あらすじ
少年犯罪を取材してきたノンフィクションライターの著者のもとへ、ある日、水原紘心(仮名)という見知らぬ名前の人物から手紙が届いた。それは何の罪もない人の命を奪った長期受刑者からの手紙だった。水原は著者との文通を通して己の罪と向き合い、問いを投げかける。「償い」「謝罪」「反省」「更生」「贖罪」――。加害者には国家から受ける罰とは別に、それ以上に大切で行わなければならないことがあるのではないか。著者の応答からは、現在の裁判・法制度の問題点も浮かび上がる。さまざまな矛盾と答えのない問いの狭間で、本書は「贖罪」をめぐって二人が考え続けた記録である。
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Posted by ブクログ
罪はあがなえるのか。殺人はあがなえるのか。
ここに出てくる殺人犯の彼は答えをNOと言っている。とことん自分を見つめて、罪と向き合い続けている。
彼は自分個人で(人との出会いもあったが)それを考え続ける。
刑務所に、自己を見つめるプログラムがあればいいのに。
「加害者は元は被害者である」という言葉がある。虐待の犠牲者だったりするのだ。
今ある犯罪者の姿は吐き気がするようなものもある。NHK党の立花たかしなど、人を人と思っていない。
でも生まれたときからそうなのではなく彼がそうなってしまった道筋はあると思う。
そう言うことに目を向けて行けば世の中の犯罪や虐待、ひょっとしたら戦争も防げるかもしれない。
いろいろ考えさせられる内容だった。
Posted by ブクログ
殺人を犯した加害者はどのようにして償うのか。償いとはなんなのか、答えや終わりはあるのか。加害者の気持ち、被害者の思い、普通の生活をしていればあまりほとんど考えない物事について考えられる一冊です。
Posted by ブクログ
本書は少年犯罪を長く取材し、被害者遺族についての著書も多いノンフィクションライターの著者と、殺人を犯した長期受刑者が手紙をやり取りし「贖罪」について考え続けた記録である
殺人を償うことはできるのか?人は生まれ変わることができるのか?生まれ変わることが贖罪に繋がるのか?
非常に難しい問で、結論を出せないことが結びとなってもいました
筆者も書いていますが、人は生まれ変わることが出来ると信じたい
信じたいが、現実には非常に稀なことだと思います
そして加害者が生まれ変わり、真っ当な人間になったとして…それで?と言った感情を持つ被害者遺族が居ることも当然だと思います
自分はこういうノンフィクションを読むと、もし娘たちが被害にあったら?と想像してしまいちょっと苦しくなったりするのですが、間違いなく加害者には即刻死んでほしいし、なんなら自分の手でって思うだろうと思うので
「贖罪」なんてさせてなるものかと考えるのではないかと思います
めちゃくちゃに難しい
これといった答えはないのでしょう
だがしかし、答えを探し続けることが「贖罪」への第一歩となりうるかもしれない
考え続けることが犯罪を減らすことにつながるのではないか
というところには同意することができました
Posted by ブクログ
人を殺した罪は償うことができるのか。本書はそれをテーマにした内容だ。「贖罪」という言葉で直ぐに思い浮かぶのは、人類が犯した罪をあがなうために自らが犠牲となったイエス・キリストの姿だ。私はキリスト教徒ではないが、誰もが十字架にかけられたキリストの姿を教会などで見たことはあるだろう。また凶悪犯罪を犯した者が服役中や出所後に綴った手紙や書籍を見たことのある方もいるだろう。罪を償うとは、善行を行ったり、金銭的に(特に被害者に対して)賠償したり、法によって服役し労働する、その対価を弁護士などを経由して寄付するなど、やり方は様々である。だが本質的に他人を傷つけたり、命を奪ってしまった事自体が赦される事があるのか。本書は殺人という重大犯罪を犯した加害者とのやり取りの中で、それが可能であるかを犯罪と加害者を追い続ける筆者が考察する内容となっている。読み始めは誰しも(筆をとった筆者でさえも)人の命を奪うという人として最も罪深い所業に対して、被害者の家族や友人の悲しみを思えば、それは不可能だろうと感じるに違いない。だが、本書を読み進めていく中で加害者が塀の中で感じた事を包み隠さず述べていく内容を理解してくると、償うという言葉の定義やその意味について、自分なりの見解が確立していく事がわかる。
その可否以前に人を殺めること、殺めた人間が何を思い続けるか。筆者とやりとりする加害者は獄中で多くの書籍を読み、考え方やそれを表現(筆者との手紙のやり取りを含め)していく中で、何とかその答えを探し出そうとする姿。読んでいる自分(私自身)は勿論同じ経験をした訳ではないから、全く同じ気持ちになる事は困難だが、加害者自身が何とかそれを言葉で表現しようとする努力と、紡ぎ出した生の言葉から伝わってくる苦しみは、徐々に読者の心の中に様々な疑問や理解を生み出してくる事は間違いない。
本書の中で「謝罪されても私たちは何も救われない。謝罪したというあなたが救われるだけ」という被害者家族の言葉も、逆の立場に立たされた人々の心理を理解する上で響いてくる言葉だ。加害者・被害者いずれの言葉にも、拭い去ることの出来ない深い傷や痛みがある事が伝わってくる。勿論、私もその様な状況を生み出した加害者を赦して良いとは思わない。だからこそ、そうした状況を生み出した社会や人間そのものに対して、繰り返し何故という言葉をぶつけて理由を辿りたくなる。人が人を傷つけるという行為、その背景にある社会課題、それを表出させるきっかけ。そしてその後に生み出される大きな傷跡と心の受け止め方。
本書に明確な結論があるとは言えない。だが贖罪という事の意味を読み手に深く考えさせる、その機会をくれる一冊である。
Posted by ブクログ
贖罪という言葉について、具体的な犯罪者の考え方をもとに、考える機会を与えてくれた。
この受刑者のように、真摯に犯罪を犯した自分と向き合い、また被害者側のこともしっかりと考えて、大いに悩み苦しむ。その姿が贖罪なのかもしれない。
刑務所の中の様子も伺い知ることができ、犯罪者の心理や生い立ちについて学ぶことができました。
Posted by ブクログ
見知らぬ人物からの手紙。長期受刑者から。塀の中で過ごし、官本を読み考えている。投げかけられた問い。贖罪は可能か?…もしも、被害者遺族になったなら。得体の知れない殺人者。恐怖が先立つ。手紙もお金も受け取れない。関わりを持ちたくない。とはいえ、加害者が安穏と暮らしているのは許せない。…過失、魔が差した。もしも、偶然にも人を殺めてしまったなら。永遠に拭えぬ罪。笑うことさえ赦されない。…人を殺す事件が起きない社会を創る。それが、これまで起きた多くの事件の被害者への贖罪なのかもしれない。それは全ての人に課せられる。