
・ルイ13世とスペイン王女アンナの結婚でココアの作り方が流入
→スぺインがメキシコ征服時、コルテスによりカカオ豆がもたらされる
→現地は唐辛子を入れて超辛くして飲むことで神への崇拝を高めていたがスペイン人飲めたもんじゃない
→スペイン人の誰かが試しに砂糖を入れたらめっちゃおいしかった
→長らくスペイン王家の秘密とされていた
■宗教戦争後とアンシャン・レジーム(フランス革命前の旧体制)
宗教戦争でカトリック系優勢となったフランスは美食への道を進める。(大食という悪徳観念はどこへ…)
→同じカトリック系のスペインやイタリアが新大陸からの未知なるおいしい物の流入で好奇心止められなかったか?
→つまみ食いはNGだが、美食をしかるべきマナーで食べることは教養とみなされOKと定義された。
→イギリスなどプロテスタント系は質実剛健が良とされ、紳士スタイル、紅茶方面へ(つまりシンプルで手間がかからないものが好まれた)
→パリ市内の美化に伴い、ブルジョワ階級のゴージャス化に拍車がかかる
→王権とフランスの威光を高めるために中央集権化がより進む。(1661年ヴェルサイユ宮殿建設、1648年アカデミー設立、フランス料理の豪華料理の追及→テーブルマナーの確立やテーブルアートの技術向上)
→砂糖プランテーション化でフランスで砂糖が安く手に入るようになる。⇒イギリスへ砂糖輸出したり、コーヒー、カフェ文化が花開き、お菓子も発展する(ブリオッシュ、シャーベット、シロップ、レモネード、菓子パン、プリン、パイ、生クリームが誕生)
→1691年「ブルジョワ家庭の料理人」出版(カスタードクリーム、ホイップクリーム、アイスクリーム誕生)
→絶対王政が進み、貴族たちの政治的権限が失われ、ヴェルサイユ宮殿内に留まって王の関心を集めることに注力し始める。→優美で女性的なロココ文化が始まる
→ロココ文化で、甘い空気のような植物的要素が好まれ、香りより、美しい形や色を優先するように⇒ケーキデコレーションや食器も銀やエナメルで美しく繊細になる
→1770年ルイ16世にマリーアントワネット嫁ぎ、オーストリアからクグロフなどのお菓子文化流入する
→フランス財政難が深刻化⇒イギリス産業革命で砂糖の輸出より工業製品の輸入が増えた、植民地で成功した商人のブルジョワ化、貴族など特権階級の免税と散財が止まらない
■フランス革命とナポレオン
フランス革命後、多くの貴族が没落し、多くのお抱え料理人がパリでレストランを出店する。
→パリでは身分問わず、仲間とレストランで食事をするのがブームになる
→一般大衆化+カフェ文化で学者や研究者の批評でサービスと味が発展する
→アントナン・カレーム(1783~1833)によるピエス・モンテ「古代ローマの滝」など、建築思想を用いて3次元のお菓子を作ることが可能に
→ユルバン・デュトワ(1818~1901)はブラン・マンジェやシャルロットを考案。多数のレシピが普及し、お菓子の名前や作り方をレシピとして守ろうという基本ができる
→各地でお菓子が生まれる
・1850年リヨンにてエクレア誕生
・19世紀末、パリ・ブレストが自転車レースを記念に作られた
・19世紀頭、ルージュによりミルフィーユ考案
・1846年、サントノレがパリの高級菓子店で販売
・1890年頃、タルトタタンがレストラン宿経営している姉妹のうち姉のうっかりミスを妹がリカバリーしてできる
→ナポレオン時代で資本主義の思想が流入する⇒成功した小金持ち(ブルジョワ工場長など)は改革を望まなくなる⇒劣悪な環境で働く労働者プロレタリアートが問題になる(レ・ミゼラブル)⇒社会主義思想の台頭
→初期のブルジョワは家族と家で過ごし、休日にお出かけして休憩時にお菓子を楽しむプチフールの習慣ができる(プチフール=余熱。子女のたしなみとして料理の余熱でお菓子を焼く)
→ナポレオン排斥後、一時期ブルジョワによる貴族っぽいサロンを開くのが流行る。(女中を雇い、サロンを開くのが成功したブルジョワの証みたいな)
→お菓子は家で作るものからプロが作るものに変化。
⇒パリの街が放射状の美しい街並みになり、お気に入りの菓子店を探すことや、おいしいお菓子やの情報交換をするのがブームになる。
