木村由利子のレビュー一覧
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一昔前と現代では、若者?が標準で備えてる能力が違いすぎる。(今の方が格段に、社会が若者に求める能力が高い。)
なのに、脳の作りとかは何も変わってないってびっくりする。今って、ほんとに頭と気を使ってみんな生きてるんだろうな。「生き辛い世の中」という言葉があふれかえるわけだと思う。
現代を生きる私の感覚のままだと、ポリアンナ(10歳前後の女の子)の無邪気な天然さに、めちゃくちゃ疲労感を感じた。他人のバックグラウンドや文脈に全くの無配慮。こんな人が近くにいたらうざいな…ポリーおばさんあんたえらいよ、おつかれさま…!という気持ち。
現代の感覚は捨てて白紙の気持ちで読むべき物語。そうすると、聖書の中に記された800の言葉の下りもとてもシンプルに心に響く。最初から童心を取り戻して読むべき作品。 -
購入済み
現代の常識では、主人公の親は放任、祖母の態度は虐待でしかなく心が痛みますが、まあ時代が時代なのでしょうがないですね。
とはいえモンゴメリですから、プリンスエドワード島が出てくると物事がうまく回りだすようで(笑)、全体的には楽しく読めました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本屋さんのダイアナを読んで、この本を読んでみたくなった。
モンゴメリはとても有名な作家で、私も『赤毛のアン』を持っている。でも、外国小説にありがちな、翻訳があまりにも日本語離れしていて途中で挫折してしまった。今回のこの本は、村岡花子ではなく木村由利子の新訳ということだったのできっとすらすらと読めたのだろうと推測。
でも、私が中学生のころ読んだ『丘の家のミッキー』はこの本にインスパイアされたのだろうと判明。『三番町のミシェール』が『ゲイ・ストリート60番地のヴィクトリア』だし、『丘の家のミッキー』が『丘の家のジェーン』となる。
物を書く人というのは、こういう有名な小説は外さずに必ず読んでいるのだな~…。私も小学生のころに読めばもっともっと面白かったかもしれない。
ゲイ・ストリート(陽気な通り)とは名ばかりの、お金持ちで大きいけれど陰気な
家に住んでいるジェーン・ヴィクトリアという少女の成長物語。
母親の母親、祖母に厳しく嫌味を言われ縮こまって生活していたジェーン。ただ一つの心の救いは美しい母が居ることだけ。でもこの美しい母は祖母の言う事にいいなりになっていた。祖母はジェーンとその美しい母親のロビンが仲良くするのが気に入らなかった。
ある日、死んだと思っていた父親から夏の間中一緒に過ごさないか?というお誘いの手紙が届いた。最初のうちは憂鬱だったジェーンだったが、父親が誰か知り、プリンス・エドワード島で一緒に暮らすうち、自分の居場所を見つける。
秋にはまたトロントに戻ったジェーンだったが、そのころには自分の殻をやぶり、小さくなって過ごしていた生活が一変する。
そしてその翌年もプリンス・エドワード島で過ごしたジェーン。夏の事を考えると祖母と一緒の苦痛な生活も我慢できるのだった。
あるとき、風邪気味のジェーンの元に、ジェーンの父親の姉(伯母)のアイリーンから、父親の再婚をほのめかす手紙が届く。居てもたってもいられないジェーンは一人で1000マイル離れたプリンス・エドワード島へと向かう。
ひどい肺炎で生死の境を彷徨うジェーンの耳に、美しい彼女の母親、ロビンの声が聞こえてくる。ジェーンの急病に祖母の制止を振り切って、二度目の祖母への反抗をするロビンだった。
お互いにまだ愛し合っている事を知り、家族3人で暮らすことになるという、大団円で幕を閉じる。
レイクサイド・ガーデンズのちいさな家が出てきたところで、『あ!きっとここで最悪ジェーンと母親二人は暮らすんだ!』と思っていたんだけど、そこは推測が外れました。
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裕福ではあるが厳しく威圧的な祖母の屋敷で、母と暮らすジェーン。父に似た自分を祖母が疎んじていることを感じながら孤独な日々を送っていた彼女に、ある日、衝撃のニュースがもたらされる。死んだと思っていた父が生きていると……。戸惑いながら父に会うために訪れたプリンス・エドワード島には、まったく新しい輝ける世界への扉が待っていた。エゴや誤解に打ち克つ究極の愛を描くモンゴメリの人気作を新訳でおくる決定版!(裏表紙より) -
