梅崎春生のレビュー一覧
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【滝なんかエッサエッサと働いているようだが、眺めている分には一向変化がなく、つまり岩と岩の間から水をぶら下げているだけの話である。忙しそうに見えて、実にぼんやりと怠けているところに、言うに言われぬおもむきがある。私は滝になりたい】(文中より引用)
何もしないことの素晴らしさを説いた表題作品を含む短編小説集。何もしない、何もしたくない人間の目に映る社会の厳しさやおかしさを見事に捉えた一冊です。著者は、海軍体験を踏まえた『桜島』で注目を集めた梅崎春生。
なにかと心がささくれ立つニュースや出来事が多い毎日に効いてくる処方箋のような作品。肩の力をふっと抜くことのできるエッセイ調の小説の数々が、現代の心性にもピタリと当てはまっているように感じました。
推薦作として読みましたが確かに良かった☆5つ -
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『幻化』は、戦争文学である『桜島』とは異なり、戦後文学であるという点がやはりポイントなのだろう。戦争があり死が身近であった青春を振り返り確かめることを通して、生がよりくっきりと感じられた。
『幻化』を読んでいる最中は人称がいつも気になった。三人称で書かれていると思ったら、主人公の幻想(?)では一人称的な書き方となっている。これによって、主人公の精神が本当に病んでいるのか、病んでいたとしてもそれによる幻想が必ずしも非現実であるとは言い切れないような感じとなっているのではないだろうか。
『日の果て』のラストはまるで映画のクライマックスのような時間感覚によって、主人公の心理に迫る描写が面白かった。
解説が良かった。解説者の本作に対する思い出話ほどどうでもよいこともない。このような解説が増えて欲しいものである。 -
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毎年8月は、なんだかんだで第二次世界大戦の終戦を意識してしまう。
若い頃はあまり積極的にその辺りの物語(ノンフィクションも含めて)に触れようとはしてこなかった。
40代に入った頃から、
戦争に対して恐れや嫌悪だけでない、
別の感情…、
それは知的興味とも取れるかもしれないが、生まれてきた。
2020年代、あの戦争を直に体験した世代がいよいよいなくなっていく時代。
恐ろしさ、嫌悪感、虚しさ、また、
それ以外の、極限時に人間が対峙する感覚の解像度を、直に経験した世代が、
まだ時間的経過も浅いうちに生々しく表現している小説がこの本、「桜島 狂い凧」。
梅崎春生という作家の名前も知らなかった。
今回読んだ中に収録されている「桜島」で、戦争文学の代表的作家に数えられるようになったらしい。
わたしもこの「桜島」にかなり気持ちを持っていかれた。
この作品は本当に凄かった。
戦争の作品をあまり読んできていないせいもあるかと思うが、
情景描写も心理描写も全部凄い。
そのまま脳を1945年8月の桜島に持っていかれる感覚、とでも言おうか。
こんなところで死にたくない。
こんな無意味なことをして何になるのか、一体自分たちは何をやっているのか、
この先どうなるのか、
ただここで死ぬのを待つのか、
いや、それより先に東京がやられるかもしれない…。
滅びを待つこんな不衛生な場所から見上げる日本の、桜島の山々、空、夏は、
どうして、こんなにも美しいのか…。
生きたいという想いと、
いっそ滅びてしまえという自棄になる感情が入り混じった、なんとも言えない感覚が、主人公の言動に関係なく読んでいる私の中にも芽生えて、読み終わったあとは文字通り放心した。
今後つくつく法師の声を聴くと絶対にこの作品を思い出してしまうだろう。
「狂い凧」も考察の前に、読んでいる自分の感情をいろいろとひっぱり出してくるような小説だった。
生命の取り合いだけではない、経験したからこそ知っている戦争状態にいる人間のさまざまな側面を、思いがけない方向から見せてくる。
