金原瑞人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレどんでん返しもの、という前情報があって
手にとった一冊だったので
どんなどんでん返しがすぐにわかった。
伏線もところどころ出てきていたから。
明るい話かな?と思いきや全然違う。
幽霊たちのさまざまな過去にページを巡る手が重い。
でも、あとがきにてこれは本当にあったことを練り込んで
かかれた本だと書いてあり、重みに意味があることを知った。
中盤、どんでん返しがあってからは
どんなふうに物語が進んでいくのかが気になって
スムーズに読み進められたと思う。
登場人物がカタカナのものは慣れておらず読みにくく、
何度も誰だっけ、、と見直すこともあった。
幽霊たちの悲しさや寂しさによる黒いカビが、
最後の公演によって綺麗になったことや
新しいシアターの設計図をみんなで描いたこと、
それがきちんと命ある人に届いたこと。
後半は、胸を打たれる場面もあった。
死んでしまったからって、終わりじゃない。
雨のチケット。素敵な考え方だなと思った。
死んでも、楽しく新しい生き方をしていると思いたい。 -
Posted by ブクログ
2016年のディズニー映画封切後、出版された新訳。
原作は1894年とその翌年に出た続編だという。
つまり、一世紀生き延びた児童文学だという。
原作は短編集。
オオカミに育てられた少年、モーグリ(蛙という意味らしい)を主人公とする活劇。
人食いトラのシェア・カーンとの闘いや、実の母?のメスーアを迫害する人間たちとの闘いなどがいきいきと描かれる。
物語内時間は、発表順とは一致しない。
これまでに出た版の中には、時系列順に並べなおしたものもあるそうだが、本書はオリジナルの発表順に戻したそうだ。
そのせいか、若干読みにくい。
が、まず驚いたのは、ジャングルの動物たちの「歌」により物語が始まり、終わるという形式。
これはミュージカルか?と思う。
モーグリがジャングルをけしかけて、人間の村を襲わせる場面がある。
このイメージがとても鮮烈。
人間が自然をコントロールできないことを感じさせる。
番外編の「ラクの話」は、唯一人間世界が中心になる。
インド政府森林省監督官ギズボンとその執事、アブドゥル・ガフール、インドの森全体を管理しているドイツ人ミュラーといった人々との関わりが描かれる。
こういう編の方が読みやすかったりするのは、やはり自分が童心を失っているから?
金原さんの解説も面白かった。
この作品、古くは芥川龍之介と菊池寛の共同訳で出版される予定があったとか。
芥川の死で、菊池が残された原稿を引き継いだそうだが、どんな訳に仕上がったのだろう?
見てみたい気がする。 -
Posted by ブクログ
作家、音楽家、画家、学者、映画監督etc...161人の生活習慣を紹介するエッセイ集。各々1ページから4ページくらいの分量です。アジア人からは唯一、村上春樹さんが取り上げられていました。
そうそうたる天才たちのルーティンが明らかになっていくなか「おい! いったいなにをやってるんだよ!」と言いたくなる人だらけです。一人の空間や時間をもてないだとか大変な環境や境遇にいながら仕事をしている人は珍しくないし、自分の仕事をうまくやるために不器用な生活習慣を決めていたりする人がとても多い。
作家のケースならば、執筆を最優先事項として、その他の生活のあれこれは執筆に従属するものごととして処理している感じがつよい。執筆に支配された毎日です、それも自分のみならず家族も巻き込んでいたりする。生活を慈しみながら仕事もしている人もいるのですが、生活にも自由を許している人はまれでした。
息苦しい生活スタイルは、それこそそれ自体が「生みの苦しみ」のひとつであるでしょう。しかし、と同時に、「生みの苦しみ」をやわらげる工夫でもあると思うのです。
ですが、本書で描かれているのは、そういった息苦しくあるような生活習慣の記述だけではありません。<十二時ちょうどに、仕事を中断して昼食。チャイコフスキーはいつも昼食を楽しみにしていた。好き嫌いはなく、どんな料理でも、よくできているといって食べ、料理人をほめた>偉人たちのこういうほっこりエピソードがときどきでてきます。そしてどこか「かわいい」みたいに感じる部分だってあります。そして読んでいて、「あなた、苦労したね」「あなた、がんばって生きたものだね」なんてふうに共感に似た温かみすら感じもしました。
容赦なく自分を追いこんで生きた作家バルザック(そのひとつとして、一日に50杯のコーヒーを飲んだとも言われる)。彼はこう言ったそうです。「私は生きているのではない。自分自身を恐ろしいやり方で消耗させている――だが、どうせ死ぬなら、仕事で死のうとほかのことで死のうと同じだ」。<どうせ死ぬなら、仕事で死のうとほかのことで死のうと同じだ>というところ、最近、似たようなことを僕も考えるんですよ。大事に大事に、と思って怪我しないように生きても死にますから。たとえば、安定した人生で良かった、と死ぬときにほんとうに思えるのかな、と疑問に思えたりしちゃって。そこで行われている比較って間違ってないかなと。若くして死んでしまうのは悲しくて辛いけれど、待てよ、でも死んでしまえば一緒だし、死は平等ではないか、なんて考えています。
それはそれとして。
規律(自律性)をしっかり決めてやる人が多かったですが、コーヒー(カフェイン)やアルコール、薬物にまで力を借りた人たちも少なくなかった。取り上げられている人物たちが20世紀半ばに活躍した人が多かったせいか、アンフェタミンを摂取して夜通し執筆するという人が何人かいました。アンフェタミンは覚せい剤の親戚みたいな薬剤だったはず(覚せい剤そのものでしたっけ?)。人によっては、そういった薬物の助けを得て生まれた創造物は認めない、という人もいるでしょうが、僕個人はとくに気にならないタイプです。といっても、僕が原稿と向き合うときには、コーヒーやお茶、そして音楽以外は摂取しません。人それぞれのスタイルがありますよね。
そうなんです、人それぞれのスタイルがわかるんです。多くの天才が採用している傾向の強い習慣から、この人だけだなっていうものまで、それがすべて、モノをつくるためにそれぞれによって編み出された習慣なのでした。本書を読んでいると、すべての道はローマに通ず、なんだとわかることでしょう。たとえば日本の作家の生活習慣について、薄く知っているぶんだけでとらえてみると、それこそソール・ベローが評された「官僚作家」という言葉から喚起されるもののように、勤勉に毎日どれだけ書かなければ失格だ、というようなサラリーマン的なイメージが浮かんでくるんです。でも、それが、創造を仕事とするときにすべての人に適したスタイルではないことが、海外の人を扱った本書を読むとわかってきます。高い生産性を優先する習慣なのか、高い創造性を優先する習慣なのか、との違いもあると思います。そして、それらが人それぞれで異なることがわかります。
最後に。敬愛する作家であるトルーマン・カポーティと自分との共通点を見つけてしまって小躍りしました! カーナンバーなど数字の並びを見つけたら足し算してしまうことがそれです! くだらないでしょ!