藤井誠二のレビュー一覧
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藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』集英社文庫。
2010年代の始めに浄化運動により消滅した沖縄県の売春街の記憶に迫ったノンフィクション。
戦後の長き間、米軍により支配され続けた沖縄県。米軍によるレイプなどの性犯罪や性病の蔓延を緩和するために造られた色街。当時は、稼ぐ手立てが無かったり、借金のために売春に手を染めざるを得なかった女性も多く居たようだ。支配されながら生きるために身を削った女性たち。
やがて、時代は変わり、それでも色街はスタイルを変えながら生き残るが、時代の要請により消滅を余儀無くされた。色街が消えた今もなお米軍が沖縄県に留まり、米軍による性犯罪は無くなら -
購入済み
現代社会の闇
クソ親や無関心な世間、保身しか考えない若者。この日本の現代社会をどう変えていったらいいのか。落ちるとこまで落ちた人間の方が国はたすけてくれる。一方で被害者達はいつまで経っても報われない。日本は残念な国になってしまった。
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「日本は沖縄を犠牲に発展してきた」
沖縄が日本に返還されてから、あと数年で50年が経過します。
僕が生まれる少し前にはまだアメリカに属していたという事がとても不思議です。
関東地方で生まれ育ってきた僕から見ると、沖縄はとてもおおらかで楽しそうで羨ましいなあと単純に思っていました。青い空青い海、皆踊って歌って・・・。子供頃はそんな風に思っていたし、今でも頭の中にぼんやりそういうイメージが有ります。
本書は沖縄が第二次世界大戦終結から、産業も無い中でどれだけ女性の稼ぐドルに依存して発展してきたのか。米軍兵からどれだけの性暴力や殺人行為を受けてきたのか。色町という場所の存在から沖縄の戦後75年を見 -
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ネタバレ沖縄に降り立てば灼熱の太陽と南国特有の熱気そして「なんくるないさ」と大らかな人々が出迎えてくれる。しかしそこは約19万人もの命が奪われた太平洋戦争唯一の国内戦地であり、1972年まではヴィザとパスポートを必要としたアメリカであった。構造的矛盾が生み出した歪と闇の緩衝機関が「真栄原新街」を代表とする特飲街であった。
本作品はその沖縄の特飲街を取材対象としたルポタージュであるがとにかく内容が濃い。「売春」がテーマだけに負のオーラが強く読んでる側の体力が削られるが、しかしそれに対価する内容だ。特飲街の歴史的生い立ちから従事した人々の生活と今昔、当時のメディアの捉え方など、あらゆる角度から「売春街と -
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論点が明確だからか、対談本にしては筋ははっきりしている。ただし、というかだからこそ二人の主張は交わらない。
藤井は、自ら行った多くの被害者遺族とのインタビューの後に、死刑存置に自らの意見を傾けることになったという。それは非常にアクチュアルな判断なのだと思う。しかしながら、死刑の存続の主張を、被害者遺族の応報によって立つ限り、被害者遺族がいなかった場合に死刑は必要なのかという根本的な問いに答えることができない。この点については森からも強く指摘されながらも藤井は答えを返すことができていないでいる(と少なくとも私には見える)。
死刑が統計的に犯罪抑止に貢献していない以上(これについては両者とも同意 -
購入済み
一人一人が考えないと
体罰はなぜなくならないのか?というこの問題に、この本は色々な角度から問題点を挙げて、どうすれば良いのかということを考えている。その中で体罰を受けてきた人が大人になり、また指導者になると、その人たちは体罰をしてしまう、容認してしまうというこのような体罰の連鎖について紹介している。ここで問題となるのは、日本という国が体罰についての考え方が甘すぎることに気づいていない点である。この先何人もの人が体罰に傷付いたとしても、世間の体罰をなくさなければいけないという意見が100パーセントになることはないとこの本を読めばわかる。体罰を容認する人は、体罰を知らなすぎる。体罰についてもっと知ってほしい。体罰を受け
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ネタバレ宮崎の女子高校生による同級生の殺害事件が気になり、著者の藤井誠二さんが出演しているのを聞いて、緊急復刊となった本書を購入した。
本書を読んで2つの事件の類似していると思ったのは
・人の命を特別視するがない。虫や動物と等しい。
・親が離婚している、いずれも母親が手放し、父親または父方の祖父母に育てられた。
著者によると少年の殺人犯の多くに、アスペルガー症候群と思われる傾向があることを示唆している。しかし、アスペルガーと断定することはなく、その点に関しては結論が出せないものとしている。アスペルガーが世の中に認知されるきっかけもこの事件だったようだ。
文庫版のあとがきで、宮台真司は本書が少年がア -
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冒頭、27年前の女子高生の遺書、もうこの世にいたくないの、
お父さんお母さんゴメンネ、という内容があります。
これだけで、泣きそうになった。
そして記憶に新しい大阪桜宮高校の事件。
結論としては、この27年前の悲劇から世の中は何も
変わっていないということが数々の事例、許せない事例を
もとに記されていきます。
大きなポイントは、体罰は別に悪くない、という考えが
いまだに根付いているということ。
桜宮高校の事件の後の調査でも、42%が体罰を容認していると
いう事実が、はっきりと示しています。
悪質な指導者はもちろんですが、保護者も同様です。
桜宮高校の保護者向け説明会の会場では、「今までど -
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ネタバレぐえー。レビュー数少ない!もっとたくさんの人に読んでもらいたいなぁ。こないだ永山則夫の精神鑑定のドキュメントを見たばかりだけど、被害者側からしたら、加害者がどんな過酷な人生を送ってきたかなんて、どうでもいい、と思っちゃうよな。PTSDで心神喪失状態だった、なんて、いわゆる39条で無罪とか懲役刑だけだったら、やっぱりはらわたが煮えくり返る被害者遺族は多いんだろう。最後の対談も衝撃だった。日弁連でこんなにひどいの。自分が加害者遺族になったらどうするだろうか。被害者遺族がいかに心身を病みやすいか。知ってる事件もあって、あの山地悠紀夫の事件も入ってた。Coccoが被害者に向け歌を作ってたなんて知らなか
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Posted by ブクログ
人を殺してはいけない、というのは、結局は、現代社会でスムーズに生きていきたいのなら犯してはいけない不文律であるというだけ。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いには哲学者も困ってしまう。明確な答えなんてない。
ただ、自分や、自分の大切な人が殺されたりしたら、痛いだろうし、怖いだろうし、嫌だ、って想像することはできて、自分が人を殺さないし、殺されたら嫌な理由は、それだけしかない。
という意味で、「人を殺すのは人間的ではない!」なんて糾弾するのは私は好きじゃないのですが、私たちは社会的生き物なので、司法の場ではそうもいかないわけで。
つまり、私にとって、犯人の少年の動機はさほど理不尽ではな -
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『家栽の人』の「少年」に対する姿勢は明瞭で、桑田判事の次のような言葉に集約されます。
「どんなに厳しく罰しても少年はいつかは出てきます。誰かの隣に住むんです。その時少年が笑っていられるように考えるのが大人/司法の役割ではないでしょうか」
加害少年の幸せを望むかのこの桑田判事の言葉は一見甘く聞こえるけども、「笑っている(=幸せ)」というのは「再犯を犯さない」状態も指しているわけで、これは社会にとっても望ましいこと、つまり公益に即しているとも言えます。
ただこの更正と教育を基本とする考えは、厳罰を望む被害者・被害者家族の感情と対立することが多いでしょう。特に殺人などの回復困難な重大犯罪