■20世紀のフランス
鉄道の普及や乗合馬車など移動手段が革新し、パリと地方をつなぐのが簡単になる。
→地方で作られていた穀物をパリで人気のあるもの(甜菜、小麦)に変えて地方も豊かになり始める
→地方のお菓子がパリでヒットする(クイニーアマン、マドレーヌ、ナンシーマカロンなど)
→第一次世界大戦後150万の犠牲を出したが、生きる喜びで開放感が爆発し、大量消費起こる。
→国力低下したところにヒトラー台頭。第二次世界大戦でパリ占拠される
→戦時中は配給制となったり、菓子職人が戦争に徴兵されお菓子が少なくなる。
→結婚式に見栄えが良くなるように、アイシングの代わりに石膏を使ったり、下の段を箱で底上げしてゴージャスに見える工夫を凝らすようになる⇒現在のゴージャスなウェディングケーキの土台
→戦後は技術の進歩で庶民も美しいお菓子が食べられるようになる。
→健康志向の増加で古典的な砂糖いっぱいのお菓子が流行らなくなる
→1981年共産主義政権が発足しムースが誕生する。
⇒労働時間短縮政策で菓子職人は生ものを冷凍保存するようになる⇒冷凍に向かない果物を保存するために、ムースにして冷凍する術を編み出す(ムース、ババロア、スフレ、クレームカラメルなどふわふわつるつる感あるものが人気になる)
⇒ペーシェ・メルバ…ローエングリンのオペラで、白鳥が登場するシーンをかたどった桃のお菓子考案(桃とアイスのお菓子だと思っていたけど、正式は、バニラの上に桃を置き、氷を刻んだ翼をサイドに置いて、糸状の砂糖が覆ったお菓子らしい)
■現代の課題(著者の感想)
技術が進歩したことで、製品が標準化され、どのレシピも似たようなものになりがち
⇒インスタ映え、見た目重視で味が二の次に
⇒フランス料理が全世界で食べられるようになり、アメリカスタイルもずいぶん増えたが、フランス文化として、フランス独自のものを大事にしてほしい -
Posted by ブクログ
★★★2019年6月レビュー★★★
「情熱」というキーワードでたどるスペイン史。
闘牛やフラメンコに代表されるような「情熱」の原点は何なのか。明確な答えはないものの、やはりヨーロッパの僻地であり、痩せて乾いた大地。そこに集った異文化の人たち。そのような地理的、歴史的背景が大いに関係しているのだろう。
カスティーリャ王国のアルフォンソ10世(在位1252年~1284年)の功績など、知らなかったことを知ることができた。彼は「賢王」と呼ばれ、異文化交流に大きな貢献をした。また、『七分法典』による法整備。それがラテン語ではなく、カスティーリャ後で書かれていることが重要。
現在のスペイン語の広まりに大きな役割を果たした人物と言えるだろう。
15世紀前半の破格の知識人、ラモン・リュイも重要人物。マヨルカ島出身で、異教徒の改宗に力を注いだ。
レコンキスタ~黄金時代~凋落の時代~スペイン内戦に至る歴史がダイジェストで記されており、ざっとスペイン史をたどるには絶好の本だろう。 -
Posted by ブクログ
戦争や統治者の名前といった表面的なものではなく、生活の基底としている自然を通して歴史を説明している視点がいい。
ゲルマン人は、自然崇拝の多神教を奉じ、神々はヴァルハラという天国にいるとし、聖なる森を礼拝して、神秘的な空間とみなしていた。
ローマ帝国が滅亡すると、海を航海する商人は減り、内陸の大河を移動して交易する商人が増えた結果、川沿いには次々に都市が成立して発展した。ドイツの都市は、10~11世紀に商人が定住してでき始め、商人法を基にして都市法がつくられ、独自の地位を持つようになった。
ドイツ人は、10世紀からエルベ川の東方に進出し始め、12世紀には本格的な植民を始めた。
農民を支配する領主としての貴族は、11世紀半ばから13世紀にかけて、川沿いの小高い丘に城を建てて拠点とした。
北の海沿いにできた都市は、商業上の特権確保を目的としたハンザ同盟を結成し、政治的にも大きな力を持った。14~15世紀の最盛期の後、オランダがバルト海に進出して低迷した。
