上田秀人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
会津藩は愚かなのか?なまじ保科正之が副将軍の立場で名君と呼ばれたばかりに「呪」にかかる・・・幕府を支えると思い尚武の精神で家来は鍛錬するが、その反動からか百姓など民を慈しむ心が醸成されなかった(このことが幕末にしっぺ返しとなり帰ってくる)百姓の年貢率を毎年引上げ、ついに7割を超える年貢となり(百姓は窮乏・間引きも恒常的で人口は激減)、田畑は荒れ、手余地(=耕作放棄地)は増え年貢は益々減少・藩の財政は悪化する一方、ついに寛延2年(1749)『一揆』蜂起、15000人が城下に迫り年貢半減を要求(寛延の大一揆)
(以下本書)そんな会津藩は借財を分銅屋から幾度も借りようとするが、側用人田沼意次と深いつ