飛浩隆のレビュー一覧
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ネタバレAIたちが終わりなき夏を過ごす仮想空間「数値海岸<コスタ・デル・ヌメロ>」。ゲストとして訪れる人間をもてなすために構築されたこの世界には、もう1000年もゲストが訪れたことはなく、AIたちがルーチンのように夏の日々を過ごしている。
そんな平穏にして停滞した世界に、ある日突然災厄が訪れる。世界を無効化するために現れた<蜘蛛>、それを操る謎の存在。AIではあるものの確個たる自我を持つ彼らは、自己の存在を死守するために蜘蛛との戦いに臨む。終わりなき夏のとある一日、絶望的な攻防戦が幕を開ける・・・
飛浩隆作品は、これまで短編をいくつか読んでいますが、鴨的には正直なところ「何が描かれているのか/何を伝えたいのかよく判らない」という印象で、ハードルが高いなと思っておりました。が、この作品は非常にストレートに世界観に入っていくことができ、世界観の解像度が半端なかったです。長編向きの作風なんですかね。
作品の冒頭では、AIたちが「暮らす」南仏の片田舎の港町風の素朴な生活が、淡々と描かれていきます。この過程において、AIが極めて人間的な「官能」の能力を持っていることに、鴨はまず違和感を覚えました(ここでいう「官能」は、いわゆる性的なそれだけではなく、五感を総合する広い概念を指します)。が、後半において、AIたちにそこまでの能力が付与されている理由が明らかにされます。
「数値海岸」は、単なる仮想リゾートではなく、性的嗜虐趣味を持ったゲストの快楽を満たすために、AIたちが従順に苦痛を受け入れることを目的として構築された世界である、という真相。反吐が出そうなほどおぞましい描写が、延々と続きます。でも、AIたちは「そのために作られている」存在であり、粛々と受け入れるしかありません。どこにも逃げ場のない、絶望的な修羅の世界。そんな残酷な世界でも、彼らはそれを守らずにはいられない。
語弊を恐れずに申し上げると、鴨は「村上春樹っぽいな」と思いました。
極めて凄惨で残酷なことが描かれているのに、極めて静謐で美しい筆致。ロジカルに突き詰めるなら、突っ込みどころは満載です。でも、そんな突っ込みどころを圧倒的な力でねじ伏せるだけの美学が、この作品には感じ取れます。そんなところが、ちょっと村上春樹っぽいな、と。
さっそくシリーズ2作目「ラギッド・ガール」を購入しました。この世界観がどのように展開するのか、楽しみにしています。 -
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何層に渡るのか全く分からない程の重層的展開。それでいて物語を貫く一本の線。作者も言うとおり「新しい」ものではない。ではないが、このパイのような、ミルクレープのような...なぜか甘いものしか比喩に出てこないが、新しくないものでもひたすら重層的に編むことで、見たことのない世界が創出された気がしてならない。
「あしたもフリギア!」など、その際たるものである気がする。誰もが知っているはずのもの、その枠組みの中に、どこかで見たことのあるものの中に初めてのものを見出す感覚。
それでいて、読みやすい。複雑ではある。何だっけ、誰だっけと思うこともある。しかしその語り口、キャラクターの強さ、そして浮かぶ光景と鳴り響く音。大長編の中に、立体的な世界が確かに見え、聞こえた。
SFに詳しくないので、細かい解題はできないのが悔しいけれど、圧倒的に押されて読んだ。読まされた。楽しい読書体験だった。 -
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90年代グロテスクの孫という印象の仕事。AI周りの描写は2002年という時期を考え合わせると非常によくできており、2019年の今読んでもまるで古ぼけていない。語彙は実に美麗だ。間違いなく何度も読み返し、あちこちのつくりを参考にするだろう。
とはいえこの物語には瑕疵とまでは言えないが、個人的に看過しがたい点がある。
人間の理不尽な残忍さを物語の基盤に埋め込んだだけならいかにもありふれていて薄っぺらいが、被虐者が残忍に「狎れ」た上で己の宿願を果たすため一層凄絶な手段を選択する描写を描くならば凄味は増す。物語後半に、檻に入れられた女のエピソードがあるが、そのことだ。しかし彼女の選択は辻褄が合わない。男から「それ」を得られるなら、硬い道具だってもっと簡単に得られるからだ。このエピソードが凄味を発するには、女がある程度は正気でなくてはならない。道具を持ってこさせる程度の思案もできないほど狂気に落ちているなら、彼女はどんなおかしなことでも選択できるわけだから、何をしたところでそれは彼女の選択ではなく、単純に著者の都合である。
