あらすじ
なぜ真意はうまく伝わらないのか? 「言った・言わない」の不毛な口論はなぜ起きるのか? 日常的な言葉のやりとりには、つねに誤解や不安、疑心暗鬼がつきまとう。わかりあうのは難しい。しかし、どんなに理屈や表現が正しくても意思疎通は成立しない。言語はたんなるロゴスではなく、共感には別の条件が必要だと著者は言う。言葉はコミュニケーションの道具とばかりに、スキルさえ磨けば論理的な話し上手になれると考える風潮に一石を投じる一冊。壁があってもなお、意をつくして語ろうとする姿勢の大切さを説く。会話はスキルじゃない! 理屈を超えてわかりあえる、「思い」が伝わる生の言語哲学。
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Posted by ブクログ
先日読んだ今井むつみ先生の「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」に続き、同じようなテーマで少し難しいタッチの本を読んでみた。
アプローチや表現は違えど、なるほど、結論は同じ点に収束する。
言語を語ることは、人間交流のあり方を語ることになる。
音声が先か、思想が先かと考えれば、言語の発生期を想像すると、概念がまずあって、それを音声にするために苦労したというような過程は想像しにくい。
新約聖書にあるように「はじめにことば(ロゴス)ありき。」なのではなく、古今和歌集の冒頭にあるように「ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなれりける。」のではないか。
というように展開されていき、
「言葉が理解されるためには、聞き手のうちでいったん話し手の表現行為をなぞりなおして身体化してみなくてはならず、そのためには聞き手の側に、世界を「意味」として受け取るだけの了解の構えが開かれていなくてはならないということです。」
つまり、言葉が通じない理由は言葉の外にある、という話。
今井先生のいう「スキーマが違う」と同じと思って良さそうだ。
以下、いくつかグッときた表現をメモ。
「言った・言わない」が不毛であることについて
「もともと記憶があてにならないのは、人間にとって必然的といってもよいものです。なぜかというと、記憶というのは、地中に埋めておいた金塊を掘り出すようなものではなくて、過去の経験を、まさに「いま」まとめる、そのつどの行為だからです。人は「いま」の関心と感情にもとづいて、たえず記憶を記憶として総括し、創作していると言ってもよいでしょう。」
音響知覚の特性のひとつとして
「なぜ音響体験が「心」や「内面」を形成する重要な条件になるかというと、音響の知覚は、必ず時間に沿った体験だからです。いっぽうで私たちの意識は、たえず時間に沿って流れています。それはそれ自体としてはストップを許しません。(略)ですから、音を聞いている体験は、私たちの意識がそれにとりついて時間の流れに沿って一緒に歩む体験そのものを意味します。それは、いつも意識の本質的な不安状態、「流れ」状態とともにあるのです。」
言語の特性をまとめて
「こうして言語行為は、ものごとの固定化と流動化の両義性をつねにもちます。つまり、言語とは、何か決まっている事柄、客観的な真理のようなものがまずあって、それを正確に音声記号に映し出すというようなものではないのです。
言語の外側の現実は、つねに混沌としています。その混沌とした現実に真実らしい輪郭を与え、その輪郭を踏まえて世界への新しいかかわり方を決めていくのは、私たちの言語行為それ自体なのです。」
Posted by ブクログ
厳密な議論があるわけではないけど、色んな話題が出てきて面白かった。厳密な議論を求めてしまうのも、直前に言語哲学の本を読んだからというだけのことなのかもしれない。