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ゲルダとカイはとっても仲良しの女の子と男の子。けれどもある日、カイに悪魔の鏡の欠片が突き刺さってしまった。やさしい心を失くしたカイは雪の女王に連れられて凍てついた世界の果てへ消えてしまった。カイを探してはだしのまま、ゲルダは広い広い世界に旅立つ。カラス、山賊の娘、トナカイらに助けられた先で、ゲルダはカイと再会出来るの――? アンデルセンの名作が装いも新たに角川つばさ文庫で登場! 「白鳥の王子」「夜鳴きうぐいす」も収録。
アナ雪も見たし、前に雪の女王(絵本)読んだのはもう大分前だったのでいっちょ復習してみようかなー、と言う感じでちょいす。挿絵は白雪姫と黒の女王と同じ方ですごく雰囲気合ってましたね~
内容忘れてたのであれっゲルダとカイって姉と弟じゃなかったけとか(訳によって違うのかな)最初に悪魔の鏡のエピソードなんてあったっけーとか花のところとか完全に初見の気分でした。雪の女王はタイトルにもなってるのに、悪役ではないんですよね。単にカイを連れて行っただけなんだ。ここにいちゃいけないよって感じで。全然悪役じゃないし、ゲルダにそいやぁと試練をかぶせる感じでもない、ただ静かにそこにあるだけって言うのはとても新しい。
そしてゲルダはやはりアナ雪のアナの如く(原作だから当然だが)カイを探して一生懸命ですよね。自分のことは顧みず、ひたすらカイの為に旅をしたからこそ、カイを取り戻すことが出来たんだなあ… 終わり方もこんなんだっけ!と思いました。アオリなどにあるようにラブストーリーじゃねえだろ! と思いながらも、二人が帰って来た時には大人になってたんならそれもありなのかな、って。ところで「永遠」と言う文字を作った時に自由になれるって設定が最高に私好みです。
同時収録の「白鳥の王子」は有名な、白鳥になった兄たちの為にいら草でかたびらを織る話。口をきいてはいけない話。人魚姫も言葉封じられてたけどアンデルセンはこの手のやり方が好きなのかしらw この話はちゃんとした文章で読むのは初めてだったのでほーこんな話だったのか、といろいろ新しい発見が。あ、そういえば姫の名前が「エリサ」で「エルサ」と似てるよね。関係ないか。
そして「夜鳴きうぐいす」はタイトルも内容も知らなかったんですけど、初めて読んだんですけど、もうすっっごく心が震えました…どうしてこの話を知らずにいたのだ私は… 引用もこの話から。もっとアンデルセン読みたい! と思いました。 -
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ネタバレ孤児院で育ったジェルシャー。ある篤志家により大学に行かせてもらえるようになる。孤児院からも出て、大学の寮にはいり、普通の他の子たちと同じように学生生活をおくる・・・条件は、勉強をしっかりするのはもちろん、大学での生活を手紙にて報告すること、文才があるから作家になること。
ジェルシャーは、はじめての普通の子との同じ毎日に喜びと感謝をもって篤志家に手紙を綴ります。ジェルシャーなんて名前は昔からきらいだったので、ジュディーとして、顔も名前も明かしてくれない篤志家のことを「あしながおじさん」と呼んで・・・。
ジュディーの明るくてつましくて、謙虚で、でもプライドもあって、頑張る姿が手紙を通して伝わってきます。
大学4年間ののち、
ラストには素敵なハッピーエンドも。
小学校の時、好きだった本。
新しい訳とイラストで、違和感も感じつつだけど、でも楽しめた。
実家においてある、昔の本も読みたくなります。 -
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ネタバレ還暦となり定年を迎えた今月、ふと目にした本書。
タイトルの「余生」が気になったのと、帯にある精神科医の物語、装丁の絵の「リンゴ」が、カウンセリングを受けながら第二の人生を模索するギリシャ映画『林檎とポラロイド』を思い出させたから。
