パウロ・コエーリョのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
"アルケミスト""第五の山"などで知られる著書によるキリシタン文学。
平和で退屈な山奥の村ヴィスコスにやってきた外国人の旅人。村で唯一の宿で働くバーメイドのシャンタールは好奇心から彼にちょっかいを掛ける。思いもかけず旅人は彼女を誘い出し、彼の財宝と引き換えにある取引きを持ちかける。
一見善良な田舎の人々。彼らの奥底に眠る善と悪とを掘り起こそうとする旅人。キリシタンの教えが背景に流れ、ふわふわとした読後感です。
○人間の本性についてだ。われわれは誘惑に屈する機会を与えられれば、遅かれ早かれ必ず誘惑に屈する、というのが私の発見した真実だ。条件さえ整えば、地球上のすべての人間がよろこんで悪をなす。
○たとえばではなく、実に明確なことだ。ー『汝、殺すべからず』の戒めを犯してほしいのだ。君が今聞いたとおりのことだ。彼らに犯罪を犯してほしいんだ。期限は一週間だ。七日後までに町の誰かが死体となって現れたらーもう働けない老人であってもいいし、不治の病人でも、手がかかる心身障害者でも、被害者は誰でもいいー、この金は住民のものになり、私はわれわれすべてが悪なのだと結論を出せる。
○思いやりのある人間という役割を演じるのは、人生において決然とした態度をとるのを恐れている人たちのやることなのだ。自分が善人だと信じておくほうが、他の人に立ち向かって自分の権利のために戦うよりもいつでもずっと簡単なことなのだ。侮辱されてやり返さないでおくほうが、自分よりも強い相手と戦う勇気を発揮するよりも、いつでも簡単なのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ臨死体験により「死」についての捉え方が変わる様は「死」への価値観を変え、「生」のあり方さえも変える。
"死は私を助けてくれる存在となった。彼は、私が今日楽しむべきことを明日に延ばそうとしても、決して許してはくれないだろう。そして、私を人生の戦いから自由にし、私が良き戦いを戦うために助けてくれるのだ。二度と再び、私は何をするにしても、恥ずかしい、おかしいと感じることはないだろう。なぜなら、彼はいつもそこにいて、彼が私をあちらの世界へ連れて行く時には、大きな罪、つまり、後悔を後に残してはいけないよ、と言ってくれるからだ、彼の存在と彼の顔の優しさを知って、わたしはこれから、人生の泉を飲むことができるようになると確信していた。”
一つ一つの些細な物事にもすべて学ぶ事が出来るというようなことを学ばせてくれる一冊でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ何年かぶりに読み直した本。節目には読みたくなるコエーリョ。 前は「嫌な場所から抜け出して自分の行きたいところへ踏み出してみなさい」というコエーリョ節が響いて会社を辞めるきっかけにもなった本。それなりに自分のやりたい事をやれている今でも読んでみると、発見がある。ただ、それは昔響いた所とはちょっと違う。 惰性で生きている人たちを否定してしまいがちだけど、マリーアはこの小説のあと、緩やかな惰性に入っていくのではないだろうか。惰性と冒険の繰り返し。その二項対立は年を取るごとに境界が曖昧になっていく。痛みを共有することから得られる快楽を強く否定する理由が気になった。愛の形は人の数だけあると思いつつ、痛みを味わった人は一度は痛みを共感してもらわないと抜け出せないのでは?と思ってみたり。でもそればかりで一生終わるのは嫌だなと思ってみたり。自分以外の人間を否定する文句は色々ある。結局そういった変位を作る事でしか生きる躍動感は生まれないものなのだろうか。 人間に意思があるなんて言う事をふと忘れてしまいそうなときに、色々と自問させてくれる本。そろそろ卒業かな、とおもいつつ。