陰惨の極みを描きたい著者の都合が先走って、物語の中でも特に慎重を期さねばならなかった場面でこの手の疑問が湧いてしまうのは大いに興が殺がれる。敢えて好意的に受け止めなければ、この重要な場面はすんなりと流れていかない。
この作品に限らず、90年代にあちこちで見かけたこの手の過剰なグロテスクはしばしば、このようにその前段でだらしない漏らしをしでかす。グロテスクを書きたいという都合が先にあり、その次に物語の体裁を整えるという順序を明かしてしまう。過剰なグロテスクを美しく整えるにはそれに見合うだけ精密な設計が必要だが、それが大抵足らない。おおよそは出来ていても、細部が綻んでいる。書き手はそれを気にも留めない。
しかしそのような、ファサードは大伽藍然として実際には細部の綻んでいる作品というのが、毒と荼味の塩梅がちょうどよくなるものなのかもしれない。 -
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【壮麗な終焉とその先に】特殊楽器技芸士のトロムボノクは、巨大楽器の「美玉鐘」の竣工を記念した假面劇が演じられる予定の惑星「美縟」に降り立つ。全住民がその上演を心待ちにする中、トロムボノクと相棒のシェリュパンは、その星に隠された驚愕の過去と直面するのだが......。著者は、『自生の夢』、『グラン・ヴァカンス』などで知られる飛浩隆。
タイトルや装丁からかなり重たい内容を予期していたのですが、著者があとがきで記すように、ドタバタを描いた娯楽読み物としての性格が強い作品でした。しかしそれだけでは表現できない奥行きと立体性を兼ね備えていることもまた確かであり、なんとも独特な味わいの読書体験を経験することができました。
〜「副音声のいうことなんか信じなくていい。中のことは中のぼくらにまかせてほしいや」〜
どういう頭だとこういう作品が書けるんだろう(褒め言葉です)☆5つ -
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久々に「ヤバい」小説。田舎の鄙びたリゾートをおそう謎の物体。天才少年の活躍により、どうやら別の世界からやってきた人工知能に襲われていることがわかり、生き残った住民は不思議な力を発揮する「石」を駆使して謎の物体と戦うが、、、というよくある設定で映画マトリックスを想像させるが、大きく異なるのは、襲われている方も人工知能の世界の住人であること。高度に発達したAIにより、各自(各AI?)が独自の個性と記憶と判断能力を持ち、まるで自然人のように振る舞う。AI対AIなのか、そのAIを操っている人間がAIを襲わせているのか、全くわからないままストーリーは進む。読んでいて不思議なのは、まるで自分が傍観者としてすぐ近くでこの大事件を観察している気がすること。アバターやIDなど、ネットの世界で自分を代理させている”人格”があることが、このリアルさを生んでいるのだと思う。
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三本の短編と一本の短めの中編からなる作品集。
この手の本を読んでいつも思うのは「これがSFか?」ということ。
別にSFに拘る必要もないし、読んで面白ければそれでいいのだけれど、例えば本書の冒頭の作品「デュオ」なんかは、SFのS……科学……というよりも、非科学的事象を題材にしている。
江戸川乱歩や夢野久作が書いてもおかしくない内容なのに、SFなのか……。
あるいはSFってもっと広義の意味合いが含まれているものなのか。
まぁ……いいけど(と書きつつも、どうもいつもひっかかってしまう)。
その「デュオ」なんかはブライアン・W.オールディス の「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」なんかを思い起こさせたりもした(あちらはロック・バンドだし、内容は全然違うんだけど)。
SF云々でケチをつけたような書き方をしたけれど、実はものすごく面白く読み進めることができた。
意表を突く題材に、きっちりとした伏線の張り方、その伏線の回収の仕方、読みやすい文章。
読者である僕ととても相性の良い作家のようだ。 -
