勢古浩爾のレビュー一覧
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「人生に正解があるのか」がテーマ。 著者の本は面白いのでよく読んでいるが、これまでに読んだ投げやりの定年本と違って、真面目にテーマを設定し、関連する本や文章を引用しながら人生について考察している。 相変わらず話があちこちに脱線するけれど(いい息抜きにはなるが)なるほどと思う話も多かった。 著者は、人生に正解とかそういうものはないと断じているが、同感である。人間は、誠実に、力を尽くして生きることだけを考えれば良い。加えて、負けない気持ちや心の強さがあれば、人生を全うできるはず。 金や名誉、他人の暮らしぶりは関係ない。 著者が他の本でも書いているように、結局は人生は自己満足で良いということなのだろう。
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勢古浩爾(1947年~)氏は、明大大学院政治学修士課程修了後、洋書輸入会社に勤務する傍ら読書を続けてきた、エッセイスト、評論家。
人生論、読書論を中心とした著作を多数発表している。
本書は、70歳を超えた著者が、これまでの読書人生を振り返ったものであるが、その面白さは、著者も本書で取り上げている立花隆、丹羽宇一郎、出口治明、斎藤孝、佐藤優、松岡正剛ら所謂エリート「読書家」とは異なる(こんな言い方をすると、勢古氏には誠に申し訳ないのだが)、市井の「読書家」である著者が、古今の名作・名著(著者は、文学を「名作」、哲学を「名著」と呼び分けている)と格闘した様子が綴られていることにある。
著者は、少~青年時代には読書に興味がなかったのだが、24歳のときに不意に読書の春が訪れ、日本文学を読みまくった後、真夏の熱風に煽られように哲学という迷宮に迷い込み、その内部でひとしきりじたばたしたものの、満足のいく成果を得ることなく、40歳代終わりに迷宮から脱出し、70歳を過ぎた今は、自由で楽しい読書を楽しむ秋~冬を迎えているという。
私は、やはり社会人になってから読書に目覚め、名作・名著は読むべきものと思いながら、脳力も時間もお金も(本を置く)場所もないと言い訳し、著者と違って挑戦すらしないで諦めている。そういう自分を見ると、勢古氏が我武者羅に挑戦した末、「わからない」、「わからなくても何の問題もない」という結論を得て、「読書はおもしろければよい」という境地に達したという読書遍歴を披瀝する姿は実に潔く思われるのだ。
これほどの本に触れ、格闘してきた著者であるから、巷にあふれるような一通りの読書のハウツー本を書くことなど朝飯前であると思うのだが、著者はそれを全く意図することなく、自らの読書人生を赤裸々に語っており、それ故にこそ、著者にしか書けない「おもしろい」本になっているのだ。
私はこれまで、著者の『自分をつくるための読書術』(1997年)、『思想なんかいらない生活』(2004年)などの作品を読んできたが、著者の独特の言い回しに読み難さを感じる向きもあるかもしれないが、年のせいか表現も角が取れ、とても読み易くなっている。
著者は、「本書を読まれる方が、読み終わったあとで、もしも「ああ、おもしろかったよ」と思っていただけるようなら、素直にうれしい。・・・「ああ、おもしろかった」は、本に対する最高のほめ言葉だからである」と書いている。その目的は十分に達せられた一冊と思う。
(2020年6月了) -
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ここ数か月で「定年もの」を何冊か読んでみているのですが、それらの内容の“平凡さ”に辟易したので、これはどうだと手に取った本です。
著者の主張は、この手の本で定番の「地域社会への貢献」とか「資格を取って自立」とかの勧めとは全く異なります。「自分のしたいことをすればいい」、「したくなければしなくていい」、要は、自分自身にとって「意味」があると思えるように過ごせばいいという考え方です。
私のような“ずぼら系”の人間にとっては大いなる応援団のエールです。が、実際、そうだろうなとも思います。「利他」にしても「利己」にしても、自分自身がそうしたいと思うことをしているのでしょうし、それが他者らの強制や誘導によるものだとすると、そこに“意味(自分の意志)”はないことになります。 -
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正直なところ「バカ」が付いたタイトルの本は好きではないのですが、この著者は、本音丸出しで面白いので読んでみました。
彼の定年本はこれまでも何冊か読んだことがありますが、主張していることは、「定年であれこれ心配しても仕方がない。自分の好きなように生きよう」ということ。これは彼のどの定年本でも一貫しています。
定年後に気になるのは、カネ、健康、生き甲斐、この3つが大きなテーマで、この本では、定年に関する専門家の様々な著書を読み漁り、実態との比較で内容を考察しています。専門家が書く定年本は、自分の経験や専門分野からのアドバイスという形で書かれていますが、その中には実態とかけ離れている理想論も多い。定年をネタに一儲けしたい著者と出版社の意図が見え隠れして、著者はそういう文章を読むと腹が立つらしく、矛盾点を率直に指摘しています。(感情的な文章が多いけれど)著者の辛辣なコメントも楽しいし(著者が全て正しいとは思わないが)色々な本を紹介してくれて、定年本の選択の参考にはなりそうです。