感情的に反戦をうたう作品に食傷するような捻くれた私のような読者には、寝技みたいにジリジリと効いてくる内容だった。
前回の読書会でお借りしたこちらの本、
読書会メンバーの方が、今年の本屋大賞発掘本を推薦された書店員さんからお薦めしてもらったそうなんだが、
さすがの選定眼だと思った。
素晴らしい作品でした! -
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【目次】
I
三十二歲
己を語る
*
怠惰の美徳
蝙蝠の姿勢
憂鬱な青春
終戦のころ
編集者の頃
茸の独白
エゴイズムに就て
世代の傷痕
近頃の若い者
文学青年について
私の小説作法
人間回復
衰頽からの脱出
聴診器
閑人妄想
二塁の曲り角で
昔の町
暴力ぎらい
烏鷺近況
只今横臥中
あまり勉強するな
オリンピックより魚の誘致
居は気を移す
法師蟬に学ぶ
チョウチンアンコウについて
アリ地獄
II
寝ぐせ
猫と蟻と犬
寒い日のこと
一時期
飯塚酒場
百円紙幣
防波堤
解説 荻原魚雷
【感想】
小説家だけど「小説を書くことは、私には苦痛です」と正直に書いてるのが憎めない。ときどき鬱になって布団から起き上がれないのは深刻ではあるはずなんだけど、その描写が妙に軽やかでちょっと笑ってしまった。
でも書名どおりのだらしない話ばかりかと思いきや、戦中と戦後を生きた人だけあって人間観察や時代・社会への批判はけっこう冷徹で、日本社会の最大の不幸は未熟でありながら一種の偏った完成を示していること、という主張なんかはそのまま今の日本にも当てはまりそう。
小説作法、チョウチンアンコウ、猫のカロの話もおもしろかった。 -
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「殺されること」って本来言葉にできない怖さがあるじゃない?でも平和な日本の私にはその怖さがわかるようでわからない。その怖さをわかってるふりしてもそれでもとても軽いんだ「殺される」ってことのイメージが。
戦争知らない世代が読んだらどれくらいこの怖さが伝わるだろうか?そう考えた時にこの長くない「桜島」はとてもよかった。じわじわと怖い。これか…的な。
戦争なんて人が壊れるだけで何も生まれないものまず基本だと改めて。
それから本書の描写の数々に自分をただ生かす(心を保ち生きる)だけでもこれほどまでに過酷かと忌々しくおもうリアリティある精神の1冊。 -
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本のタイトルには無いですが、著者の最初の作品である『風宴』と『桜島』『日の果て』の初期三作品。そして、遺作となった『幻化』を収録。
『風宴』は学生時代、『桜島』戦中、『幻化』は戦後の著者の体験を交えて書いており、『日の果て』は兄の体験を聞いて創作。共通しているのは、どれも死を扱っていると言うこと。
『桜島』は「美しくて死にたい」と願っていた主人公が、後半の見張台で語る独白が、とても印象に残る作品です。ただ、高い本なのだから、兵器の名前を知らない人のために注釈は必要だと思う。
「銀河」は海軍の陸上爆撃機、「回天」は別名人間魚雷と呼ばれる特攻兵器、「震洋」もモーターボートの特攻兵器。ちなみに「銀河」の設計者は、特攻兵器「桜花」を設計したことから、戦後は平和を願い、新幹線0系を設計しています。
『日の果て』は、脱走兵を扱っている時点で珍しいですが、追っているはずの主人公の移り変わる心理描写と緊迫感がいいですね。絶望的なフィリピン戦線で、このようなこともどこかであったのではと思いました。こちらも地図も注釈もない不親切さです。サンホセやツゲガラオは、手持ちの『玉砕を禁ず』の掲載地図に名前がありますが、肝心のインタアルの場所がよくわかりませんでした。
