つむじ風 (下)
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つむじ風 (下)

小説・文芸
770円 (税込)

3pt

4.5

希代の詐話師が2軒の浴場をきりきり舞いに
クルマに当て逃げされた自称“松平”陣太郎は、その犯人を捜す過程で三吉湯の主人・猿沢三吉には大学生の愛人がおり、小説家・加納明治が当て逃げ犯だったことを知る。一方、三吉湯に押され、捲土重来を期す泉湯の長男と三吉湯の長女は恋仲だった。
こうした人間関係を利用し、巧みな弁舌で脅したり焚きつけたりして利益を得ていた陣太郎を、当て逃げの現場を目撃した浅利圭介は「君がそこらをうろちょろすると、その度に、そこらに波紋がおこって、あぶなくて仕様がない。まるで君は春先のつむじ風みたいだ」と評する。
はたして、三吉湯と泉湯の争いの行方は? 陣太郎の正体は? 名作ユーモア小説の完結編。
(※本書はに発売し、2022/4/13に電子化をいたしました)

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つむじ風 の一覧

1~2巻配信中 1巻へ 最新刊へ
1~2件目 / 2件
  • つむじ風 (上)
    880円 (税込)
    金の亡者たちの滑稽な争いを描いた傑作 クルマに跳ね飛ばされたらしい、ちょっと変わった青年・松平陣太郎を自宅に連れ帰った浅利圭介。失業中で妻から尻を叩かれっぱなしの圭介は、目撃したナンバープレートを手掛かりに一発逆転を狙っていた。しかし、ボーっとしていると思われた陣太郎が意外としたたかで、徳川家の末裔を名乗り、賠償金を巡る工作の主導権を握りはじめる。 加害者として浮上したのは、公衆浴場の主人と流行作家の2名。そこに浴場同士の争いや作家の美人秘書、浴場主人の愛人らが絡んできて……。 渥美清主演で映画化もされたユーモア小説の前編 (※本書は2021/5/13に発売し、2022/4/13に電子化をいたしました)
  • つむじ風 (下)
    770円 (税込)
    希代の詐話師が2軒の浴場をきりきり舞いに クルマに当て逃げされた自称“松平”陣太郎は、その犯人を捜す過程で三吉湯の主人・猿沢三吉には大学生の愛人がおり、小説家・加納明治が当て逃げ犯だったことを知る。一方、三吉湯に押され、捲土重来を期す泉湯の長男と三吉湯の長女は恋仲だった。 こうした人間関係を利用し、巧みな弁舌で脅したり焚きつけたりして利益を得ていた陣太郎を、当て逃げの現場を目撃した浅利圭介は「君がそこらをうろちょろすると、その度に、そこらに波紋がおこって、あぶなくて仕様がない。まるで君は春先のつむじ風みたいだ」と評する。 はたして、三吉湯と泉湯の争いの行方は? 陣太郎の正体は? 名作ユーモア小説の完結編。 (※本書はに発売し、2022/4/13に電子化をいたしました)

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    Posted by ブクログ

    つむじ風のように、あたりをかきまわしたまま
    陣太郎はどこへ?
    なんだかんだ喧嘩ばかりの風呂屋の2人は、
    どうしたって将棋をやりたいようで、
    なんだかんだで共同事業にも‥‥
    女性陣の強さもなかなかのもので、
    昭和の時代を感じつつ、楽しめた。
    おもしろかった!

    0
    2026年08月09日

    Posted by ブクログ

     1957(昭和32)年刊。
     梅崎春生のユーモア長編小説。
     私はもともと中学・高校の頃、北杜夫さんのユーモア小説・エッセイが大好きで読み漁っていた。本作は北杜夫さんの作品によく似た感じである。戦後派という重々しいイメージは全く払拭され、実に軽快な文体でドタバタコメディが展開される。地の文はしばしば「全改行」にもなり、昭和30年代の初め頃に既にこの様式があったのか、と驚いた。人物たちの会話を主体としてサクサクと進行していく手法は戯曲にも似ている。
     読みながら、「何故可笑しいのだろう」ということをときどき考えた。ベルクソンは「自動人形化」という妙な言葉で表現したが、確かに、読者としては人間的共感・没入および、人物から少し身を引いて対象化して見る二重性の生じる場所に、笑いの可能性が生まれるのかもしれない。人間的性情が極端になりそのロジックが異様な言動・状況を結果する際に、「アララこんなことになっちゃって」と呆れるところに笑いがある。モリエールの性格喜劇もこの仕組みだ。が、生じる結果があんまり悲惨だと笑えなくなる。暴君の残虐が民の苦痛を引き起こすのは笑えない。
     苦痛は、程度の問題かも知れないが、抑制されなければならない。本作では妻や女性秘書の尻に敷かれ締め付けられている中年男性が複数登場するが、彼らは苦痛の中に鬱々と沈むのではなく、意外と飄々としているように描かれているから救われ、「笑い」の方に寄せ付けられている。
     2軒の銭湯が競争のため湯代を値引きしすぎて貧しくなり、節約により両家族の食事がどんどん貧相になってメザシや梅干し・芋ばかり食い、結果として息子が痩せ細ってダンベルを持ち上げられなくなったり娘たちがフラフラとして転んだりするのが「可笑しい」というのは、それが深刻な困窮とは感じられず、あくまでも「よせばいいのに」という「呆れ」の範疇にあるから可能なのである。ここでは彼らの「苦痛」は読者にとって身に迫るなまなましさであってはならない。それはあくまでも対象化された苦痛であって、記号としての苦痛である。
    「ヤレヤレ」と「呆れ」る段階の形成は恐らく、事象を記号として無害化する微妙な距離の取り方にあるのではないか。
     だが私の思惟は「笑い」の構造をすっかり探究し得たわけではない。が、それを改めて考えさせてくれる、本書は好個のユーモア小説であった。この分野として、なかなかよく出来た作品ではないかと思う。

    0
    2022年05月02日

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