長谷川宏のレビュー一覧
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まだそれほどくっきりと見えてもいないのに、人生について観念的に悩む時期でもある少女期に、ご多分にもれずわたしも人一倍あれこれなんだかんだと苦悩の日々を過ごしました。生きるとは・・・、愛とは・・・、死とは・・・、などの中に幸福とはということにも関心を持って、それで手にしたのがアランの『幸福論』(串田孫一・中村雄一郎訳、白水社、1975年)でした。少しして岩波文庫版(神谷幹夫訳、1998年)も手に入れました。『幸福論』は、言葉で概念を探究するものではなくて、日常生活を活き活きとさせるための、心の持ち方とか智恵を、ズバッと明確に示唆したアフォリズムが並んだ本で、すぐに私のお気に入りになりました。その
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『日本精神史』(上・下)
長谷川宏という「在野の哲学者」を見つけた。
老哲学者の博識と深い思索で鮮やかに表現する世界は心に沁みる。35章のそれぞれが一冊の本のようで読者を独特の空間に誘う。読みだすと、定説にとらわれない意表をつく論考が次から次へと示されて、これがいつまでも続いてほしいという気持ちになる。
『日本精神史 近代編』(上・下)や『ヘーゲルの歴史意識』も続けて読んでみたい。
朝日新聞の連載記事で存在を知り、読んでびっくり。今までこの人のことを知らなかった。
この本は「美術と思想と文学を主な対象として日本の人びとの精神の移り行くさまをたどる」というもの。
作者は、若い頃は本を読んでいて -
購入済み
割とおすすめかも。
哲学、それも歴史的な大家のヘーゲルが書いたものならさぞかし困難だろう…と思いましたが、翻訳家の方がなるべく哲学の専門用語を使わない、ですます調を心掛けて実際の講義のような雰囲気の文体にしてくれてる、という配慮があり、私はまだ序文を読んでいるところですが、思いの外読みやすかったです。そうは言っても西洋思想の歴史なので、物語を読むようなわけにはいきませんが。でも哲学をこれから始める人にはいい一冊ではないでしょうか。
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幸福論の西洋哲学史の解説書である。三好達治の詩やメーテルリンクの青い鳥などを取り上げてわかりやすくイメージを説明してくれる。当然ながら「幸福」の定義は時代と場所によって違う。ギリシャローマの「幸福」は神と結びついていた。神に認められることが幸福であり、徳や善から導かれる行動こそが幸福なのだ。次に近代になると社会性が現れ、そこに「共感」という概念が出てくる。カント以降、幸福は生活への満足であり道徳とは一線を引かれる。そしてアランからラッセルへ。自己への興味から外界への興味が幸福を生む。孤立や自省から逃れ、興味の対象をより広範囲に広げ好意的に捉えられるものを増やしていくことこそが幸福を獲得する方法
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・幸福とは「心身の健全さ」である
・幸福になるためにすべきことは「穏やかな前進」である
・結果的に「自分自身に対して無関心になる」ことが幸福論のゴール
「倫理的な緊張に堪え忍び、ストイックな努力を積み重ねることによって得られる価値序列の最上位に位置するもの」といった幸福観に対して、「静かで、穏やかで、身近にあるゆるやかなもの」という幸福観を比較提示しているのが本書の大枠だと思います。
何故かは分かりませんが、自分自身が前者の幸福観に支配されていたことが本書を読んで分かりました。
何というか、「幸福になれない(と感じている)のは、幸福になるのがとても大変なことだからだ」と自分に言い聞かせてい -
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ネタバレ「幸福とは何か」という壮大なテーマを扱う本書の序章で、著者は与謝蕪村の「夜色楼台図」の情景、三好達治の「雪」という詩を持ち出し、そこから著者が感じた「静けさと平穏さ」が幸せの基本的な条件ではないかという仮説を立てる。また、絵本「100万回生きたねこ」を取り上げて、描かれたねこの生涯から、ねこにとっての本当の幸せは何だったかを思索している。
そうした仮説をもとに、著者は古代ギリシャ~古代ローマ時代の哲学、18世紀の西洋近代思想、及び20世紀の西洋思想において語られる「幸福論」を検証していく。
本書で取り上げられた人物は次の通り。
■古代ギリシャ~古代ローマの哲学
ソロン
ソクラテス
アリスト -
