小浜逸郎のレビュー一覧
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具体的な問題・事例に即して「責任」のありようを論じた第1部と、「責任」についての原理的な考察が展開されている第2部から成っています。
第2部の原理論では、「責任」が問題となるような状況が立ち現われてくる理由が、うまく言い当てられているように感じました。著者は、カントの責任論が近代的人間像を前提にしていることを指摘し、そこでの「責任」が行為の前には理性的な意志が働いているはずだという虚構に基づいていると論じています。人間が自由な存在だと認めることは、この虚構を採用することにほかなりません。しかしこうした責任理解は、あることにかかわった人びとの事後の感情からはじめて責任概念が立ちあがるという現実 -
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障がい者や出生前診断、部落差別問題などをめぐって、われわれが感じる「言いにくさ」「遠慮」にひそんでいる問題を率直に提出し、それを突きつめて考えようとしている本です。
われわれが「弱者」というレッテルを貼って「聖別」をおこなうことで、ひととひととのあいだに成り立つ自然な交流が疎外され、「こわばり」を生んでいることに対して、著者は批判の矢を放っています。「予想される不幸感や大変さを避けたいと願う気持ちは、現に障害児を持っている親が、この子の障害を今すぐ取り除いてやる方法があったら、何でも試してみたいと思う心情とも同じである」と著者はいいます。そして、逃れられない現実に向きあおうとする個別的な経験 -
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センセーショナルな事件報道に基づいて「家族の危機」をあおる論調や、個人主義に基づいて日本的な家族の抑圧からの解放を主張する文化人たちの言説をしりぞけ、家族の中で自己を形成してきた実存的な立場から、日々の生活の中で家族の一員として振る舞う著者自身の実感に基づいて家族の本質をつかみ出そうとする試みです。
本書の刊行からすでに30年近くが経った現在から見たとき、やはり著者の主張の一部に時代的な制約が感じられるのも事実ではないかと思います。その一方で、家族という鈍重な制度がテーマになっているので、そう簡単に私たちの家族についての考えが変遷しないことが確かめられるともいいうるかもしれません。どっちつか -
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フェミニズムやジェンダー論と呼ばれる議論の多くは、系譜学的な権力分析をおこない、社会のなかの女性を抑圧する仕組みを批判します。こうした議論に対して著者は、現象学ないし実存論的な立場から、フェミニズムの外在的な批判が有効性をもちえないという主張を展開しています。
フェミニストは、精神分析や文化人類学の知見を動員して、この社会における男の「本質」や女の「本質」とされているものは、社会的に構成されたものにすぎないと主張します。しかし、それらの知見を援用しつつ論者たちが展望する新たな社会のあり方が説得力をもつのは、われわれの実存的な了解をくぐり抜けることによってのみだと著者はいいます。男女の間で何ら -
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現代社会におけるアクチュアルな問題に対して実存的な視座から活発な発言をおこなっている著者の思想の、とくに原理的な部分について、比較的くわしい内容が明らかにされている本です。
著者はまず、日本語の「いる」と「ある」の比較をおこなうことで、「いる」とは話し手自身の身体が語られる状況そのものに居合わせていることを意味するという、実存的な規定を引き出します。その上で、自己の身体が立ち会う実存的な状況とは、単なる知覚的な内容によって構成されているのではなく、そのときどきの情緒によって彩られていると論じられます。
このような基本的な視座に基づいて、他者との相互的な交渉の仕方が、エロス的な関係と社会的な -
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「敗戦体験を軸にして、その前後(日本近代)で、西欧的思考とひとりで格闘した創造的な思想家を選」(p.18)んで、それらの思想家の論について批判、批評を加えるもの。選ばれている思想家とは、丸山眞男(政治思想)、吉本隆明(文学思想)、時枝誠記(言語思想)、大森荘蔵(哲学思想)、小林秀雄(実存思想)、和辻哲郎(倫理思想)、福澤諭吉(社会思想)の七名。
まったくおれの勉強不足で、名前だけ知っている、という人たちばかりなので、論についていくのがやっとという感じで、難しかった。思想の内容について解説されるだけでなく、そこからさらに突っ込んで批評する部分がメインであるので、おれが消化不良を起こしてしまっ -
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①何故自分がその問いに捕まってしまったのか、その動機を考える。②簡単な解答は有り得ないと覚悟する。③問いそのものにまずい点はないかどうかを検討し、まずければ、もっとよい問い方を編み出す工夫をする。口角(こうかく)泡(あわ)を飛ば・す 興奮して口からつばきを飛ばす。激しく議論するさまにいう。包括ほうかつ ひれき【披瀝】心の中を包み隠さずに打ち明けること 生きよ、何かをなせと命じている 幼い子どもの自然な生き方 あらゆる恋愛はどんなに霊妙さを装っていても、性本能の特殊化され、個別化された姿にすぎない 次の時代の構成に他ならない 思想家ショーペンハウアー 獣姦やフェティシズム倒錯的な形態 相手を所有
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ネタバレ社会的弱者がどういうふうに作られるかを考察した本。障害者をやたらと感動ものにするメディアの演出、ダウン症児を生んだ親の覚悟への違和感、被差別部落者が差別を恩恵として行政から手厚い保護を受けている事実、など公には言えないがなんとなく言いたいことを述べた本。
若干、ぶんぶんうるさい虫を叩くようなぴしゃりとした物言いに流れることはあるが、強いて感情的な批判ではない。
最終章での「生産年齢人口」(すべての15歳以上から65歳未満まで)ではなく、「就業人口」とみなし、むやみに若年者に進学させずに職業教育を行うという考えには同意できる。これは老人はみんな養われるべきという敬老に偏りもしない。
絶対的な -
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この本は「社会的弱者」の正体を明らかにするのが趣旨ではない。社会的弱者が発生する社会構造に焦点を置いて考察するのが狙いであり、優先席問題、五体不満足、子供、部落差別といった個々の事例を分析していく。あまり表立たない話題を取り扱っているため現実離れしているという感想を持つ人もきっといる。しかし、小浜逸郎の「何だかおかしいと感じながら、私たちがそれを表明したり追究したりしない理由」という問題意識は現在も共有されてもいいはず。
小浜逸郎の問題意識は内田樹『街場のメディア論』が引き継いで語っているようにも思える。内田樹は「定型」的な文章構成に頼りジャーナリスティックを失ったメディアの態度がメディア -
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[ 内容 ]
「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。
しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?
本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。
だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。
[ 目次 ]
第1章 「言いにくさ」の由来(「弱者」というカテゴリー個別性への鈍感さ ほか)
第2章 「弱者」聖