小浜逸郎のレビュー一覧

  • 「弱者」とはだれか

    Posted by ブクログ

    脳性まひとして生まれて61年,人間は不公平は無いとようやく実感することができた。もちろん、弱者ではない。

    0
    2011年12月23日
  • 子供問題 学校、家族、メディアに見る子供をめぐる矛盾

    Posted by ブクログ

    「幼児期の終わりごろになると、大部分の子どもは、個々の人間というものが空間的にのみではなく、時間的にもばらばらな生を歩む存在であること、つまり老いてやがて死んでいく存在であることを知る。これは子どもにとってたいへん切ない認識である。だから親は……(略)……この時期が、自分自身にとっても楽しく幸福な時期となるように、精一杯の工夫をしなくてはならない」(p.20)
     そのとおりなのだろうと思う。

    0
    2011年12月08日
  • 「弱者」とはだれか

    Posted by ブクログ

      読みやすくて、興味深いことが書かれていました。
    中でも興味深かったのは、マスコミの言語規制のこと。いきすぎた言語規制は、本来の意味を見失いつつあるように思います。「肉屋」では駄目で「精肉業者」にしろなんて、なんておかしな話だろう。表面だけを変えたところで意味はないし、そうすることで糾弾から逃れようとしているかのようにすら見えます。

      あとは、逆差別の問題。被差別者に対して保護を、と優遇措置が行われている。しかし、これも言語規制と同じように目的を見失っているように思いました。弱者というのは、「社会で生活する上で何かしらの不利を生じるもの」という意味では、支援が必要な場合もあるでしょう。け

    0
    2011年07月27日
  • エロス身体論

    Posted by ブクログ

    [ 内容 ]
    人間の身体は、たんなる生体システムではない。
    人は身体という座において、世界と関係を結び、他者と出会い、そして触れあい、ついには「私」を立ち上がらせる。
    私たち人間は、「身体をもつ」のではない。
    むしろ、「身体として・いる」存在なのである。
    他者とのかけがえのないかかわり=「エロス」を軸に、身体の人間論的な意味を徹底して考え抜く。

    [ 目次 ]
    序章 哲学者たちの身体論
    1章 「身体として・いる」私(「いる」と「ある」;私は身体で「ある」のか、それとも身体を「もつ」のか)
    2章 身体は意味の体系である(身体の機能的な意味;身体の人間関係的な意味)
    3章 性愛的身体(「性欲」概念

    0
    2011年05月29日
  • 「責任」はだれにあるのか

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    [ 内容 ]
    何か不祥事が起こるたびに責任追及の声が高まっている。
    政治家、企業、マスコミ、学校が悪い、と。
    だが、そもそも「責任」とは何か。
    正しい責任のとり方とは。
    人は責任をどこまで負えるのか。
    JR脱線事故やイラク人質の「自己責任」論争、「戦争責任」など公共的な問題から、男女、親子における個別の責任問題までを人間論的に考察。
    被害者―加害者というこじれた感情をどう克服するか。
    法や倫理では割り切れない「責任」の不条理性を浮かび上がらせる。
    「求められる責任」と「感じる責任」を真摯に追究した書。

    [ 目次 ]
    なぜ「責任」を論じるのか
    第1部 責任はだれにあるのか―自由主義社会における

    0
    2011年04月20日
  • やっぱり、人はわかりあえない

    Posted by ブクログ

    面白かった。価値観の違ういい年したおっさんがあーだーこーだと言い合ってるんだけど、話が整然としているのでとても読みやすかった。
    自分の考え方はこうですって述べてるだけで、それを他人に押し付けないやり方がいいのかな。

