梅崎春生のレビュー一覧
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本のタイトルには無いですが、著者の最初の作品である『風宴』と『桜島』『日の果て』の初期三作品。そして、遺作となった『幻化』を収録。
『風宴』は学生時代、『桜島』戦中、『幻化』は戦後の著者の体験を交えて書いており、『日の果て』は兄の体験を聞いて創作。共通しているのは、どれも死を扱っていると言うこと。
『桜島』は「美しくて死にたい」と願っていた主人公が、後半の見張台で語る独白が、とても印象に残る作品です。ただ、高い本なのだから、兵器の名前を知らない人のために注釈は必要だと思う。
「銀河」は海軍の陸上爆撃機、「回天」は別名人間魚雷と呼ばれる特攻兵器、「震洋」もモーターボートの特攻兵器。ちなみに「銀 -
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1957(昭和32)年刊。
梅崎春生のユーモア長編小説。
私はもともと中学・高校の頃、北杜夫さんのユーモア小説・エッセイが大好きで読み漁っていた。本作は北杜夫さんの作品によく似た感じである。戦後派という重々しいイメージは全く払拭され、実に軽快な文体でドタバタコメディが展開される。地の文はしばしば「全改行」にもなり、昭和30年代の初め頃に既にこの様式があったのか、と驚いた。人物たちの会話を主体としてサクサクと進行していく手法は戯曲にも似ている。
読みながら、「何故可笑しいのだろう」ということをときどき考えた。ベルクソンは「自動人形化」という妙な言葉で表現したが、確かに、読者としては人間的 -
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1957(昭和32)年刊。
梅崎春生のユーモア長編小説。
私はもともと中学・高校の頃、北杜夫さんのユーモア小説・エッセイが大好きで読み漁っていた。本作は北杜夫さんの作品によく似た感じである。戦後派という重々しいイメージは全く払拭され、実に軽快な文体でドタバタコメディが展開される。地の文はしばしば「全改行」にもなり、昭和30年代の初め頃に既にこの様式があったのか、と驚いた。人物たちの会話を主体としてサクサクと進行していく手法は戯曲にも似ている。
読みながら、「何故可笑しいのだろう」ということをときどき考えた。ベルクソンは「自動人形化」という妙な言葉で表現したが、確かに、読者としては人間的 -
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昭和17年の「防波堤」以外は1947(昭和22)年から1964(昭和39)年にかけて書かれた梅崎春生の、随筆/エッセイおよび、それが小説的形態を取った作品を収めたアンソロジー。
読んでいるとユーモアがあってなかなか笑える文章が多い。このような文章の雰囲気は、昔大好きでよく読んでいた北杜夫さんのエッセイにも通じるものがあり、やはり戦前戦時の日本文学の随筆とは違っていて、太平洋戦争から東京大空襲・敗戦を境として明らかに世代・文化の断裂が生じていたのだと改めて感じた。
ことに「猫と蟻と犬」にはとても笑った。
さて著者は一時期以来身体が弱く、また神経症なのか、やる気の出ず朝から晩まで横臥しつつ -
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心に効いてくる。
本質に怠惰な無気力な視線からついてくる。
今まで本を読んでいて初めての感覚で、
語彙が足りなくて今の感情をうまく表現できないのが悔しい。
やっぱり冒頭の詩で、ものすごく惹きつけられるなあ。
怠惰な視点で、日常の細かい出来事を鋭く突きながら語る、洞察力の鋭さ。
それをちゃんとユーモアで包んで言葉にしているからただの怠け者とは訳が違う。
人間のどうしようもない怠け癖を肯定していないようでしてくれているようで。
時代が古いからシチュエーションは違えど、、、
荻原魚雷いわく、筋金入りの傍観者。
怠惰な日々の中にも文学がある。
勇気づけられる本。 -
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梅崎さんの名前は見たことがあったけど、読んだのは初めて。
この『ボロ家の春秋』は短篇集で7つの短篇が収められている。
梅崎さんの小説には「戦争もの」と「隣人もの」があって、こちらは後者。
梅崎さんは、戦争ものにおいては、
【 苛烈な環境状況にあっても生活はある 】
というような書き方をし(読んでいないので解説に拠る)、隣人ものの方では、
【 平和な何の変哲もない日常にも苛烈な状況はある 】
という書き方をしている。
だから「戦争もの」も「隣人もの」も本質として梅崎さんの中では別ものではないのだと思う。
人間は生きているうちはどんな状況であれ生活をしなくてはいけない。
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先生に勧められて読んだ本。
表題の3篇の他に、梅崎のデビュー作「風宴」が入っている。
代表作の「桜島」もよかったけれど、私がとても好きだと思ったのは晩年に執筆されたという「幻化」だ。
東京の精神病院から脱走してきた男が、戦争中に軍務に服していた南九州へと向かう。奇妙な同行者といっしょになったり、一人になったり、土地の子どもと知り合ったりしながら、戦争中の記憶をたどっていくのだ。
自分が異常なのか正常なのかわからない。
何から逃げているのか、どこへいくのかわからない。
何もかもがはっきりしないまま、はっきりさせようともしないまま、かつての記憶に現在の人々を重ね合わせるように、人と出会い、別れなが -
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随筆+短編小説集。自身を怠惰だと自嘲しているものの、著者が生きていた時代背景を考えつつ本書を通読すると、怠惰であることが許されない世相を、必死の努力で怠惰に生きていた、ということがひしひしと感じられる。若い時には西欧の芸術に遊んでおきながら晩年に俳句や擬古文に耽る先人たちを嫌悪し、「私は日本人であることよりも、人間であることに喜びを感じたいのだ」(p99)と宣言する『哀頽からの脱出』、戦時中にも居酒屋の開店待ちをする行列が出来ていたことがわかる、当時の横寺町の名物酒場であったお店の客層の描写も楽しいルポ『飯塚酒場』、怠惰であることからの著者なりの決別の過程が描かれた『防波堤』が読み応えあり。
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