小浜逸郎のレビュー一覧
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読みやすくて、興味深いことが書かれていました。
中でも興味深かったのは、マスコミの言語規制のこと。いきすぎた言語規制は、本来の意味を見失いつつあるように思います。「肉屋」では駄目で「精肉業者」にしろなんて、なんておかしな話だろう。表面だけを変えたところで意味はないし、そうすることで糾弾から逃れようとしているかのようにすら見えます。
あとは、逆差別の問題。被差別者に対して保護を、と優遇措置が行われている。しかし、これも言語規制と同じように目的を見失っているように思いました。弱者というのは、「社会で生活する上で何かしらの不利を生じるもの」という意味では、支援が必要な場合もあるでしょう。けれど、何が必要で何が不必要かをしっかり見極めるべきではないでしょうか。弱者を聖化するのは違うと思うんです。
「平等」が叫ばれる中、差別を許さない雰囲気が高まっています。それ自体はとても良いことだと思うけれど、差別対象を見つけ出して保護するよりも、共に歩んでいく道を探すべきではないでしょうか。異なる共同性同士であれ、長く一緒にいて "慣れる" ことがその一番の近道になるのかもしれないと思いました。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
人間の身体は、たんなる生体システムではない。
人は身体という座において、世界と関係を結び、他者と出会い、そして触れあい、ついには「私」を立ち上がらせる。
私たち人間は、「身体をもつ」のではない。
むしろ、「身体として・いる」存在なのである。
他者とのかけがえのないかかわり=「エロス」を軸に、身体の人間論的な意味を徹底して考え抜く。
[ 目次 ]
序章 哲学者たちの身体論
1章 「身体として・いる」私(「いる」と「ある」;私は身体で「ある」のか、それとも身体を「もつ」のか)
2章 身体は意味の体系である(身体の機能的な意味;身体の人間関係的な意味)
3章 性愛的身体(「性欲」概念の観念的性格;おとこ身体・おんな身体)
4章 働く身体・権力と身体(社会秩序の根源としての労働;権力と身体)
5章 死ぬ身体(病気・障害・老衰;あなたの身体はあなたのものか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
何か不祥事が起こるたびに責任追及の声が高まっている。
政治家、企業、マスコミ、学校が悪い、と。
だが、そもそも「責任」とは何か。
正しい責任のとり方とは。
人は責任をどこまで負えるのか。
JR脱線事故やイラク人質の「自己責任」論争、「戦争責任」など公共的な問題から、男女、親子における個別の責任問題までを人間論的に考察。
被害者―加害者というこじれた感情をどう克服するか。
法や倫理では割り切れない「責任」の不条理性を浮かび上がらせる。
「求められる責任」と「感じる責任」を真摯に追究した書。
[ 目次 ]
なぜ「責任」を論じるのか
第1部 責任はだれにあるのか―自由主義社会における「責任」(法的責任以前の責任とは 責任は免除されるのか 集団責任と自己責任 国家と国民の関係における責任)
第2部 「責任」とは何か―その原理を探る(「責任」を論じることの難しさ 哲学は「責任」をどう考えてきたのか 責任の原理) 自由と責任の関係について―偶然性の承認
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
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Posted by ブクログ
弱者、この本が取り上げるのは例えば被差別部落出身者や障害者なんだけど、彼らについて語るときに感じる遠慮みたいな、それは何だろうから始まる。
三つ挙げていて、その一つがある時代で広く支配的な「正しさ」の共通観念に人々は支配される。言ってみればちょっと流行った「空気」ってヤツ。
二つ目が「言ってみても問題は解決しない」とゆうあきらめ、もう一つが切実さの欠如、メディア情報の氾濫。
現代社会のいたずらな弱者の記号化みたいな、例えば電車の優先席とか、そこを問題にして何が弱者かを問うことから始めるべしとする。
情緒のファシズム、ことさらな言挙げや賛美が「弱者」に聖痕を残し不必要な境界線を引く可能性を指摘。
出生前診断と中絶について、それは障害児を持つ親と同じ直線上にある考えで、ナチスの優生思想的な差別には直結しないとゆう議論。『五体不満足』のことさらな明るさに対しても。
それとアイデンティティの主張で差別が不可欠になってしまいつつある被差別部落の話。マルクスが指摘した下部構造が上部構造を形作るとゆうものについて。差別ー被差別のパラダイムで物事を考えているのは現在のおれたちでその考えを過去に戻ってあてはめることはできないこと。小林よしのりの部落フェスの主張が現在では意味を持たないこと。
