『ぼくは見ました。蜘蛛が空を飛んでいくのです。十年後の誕生日にぼくは26歳になります。12月5日です。その日の朝,地図に示したところでお待ちしています。お天気がよければ、ここでたくさんの小さな蜘蛛が飛び立つのが見られるはずです。ぼくはそのとき、あなたに結婚を申し込むつもりです。こんな変な手紙を読んで
...続きを読むくださってありがとうございました。須藤俊国』
16歳の少年が 書く手紙とおもえないような せつじつさと 青い想いがつたわる。
なぜ、向かい側にひっこした留美子と結婚したいと思ったのか。
その理由もなく,多分突然啓示のように、雷に討たれたように、そう思ったのだろう。
この手紙をうけとった 留美子は 22歳。
10年迎える前に その手紙を再度読み返した 32歳の留美子の側から
須藤俊国とは、いったいだれなのかを 解き明かしていく。
宮本輝の物語には 手紙が 重要なポイントとなる。
手紙の中で 心情を吐露することで 物語を飛躍させる。
空飛ぶ蜘蛛 が 象徴的で 『けなげ』という言葉に つながっていく。
この物語の主人公は 『約束』でもあるが、
もう一つの大きなテーマは『けなげ』でもある。
宮本輝は言う
『(空を飛ぶ)蜘蛛たちに幸運な飛翔をもたらす
大自然の慈愛に似た何ものかを、現代のおとなたちは学んでこなかった。』
須藤俊国という オトコを焦点にするのでなく
須藤俊国の父親 54歳の上原桂二郎が焦点となって 物語は進行する。
上原桂二郎は2歳の連れ子がいた女 さち子を妻として
その連れ子である俊国を実のこのように 愛情を注ぐ父親を演じる。
また、29歳の新川緑が イギリスの大学で勉強して、建築事務所に働いているが
じつは 新川緑の母親千鶴子は上原桂二郎の恋人だった時期があった。
千鶴子の兄の非道さが障害となり,結婚することができなかったのだが、
別れた時期にあうような子どもが 千鶴子には生まれていたことをあとから知るのである。
上原桂二郎は緑を娘ではないかとおもうのだが,
それを かたくななまでに 育てた 緑の父親の新川秀道がいる。
ここにも、けなげな 父親が 存在する。
新川秀道は 妻 千鶴子のことを 『器量の大きな女』だったと上原桂二郎に言うのである。
さきごろの 遺伝子判定で 自分の息子ではないと大騒ぎする芸能人とは
人間の質が違うのである。
宮本輝の中にある 父親像としての 松坂熊吾が、
この物語では 上原桂二郎 として うけつがれる。
また 須藤潤介もその分身となる。
軍人的な精神を受け継ぎ矍鑠としている。
この二人は 宮本輝の父親像 大人らしく 力強いという
『おとなの幼稚化』の対抗軸として存在している。
戦争体験は 死線をくぐってきたがゆえに 人間としての尊厳をもち
大人として処することができる。
芦原小巻はがんとの闘病でたくましく生還した32歳の女である。
小巻は チャラチャラした八千丸ではなく、
足に地がついた青年を選ぶのである。
ガンというのは 死を見つめることができる神様の贈り物かもしれない。
若い者のガンは進行が速く 老人のガンはゆっくりと蝕む。
大人の姿として 木を愛でる留美子の父親とそれを受け継ぐ亮。
イチョウの一枚板が いいかげんに すっぽりと 物語におさまる。
仕事に打ち込んできたが故に、趣味としては 葉巻しかない 上原桂二郎。
しかし,葉巻への思い入れは、並大抵ではなく、
まわりに 葉巻のよさを ひろげていく 葉巻伝道者でもある。
宮本輝の物語は パッションがなく 淡白な感じがある。
それは、登場する人たちが 善人が多いからだ。
この物語で言えば 悪人は 翠英が 筆頭ともいえる。
それは、誠意に理解を見せず、お金 にとらわれていた。
時折でてくる人たちは 失敗しても めげずに 立ち直った人たちだ。
石川啄木の言葉が沁みる
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