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まず竹田青嗣氏の「超解読!はじめてのフッサール『現象学の理念』」を先に読んでいたので、比較的文意を理解しやすかったように思う。
ただ、竹田氏の解釈と比較しながらフッサールの思索の軌跡を追っていったつもりではあるが、どうしても竹田氏の解釈に僕の思考が引っ張られた感は否めない。
そこを前提としての所感になるが、フッサールがエポケー(判断停止)によって自然的超越(外界の事物)を本来的認識の明証性の議論から排去したことと、その上ですべての認識は内在における「あたえられかた」の直感とその様々な様相の構成によって明晰な妥当性を得るというフッサールの現象学的還元の要諦は読み取れたように思う。
ただ、本書 -
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ヘーゲルの入門書。タイトルの「新しい」の意は、やたら韜晦な感じがするヘーゲル像の刷新を図る、ぐらいのものだろう。その方法論は、新たなヘーゲル解釈を打ち出す、とかではなくて、平易な言葉でヘーゲルの思想を辿る、というもの。実際、かなり気楽に読める。
著者は「あとがき」で、「この小著でヘーゲルを論じつくすことなどとうてい無理だが、その壮大な体系がどういう問題意識と構想のもとになりたっているかを大づかみにはできるよう工夫したつもりである」と書いているが、その狙いは十分達せられていると思う。良くも悪くも「浅く、広く」といった感じだ。入門書としては申し分ないが、やはり本書を足掛かりにヘーゲル自身の著作に -
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やしいく読みやすい平易な言葉で書くのだと、はじめに書かれてたのに。西洋哲学を何か立派なものとして拝み奉る為に、分かりにくい言葉を使っていると、これまでのヘーゲルに対する日本での扱いを否定的にはじめにではかかれていたのに。本論に入ると、とっても哲学してました。その中でも、印象に残ったところ(理解できたところ?)を書いておく。
思考の旅は知への旅である。歴史の中に脈々と流れる知にたどり着く旅であると。その思考の旅が行き着く先に、歴史の大河がありそこに至って絶対知を会得するとともに、歴史の知である学問が現れる。
ルターの宗教革命は、神と聖書というよりどころを残しはしたが、そのルターが行ったことが、人 -
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ダンス、装飾、詩、雄弁、音楽、演劇、建築、彫刻、絵画、デッサン、散文。以上の創作活動について、体系的な位置づけや意義について詳細に論じている。ただし、この体系は一般的なものではなく、あくまでもアラン先生独自の理解と解釈に基づく。上記の順番にも意味があり、動的な芸術から静的な芸術に至る連続性を保った位置づけを展開。ここが非常に興味深いところで、あらゆる分野の「体系」や「分類」といった考え方一般への興味も奮い立たせてくれるものだ。第一次世界大戦兵役中に書かれたこともあって、人生論的な内容もみられるが、これと芸術との関連性も大きな読みどころである。「幸福論」のように短い形式というわけではないが、難
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「しかし、言葉を発するとは誰かに語りかけることであり、誰かのために思うことである。この誰かは、つねにその人と特定された誰かであり、一般化された誰かとして耳だけをもつのではなく、口も具えているのだ」。本書を読んでいるあいだ脳裏に去来したのは、ここに引いた、ローゼンツヴァイクが「新しい思考」のなかに記したこの言葉である。言葉は伝達の手段として機能するばかりではない。言葉は、誰かへ向けて発せられ、その誰かとの関係を取り結んでいく。そうした生きた働きのうちにあるものを掘り下げることなく、言葉そのものを問うことはできない。このことを銘記しながら著者は、言語が人と人のあいだで語られるという出来事を、「言
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カントより後代の哲学者でありながら、思索を突き詰めることで理性批判に達したカントに対して、理性にもっと大きな希望と期待を寄せた哲学者ヘーゲル。
ギリシャ芸術とプロテスタントに傾倒し、知と個に対する揺らぎ無き信念を持ち続けたその思想は、確かに当時代的で楽観的なインテリの雰囲気も感じられる。その後の近現代思想家達の批判の対象となったことも止むを得ないのかもしれない。
それでも「理性と知こそが現実である」という意見には、現代の人間も殆ど失いつつある、知性への自信を取り戻させてくれるような魅力を感じずにはいられない。時代が繰り返すのであれば、もしかしてもう一度、そんな理性と知の時代が来るのかもしれ