個別性と普遍性、言葉狩り、生産年齢人口の見直し、ハゲ、デブなどのエロス的領域の弱者など幅広く扱っていてとてもおもしろかったし勉強になった。
たださーっと読んだので細かいところの論理の整合性とかはあまり見なかったですけど。例えばガラス張りになった駅とか。ありゃ誰かが落ちたら他の客や経済全体への悪影響があるからと思うんだけど。 -
Posted by ブクログ
■本の内容・特徴
往復書簡による、違う価値観同士のガチンコ(議論)。
■目的
人は分かり合えるのか? また、娯楽。
■感想
PHP新書の書簡形式の本は2冊目です。
これ、面白いです(笑) 何が面白いって、真剣勝負なところです。「人は分かり合えるのか?どうなのか?」という前提なので、妙に相手にへつらうことなく容赦なく二人はぶつかります。「きっと分かり合える」という予定調和が感じられないこともあり、読者としてはハラハラドキドキしながら、大の大人のケンカを目の当たりにすることができます。
結局、人は分かり合えないかもしれないけれど、面と向かって真摯にぶつかればぶつからないよりはいい、一つのテーマについて同じベクトルを共有することができるという意味で「心が通うことは可能」なのだなと思った一冊でした。
議論って結果はどうあれ素晴らしい!!
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Posted by ブクログ
当事者のことは、当事者にしか語りえないのか。普段、その問いに「イエス」と答える人は、ぜひこの本を読んでみると良いと思います。明解な答えが出るとは思いませんが、何らかの形で、考える一助になると思います。
本文では、結構過激めいた発言もしていますが、ある意味ここまで「弱者」という言葉とその真意に切り込む人は、貴重だと思います。特に部落問題をとりあげ、「弱者聖化のカラクリ」を説いています。確かに、「弱者」とは絶対的なものではなく、相対的なものとして考える必要があるのかもしれません(著者の発言に全面的に賛成することはとてもできませんが)。
小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』への批判は、ちょっと大人気ない批判の仕方だな、とも思います。部落解放フェスティバルの真意は、小浜氏が推察するよりも別のところにあると、僕は考えます。
文体が気に触る人もいるかもしれませんが、参考程度に読んでみてはいかがでしょうか。
「むしろ私たちは、障害者の人たちの共同性のなかにも、健常者の人間関係と同じ問題(人間性のマイナス面)があるということに気づくべきなのだ。皮肉な話だが、そのことは、ただ同情心、道徳心から「あの人たちだってみんな同じ人間なんだ」といった美化の感情や一般化の論理に支配されている限りは、かえって見えてこない。ある世界、ある関係が持つ個別的な複雑さへの認識を深めることを通して、ほんとうの意味での「人間的共通性」を感じ取るべきなのである。」(p162-163) -
Posted by ブクログ
『人生、終盤にさしかかれば、心身にガタがくるのは自然の定め。しかし、いまや六十になっても、なかなか「老人」と認めてもらえず、やれ「生涯現役」だ、「アンチエイジング」だと、世間は喧しい。」もう一花咲かせる気力や体力はもちろんないが、残り時間は、なるべく不幸せでなく埋めていきたい----そんなささやかな願いはどうしたらかなえられるのか?自らの老いの真情を吐露しつつ問う、枯れるように死んでいくための哲学。』 (裏カバーより)
文章から滲み出てくる著者の人間性がとってもいい。飄々としてて、どこか達観(もしくは諦観(笑))してる感じ。そこからは現在巷間で言われている理想の老人像とは大きく異なった老人感が読み取れる。
今は「元気な老人」「生涯現役」「若い者に負けない」・・・そういったことが求められている。また、それがよいことで、理想の老人の姿だと言われている。そのことに対して、著者は忌憚なく独自の見解を繰り出す。
一言で言えば、著者は「枯れるように死にたい」と言っている。生涯現役なんて勘弁。趣味を持てと迫らないでくれ。一人ボーっと年をとって死にたい。そう言っている。これってでも、とっても正鵠を射た意見かも。実際に著者は団塊の世代で、老人と言われる年齢にさしかかろうとしているだけに、やけに説得力があるし。
また、最近の顕著な健康ブームにも、著者は言及する。そんなに健康にばかり気を使い、長生きして一体何がしたいのか?今は、○○がしたいから長生きしたいなど、目的があって長寿を願うのではなく、ただ、長生きすることを目標に健康に異常なまでに気を使い、長寿を願う。それって何の意味があるのか?見苦しい悪あがきはやめたらどうか?と。