16~17世紀に集中した魔女狩りは、4分の3がドイツを中心とする神聖ローマ帝国内で行われた。魔女狩りの対象とされた女性は、薬草の知識を持ち、産婆を務め、占いをして村人を助ける尊敬の対象だった。プロテスタントとカトリックの宗教対立によって世界の秩序に不安や疑念が起きたこと、女性の神秘性に男性が畏怖や嫌悪を感じたこと、公的な権力による規律化が強まり、正しい秩序を樹立するための統制活動「ポリツァイ」の対象とされたことが理由として考えられる。
近世から近代にかけて発展した銀山、鉄山、炭鉱、岩塩鉱は、燃料を提供した森、精錬のための大量の水を提供した川によって支えられた。
ジャガイモは、17世紀までは観賞用やブタの餌扱いだったが、30年戦争やその後の飢饉によって、食料として栽培されるようになった。
大地や自然から生まれた伝統の習俗や、「信仰のみによって人は救われる」と説いたルター主義が受容されたドイツでは、啓蒙主義は受け入れられなかった。近代になっても、古典的教養は国家のテクノクラートのためのもので、市民社会形成の推進力にはならなかった。19世紀に急激な工業化が進み、賃金労働者の増加、単調な作業の拡大といった労働環境の変化が起きると、人と人のつながりの新たな組織として、協会、組合、連盟、同好会が次々につくられていった。
ルネサンスの合理主義や近代の啓蒙主義の影響が小さかったドイツでは、自然との深いかかわり方を追求したロマン主義が花開いた。これは、自然を重んじ、人間の情熱などをたたえるゲーテやワーグナーなどを引き継ぐもの。古代から近代にいたるまでの民話を集大成したグリム兄弟も活躍した。18~19世紀のドイツの文学者、画家、哲学者には、共通したドイツ的な自然観がみられる。
ドイツ人は、生活の基盤としての自然と向き合い、自然と一体化することによって、人間の存在や文化の理想像を作り上げようとしてきた。そのため、文明よりも文化を重んじ、啓蒙主義は根付かず、ロマン主義が受け入れられた。
自然との関わりが強いこと、民族の一体感が強いこと、組織への指向性が強く、軍国主義の歴史を歩んだことなど、日本との類似性を改めて考え直させられる。グリム童話は日本でも親しまれているし、民話を集大成したグリム兄弟は柳田国男を彷彿させる。自然や地形がこれほどまでに人間の信仰や思想に影響を与えるものかと驚かされる。 -
Posted by ブクログ
イギリスは日本と同じ島国だが、成り立ちも政治も、あまり似ていない。
それでもどことなく、親近感を覚える。
歴史を見てみれば、複雑すぎて(欧州は総じてその傾向が強いけれど)、そして同じ名前が多すぎて、苦手とする人も多いかもしれない。
しかし、王の名前を把握し、その時代背景を理解してみると現代の物事も理解しやすくなるし、海外ドラマも一層面白くなるというものだ。
でも一体どうやって?
そんな時に役立つのが本書。
ばばーん!
巻末には英国史年表、王家の家系図付き。
近現代の王たちは馴染み深くさほど苦労はしないはずだ。
海外ドラマの「クイーンメアリー」「女王ヴィクトリア」(いずれも邦題)とあわせてみるといい。
しかし…第1章から2章はなかなかページを繰る手が進まない。
国家が乱立しているし、あまり面白いエピソードもない。
正直言ってこの時代は私にはあまり面白くなかった。
ウェストミンスター寺院の建立の古さ、コモン・ローの成立過程は興味を引かれたが。
この章を越えれば…(無理をして読んで、つまらない、と投げ捨ててしまうくらいならこの2章は飛ばしてもいいと思う)思い出してきた、ジョン欠地王、百年戦争、ヘンリ八世!『ブーリン家の姉妹』「クイーン・メアリー」に繋がる色好みの王!
思想家といえばモンテスキュー、J・ロック、ベンサム、J・S・ミル!
19世紀のジャガイモ飢饉は『夜の庭師』の舞台。ここからアメリカに移住して、土地の名前がついて…知識がジャガイモのようにするすると引きずり出されてくる。
これから学ぶ人にはぜひこの面白い、と思ったところから地図を作って欲しい。
その地図が繋がった時の知の興奮は驚きとともに、快感さえ覚えるものだ。
脳の記憶の仕組みと同じ地図、その全ては、おもしろいと思うところから始まるのだ。