あらすじ
『風姿花伝』は能の大成者・世阿弥が著した、日本最古の能楽論である。『花伝書』の名称でも知られる本書は、「花」と「幽玄」をキーワードに、日本人にとっての美を深く探求。体系立った理論、美しく含蓄のある言葉、彫琢された名文で構成される、世界にも稀な芸術家自身による汎芸術論である。原文の香気が失われぬよう、かつ自然な現代語としてスラスラと読めるよう、工夫を凝らした現代語・新訳として提供する。七歳から年代順に具体的な稽古要領を記した「年来稽古條々」、物真似の本質を把握し表現する「物学條々」、Q&A形式の「問答條々」。そして、「花」の本質を説いた「別紙口伝」。章立て・語り口はあくまで明快、シンプルである。大陸伝来の文化から袂を分かち、日本人自ら育て、咲かせた最初の美しい「花」――。風姿花伝は700年を経た今日でも、広く表現に携わる方々はもちろん、人生訓としても読める懐の深い名著である。
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Posted by ブクログ
室町時代に世阿弥が記した、一流派相伝の能の理論書。長らく秘伝書だったので、誰でも読めるようになってから100年ほどしか経っていないのだとか。
タイトルと題材でなんとなく抱いていた雅なイメージのまま読み進めると、能の美しさについてだけでなく、意外にも戦略的な「見せ方」の部分にもかなりしっかりと言及していて、ビジネス書のような一面もあって興味深かった。
芸事をやっている人に限らず、セルフプロデュースを学びたい人におすすめの一冊です。
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前に岩波の風姿花伝を読んだときは何言ってるか分からなすぎてコメント書けなかったが、本書でようやく。上手は下手の手本、下手は上手の手本…謙虚にストイックに上達を目指し続ける、人生を通した芸事への向き合い方の指南書。古典的名著だけに、現代においても何にでも当てはまる。現代との差分かなと思ったのは、インターネットの普及や移動手段の発展などで単時間辺りにアクセスできる情報量や経験の多様性が爆増したので、外部環境の変化に対して思考するシチュエーションが増えたことか。それだけにこういう東洋的な内省思考する時間が相対的に減っているのから、現代人に改めて刺さるのかも。
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能の教科書なんだけれども、日本人が感じる面白さや美学とは何かが落とし込まれていて興味深かった。
日本人に根付く価値観の一端が室町の時代から(あるいはそれ以前から)変わらないのだと感じた。
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・能の良し悪しを評価する言葉の定義から入るところがおもしろい。「幽玄」、「強い」、「花」、「面白い」とか。
・特に「面白い」の定義が意外、かつすごく納得できた。
・能にかぎらず、いろんな活動に通用するであろう極意が盛りだくさん。「他の芸事には心を移すな」って言葉には背筋が伸びますわ。
・繰り返し「絶対外には漏らすなよ!」って書いてあるのに今では世に広く知れ渡ってるの笑う。
・短いし訳が良いのですごく読みやすかった。
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能を通しビジネスとして自分に引き寄せて読んだ。世阿弥のように謙虚さと品格を備えていたい。
以下、印象的な一文。
『上手は下手の手本、下手は上手の手本とわきまえ工夫すべし。下手の良いところを、上手が自分の得意芸の中に取り入れることはこれ以上ない理想的な方法である。人の悪いところに気付くだけでも自分の勉強になるというのに、ましてや良いところについては、言うまでもない。「稽古は強くあれ、しかし慢心はもつな」とは、まさにこのことである。』
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能の本家である世阿弥が書いた、一芸を究めることの心得本。生まれて初めて「日本人でよかった」と思えるほど、随所から侘び寂びの美しさを感じる。一文も読み飛ばせる箇所がないのに、心底驚いた。20年以上かけて編集されただけある。
能の舞台には、大げさな仕掛けも、シーンへの理解を深めるために入れ替わる背景もない。すべてが演者にかかっている。洗練された美しさ、と偏にいうのは簡単だが、その底に眠るものは何か。日本の美の本質を見出すことができる一冊だ。
Posted by ブクログ
世阿弥が約20年かけて書いたという本を現代語にしたもので、大変読みやすいです。
日本人にとっての美とはどういったものなのかわかりやすく書かれており、
能に関わらずお芝居など芸術になんらかの形で関わる人には胸に響くものがあるのでは、と思います。
現代ではあまり使われることが少なくなった「幽玄」や、「花」の言葉の意味を考えるきっかけになります。