かといって決して現役並みに働いたりする人を否定してるわけでもない。目標があって生きがいを感じるならば働けばいいし、趣味に生きたい人は生きればいいと言っている。
でも、マスコミや社会の風潮に踊らされ、ひたすら健康でいることを目標にしたり、趣味を持たねばならないと必死になってカルチャースクールに通ったり・・・そういうのは何か違うんじゃないか?そんなに躍起にならずに、ゆったり枯れて行こうとではないか。
趣味に励み、生涯現役でがよしとされ、趣味も持たず、現役のように働きもせず、ボーっと老後を過ごす人=隠遁生活者がなんだか肩身の狭い思いをしなければならないのはなんかおかしくないか?と主張しているのである。
決して堅い読み物じゃなくってさくさくっと読める。とってもおもしろい。
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Posted by ブクログ
先日読んだ今井むつみ先生の「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」に続き、同じようなテーマで少し難しいタッチの本を読んでみた。
アプローチや表現は違えど、なるほど、結論は同じ点に収束する。
言語を語ることは、人間交流のあり方を語ることになる。
音声が先か、思想が先かと考えれば、言語の発生期を想像すると、概念がまずあって、それを音声にするために苦労したというような過程は想像しにくい。
新約聖書にあるように「はじめにことば(ロゴス)ありき。」なのではなく、古今和歌集の冒頭にあるように「ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなれりける。」のではないか。
というように展開されていき、
「言葉が理解されるためには、聞き手のうちでいったん話し手の表現行為をなぞりなおして身体化してみなくてはならず、そのためには聞き手の側に、世界を「意味」として受け取るだけの了解の構えが開かれていなくてはならないということです。」
つまり、言葉が通じない理由は言葉の外にある、という話。
今井先生のいう「スキーマが違う」と同じと思って良さそうだ。
以下、いくつかグッときた表現をメモ。
「言った・言わない」が不毛であることについて
「もともと記憶があてにならないのは、人間にとって必然的といってもよいものです。なぜかというと、記憶というのは、地中に埋めておいた金塊を掘り出すようなものではなくて、過去の経験を、まさに「いま」まとめる、そのつどの行為だからです。人は「いま」の関心と感情にもとづいて、たえず記憶を記憶として総括し、創作していると言ってもよいでしょう。」
音響知覚の特性のひとつとして
「なぜ音響体験が「心」や「内面」を形成する重要な条件になるかというと、音響の知覚は、必ず時間に沿った体験だからです。いっぽうで私たちの意識は、たえず時間に沿って流れています。それはそれ自体としてはストップを許しません。(略)ですから、音を聞いている体験は、私たちの意識がそれにとりついて時間の流れに沿って一緒に歩む体験そのものを意味します。それは、いつも意識の本質的な不安状態、「流れ」状態とともにあるのです。」
言語の特性をまとめて
「こうして言語行為は、ものごとの固定化と流動化の両義性をつねにもちます。つまり、言語とは、何か決まっている事柄、客観的な真理のようなものがまずあって、それを正確に音声記号に映し出すというようなものではないのです。
言語の外側の現実は、つねに混沌としています。その混沌とした現実に真実らしい輪郭を与え、その輪郭を踏まえて世界への新しいかかわり方を決めていくのは、私たちの言語行為それ自体なのです。」 -
Posted by ブクログ
ー 人は、幸福であるときには、幸福について深く考えようなどとはしない。また、不幸のどん底にあるときも、「幸福論」を手に取ってみる余裕などとても持てないだろう。「幸福論」に関心を引き寄せられるのは、これから人生に踏み出そうとしていて、自分にとって幸福な生き方とは何だろうと不安になっているときとか、人生の波風を幾らか経験してきて、自分の来し方をかみしめながら、それを踏まえてこれからどう生きていこうかと思いあぐねているときなどだ。この本は、そんな心境にある人たちに言葉を届かせたいという思いを基礎にして書かれている。 ー
小浜さんは2年前に亡くなってしまったのだが、読みやすい批評家で、そこそこ面白いことを書くので好きだったなぁ。
ただ、極端なことは書かないので、激しく共感したり、激しく反対したり感じたことがないので、作品の印象は、残念ながら残らない。
本作も、いいなぁ〜、ということは書かれているけど、強烈な印象は残さなかった。
穏やかな読書時間を感じていたい方にはちょうどよいかもね。