世阿弥のレビュー一覧
-
購入済み
原著の雰囲気を感じられた
原著にチャレンジするのがハードル高く感じられたので、現代語訳を選びました。それでも原著の雰囲気を感じられたように思います。解説本とあわせて読むと新たな気づきがありそうな気がします。解説本、このあと読み返してみたいと思っています。
-
Posted by ブクログ
1.この本を一言で表すと?
・芸の奥義を伝える本
2.よかった点を3〜5つ
・上手は下手の手本、下手は上手の手本(p121)
→何事からも学ぶ姿勢が必要。慢心自惚れを戒める言葉として素晴らしい。
・たとえ指差されて人に笑われても、そんなことは意に介さず声が無理なく出せるような調子で夜間・夜明けの稽古(p25)
→覚悟と努力が必要。この年齢の時にそれができるかどうかが人生の分かれ目。
・上がるは三十四−五までのころ、下がるは四十以来なり(p38)
→若いころに頭角を現さないといけないということ。今の自分はどうか考える。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・三道の部分は能の作り方が具体 -
-
-
Posted by ブクログ
どんな人に同じく感動をもたらすこと、それが芸能
ずーっと、存在はわかっていて読みたいなーと思っていて手を付けていなかった本を、読みました。
パンセの時と同様、これは多くの人に読まれるための文章ではないので、こうやって公になってしまって観阿弥さんもかわいそうと感じてしまいます。秘すればこそ花なのに。
ご存知、能についての教えの本でありますが、現代芸能と照らし合わせてあれこれ考えさせられることとなりました。
「十七八より
このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。まづ声変りぬれば、第一の花失せたり。」
で声変わりの時期には一切の歌手活動を控えていた三浦大知さんが浮かんだり
「三 -
Posted by ブクログ
世阿弥によるこの有名な、室町時代の能楽書については、かつて現代語訳を欠く岩波文庫で読んだことがある。
現代語訳を欠くとは言え、岩波文庫版のものは詳しい校注があって、私でもなんとか大意をつかむことができたが、誤読してないかどうか自信は持てないので、やはり現代語訳のついた角川ソフィア文庫を購入した。
能というと、CDを持っているほか、テレビで2,3編を見たことはある。もちろん、まったく詳しいとは言えないのだが、どうも現代に演じられている能と、世阿弥の時代の能とではかなり違いがあるらしい。
この書で世阿弥が説いているのは、まずは、能の最大の基本としての「物まね」であり、つまり老人や女性を役者が演じ分 -
Posted by ブクログ
タイトルからして美しいことです。
古典というには新しい時代になるのでしょうが、
久方振りに古語辞典が必要やった。
読むのに四苦八苦で、
ページ数は少ないのに難儀した。
「否定を2回重ねてんやな」
「否定の後に断定やな」
などなど声に出して自己確認。
積み重ねた技と己の姿形を花に例えるあたりから、
精神論とか観念的なこと言われるのかと思ってたんだ。
しかし、
世阿弥にしても将軍の庇護を受けてた訳で、
高貴な人のパトロンを得る為に演じるノウハウ有り。
いやはや現実的な実践論です。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知る事、肝要の花なり。
そもそも、一切の事、 -
Posted by ブクログ
とても短いが、要点が簡潔にまとめられており、その言葉の言い回しも、歯切れがよく美しい文章が多い。この本には、「花」という言葉が多く登場する。能の要点というのは、この「花」という一点に尽きて、ただひたすらにそれを、あらゆる言葉を用いて説明しようとしている書なのだと思った。
「花」というのは、気やオーラのような、目に見えない、言葉では表現しにくいものであるけれども、世阿弥はそれを極めて客観的に、論理的な文章で説明している。
この(12、3歳の頃の)花は、誠の花にはあらず。ただ、時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべてやすきなり。さるほどに、一期の能の定めにはなるまじきものなり。この頃の稽古、 -
Posted by ブクログ
せっかくの丁寧な解説や現代語訳にもかからわず、私にはちょっと難解でした。
ですが、演技論や「花」に関する記述は面白く、演劇や芸術活動をしている人にとっては、もっと面白いのではないかと思います。
世阿弥の著作だとばかり思っていましたが、お父さんの観阿弥の主張を世阿弥が書き留めたものだそう。さらに面白いことには、ずっと秘伝にされていたもので、発見されたのは近代なんだそう。秘伝書ですからねぇ・・。ってことは、この本のようにとても面白い、すごい本が秘されたまま世に出ずに、その権利をもった人だけに語り継がれている、という本もたくさんあるのでしょうね。
まさに「秘すれば花」か。
この本についで『隠れた