感情に訴えたり闇雲な考えを押し付けたりという内容ではなく、冷静な見方で理論的に語られているので理解しやすいです。
花の時期を過ぎた後どうするか、などについてもきっぱり語られています。
「秘すれば花」。珍しいから素晴らしいと感動する。
相手の期待を良い意味で裏切ることこそが感動を呼び起こす というのは、シンプルながら核心をついた言葉だと思いました。
子供がなにげなくやりだしたなら、こと細かに、良い、悪いと教えないこと。あまりに厳しく注意すると、子供はやる気を失い、億劫となって、能そのものが止まってしまう。
これも、能以外にも言えることだと思います。
若い役者がその若い声と姿で「すごい役者が出てきた」と評価され
ときに名人にも勝ることがあり
そこで本人が慢心してしまうとそえは若さゆえの一時の花であり、真実の花にはならない
『たとえ人にほめられ、名人に競い勝ったとしても、これは今を限りの珍しい花であることを悟り、いよいよ物真似を正しく習い、達人にこまかく指導を受 け、一層稽古にはげむべきである。』
というのも、深く頷くところです。
老人を本当にうまく演じるにはやはり相当の名人でなければならず、
老人を本当にリアルに演じるだけでは花がなく面白くない、というのも確かにそのとおりだと思いましたし
そういったことまで書いてしまうのだな、という点にも感動しました。
面白いということが大切で、鬼もリアルに演じれば怖くなりすぎて面白さがなくなってしまいます。
「花はありな から年寄りに見える公案、くわしくは口伝する。」というのも素敵です。
申楽を始めるときに観客席を見て、今日はうまくいくな、とわかるというのは
お芝居をやっている人も非常に共感するのではないでしょうか。
『上手の芸が目利かずの心を満足させることは難しい。下手は目利きの眼に合うことはない。』
というのも、あらゆる世界で言えることな気がします。
『狂う演技に花をおいて、心を込めて狂えば、感動も面白い見所も必ず生まれるものだ。』
『能の命は花にあり』
芸事だけでなく、仕事など誰かに対する場合にも
心に置いておくべき真理だと感じました。
Posted by ブクログ
能の世阿弥がしるした書。能の心得について深い洞察に基づき記載されている。伝統芸能だけあり、一つ一つが非常に深く、その片鱗が垣間見れてとてもおもしろい。いかに花を出すか。一つ一つの違いを演じ分けるかが非常に難しそう。能をみにいきたくなった。面白さを極めんがための徹底的な分析、計算がされており感銘を受けました。
<その他学んだ事項など>
・幼い子に芸を教える際は、心のままにやらせてみることが大事。事細かによい、わるいと教えると、やる気を失い、芸そのものが止まってしまう事がある。
・24,5は花が咲きだし、ベテランに勝つこともあるが、それは本当の花ではない。それで得意になってしまうと後々仇となる。もともと備わっていた花も失ってしまう。
・本番で相手に勝つには。バリエーションを多く持ち。敵と違う芸風で攻めること。
・上手は下手の手本。下手は上手の手本となりえる。下手のよいところを上手が自分の得意芸にとりこむことはこれ以上ない理想的な方法。
・物数を極めることが花の種となる。花を知りたくば、種を知ること
花は心、種は技。
・自分の芸を極めてこそ、あらゆる芸風を知ることができる。目移りしていると、自分の芸もわからず、他の芸風を身につけるなどかなうはずもない。
・見る目がない人にも楽しめるよううまい下手のみではなく、工夫を取り入れることが大事。
・正直にして円満であること。
・耳にしてやさしく、わかりやすい言葉を使うべき。自然と幽玄な風情になる。
・音曲は体、すなわち意味・内容、風情・演技は用、すなわち、表現。温曲より動きの生ずるは順。動きより音曲を残すは逆である。能を書く時は逆に、風情を念頭に置いて書く。そうすると自然と一体として作品ができあがってゆく。
・花は四季折々に咲くもの。珍しさゆえに愛でられる。猿楽も珍しいからおもしろい。花、面白い、珍しい。これらは三つの同じ心。散らずに残る花などない。花は散り、また咲く時があるゆえに珍しい。一所にとどまらず他の姿に移りゆくことが珍しい。
・人がこういうふうにやるはずだと思い込んでいる場面を、同じ不利でありながら、工夫をめぐらせて行うものことそ面白いと評価されうる。
・下手は習い覚え、そのままうたうだけなので、珍しいと感じさせるものはない。上手は同じ節でも曲を心得ている。
・過ぎし芸風をやり捨て、やり捨てしては忘れてしまう事、ひたすら花の種を失い続けることになる。種があれば、また年々時々に花にあえる。
・秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。秘することには効用がある。秘め事は露見すると、秘密にしておくほどもないとなる。
・家はただ続くから家なのではない。継ぐべきものがあるから家なのだ。
これは日本最古の能楽理論書。
Posted by ブクログ
能楽師「世阿弥」が室町時代に書いた秘伝書を
分かりやすく現代語訳してくれた本。
古文の苦手な僕にうってつけ!