自分も数年後に定年を迎えますが、気持ちとしては著者と同じ。今ある貯金と将来もらえるはずの年金でやっていくしかないと割り切っています。健康維持の運動を日課として、好きな趣味を続けていく。気持ちとしてその程度でいいのではないかと思う。時間があるとあれこれやりたくなりますが、欲を出してはいけない。著者のように見栄や体裁を捨てて、まず自分の身の丈を知ることが重要ではないかと思いました。
しかし、この本は面白かったけれど、取り上げている事例が最近の話題ばかりなので、時間が経つと「何のこっちゃ」という話になりそうです。賞味期限が短い本なので、興味があればお早めに、、、という感じ。 -
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「定年後人生」の達人が教える人生初の自由を手にするための指南書。
著者の本は「定年後のリアル」以降、何冊か読んでいるが、これもその系統の本。
内容は、定年後は社会のしばりから解放されて、自由に生きよ。人の意見に左右されない、世間を気にしない、お金や常識に縛られないようにしようといった内容。定年後の自由とは何かを考えさせられた。
長年会社で働くと、定年退職しても会社の事が気になったり、面子を気にしたり、何もしないことに罪の意識を感じたりするようだ。自分も会社の老後セミナーを受けたことがあるが、まず退職したら何をするかを考えろと言われた。退職すると時間があり過ぎて退屈する人が多いらしい。何もすることが無くて家にいるだけで、それが家族との関係に影響したりトラブルになったりする。
定年後の「居場所」を確保して(何もしないことも含めて)「日課」を設定することが必要なようだ。著者は、物書きという「日課」があり、毎日自転車で外に出てお決まりのコースを走り、喫茶店で文章を書くということを続けている。家に帰ると本を読んだりテレビを見て、情報収集。本のテーマは、定年後の日常を描いているので、話題にも困らない。ある意味、羨ましい定年後だけれど、でも本の出版には締め切りもあるだろうし、何だか仕事の延長のような感じがする。著者も本当に自由を満喫していたら、この本も出版されなかっただろう。自由を手にしたくても、どうしても仕事に縛られる。著者も例外ではないような気がした。 -
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自我を持ってしまった人間は、「自分」に酔わずにはいられません。人間は自分に「ほろ酔い」でなくては生きていけないのだと、著者はいいます。しかし現代の日本人は、ほろ酔いの「自分」の上に、資産、地位、権力、知名度といった資本主義的自我を積み上げて、二階建ての「自分」に酔ってしまっています。こうして、現代の日本は「自分様」たちであふれかえることになったと著者は嘆いています。
個人的におもしろいと思ったのは、ひろさちやに対する批判をおこなっている箇所でした。ひろは、「苦しみを楽しむことができれば、あなたの人生はすばらしい人生になります」と述べますが、これに対して著者は「これらの言葉は、どこか上滑りしているように感じられてならない」と反論しています。そのうえで、もしも自分の人生が八方ふさがりになったらどうするだろうかと自問して、「たぶん、死ぬであろう」と述べます。「人の死は悲しいが、自分の死は悲しくもなんともない」とも述べています。そうして、「けれど、とりあえず、今日もタバコがうまいのである。コーヒーもうまい。空は青い」と著者はみずからの立脚点を語ります。
これは、ひろの考えと似ているようで非なるものだと考えます。ひろが言うのは、たとえ目的を達することができなくても、その過程を楽しむことができればよい、ということなのですが、そうした言い方がすでに過程を目的化してしまっていると言わなければなりません。著者の考えはこれとは異なります。「けれど、とりあえず、今日も空が青い」というのは、この世界に絶望した者のところへ、思いがけず世界から届けられた贈り物なのでしょう。そうした純粋な喜びを享受をすることと、日常のささいな事柄に幸せを見いだすことを目的にして生きようとすることとは、まったく別のことだと言わなければならないでしょう。
似たような議論がくり返されていて少々退屈もしましたが、この箇所に出会えただけで、自分にとっては本書を読んでよかったと思えました。 -
Posted by ブクログ
「他人に認められたい」という承認欲求に骨がらみになっている人間の姿を冷徹に見つめて、その醜悪な事例を鋭い筆致で描き出している本です。その一方で著者は、「自分はこれでいい」「やるだけのことはやった」と自分で自分を認める自己承認が必要なのではないかと主張しています。
おもしろいと感じたのは、著者が自己承認が揺らぐということを率直的に認めていることです。「自分はこれでいい」と思っても、なかなかそうした境地に安住することはできません。「だから、何度でも打ち立てられなければならない」と、著者はは述べます。
本書で語られている、元読売ジャイアンツの桑田真澄さんの姿勢がとりわけ印象に残りました。