宮下規久朗のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
『そもそも美術というものは、純粋に美を求める気持ちから作られ、鑑賞されたものばかりではない。美術作品は、モノとして社会に流通する商品であり、政治・経済のシステムに組み込まれている。
芸術家とよばれる人々は、かつては一介の職人であり、生活のために工房で毎日絵や彫刻を作り、それが売れれば量産し、売れないものは作らなかった。あるいは王侯貴族や聖職者に仕え、注文されたものだけを作っていた。自己の芸術的な信念のために、世間と妥協しないで納得のゆく作品しか作らない孤高の芸術家というのは、十九世紀に成立したロマン主義的なイメージにすぎない。もちろん、そうした芸術家肌の者も大昔からいたであろうが、そうした者の作品はほとんど残らないのだ。』と・・・
まえがきにあり・・・
全然美術とか詳しくないですが・・・
妙に納得してしまったので購入・・・
美術を生み出す原動力・・・
源は・・・
芸術家や、観る者の欲望である・・・
と著者は言う・・・
欲望ったって色々ある・・・
食欲・・・
愛欲・・・
性欲・・・
金銭欲・・・
見栄や虚勢だったり・・・
そういった欲だけでなく・・・
信仰心や・・・
病気治れ~って祈りの気持ちだったり・・・
追悼とか鎮魂だとか・・・
権力者の権力のアピールだったり・・・
よき死を迎えたいなって願いだったり・・・
や、ホント様々・・・
作る側、求める側や観る側のこういった色んな欲望や思いこそが美術を、芸術を生み出していく・・・
そして、美術、芸術という定義もまた様々・・・
著者は幅広く捕らえている・・・
世界的な名作だけでなく・・・
一般的には美術に含まないような、神社にある絵馬とか刺青とか芝居絵なんかも含んでいる・・・
これまた様々・・・
様々な欲望や思いによって作られてきた作品を、その欲望や思いごとに観ていく・・・
この絵にはこういう欲望が下地になっているのかぁ、と思いを馳せながら観ていくと、何となくスゲーなぁと観るより断然に面白いもんですね・・・
美術って高尚なもんばかりかと思いきや、スゲー人間臭いんだなぁと・・・
美術シロートのワタクシにとって参考になることが多かった・・・
この本はオススメちゃんですね・・・ -
Posted by ブクログ
美術展は好きで良く行くのだが、美術というと、静かな所で黙って見入る物だと思っていた。そういう意味では、この本は私の美術観をいい意味で打ち破ってくれた。確かに歴史的に見ても芸術家にも色々な人がいて、人間臭い世界があるのは分かっていても、美術館の様な荘厳な雰囲気だと、背筋を伸ばして鑑賞しなければならないような気になる。しかし、実際の所は大半の芸術家は金や名誉のために絵を描いていたのだろうし、色々泥臭い世界があったはず。この本はそういう世界を面白く、分かりやすく書いてくれていて、肩の力が抜けるというか、美術に親近感を抱くようになる。しかし、私が最も関心を持ったのは、民間芸術の件。歴史上には表れない、滅多に美術館に展示されることのない、でも、地方でひっそりと愛され続けている芸術があることを初めて知った。どこにどのようなものがあるのかよく分からないが、身近な所から訪ねてみたいと感じた。
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Posted by ブクログ
[ 内容 ]
20世紀を代表する美術家であるアンディ・ウォーホル(1928‐1987)は、生前における多方面にわたる活躍やメディアへの頻繁な露出から、これまで様々な流言飛語に曇らされ、毀誉褒貶に包まれていた。
しかし、1989年にニューヨーク近代美術館で大規模な個展が開催され、94年にはアメリカにある個人美術館としては最大のアンディ・ウォーホル美術館が開館するなど、その多面的な芸術は正確に評価されつつある。
「孤独なトリックスター」の実像とは―。
本書は、日本での大規模なウォーホル回顧展にも関わった美術史家が、ウォーホル芸術の意味と本質に迫り、それを広く美術史の中に位置づける画期的論考である。
[ 目次 ]
第1章 キャンベル・スープ―ウォーホルの原点
第2章 スターの本質―聖と俗の肖像
第3章 名もなき死―現代への予言と警告
第4章 公権力への恐怖―アメリカの暗部
第5章 名声と死の影―『ジャッキー』・『花』・『自画像』
第6章 ウォーホル芸術の終焉―『毛沢東』から『最後の晩餐』へ
終章 ウォーホルの聖性
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
ウォーホルって正直陰湿で粘着気質のキモい感じの印象を受けてしまっていたんですが(ごめんなさい)
見方が変わったかな。
彼が「死」というテーマを追っていたことはなんとなく知ってはいたけれど、それをより明確にしてくれた感じ。
商業としての美術。
いかに個性を際立たせないか。
自分も絵を描くけれど、
「無」になりたいという気持ちは勝手になんとなくわかる。
自分などいなくなってしまえばいいと、
自分の世界の中で思う。それが作品につながっていく。
もうなんか、絵を描くことによる自己主張とかそんなんじゃない。うまく言えないんだけど。
「わたしはここにいるよ」って嘆きというか、そういうのより
「否がおうにも私はここにいる」ってとこから始まる苦悩というか。
ウォーホル以降、われわれはどう生きるべきなのか。
これから切り開いていく活路に身震いしながらも、
不安で怖くてたまらない今。
それは「絵」に限ったことではない気がする。