内容は能を演じる上での心がけから始まり哲学にも至る。
能に興味がない人が読んでも面白くないんじゃないか?と思うだろうけどそんなことないです!
600年くらいに書かれた文章なのに、ぜんぜん古くさくない。
"どうやったら多くの人の心を掴めるか、美しいとは何なのか、幽玄とは…"
今のアートやクリエイティブな分野にも通じることがたくさん書かれています。
日本人の美意識を再認識するには一番の本です!
Posted by ブクログ
正月に購入して、半分まで読んで進んでなかったんだけど、移動電車のおかげでたくさん読めます。
申楽(さるがく)は、聖徳太師と秦河勝コンビが始めたみたいだけど、先日京都の太秦広隆寺に参拝してから、この著書が急に身近になった。
プロフェッショナルを目指す人には、是非読んでいただきたい示唆に富むものです。
能の本格デビューはいつにしようかな。
Posted by ブクログ
いつかは日本の伝統芸能である「能」に触れたいと思っていた。ただ、順を追ってそこに辿り着くことが大切である気がして、特に風姿花伝を読むことにも焦ってはいなかった。
読書会で扱った松岡正剛『日本文化の核心』を読んでいく中で、「まねび」と「まなび」を扱っている章があり、どうやら「学び」の本質は世阿弥が説いているらしい。「ものまね」から派生する「まねび」そして、「まなび」。つまり遡ると「学び」とは「物真似」であると。神や霊など目に見えないものを真似る。どうやらそれが「能」の世界らしい。今の自分は「学び」を生き方の中心に置いている。これは早めに読まねば。
手に取った本書は、現代語訳も読みやすく、さらっと読むことができる。能だけでなく、プロとは何か、達人とは何かを考えてさせてくれる本でもある。なお、一子相伝であるはずの風姿花伝をこうして簡単に読めてしまうことに時代の移ろいとはいえ、世阿弥さんにいささかの申し訳なさも感じる。
なぜ学ぶか。
結局は「まことなるもの」に近づきたい衝動が抑え切れないからだろう。そのためには、「伝統(風)」を受け取って、その先に「花」を咲かせたいと願って、自分は学び続けるしかない。そして、「花」は、人に内在する「面白い、珍しいと感じる心」だとするならば、いかに自分が面白い、珍しい人間になれるかどうか。
「秘すれば花なり」
この本を読んで花の見方、感じ方がちょっと変わったかもしれない。
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岩波で挫折し、こちらに移行した。
現代語訳ありがたい。
人生のフェーズごとに目指すもの、鍛錬、目立ち方があるなと感じた。
自分の花を大小問わず、死ぬまで何度も咲かせる努力をしたい。
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以前間違えて原書を買って挫折したので、現代語で再挑戦。
本書は読みやすいが格調のある文章で雰囲気を損なわない。
昼と夜の演じ方、勝負の時のコツ、年代別の演じ方など、
能とはどのように捉えられていたのかを知ると同時に、今の芸能界、仕事などにも通じる内容があり参考になる。
Posted by ブクログ
この本は世阿弥の書いた能の稽古、演じる際の心構えやポイントをまとめたもので、現在におけるビジネス書に近いと思う。内容で形而上学的なものはあまりなく、具体的に書かれ想像しやすくなっている。
私は、①本質をつかみ、本質から外れたことをしないこと②観客本位に考え、観客の嗜好に合わせること③珍しさがあること④慢心せずに稽古に励むこと⑤タイミングをつかむこと
という点を世阿弥が大切にしたと感じた。以上挙げた点では漏れがあるとは思うが、そこはご容赦いただきたい。印象に残った言葉として、「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」がある。切り札は秘密にしてこそ切り札なのである。
600年ほど前に書かれた能楽に関する本であるが、能楽以外、ビジネスを行う上でも現代でも通用すると思われる考えが多く記述されており、ビジネス書としても参考になるであろう。
Posted by ブクログ