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ーーー人間の情報的似姿を官能素空間に送りこむという画期的な技術によって開設された仮想リゾート“数値海岸”。その技術的/精神的基盤には、直感像的全身感覚をもつ一人の醜い女の存在があった―第1章たる『グラン・ヴァカンス』の数多の謎を明らかにし、現実と仮想の新たなる相克を準備する、待望のシリーズ第2章。
飛浩隆『廃園の天使』シリーズ第2章の中篇集
凄いの一言。詩のような美しい文章が特徴的だった第1章『グラン•ヴァカンス』の肉厚なバックボーンを、物理世界と仮想世界の両面から描き出す。この中篇たちがあればこそ、第1章がさらに輝きを増す。
表題作は、AR(拡張現実)を一歩進めたような概念と、そこから更に飛躍させた技術の芽吹きがリアリティを持って迫ってくる。
最後の中篇にあたる「蜘蛛の王」も、純然たる冒険小説としても通用しそうな躍動感にワクワクした。
秒四十のレートで世界と摩擦すること、それが人間という現象なのだから。 -
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ーーー仮想リゾート〈数値海岸〉の一区画〈夏の区界〉。南欧の港町を模したそこでは、ゲストである人間の訪問が途絶えてから1,000年、取り残されたAIたちが永遠に続く夏を過ごしていた。だがそれは突如として終焉のときを迎える。
仮想と現実の闘争を描く〈廃園の天使〉シリーズ第1作
初めて読む作家、飛浩隆の長篇SF
特徴はなんといってもその文章だと思う。
ときには韻文を連ねながら、詩的に美しい文章と、SFとしての「理屈づけ」が絶妙にブレンドされている。
続編への期待を余韻として残しながらも、すごく綺麗な終わり方だった。
シリーズ2作目の既刊『ラギッド•ガール』も早く読みたい。
「決めろ。『しかたがない』ことなど、なにひとつない。選べばいい。選びとればいい。だれもがそうしているんだ。ひとりの例外もなく、いつも、ただ自分ひとりで、決めている。分岐を選んでいる。他の可能性を切り捨てている。泣きべそをかきながらな」 -
Posted by ブクログ
ネタバレWishListは「当時読みたいと思った」本が大量に入っていて、自分でもどうしてこれが読みたくなったかわからないのが多々あるのだが、これもそう。後からWikipediaで見直して「ああ、ラギッド・ガールの人だったんだな」と思いだしてようやく入っていた理由がなんとなく推測できた(ラギッド・ガールはアンソロジーで読んだので、著者名を失念していたのであった)。
本編には表題作を含めて、4つの短編がおさめられている。個人的には幻想的な雰囲気が全体を通じて漂っていて、最後にストンとおとす「夜と泥の」がお気に入り。
本書はハードSFという感じの表現もあるが、基本的にはファンタジーとSFの間ぐらいに位置していると思う。特に作者の世界の描き方が、「とても幻想的なのに、かつ写実的」という感じで、騙し絵を見ているような気持ちにさせてくれる。特に表題にもなっている「象られた力」の後半は、映像的な描写が続いて映画好きにはたまらない展開が待っている(が、映画で表したら陳腐になってしまうだろうので、たぶんそういう無茶はしないほうがいいのだろう)
全作品ともに最後の数ページでストンとおとす・・という趣向がしかけられていて、ミステリーとしても楽しむことが出来るので「SFはちょっと・・・」という人にもお勧め。 -
Posted by ブクログ
「最期の言葉は―――そうだ、あの蜻蛉にかけてやったのと同じ科白」
美しく清新で、残酷な物語。
存在意義を失われて1000年。設計されたものと、使用されたことによって蓄積された負の記憶。この数値海岸のAIたちが、ゲスト(人間)によって付けられた爪痕が、来訪者によって抉りだされる。
その時に生じた、苦しみと痛みと何よりも悲しみは、ひとつとしてみていて気分のいいものではないはずなのに、目が離せない。それは、人間を限りなく模倣したAIたちが、観客でしかない自分では感じることができない苦痛と悲劇に、哲学的ともいえる絶望に見舞われているから。それを憐れむことや先を求める残酷さすら、読者たる自分には自由に選択できるのに比べて、AIたちはどこまでも不自由に、分かりきった決められたロールを繰り返すしかない。その圧倒的な不平等さが、今の日本にはどこにもない、生まれの「身分」による優越感を味わせてくれるのだろうか。
上の言葉は、自ら「罠のネット」と同化することを選んだジェリーが、最後に見せることができた優しさ。設計されたロールではなくて、彼女自身が生きて獲得したもの。長すぎた夏休みを終える、一言です。この物語を締めくくるのにふさわしい、一文でした。