    0
    2011年02月08日
  • 「弱者」とはだれか

    Posted by ブクログ

    昔は今の観念でいう「差別」はなかった。弱者利権が新たな差別を生み出している。語調がやや堅くとっつきにくかったのが難。

    0
    2012年02月12日
  • 「弱者」とはだれか

    Posted by ブクログ

    弱者、この本が取り上げるのは例えば被差別部落出身者や障害者なんだけど、彼らについて語るときに感じる遠慮みたいな、それは何だろうから始まる。
    三つ挙げていて、その一つがある時代で広く支配的な「正しさ」の共通観念に人々は支配される。言ってみればちょっと流行った「空気」ってヤツ。
    二つ目が「言ってみても問題は解決しない」とゆうあきらめ、もう一つが切実さの欠如、メディア情報の氾濫。
    現代社会のいたずらな弱者の記号化みたいな、例えば電車の優先席とか、そこを問題にして何が弱者かを問うことから始めるべしとする。
    情緒のファシズム、ことさらな言挙げや賛美が「弱者」に聖痕を残し不必要な境界線を引く可能性を指摘。

    0
    2010年04月23日
  • やっぱり、人はわかりあえない

    Posted by ブクログ

    ■本の内容・特徴
    往復書簡による、違う価値観同士のガチンコ(議論)。


    ■目的
    人は分かり合えるのか? また、娯楽。


    ■感想
    PHP新書の書簡形式の本は2冊目です。
    これ、面白いです(笑) 何が面白いって、真剣勝負なところです。「人は分かり合えるのか?どうなのか?」という前提なので、妙に相手にへつらうことなく容赦なく二人はぶつかります。「きっと分かり合える」という予定調和が感じられないこともあり、読者としてはハラハラドキドキしながら、大の大人のケンカを目の当たりにすることができます。

    結局、人は分かり合えないかもしれないけれど、面と向かって真摯にぶつかればぶつからないよりはいい、一つの

    0
    2009年10月07日
  • 死にたくないが、生きたくもない。

    Posted by ブクログ

    自分が今ぶつかっているテーマ「死にたくないが生きたくもない」を59歳が論じていて、特にこの本では自分が今まで思いもしなかった老いに重点が置かれていたおもしろかった。

    0
    2009年10月07日
  • 「弱者」とはだれか

    Posted by ブクログ

    当事者のことは、当事者にしか語りえないのか。普段、その問いに「イエス」と答える人は、ぜひこの本を読んでみると良いと思います。明解な答えが出るとは思いませんが、何らかの形で、考える一助になると思います。

    本文では、結構過激めいた発言もしていますが、ある意味ここまで「弱者」という言葉とその真意に切り込む人は、貴重だと思います。特に部落問題をとりあげ、「弱者聖化のカラクリ」を説いています。確かに、「弱者」とは絶対的なものではなく、相対的なものとして考える必要があるのかもしれません(著者の発言に全面的に賛成することはとてもできませんが)。

    小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』への批判は、ちょっと大人

    0
    2009年10月04日
  • 死にたくないが、生きたくもない。

    Posted by ブクログ

    『人生、終盤にさしかかれば、心身にガタがくるのは自然の定め。しかし、いまや六十になっても、なかなか「老人」と認めてもらえず、やれ「生涯現役」だ、「アンチエイジング」だと、世間は喧しい。」もう一花咲かせる気力や体力はもちろんないが、残り時間は、なるべく不幸せでなく埋めていきたい----そんなささやかな願いはどうしたらかなえられるのか?自らの老いの真情を吐露しつつ問う、枯れるように死んでいくための哲学。』  (裏カバーより)

    文章から滲み出てくる著者の人間性がとってもいい。飄々としてて、どこか達観(もしくは諦観(笑))してる感じ。そこからは現在巷間で言われている理想の老人像とは大きく異なった老人

