谷沢永一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ開高健が亡くなって2年後の「新潮」(1991年12月号)に一挙掲載。
谷沢永一は、天王寺中学では開高の1級上だったが、知り合ったのは大学生になってから。開高は、谷沢の主宰する同人誌「えんぴつ」に参加した。住んでいたのが近所だったこともあり、頻繁に行き来するようになった。本書には、合評会の様子、開高の原稿、絶交事件、開高の寿屋勤務、東京に出るまでのことがとくに詳しく書かれている。開高20歳~26歳、メジャーデビューするまでの芽吹きの大阪時代に相当する。
同じく「えんぴつ」に参加していた牧羊子については、よい印象では書かれていない。開高への彼女のアプローチ、妊娠と結婚。谷沢は、開高が彼女のしかけた -
Posted by ブクログ
渡部昇一、谷沢永一、知という知の巨人たちが「孫氏」を語る。知識があるだけでなく、それをどう活かすべきかについて、太平洋戦争に例を取りながら解説している。それが会社の経営にも通じるところが多分にあってとても勉強になる。参考にしたいと思うところが多すぎるので自分にとって戒めになる3つだけ。
■兵は詭道なり…正直なだけでは生き抜けない
■主は怒りを以って師を興すべからず…一時の感情で行動を
興すな
■半ば済らしめて之を撃たば利なり…宋襄の仁(ええかっこ
しい)では勝てない。
年初に読んだ高橋是清の本に出てきた、日露戦争時に日本に金を貸してくれたユダヤ人投資会社クーン・レーブが1940年に日本に -
Posted by ブクログ
古本で購入。
小説家・開高健と評論家・谷沢永一との、40年にわたる友情の物語。
昭和25年の大阪にある語学塾での出会いから、平成元年の開高の病死による別れまでを描く。
「士は己を知る者のために死す」
という言葉があるが、著者の開高に対する想いは
「士は己を知る者のために生きる」
とでも言えるかもしれない。
ひとりの傑出した男から限りのない信と情を寄せられ、己のすべてを肯定され、期待され、必要とされる。
その篤い信頼をこれ以上ない喜びとし、想いに応え、己の人生は多幸だったとする。男の死以降は余生であるとする。そんな友情がどれだけあるだろう。
彼らの友情は決して狎れあいでも依存でもない、共 -
Posted by ブクログ
日本近代文学が専門の著者が、聖徳太子の実在を否定する日本古代史研究の成果を一般の読者に向けて解説した本です。
持統天皇と藤原不比等が体制イデオロギーを強化するために日本書紀を編纂したという説は、日本史研究のアカデミズムから外れたところに位置する上山春平と梅原猛によって広く知られるようになりました。その後、大山誠一によって主張された聖徳太子の実在を否定する説が、テレビ番組などで紹介され、人口に膾炙するようになってきました。本書もまた、そうした政治的な意図によって聖徳太子にまつわるさまざまな伝説が作られたという立場に立っています。
講壇っぽい語り口で読者に親しみやすいように工夫がされているので