72歳の精神科医は、引退の日を指折り数えている。7百数回の診察を終えたら引退と、カウントダウンする日々。仕事がいやなくせして、毎日8人ほどきっちり患者を診ているあたりが、ルーティンを大切にする性分のようだ。逆に、それだけの、つまらない人間ということも見て取れる。
仕事をきっちりこなす秘書と、アガッツという若い女性の患者を中心に、老医師の日々が綴られていく。
老後、引退後の人生設計もないまま、この男は、どのように生に、いや死と向かい合うのだろうと、なんとも単調な日常を追いかける。
「老いとは言うなれば、人の自我と肉体との差が大きく大きく広がっていき、やがて全く異次元のものに成り果てるまでを見守ることなのだと。」
こうした一文が響くほどに、自分も齢をとったなと思う。本書は10年、20年前に読んでいたらきっと途中で放り出したに違いない。
「最近読んだ記事を思い出してしまった。その記事は、驚くほど多数の男性が、まさに年金生活に入り、ようやく手に入れた時間を味わおうとしたその時に、死んでしまうというものだった。」
そのうち、自分も同じようなことを思って、如何に人生のギアを切り替えるか、シフトアップが、シフトダウンか、思い悩む日がくるのだろう。他人事でない日々がページを繰らせる。
そこに若い患者であるアガッツの存在が、かすかな光となり老医師の人生を再び活力あるものにするかと期待もするが、そもそもこの医師、これまでもさほど生き生きと暮らしてきたわけでもなさそうだ。
それは、秘書の旦那で余命が幾ばくも無い癌患者であるトトとの会話からも分かる。
「私は人を愛したことがないのです」
「先生は恐らく人より楽な気持ちでしねますね」
「かもしれません」私は同意した。「だから生きるのが人より難しい」
そんな人生を送ってきたのだった。
だが、最後に、主人公は、他人にアップルケーキを作って贈ることに、小さな幸せを見出す、いや、そうとも気づいていないのかもしれない。が、行動に移す。近所の雑貨屋の若い娘に、「アップルケーキを作りたいのだ」と告げて材料を選んでもらい、手書きのレシピをうけとる。それを、アガッツに送るのかと思うが……。
秘書は、老医師が残りの治療回数をカウントダウンしているのにお構いなしに、旦那の葬儀を済ませて業務に復活すると、新たな患者の予約を受け付け、リストに加えていく。老医師の思いなどおかまいなしにだ。
でも、こうして、自分の好むと好まざるにかかわらず、人生というのは回って行くのかもしれない。
カフェのほうに向かってアガッツのひと言、「ご一緒しません」というひと言で幕を閉じるのも素敵だ。
齢をとるのも悪くない。また10年後、70を超えたら読み直してみよう。きっと違う感慨を抱けそうな気がする。 -
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クールでハード、女を抱くにせよ抱かぬにせよ、本心は見せないというのがハードボイルド探偵の流儀だったはず。それなのに、いくら独身生活が長いにせよ七十歳近くにもなりながら、女が欲しくて妄想をたくましくしてストーカーまがいの行動に走り、挙句は昏睡状態に陥った女を自室に置いて、体を拭いたり寝返りをさせたり、と川端康成やガルシア=マルケスでもあるまいに「眠れる美女」に執心するとは、とんでもない危なっかしい「探偵」じゃないか。
ずいぶん年寄りを探偵役に据えるものだと思った。ピアノ調律師も兼ねる御年六七歳のタクシー運転手というのだから、ハードボイルドは到底無理だと思うのだが、これが結構やってのけるのだ。殴られたり、首を絞められて殺されそうになったり、警察でも拷問監禁で痛めつけられたり、とフィリップ・マーロウ顔負けの巻き込まれ型というか、好き好んで巻き込まれに行くタイプだからどうにも仕方がない。
カナリア諸島の一つ、フェルテベントゥラ島は、アフリカに近い島でヨーロッパからの避暑地としてにぎわう。主人公のエアハートはデンマーク人だが、故あって故国を離れ、妻子を捨ててこの島まで流れてきた。初めは野宿暮らしだったが、そのうち伝手を頼って今の職にありついた。上との交渉事が苦手で儲けは少ないが、別れた妻に送金した残りでかつかつ食っている。ヤギ番用の小屋に住み、缶詰から直接食べるような暮らしも苦にはしていない。人は彼を「世捨て人」と呼ぶ。