幽玄。言葉では表せない、奥深く微妙にして情緒に富むありさま。▼花は四季折々に咲く。時節を得ているからこそ、新鮮な感動を呼ぶ。能もその場の機を大切にすること。▼是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。▼能は、枝葉も少なく、老木おいきになっても、花は散らずに残る。 ▼舞台上の自分が他人からどう見えているか意識せよ。離見の見。世阿弥『風姿花伝』1400
※観世座。興福寺。
※観阿弥。足利義満の庇護。
※世阿弥。『風姿花伝』『花鏡』
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病に臥せる源頼光(らいこう)のもとに蜘蛛の化物がやってきて、無数の糸を吐いて、頼光をがんじがらめにする。頼光は相伝の名刀を抜きを糸を払い、蜘蛛の化物に斬り付ける。蜘蛛の化物は逃げていく。頼光は家来の侍たちに蜘蛛の化物を追って、討伐せよと命じる。家来の侍たちは蜘蛛の化物を退治する。能『土蜘蛛』
※源頼光は鬼の化物(酒呑童子)も退治。
幼少の源義経(牛若丸)は平治の乱で父が敗死し、鞍馬寺に預けられていた。敗れた源氏の血筋である義経は寺でないがしろにされていた。そこに大天狗が現れ、義経に同情し慰め、兵法をお前に伝授するから、平家を滅ぼすよう勧めた。大天狗は義経に兵法の秘伝をすべて伝授し終えると、平家との戦では私も力をかそうと言い、夕闇の鞍馬山へ飛び去った。能『鞍馬天狗』
わが子を人買いにさらわれ、心が狂った女。わが子を探しに隅田川にやってきた。能『隅田川』
振り向いてくれない男への怨みから、娘は蛇の姿となって道成寺の鐘を焼いてしまう。その後日談。娘が寺の鐘を焼いてしまって以降、長らく鐘がなかった道成寺。僧侶たちが鐘を再び設置し、それを祝う法要を行っていると、舞妓(白拍子しらびょうし)が現れ、舞を踊り、恨めしそうに鐘を見つめると、鐘の落として鐘の中に入ってしまう。僧たちが祈祷すると、鐘の中から蛇になった娘が姿を現し、恨めしそうに消えていく。能『道成寺』
※今昔物語
※乱拍子(特別の足づかいの特殊な舞)は門前の石段六十二段を登る姿。
安宅あたか
葵上あおいのうえ
※シテ(仕手)。主役。能面あり。
※ワキ(脇)。相手役。能面なし。
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連歌の会。なんでも難癖をつけ仲間から疎まれている男。ついに仲間たちを怒らせ、足で踏みつけられる。男の妻がこれを聞き、仕返しに行けと男を励ます。男は強がりはするものの、根は弱気で乗り気ではない。狂言『千切木』ちぎりき
年の暮れ。二人の男が出雲大社(島根)に参詣すると福の神が現れる。男が「金持になりたい」と願いを言うと、福の神は「元手がいる」と言う。男は「元手(金)がないから、こうしてお願いしている」と返答。福の神「元手とは金のことではなく、酒のことだ」。男が酒を渡すと、福の神は「松尾大社(京都)の大明神様、このお酒を捧げます」と言い、お酒を飲みほすと男に言った。「早起きして、慈悲の心を持ち、人付き合いを大切にし、夫婦仲よくするように」。福の神は笑いながら去っていった。狂言『福の神』
使用人が主人の親戚の家に行き、珍しいものを食べさせてもらい、家に帰って来た。主人は使用人に「何を御馳走になった」と聞くが、使用人「名前を忘れてしまいました。源平盛衰記に出てくる食べ物なのですが」。主人は源平盛衰記を語って聞かせて思い出さそうとする。文蔵が出てくるくだりまで語ったところで、使用人「それです。文蔵を頂きました」。主人「文蔵は人の名前だ。うんぞう(温糟)粥のことだろう」と叱る。狂言『文蔵ぶんぞう』
婿入りする若い男とその父親が結婚相手の家に挨拶へ行くことに。しかし、正装用の袴が1つしかない。1つしか持ってないことを結婚相手の家に知られたくない。そこで、1つの袴を交代で着て結婚相手の親の前に出る。結婚相手の親から「二人同時に出てきてください」と言われ、仕方なく袴を二つに裂いて前にあてて出てくるがバレてしまい恥をかく。狂言『二人袴』
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※能。華やかな装束と能面。格式高い文語調。歴史上の人物・事件。神話。悲劇。
※狂言。簡素な装束と直面(ひためん・能面なし)。庶民の日常のできごと。喜劇。
※太郎(筆頭の)冠者(かじゃ・召使い)。狂言の代表的な登場人物。