『幻化』は、精神を病んだ主人公が病院を抜け出し、戦中に軍務に服した鹿児島に向かう飛行機で隣り合わせになった、妻子を失ったばかりの男との出会いから始まる物語。途中でいろいろな人との出会いの中で、過去の記憶を辿りながら正常と異常の狭間で煩悶する男。ラストは、狂気に苛まれて歩みを進める別の他人を見ながら、その姿を自分に置き換えて自分自身を鼓舞しているようなセリフが印象的でした。
ところで、精神を病んでいるとはいえ、ガラス製のビンを道端、崖下や防風林に捨てたりしているのは感心しないですね。ガラスビンが風化するのに100万年もかかるとか知らなくても、形状や材質から自然に帰りそうにないことくらい、わかりそうですけどね… -
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1957(昭和32)年刊。
梅崎春生のユーモア長編小説。
私はもともと中学・高校の頃、北杜夫さんのユーモア小説・エッセイが大好きで読み漁っていた。本作は北杜夫さんの作品によく似た感じである。戦後派という重々しいイメージは全く払拭され、実に軽快な文体でドタバタコメディが展開される。地の文はしばしば「全改行」にもなり、昭和30年代の初め頃に既にこの様式があったのか、と驚いた。人物たちの会話を主体としてサクサクと進行していく手法は戯曲にも似ている。
読みながら、「何故可笑しいのだろう」ということをときどき考えた。ベルクソンは「自動人形化」という妙な言葉で表現したが、確かに、読者としては人間的共感・没入および、人物から少し身を引いて対象化して見る二重性の生じる場所に、笑いの可能性が生まれるのかもしれない。人間的性情が極端になりそのロジックが異様な言動・状況を結果する際に、「アララこんなことになっちゃって」と呆れるところに笑いがある。モリエールの性格喜劇もこの仕組みだ。が、生じる結果があんまり悲惨だと笑えなくなる。暴君の残虐が民の苦痛を引き起こすのは笑えない。
苦痛は、程度の問題かも知れないが、抑制されなければならない。本作では妻や女性秘書の尻に敷かれ締め付けられている中年男性が複数登場するが、彼らは苦痛の中に鬱々と沈むのではなく、意外と飄々としているように描かれているから救われ、「笑い」の方に寄せ付けられている。
2軒の銭湯が競争のため湯代を値引きしすぎて貧しくなり、節約により両家族の食事がどんどん貧相になってメザシや梅干し・芋ばかり食い、結果として息子が痩せ細ってダンベルを持ち上げられなくなったり娘たちがフラフラとして転んだりするのが「可笑しい」というのは、それが深刻な困窮とは感じられず、あくまでも「よせばいいのに」という「呆れ」の範疇にあるから可能なのである。ここでは彼らの「苦痛」は読者にとって身に迫るなまなましさであってはならない。それはあくまでも対象化された苦痛であって、記号としての苦痛である。
「ヤレヤレ」と「呆れ」る段階の形成は恐らく、事象を記号として無害化する微妙な距離の取り方にあるのではないか。
だが私の思惟は「笑い」の構造をすっかり探究し得たわけではない。が、それを改めて考えさせてくれる、本書は好個のユーモア小説であった。この分野として、なかなかよく出来た作品ではないかと思う。 -
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1957(昭和32)年刊。
梅崎春生のユーモア長編小説。
私はもともと中学・高校の頃、北杜夫さんのユーモア小説・エッセイが大好きで読み漁っていた。本作は北杜夫さんの作品によく似た感じである。戦後派という重々しいイメージは全く払拭され、実に軽快な文体でドタバタコメディが展開される。地の文はしばしば「全改行」にもなり、昭和30年代の初め頃に既にこの様式があったのか、と驚いた。人物たちの会話を主体としてサクサクと進行していく手法は戯曲にも似ている。
読みながら、「何故可笑しいのだろう」ということをときどき考えた。ベルクソンは「自動人形化」という妙な言葉で表現したが、確かに、読者としては人間的共感・没入および、人物から少し身を引いて対象化して見る二重性の生じる場所に、笑いの可能性が生まれるのかもしれない。人間的性情が極端になりそのロジックが異様な言動・状況を結果する際に、「アララこんなことになっちゃって」と呆れるところに笑いがある。モリエールの性格喜劇もこの仕組みだ。が、生じる結果があんまり悲惨だと笑えなくなる。暴君の残虐が民の苦痛を引き起こすのは笑えない。