その「世捨て人」が、どうしてまた柄にもなく「探偵」稼業のまねを始めたのかといえば、波打ち際に乗り捨ててあった車の中に段ボール箱に入れられて死んでいた生後三か月の赤ん坊のせいだ。赤ん坊を捨てたのは誰か。こんな酷い事件なのに、何故か警察は事件をうやむやの裡に解決してしまおうとする。若い娼婦が名乗り出て、捨てたのは自分だと証言するというのだ。エアハートは虚偽の証言を食い止めるため、娼婦を自分の小屋に連れ帰り監禁する。
これだけでもう立派な犯罪者だ。無関係な事件にここまで執着する理由が理解できない。その後も、友人ラウールの失踪とベアトリスの暴行事件に巻き込まれ、やむなくではあるが事後従犯、疑いようもない「犯罪」に手を染めてしまう。主人公と共に事件の謎を追いたくても、この男の倫理観のなさには到底ついていけないと読者は思うにちがいない。彼をしてここまで突き進ませるものは何なのか。
事件の裏には、海賊に襲われた貨物船の保険が絡んでおり、その背後にはラウールの父親でいくつもの会社を経営するエマヌエルの影がちらつく。ラウールの失踪後、エマヌエルはエアハートに近づき、自分の経営するタクシー会社の重役の椅子を提供するだけでなく、ラウールのマンションをそのまま使うことを許可する。その懐柔策の裏に何があるのかを探るため、申し出を受けたエアハートだったが、次第にその暮らしの快適さになじんでゆく。
一運転手では手を出せない、企業家同士のつながりや、情報を手にするために肩書や高級車、それに提供された軍資金がものを言って、エアハートは少しずつ事件の核心に迫る。だが、深入りし始めた彼は、誰かに襲われるだけでなく、警察に追われる身に。八方ふさがりのエアハートに救いの手を差し伸べたのは、またしても黒幕と思われるエマヌエルだった。事件の真相には意外にもエアハート自身の存在が影を落としていた。
ミステリ的には、ほとんど事件の真相は予想がつく。それほど複雑な事件ではないからだ。話を難しくしているのは、親と子の間にある予想のつかない人間の心理と行動のほうだ。放っておけばそれで済んだものを殺人事件まで引き起こしてしまうのはエアハートが、赤ん坊の死にこだわって事件を突っつきまわしたせいだ。シリーズ物で、すべてが明かされてないからか、何故そこまで他人の赤ん坊の死にこだわるのか、それが最後まで読んでも理解できなかった。
長丁場を、最後まで読ませる力はある。それは、ひとえに主人公エアハートという人物が、ことごとく内心を流露してくれるからだ。ハードボイルドに限らず、ミステリの主人公は本音を語らない。格好良くて、女に惚れさせても自分は惚れたそぶりを見せてはいけない。読者にとっては自分の夢の実現者だ。それがお約束のはず。それを裏切って、独身男の妄想をこれでもか、とぶちまけたところに、この本の新味がある。
いい年をしながら、女に欲望を抱いても実際に行動には移せない優柔不断な男。コルトレーンを愛し、本を手放せない年寄りのインテリ崩れ。過去に自分が娘を捨てたことに負い目があるからだろうか、生後三か月の赤ん坊を餓死させた母親に対して義憤を感じずにはいられない。左手の小指の欠損にも強い執着を見せるが、三部作の第一作のせいか、その経緯はつまびらかにされることはない。
本国スペインよりアフリカにほど近いカナリア諸島の島々を舞台にしたことで、ソマリア沖の海賊や、その被害の補償に使われる保険といった犯罪小説らしいモチーフが生き、独特の食べ物や、酒、シエスタの風習といった異国情緒も堪能できる。乾ききった空気が探偵小説によく合うことに改めて思い至った。動物好きには小屋と込みで引き継いだローレルとハーディと名付けられた二匹のヤギがエアハートが小屋を出てからどうなるのか気になって最後まで本から手を離せないにちがいない。ずるい手だ。
スマホはおろかパソコンも扱えない年寄りのくせに、老いてますます盛んなエアハートの激しい欲望になかなかついていけず、その手の場面は端折って読んでしまった。同年輩の読者でさえこうなのだから、年若い読者にはどう見えるのか老婆心ながら心配になった。そういえば、フリーセックスなどという言葉がもてはやされた時代、その風潮をもたらしたのはエアハートが生まれた北欧の国々だったことをはしなくも思い出した。裏返しにされたハードボイルドが吉と出るか凶と出るか。判定次第で続編の翻訳も決まることだろう。