還暦となり定年を迎えた今月、ふと目にした本書。
タイトルの「余生」が気になったのと、帯にある精神科医の物語、装丁の絵の「リンゴ」が、カウンセリングを受けながら第二の人生を模索するギリシャ映画『林檎とポラロイド』を思い出させたから。
72歳の精神科医は、引退の日を指折り数えている。7百数回の診察を終えたら引退と、カウントダウンする日々。仕事がいやなくせして、毎日8人ほどきっちり患者を診ているあたりが、ルーティンを大切にする性分のようだ。逆に、それだけの、つまらない人間ということも見て取れる。
仕事をきっちりこなす秘書と、アガッツという若い女性の患者を中心に、老医師の日々が綴られていく。
老後、引退後の人生設計もないまま、この男は、どのように生に、いや死と向かい合うのだろうと、なんとも単調な日常を追いかける。
「老いとは言うなれば、人の自我と肉体との差が大きく大きく広がっていき、やがて全く異次元のものに成り果てるまでを見守ることなのだと。」
こうした一文が響くほどに、自分も齢をとったなと思う。本書は10年、20年前に読んでいたらきっと途中で放り出したに違いない。
「最近読んだ記事を思い出してしまった。その記事は、驚くほど多数の男性が、まさに年金生活に入り、ようやく手に入れた時間を味わおうとしたその時に、死んでしまうというものだった。」
そのうち、自分も同じようなことを思って、如何に人生のギアを切り替えるか、シフトアップが、シフトダウンか、思い悩む日がくるのだろう。他人事でない日々がページを繰らせる。
そこに若い患者であるアガッツの存在が、かすかな光となり老医師の人生を再び活力あるものにするかと期待もするが、そもそもこの医師、これまでもさほど生き生きと暮らしてきたわけでもなさそうだ。
それは、秘書の旦那で余命が幾ばくも無い癌患者であるトトとの会話からも分かる。
「私は人を愛したことがないのです」
「先生は恐らく人より楽な気持ちでしねますね」
「かもしれません」私は同意した。「だから生きるのが人より難しい」
そんな人生を送ってきたのだった。
だが、最後に、主人公は、他人にアップルケーキを作って贈ることに、小さな幸せを見出す、いや、そうとも気づいていないのかもしれない。が、行動に移す。近所の雑貨屋の若い娘に、「アップルケーキを作りたいのだ」と告げて材料を選んでもらい、手書きのレシピをうけとる。それを、アガッツに送るのかと思うが……。
秘書は、老医師が残りの治療回数をカウントダウンしているのにお構いなしに、旦那の葬儀を済ませて業務に復活すると、新たな患者の予約を受け付け、リストに加えていく。老医師の思いなどおかまいなしにだ。
でも、こうして、自分の好むと好まざるにかかわらず、人生というのは回って行くのかもしれない。
カフェのほうに向かってアガッツのひと言、「ご一緒しません」というひと言で幕を閉じるのも素敵だ。
齢をとるのも悪くない。また10年後、70を超えたら読み直してみよう。きっと違う感慨を抱けそうな気がする。