苦痛は、程度の問題かも知れないが、抑制されなければならない。本作では妻や女性秘書の尻に敷かれ締め付けられている中年男性が複数登場するが、彼らは苦痛の中に鬱々と沈むのではなく、意外と飄々としているように描かれているから救われ、「笑い」の方に寄せ付けられている。
2軒の銭湯が競争のため湯代を値引きしすぎて貧しくなり、節約により両家族の食事がどんどん貧相になってメザシや梅干し・芋ばかり食い、結果として息子が痩せ細ってダンベルを持ち上げられなくなったり娘たちがフラフラとして転んだりするのが「可笑しい」というのは、それが深刻な困窮とは感じられず、あくまでも「よせばいいのに」という「呆れ」の範疇にあるから可能なのである。ここでは彼らの「苦痛」は読者にとって身に迫るなまなましさであってはならない。それはあくまでも対象化された苦痛であって、記号としての苦痛である。
「ヤレヤレ」と「呆れ」る段階の形成は恐らく、事象を記号として無害化する微妙な距離の取り方にあるのではないか。
だが私の思惟は「笑い」の構造をすっかり探究し得たわけではない。が、それを改めて考えさせてくれる、本書は好個のユーモア小説であった。この分野として、なかなかよく出来た作品ではないかと思う。 -
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昭和17年の「防波堤」以外は1947(昭和22)年から1964(昭和39)年にかけて書かれた梅崎春生の、随筆/エッセイおよび、それが小説的形態を取った作品を収めたアンソロジー。
読んでいるとユーモアがあってなかなか笑える文章が多い。このような文章の雰囲気は、昔大好きでよく読んでいた北杜夫さんのエッセイにも通じるものがあり、やはり戦前戦時の日本文学の随筆とは違っていて、太平洋戦争から東京大空襲・敗戦を境として明らかに世代・文化の断裂が生じていたのだと改めて感じた。
ことに「猫と蟻と犬」にはとても笑った。
さて著者は一時期以来身体が弱く、また神経症なのか、やる気の出ず朝から晩まで横臥しつつ、悔いの気分に支配されるようなことがあって、自身は「軽鬱病ならぬ軽々鬱病ではないか」などと称している。
「怠惰」を大切な人間性の一つとして考える梅崎は、1958(昭和33)年の時点で、受験競争に関連し、
「この競争というやつは、とかく人間を非人間的に育てるものである。」(「あまり勉強するな」P.147)、
「官僚というものの非人間的なつめたさ、中にひそむいやな立身主義などの一因は、その構成分子の役人たちが、学生時代に凄惨な協奏をしてきたからではないのか。」
「青年よ、あまり勉強をするな! 勉強が過ぎると、人間でなくなる。」(P.148)
等と書いている。この怠惰の思想はなかなか魅力的だ。度を超えて競争原理がすべてに行き渡り今では世は殺伐とし非人間的な事件が大量に起きまくっていることは確かだ。怠惰や非能率を悪として忌んできた社会倫理のもとで、人は他者に対しあまりにも非寛容で、すさんだ精神を呈している。梅崎春生も、まさか世の中がここまで酷くなるとは予想できなかったろう。 -
Posted by ブクログ
心に効いてくる。
本質に怠惰な無気力な視線からついてくる。
今まで本を読んでいて初めての感覚で、
語彙が足りなくて今の感情をうまく表現できないのが悔しい。
やっぱり冒頭の詩で、ものすごく惹きつけられるなあ。
怠惰な視点で、日常の細かい出来事を鋭く突きながら語る、洞察力の鋭さ。
それをちゃんとユーモアで包んで言葉にしているからただの怠け者とは訳が違う。
人間のどうしようもない怠け癖を肯定していないようでしてくれているようで。
時代が古いからシチュエーションは違えど、、、
荻原魚雷いわく、筋金入りの傍観者。
怠惰な日々の中にも文学がある。
勇気づけられる本。