本書は多発する猟奇殺人事件の真実を解き明かす法医学の視点から綴られた書である。著者は監察医、元東京都監察医務院長として、退官までに約2万体の検死を行った経験を持つ。浅沼稲次郎暗殺事件、三河島事故、吉展ちゃん誘拐殺人事件、全日空羽田沖墜落事故、ホテルニュージャパン火災などの検死に携わり、法医学の第一線で活躍してきた実に経験豊富な専門家である。
本書では、死体は嘘をつかず、多くの情報を語る存在であると主張している。猟奇殺人事件は今もなお多発しているが、昭和時代のバラバラ死体の背景には、多くの場合、衝動的な殺人とその隠蔽のための死体切断であった。追い詰められた加害者の心理が死体を切り刻む行為を促したのである。現代においても、心理的動機によって死体が切り刻まれるケースはあるが、近年増加しているのは、殺人そのものを目的として死体を切断するケースや、動機なき殺人も顕著である。
平成時代に入り、「むかついた」「キレた」などの理由で殺人に至る事件や、「相手は誰でもよかった」「一度人を殺してみたかった」といった事件があふれる。被害者と加害者の間に人間関係が希薄化し、倫理観や常識の崩壊が進んでいる現状を示す例である。神戸連続児童殺傷事件の少年・酒鬼薔薇聖斗の犯行声明の「さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君。ボクを止めてみたまえ。ボクは殺しが愉快でたまらない。人の死が見たくて見たくてしょうがない」といったことは、異様であり衝撃だった。
昔は、死体が「私は病死ではなく殺された」などと語ることもあったが、現在は動機や方法を語ることは少なく、死体が語らない傾向が強くなっている。死体の声を聞き取ることが重要だが、検死や解剖を行う監察医や法医学者の中には、その声を聞き逃す例も増加している。これは、専門制度が限られ、多くの変死体が適切に調査されていない現状とも関連している。
現在は、監察医制度が設けられているのは、東京都23区内、横浜市、名古屋市、神戸市の五都市だけである。それ以外は、専門の監察医が存在せず、変死体が発見されても専門家による検死が行われず、大学の法医学教室の教授などに嘱託されるケースがほとんどである。数多くの死体に接することによって経験を積まないと死体の声はなかなか聞き取れない。
死体の状態についても言及されている。夏に死んだ者は腐敗が進み白骨化し、冬に死んだ者は乾燥によりミイラ化する場合もある。死後の状況を理解するうえで重要な手がかりとなる。
溺死と殺害後の死体の川投下についても詳細に述べられている。溺死の場合は肺に水が入り、すぐ沈むため死体は傷だらけになりやすく、衣服も脱げやすい。一方、殺害後に川に投げ込まれる場合は、水面に浮かび、傷みは少ない。腐敗の進行状況や死後の変化についても、著者の観察と経験による詳細な解説がなされている。
腐乱溺死体は、「巨人様顔貌」となり、顔が膨らみ、目は飛び出して、唇が腫れ上がっている。赤鬼の様な顔をしている。腹部には腐敗ガスが充満する。全身は汚穢赤褐色に変色している。日本の昔話の赤鬼は溺死死体の顔に似ている。腐敗ガスに含まれる硫化水素が血液中のヘモクロビンと結合し、腹部から淡青藍色に変わり、全身に及ぶ。青鬼になる。さらに腐敗が進むと暗褐色になっていく。さらに進めば黒色となる。さらに、体の融解が始まり、骨が露出する。入水自殺は、そういう結果になることを知るべきだと著者はいう。
溺死する死体は、生きている時に耳管に空気でなく水が入り、内耳の周りの骨を覆っている粘膜が剥がれていき錐体内出血をする。これは著者が発見した。
また、腐敗や火災による死体の変化、切断された死体の痕跡なども議論されている。火災の中で生存した証拠となる気管の煤の付着や、火傷の状態、切断や隠蔽の方法も詳述されている。さらに、犯罪現場の証拠や死体の状態から、殺人の動機や経緯を推測する重要性を説いている。
保険金殺人や、特定の事件例も紹介されている。1998年の久留米保険金殺人事件では、看護婦グループが殺人と偽装を行い、検死の落ち度を突いて犯行に成功したケースを通じ、検死の難しさと重要性を示している。1998年に「久留米保険金殺人事件」は、看護婦が4人で自分たちの夫を殺した。仲間の一人が「あんたの夫には愛人がいる」「あんたの夫は保険金目的であんたを殺そうとしている」という嘘をついて殺させた。一人は水注射、もう一人は空気注射で殺した。検死した医者は病死と判断した。普通の注射は、針を抜けば、すぐに凝血して穴が埋まる。水注射されれば、溶血するので血液が固まりにくくなり、針の穴が埋まらない。空気注射すると脳にまで空気が送り込まれ、脳に空気が入っていることがわかる。CTスキャンでわかる。グループの仲間割れが起こって自首して犯行がわかった。
生まれた時は泣きながら生まれ、死ぬ時は笑って死ぬ。
赤ん坊は、肺呼吸を始めるための第1呼吸によって起きる第1涕泣であるので、生き流証拠となる。
死んだ時に、穏やかな顔で死ぬのは、顔の神経が弛緩するからだ。
樹海での自殺は、野ネズミや野犬に食い荒らされるので、骨がバラバラになっていることが多い。それに、悪臭が周辺に漂う。樹海の死はロマンチックに見えるが、ショッキングな現実がある。餓死の死体は凄惨である。栄養失調状態で、痩せ細り、干からびている。餓死の子供の死体も痛々しい。
列車事故や飛び込み自殺も悲惨な結果となる。ぐちゃぐちゃになってちぎれている。原型を失い、骨片、肉片となって散り散りになる。飛び込み自殺は、一瞬で死ねるのではなく、体が引きちぎれて内臓を轢く段階になっていても生きていることがある。下山事件は、遺体の傷に生活反応がなく、殺された後に線路上に運ばれた可能性がある。
平成18年の統計で、自殺者約3万2 千人ほどで、60歳以上が約1万1千人で35%になる。その中で遺書を残していた人が3400人。多くは健康上の理由とされるが、その老人の家庭環境は、3世代同居の老人で60%にのぼる。次に一人暮らしである。大勢の家族がいて死ぬのは、邪魔者扱いがされていると感じて自殺する。3世代同居においての孤独死がある。家族から疎外されていると感じるからである。
最後に、死ぬ瞬間や死後の顔の表情、そして死に方にまつわる面白さや奥深さも述べられている。新生児の泣き声は最初の呼吸の証拠であり、死ぬと穏やかに顔が弛緩することも、人体の自然な反応である。死体の状態や死に方の解釈を通じて、人間の死のさまざまな側面が明らかとなり、「死は単なる終わりではなく、多くの謎と証拠を秘めた深遠な現象である」という著者の視点が伝わってくる。
以上が本書の概要と内容の要旨である。死後の状態や死に方について、専門的な見地と豊富な経験に裏打ちされた洞察が示されており、死と死体に関する理解を深める一助となるであろう。