Posted by ブクログ
2020年04月08日
タイトルはシュールだが、決してホラーではないし、小説でもない。著者は東京都の監察医を務める先生である。不自然な死体を検視し、時に行政解剖を行う監察医制度が、五大都市(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸)にしかないことにまず驚いた。著者は予算上、全国にあまねく本制度を導入することは困難だと語るが、それにし...続きを読むても犯罪かどうかを認定するために非常に重要な制度が、たった五つの大都市にしか施行されていないことに、釈然としないものが残った。
著者は監察医の意義として、死者の人権擁護を語る。監察医制度が五大都市でしか機能していないのであれば、他の都市で死んだ者は、五大都市で死んだ者と比較して、死者の人権が守られていないということになる。某国の愚かな首相は「憲法で定める『基本的人権』は、生存するものにのみ適用される」という大した根拠もない法解釈を勝手に披露するかもしれないが、監察医の視点から死者の人権を擁護しようとする著者の見解のほうが、明らかに合理性がある。
といっても、本書は決して固い内容ではない。否、書いてあることは非常に崇高であるが、著者の軽妙な語り口が固さを感じさせない。監察医か、少なくとも法医学を志しでもしなければ、一生現実には出会うことがないであろう不自然な死体とその裏に隠された真実は、著者の語り口の軽さに乗せられてすっと読み進んでしまう。タイトルの『死体は語る』にしても、一見シュールに思えて、著者の洒脱な文体の一部となっている。その結果、不自然な死を遂げた死体にまつわるエピソードを扱ってはいるが、堅苦しさのないエッセイとなっているのである。
監察医ゆえ、時に専門的な用語も登場するけれども、検死の所見や行政解剖で得たわずかな手がかりから、ただ死体を眺めただけでは決して判ることのない真実が導き出されるプロセスは新鮮な驚きに満ちている。エッセイでありながら、ミステリーの趣をも備えているのだ。すなわち死者の専門家たる監察医が、目の前の死者に静かに耳を傾けるとき、「死体は語り」かけるのである。死者の言葉を聞くための条件はただ一つ……一流の法医学者であることだ。
生きている者たちは、程度の差こそあれ偽善者であり、嘘をつく。中には犯罪に手を染める者もいるだろう。一たび法を犯した生者は、おのが罪の隠ぺいに躍起になる。そうしたときにありのままを語ってくれるのは、もはや死者しかいないのかもしれない。そうであるならば、五大都市でしか施行されていない監察医制度は、本来的に制度としての欠陥を内包しているように思う。死者が検死や解剖を通して語り掛ける言葉こそ、何よりも真実に近い、大事なダイイングメッセージだからである。