篠田節子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレあまり女性作家の作品は読まないがこの作品は表題に惹かれて以前購入し本棚に放置してあった。彼女の別作品を先日読み在庫にあったなと。
内容は
ひょんな理由から都庁を退職。家庭も崩壊してお金儲けを目当てに
宗教を主宰した男たちの顛末記。
なるほど女性の視点で描くとこうなるのかという感じ。
男性の私から見れば主人公はまっとうすぎた。
教祖はもう少し泥臭くなければ務まるまい。
おそらくこんな男性はあまりというか、かなりレアだろう。
新堂冬樹の「カリスマ」のほうがより実際的な気がする。
私がその立場だったらと随分考えさせられた。
泥臭さには自信があるが、こんな女性信者からは
即刻逃げ出しそうだw
最終的に狂信的な女性信者に引きずられるまま、逃避行をする教団。
結末をほぼ予測しつつ流され。結局予想通り自ら進んで無実の罪に服す主人公。
途中で満足げに死を迎えるパートナー。
結局女性をミスリードすると怖いわよ。ということかw
ちなみに2009年に柴田錬三郎賞受賞作品。
一応4★興味があれば是非ご一読を。
彼女の作品は今後レパートリーに追加。 -
Posted by ブクログ
「朱鷺飛来図」が描かれた理由と珠枝の謎の死と
映画監督の不審死の原因を探るために奥多摩に向かう主人公二人。
ここまでなら、よくある好みの展開だったりするが
奥多摩の山中に足を踏み入れた途端に迷い込む魔境。
何かがいる気配ではなく、いない気配。ここで既に怖い。
これは種そのものを絶滅に追いやられた朱鷺の怨念ですよ。
散りばめられた伏線を回収するかのごとく収束に向かい、
謎が解明された時、更なる恐怖が主人公たちを襲う。
ページを捲る手を止められなくて一気に読んだわ。
主人公の1人がヘタレだってことにイラっとしたけど
面白かったからいいでしょう。 -
Posted by ブクログ
パンチェンラマ十世のミイラが蘇るという荒唐無稽な物語の中にチベットの現状を描き込んだスラップスティック・コメディ。
ダライラマやチベット仏教をを扱った本は何冊か読んだけれど、本作を読んで全然わかっていなかったと感じた。たとえば、作中にある〈素のままのチベット人は、今でも勇猛果敢で残酷で、その上狡猾な、厳しい気候に鍛え上げられたとてつもなく強い民族だ。チベット人の苛烈さを封じ込めていた仏法を、共産党はそれとは知らずに破壊してきた。その結果が、今日見たあの騒ぎだ。どれほど弾圧しようと工作しようと、面従腹背で、いつでも敵の寝首をかこうと待ちかまえているのがチベットの民だ〉とか〈時代が違います、猊下。今どき、フリーチベット、ダライラマ万歳を唱えるのは、一部の活動家だけです。普通の人々の心を占めているものは、政治でも信仰でもありません。今日の糧です〉とか読むと今までの〈チベット=弱者、虐げられるだけの存在〉という自分の認識がいかにうすっぺらく、現実味のない考えだったかがわかった。この作品のチベットには血が通っていると感じた。蘇ったパンチェンラマ十世も〈意地汚くモモを食べ、女の尻をなで回し、ペンキで塗られた目をぎらぎらさせて中国共産党と毛沢東への恨みを語り、放射能汚染によって死にかけている移牧民のために激怒〉する、非常に人間的な存在として描かれている。かと思えば物語後半では当局の無謀な計画を防ぐ冷静な奮闘をする聖人らしさをみせる。これは、人間は煩悩があるもの、それにとらわれないことが重要なのだという大乗仏教の真髄ではないかと感じた。
それと、篠田節子の他の著作でも感じることだけれど、著者は超常現象を扱った作品を書きながら本当の意味でそういったことを信じていないのではないか。世の中には何か現代の科学では説明できない不思議なことが数多くあるけれど、それは輪廻転生やあの世や霊魂や神なんかではなくもっと別のものなんだという考えで描いている。それは本作中のパンチェンラマ十世のミイラが、十世から転生したといわれる十一世ゲンドゥン・チュキ・ニマ経由ではなく、十世のパーソナリティをそなえて蘇ったことでもわかる。魂というものがあるかどうかはわからないけれど、もしあったとして、それは別の肉体に転生するものなんかではなく、肉体固有のものなんだという考えがあるからこういう描き方になっているのだと思う。蘇ったパンチェンラマ十世は言う〈私は私だ。生まれたときからずっと私だ。他の人間であってたまるか〉のはそういったことを一行であらわすすばらしい表現だ。
ごちゃごちゃ理屈を書いたけれど、本作の魅力は単純に面白くて笑えるところ。何も考えずに読むよろし。 -
Posted by ブクログ
諸事情により職を失った二人の男が、たまたまニュースで目にした9.11事件に光景に感化されて、事業としての宗教を始めるという話。
個人的には面白い、というか興味深い本だったけど、あまり人にはお勧め出来ないと思ってしまった。篠田節子の小説は何かひとつ伝えたい主題もないし、感動があるわけでもなく、いま自分たちが暮らしている日常の中で起こりうる、あり得る世界を提示するものだと思っている。宗教的な超常現象を絡めながらもそこに恐ろしくリアリティを感じさせてしまうのがこの著者の凄いところ。宗教が人間を象徴するものであるというのもあるけれど、今回もかなり引き込まれてしまった。
ちなみに、この後は平野敬一郎の『決壊』を読もうと思っていたけど、本作がかなり重たかったのでしばらく時間を置いてから読もうと思う。。 -
Posted by ブクログ
脳に障害をもつ由希が奏でる
超人的なチェロの調べ。
指導を頼まれた中堅演奏家・東野は
その天才的な才能に圧倒されます。
名演奏を自在に“再現”する才能を持つ由希に足りないのは、
“自分自身の音楽”。
彼女の演奏に何とか魂を吹き込もうとする東野の周りでは、
次々と不可解な事件が起こり始めます。
音楽にすべてを捧げる二人の行着く果ては。。。。。
中庸な演奏を得意とする(…時には必要に迫られ。)東野にとって、
非凡な才能を持ちながらコピー演奏しかできない由希が不憫であり、
自分では成し得ない理想の演奏を叶えるに相応しい分身だったのでしょう。
次第に破壊していく由希の体、
それと並行して社会から孤立していく東野が何とも痛ましいです。
由希にとって、
施設で慎ましくコピー演奏を続けて生き永らえていくことと、
命を縮めてでも自身の音楽を奏でることの、
どちらが幸せだったのでしょう。
読み終えてから、そんなことをぼんやりと考えてしまいました。
ラストは読者の想像に任せるあたりも良いですね。
私も豊かな心を目指して自分の音楽に精進していきたい。。
そして、何気ない普通の毎日を大切に暮らしたい、と感じた作品でした。
(過去ログより)