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北山文化。室町
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室町時代初期、能楽の天才世阿弥の一子相伝秘術書。初心忘るべからず。若いときの初心を忘れない、人生その時々の初心も忘れない、老境に入っても初心を忘れない、すなわち人は年を重ねる度に今まで経験したことのない出来事に挑戦していかなければなりませんと。勉強になります。
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すごい。600年も昔に書かれたのかこれ。 芸を極めるには練習が当然だし、こんなことを意識しないといけないって内容が惜しげもなく書いてある。もとは秘伝の書らしいからそらそうか。 ただ、極めたい芸のあるなしとは関係なく、こんな姿勢で生きたいよね、と読んでて思わされる。ちょっと観客のこと意識しすぎな気もするけど、人に芸を見せるなら、こんな意識じゃないといけないのかもしれない。 軽く通しただけなので、もっかい読まないといけないわこれ。
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世阿弥は、室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師で、父の観阿弥とともに猿楽(能)を大成し、『高砂』、『井筒』、『西行桜』等の作品のほか、多数の能芸論書を著した理論家でもあり、世界の芸術史上でも稀な天才と評される。
本書は、父の観阿弥から口伝で教示された内容を書き記したもので、第七・別紙口伝に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と記されている通りの一子相伝の秘伝書であり、明治までは観世家・今春家に秘蔵され、一般の目に触れることはなかったが、明治42年に写本が発見され、『世阿弥十六部集』として発刊されたことにより、一般に知られることになった。
本書は七篇で構成され、各篇では以下が述べられている。
第一・年来稽古條々・・・申楽者(能役者)の生涯を7歳から50歳過ぎまでの各年代別に分け、修行の工夫の方法が説かれる。
第二・物学條々・・・芸の根本である物真似の技術を題材別に俯瞰している。「学ぶ」ということは、良いものを「真似ぶ(る)」ことであることが説かれる。
第三・問答條々・・・演じるにあたっての具体的、実践的演出方法及び能に花を咲かせるための工夫と秘訣が説かれる。
第四・神儀に云わく・・・申楽者に対して、芸の正統性に対する誇りと家芸を重んじる精神の自覚が促される。
第五・奥儀に讃歎して云わく・・・「その風(伝統)を得て、心より心に伝えていく花」として『風姿花伝』の書名の由来が述べられる。
第六・花修に云わく・・・作能の手引きとして名作の条件、能を知ることについて説かれる。
第七・別紙口伝・・・能のテーマである「花」のイメージをあらゆる角度から見つめ、「常住せぬもの、それが花であり能である」、「年々去来の花(初心忘るべからず)」、「ただ時が選ぶもの、それが花」などが説かれる。
能という一古典芸能に留まらない、美、芸術、更には人生についての多くの示唆が、美しい言葉で綴られている。
(2007年9月了)
Posted by ブクログ
一子相伝の書と聞くと門外不出の秘伝書なのかとどきどきわくわく感が募ってきそうだが、風姿花伝は世間一般でも十分通用する、というか人としての資質として誰もが備えておくべき重要ごとをコンパクトにわかりやすく教え説いてくれている書だと、初めて読んでの率直な感想である。
第一の「年来稽古條々」は子育てや教育に通じる。
第三の「問答條々」は世阿弥(観阿弥)の人柄を知ることができる。
そして、第七の「別紙口伝」はものごとの本質に迫る部分。
とくに印象に残ったのが、「秘する花を知ること」「因果の花を知ること」
この書が世間に出てよかったと、私自身は読んでみてそういう感想を持った。
原著の雰囲気を感じられた
原著にチャレンジするのがハードル高く感じられたので、現代語訳を選びました。それでも原著の雰囲気を感じられたように思います。解説本とあわせて読むと新たな気づきがありそうな気がします。解説本、このあと読み返してみたいと思っています。