勢古浩爾のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
勢古さんの事を全く知らずに読みました。
エッセイに登場する人物や事象を拝察すると、なかなかお歳を召していらっしゃる…そんな印象で読みました。
伊集院さんや養老孟司さん、こちらでしか知れ得ない事から始まり
テレフォン人生相談や日本の哲学者吉本さん
人生を良く生き、楽しみ満足するには
これで良いと言うのが無いのは分かっているのに
答えを求める人がいるからこの様な本が読まれるのだと思う。
巻末にある清濁合わせと言うフレーズだってそう
合わせるから良いと言う人もいれば
合わせていたら伸びないと言う人もいる
さて、貴方はどう感じどう生きていく?そう問われたかの様だ。 -
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Posted by ブクログ
読書は面白ければ良い。守破離の末に筆者が辿り着いた老境ともいえる心境。読書体験と昨今の読書家への容赦ない斬りこみが楽しい読書論。
読書論的な本は数多くある。だがたいていは格式ばっていてつまらないものだ。本書はあえて理論を語るのでなく、筆者の読書体験にテーマを絞っているところが楽しい。多くの名著に挑戦し途中で挫折したり理解できなかったり、人間味というか共感を持てるところが何より良い。
本書の中では「第5章読書家たちの読書論を読む」が圧巻。立花隆、丹羽宇一郎、出口治明、齋藤孝、佐藤優、森博嗣、又吉直樹、斎藤美奈子など名だたる読書家に対する容赦ない批評が楽しめる。「東大読書」に対する評価は特に笑 -
Posted by ブクログ
見る人見る人みんな馬鹿馬鹿馬鹿頭おかしいやつばっか、と思っていたので楽しく読ませていただいた。
58 「おれ」「ぼく」問題は、基本的に女性にはない。その意味では、女は男よりも自由であるといっていい。
86 悪口の嵐。ごもっとも。
92 林秀彦は「他社への思い遣りのなさは、人間性の未成熟を最も端的に、露骨に示すもの」といっている。〜就労で苦労している人びとを除けば、だれもかれもが、手取り足取り、おんぶに抱っこで楽にしてもらいたいと思っている。
94 人間関係においても、曖昧な表現がいまだに支配的であるとはいえ、その反動か、とくに若者のあいだでは、どぎつく下品で、容赦のない、頭の悪い言葉が目立つ -
Posted by ブクログ
力には、外へ向く「人を動かす力」と内へ向く「自分を動かす力」の二種類あり、「自分の力」とは後者のことと位置付け、その具体的な力を各章で考察しています。その中でも「生きる力」の章が特に参考になりました。
自由と豊かさによって「自分」がはじめて自分のものとなったが、今では逆に「自分」が自由に追い詰められ、飽和して、果ては「自分」に飽き、散逸してしまう。生きている実感の無さは命の実感の無さであり、昨今の短絡的で理由の無い事件は「自分」の終焉に関係しているとの指摘は凄く納得。「他人の命は鼻紙一枚のように軽く、その行為によって台無しになる自分の生も軽い」は強く心に残りました。
総じて哲学的な内容が展開さ -
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個々の知識人批判には内容にばらつきがある。竹田、加藤、橋爪、小浜ら団塊四天王については、著者自身も団塊の世代だからかなかなか読める。ついでに言うと著者も含めこの五人は、吉本隆明の思想を最も誠実に対象化し、それぞれ消化した論客たちでもある
それ以降はゴシップやら難癖成分が濃いが副島批判は完璧に正しいおまけに批判のしかたがいちいち笑えて大傑作
著者のメッセージはだいたい六章七章に集約されてるがこの前で挫折する確率も高そうだ。そしてもったいない。思い上がった知的大衆に突き付けたい本だが勢古節の本領は毒舌罵詈雑言だけじゃない。勢古の「挫折したインテリ」感が色濃く出てて他の本よりは内容の真情、誠実 -
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エッセイのようなところはあるが、現実を真正面からとらえようとしている。池田晶子の本のようで、私としては好きな本に入る。
自己肥大感と自己卑小感の翻弄 同時並行性。このことを忘れて、社会のウマい側に着いたら、ついていないものを馬鹿にし、着いていなければ訴えるような人間が一番嫌いだ。自己劇化した虚しい行為がまかり通っている。そこには、弱さからくる厭らしさがある。ただし、望む「関係」に対する必死なあがきでもあった。ただし、卑劣さまでなっているものは醜いものだ。所詮、人一人など無に等しい。失敗、挫折、限界などは、否応にも「無」を知ることになる。「無」とうまく付き合うことが人間関係を豊かにして、人生を -
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出口さんや斎藤さん、佐藤さんやその他諸々の諸氏の書評本をたくさん読んできた。そういう本と比べると、全然気負ってないところが新鮮だった。
結局のところ、自分の好きな本を好きなように読めば良いし、残存率も血肉になるかどうかも気にしなくても良いんだろうと思う。
人生はあと三十余年くらい残ってるかもしれないが、本を読めるのはどれくらいあるかわからない。
自分の場合は次から次へと興味が移るから、なかなか繰り返し読む本はないのだけれど、今年はともかく、来年からは少し減らしてでも、面白かった本をもう一度読んでみるような読み方をしたいと思っている。
まぁ、それにしても120ページくらいのところで、著者が哲学 -
Posted by ブクログ
本を読むことは昔から好きだった。両親ともに本を読む家庭で育ったことも影響していると思うが、小さいころから本を読んでいると褒められたんで、次男の狡さで本好きになったと思う。何かひどく不自由したということではないが、それほど裕福な家庭だったわけではなく、おふくろはずっと内職してたから、親にしてみれば、本を読んでてくれれば手がかからずに有り難かったんだろう。
世界文学全集なんか買ってもらって中学時代からドストエフスキーやトルストイ、カフカを読んだ。きっと十分な理解なんかできてやしなかったに違いないが、周りの友達とはちょっと違うぞと思ってた。やなガキだったんだ。
「趣味は読書」というのはあるときから止