    0
    2009年10月04日
  • 正しい大人化計画――若者が「難民」化する時代に

    Posted by ブクログ

    義務教育4・4制や技能教科の民間委託など、前半の教育改革案に興味を持ちました。職業体験は…できるかなぁ。

    0
    2009年10月04日
  • 福沢諭吉 しなやかな日本精神

    Posted by ブクログ

    読み慣れない文体の引用も多く、読み終えるのに時間がかかった。
    ただ筆者の感じている、このままではいけないという危機感を、福沢諭吉の言葉を通じて受け取ることには意味があると思う。
    かつての日本に、先見の明のある優れた人材がおり同じ憂いを感じていたこと、そのものの考えを時を経て改めて知ることは、大きな心の支えになる。

    そしてその頃から変わっていない、この国の悪い癖をどのように変えていけるのか、そこを考えるのが今の時代に生きるものの責任のように感じた。

    歴史をふり変えるための一助としても良い本だと思う。

    0
    2025年09月21日
  • 言葉はなぜ通じないのか

    Posted by ブクログ

    先日読んだ今井むつみ先生の「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」に続き、同じようなテーマで少し難しいタッチの本を読んでみた。
    アプローチや表現は違えど、なるほど、結論は同じ点に収束する。

    言語を語ることは、人間交流のあり方を語ることになる。
    音声が先か、思想が先かと考えれば、言語の発生期を想像すると、概念がまずあって、それを音声にするために苦労したというような過程は想像しにくい。
    新約聖書にあるように「はじめにことば(ロゴス)ありき。」なのではなく、古今和歌集の冒頭にあるように「ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなれりける。」のではないか。

    というように展開されてい

    0
    2025年09月18日
  • 言葉はなぜ通じないのか

    Posted by ブクログ

    厳密な議論があるわけではないけど、色んな話題が出てきて面白かった。厳密な議論を求めてしまうのも、直前に言語哲学の本を読んだからというだけのことなのかもしれない。

    0
    2025年06月04日
  • これからの幸福論

    Posted by ブクログ

    ー 人は、幸福であるときには、幸福について深く考えようなどとはしない。また、不幸のどん底にあるときも、「幸福論」を手に取ってみる余裕などとても持てないだろう。「幸福論」に関心を引き寄せられるのは、これから人生に踏み出そうとしていて、自分にとって幸福な生き方とは何だろうと不安になっているときとか、人生の波風を幾らか経験してきて、自分の来し方をかみしめながら、それを踏まえてこれからどう生きていこうかと思いあぐねているときなどだ。この本は、そんな心境にある人たちに言葉を届かせたいという思いを基礎にして書かれている。 ー

    小浜さんは2年前に亡くなってしまったのだが、読みやすい批評家で、そこそこ面白い

    0
    2025年01月25日
  • 正しい大人化計画――若者が「難民」化する時代に

    Posted by ブクログ

    感想
    どんな優れたシステムにも穴はある。そこから零れ落ちるものもある。その人たちをどう掬い上げるか。それぞれに寄り添うことが求められる。

    0
    2023年11月30日
  • 人生のトリセツ 人間とは何か 心はどこにあるか 何のために生きるのか

    Posted by ブクログ

    労働の対価として適当な報酬を得ることによって、心(精神面)が安定し余裕が生じてくる、という内容が、ブーメランだなあと思った。なぜなら今の私は、「労働していない」と言う意味では、私は社会の一員として認知されていないということなんだろうなと思ったから。ただ、一大学生、個人としてのプライベート面では、私は友達や大学の先生などの信頼できる大人が周囲に居て、その集団の中では生きられている。だから孤立しているわけでもないんだよな、と言うことを感じた。

    0
    2023年11月06日
  • 言葉はなぜ通じないのか

    Posted by ブクログ

    言葉についての考察。吉本隆明の言語本質論、時枝言語論、ソシュール言語論など、先人達が論じてきた様々な言語論を取り上げて考察し、著者の見解を紹介する。
    著者が考察した言語の7つの特性は大変勉強になった。普段使っている言葉に様々な特性があることを判った。話すことや書くことについて、この特性を意識することが重要だと思う。

    0
    2022年12月30日