長谷川宏のレビュー一覧

  • 経済学・哲学草稿

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    岩波版の「経済学・哲学草稿」を一度通読した限りでは、さっぱりわからない事が多かったものの、光文社版では非常にわかり易い文章となっていた。
    マルクスの文章はまだ岩波版が多勢を占めているが、数少ない光文社版であることからも、初めてマルクスを読む人はこれがいいかもしれない。

    個人的には、経済学的思索の部分より哲学的思索の部分のほうが興味を持てた。例えばマルクスは、「資本主義のもとでは、労働者が作った商品が自分のものにならないことに『疎外』がある」と云った。元々労働は自分の為にあるのに、他人に強制されることは非人間的で非自然的である、ということだ。

    その疎外を克服するところに、社会主義があり、共産主義がある、ということになる。

    また「自然的性質」「人間的性質」を混同させ転倒させ、全てを金銭の関係に変えてしまうところに、貨幣の恐ろしさがある。かつこれは労働による疎外によって生まれるから、これは疎外そのものだ。
    以上がこれを読んで大体把握できたことである。

    最後にひとつだけ。相変わらずヘーゲルの精神現象学のページは、相変わらずよく分からなかったが、マルクスを通じて大体を把握した。ヘーゲルは抽象的精神的な段階でしか話をしないが、マルクスはそれを現実の話にまで持ってきたといころに意味があるようだ。

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    2010年11月01日
  • 高校生のための哲学入門

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    [ 内容 ]
    「自分」とは、「社会」とは。
    私たちの「生きにくさ」はどこから来ているのか。
    難解な語を排し、日常の言葉で綴る待望の哲学入門。

    [ 目次 ]
    第1章 自分と向き合う
    第2章 人と交わる
    第3章 社会の目
    第4章 遊ぶ
    第5章 老いと死
    第6章 芸術を楽しむ
    第7章 宗教の遠さと近さ
    第8章 知と思考の力

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2014年10月28日
  • 高校生のための哲学入門

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    「高校生のための」と前書きしてありますが、アイデンティティーに揺れる青年期の人たちだけでなく、或る程度事故を確立したと考えて日々を淡々と営んでいる人も揺るがせる、貴重な著作だと思います。

    抽象的な知と思考の在り方をどう具体化し、現実世界に生かしていくかを追求し続ける著者の姿は、宮城谷昌光作品の主人公たちの生き様を思い出させました。そのときそのとき、一瞬一瞬をどう生きるのかという問いに全身で答え(応え)ようとする身の処し方だと思います。

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    2010年05月21日
  • 新しいヘーゲル

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    一応望みうる最もわかりやすいヘーゲルの入門書。わかりやすいといっても、これくらいには難しくはなってしまう。

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    2009年11月19日
  • 芸術の体系

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    まだそれほどくっきりと見えてもいないのに、人生について観念的に悩む時期でもある少女期に、ご多分にもれずわたしも人一倍あれこれなんだかんだと苦悩の日々を過ごしました。生きるとは・・・、愛とは・・・、死とは・・・、などの中に幸福とはということにも関心を持って、それで手にしたのがアランの『幸福論』(串田孫一・中村雄一郎訳、白水社、1975年)でした。少しして岩波文庫版(神谷幹夫訳、1998年)も手に入れました。『幸福論』は、言葉で概念を探究するものではなくて、日常生活を活き活きとさせるための、心の持ち方とか智恵を、ズバッと明確に示唆したアフォリズムが並んだ本で、すぐに私のお気に入りになりました。その後、このアランは、本名エミール・オーギュスト・シャルティエというフランスのリセの哲学教師で、我が愛するシモーヌ・ヴェイユの先生だったということを知った私は、彼女と同じようにアランに直接教わるようにしようと、真っ白いノートに向かって、ことばの概念とか自己省察とか社会や現象の定義などを書き留めるようになりました。たしかにあの時期、私はシモーヌ・ヴェイユになりたくてたまらなくて、顔とか髪とか服装とか身の回りをなるべくまったく気にせず、難民の子供たちが餓死していると聞くとお小遣いを募金したり、自分もあまり食べないでおこうとして栄養失調になったり、よくわかりもしないのに何冊ものむずかしい哲学書を開いたりしていました。もし許されれば、銃を持ってどこかの戦線に志願していたかもしれません。それはともかく、こうして小学生のころにしてきた、日記というものに、ありのままを書くという行為は、中学生になって思惟・省察ノートというものに、分析・内省するという行為に変わっていきました。そのようにして、まさに幸福なことに、私にとって哲学とは、何もむずかしい用語を覚えたり、それを駆使して論難したり新しがったりするものではなく、自分のことばでいかに精一杯いいつくそうとするかという、日常の分析的な行為として始まったのです。そして、その後、読み切れなかったヘーゲルを平易に読みやすく教えてもらったのが、この本の訳者の長谷川平蔵じゃなかった長谷川宏センセなのです。最初に読んだ『諸芸術の体系』(桑原武夫訳、岩波書店、1978年)にくらべて、なんと本書の読みやすくてスラスラ入って来ることでしょうか。もしかして私は、この本で、ダンス・詩・音楽・演劇・建築・彫刻・絵画・デッサン・散文・行進・曲芸など、わたしたちが人間として生きる日常生活のなかに、ありとあらゆる芸術と接することの大切さを教えてくれたアランの啓示通りに生きてきたのかもしれません。あるいは、シモーヌ・ヴェイユが、アランの第一次世界大戦へ志願兵として従軍したことにならんで、スペイン内戦に人民戦線派義勇兵として志願したひそみにならって。

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    2011年07月19日
  • 哲学史講義 III

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    キリスト教が西洋に根づいた時代の哲学。
    神と個人、その中間に宿る精神。
    客観的現実が神という手の中に収斂し、ルターが切り開いたプロテスタンティズムがテクスト読解をより深く丹念に進める。文字こそが人間の精神を神に近づける。
    四巻目が楽しみ。

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    2025年12月02日
  • 経済学・哲学草稿

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    大学のマルクス経済学で購入した本。
    資本論につながる前段としての本であり、資本家が労働をせずに儲けられる仕組みが詳しく書かれている。

    資本主義経済の仕組みとその悪用について言及されており、少し内容は難しいが、物の価値という観点からも読み解くことができる面白い本。

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    2024年09月15日
  • 日本精神史(下)

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    『日本精神史』(上・下)
    長谷川宏という「在野の哲学者」を見つけた。
    老哲学者の博識と深い思索で鮮やかに表現する世界は心に沁みる。35章のそれぞれが一冊の本のようで読者を独特の空間に誘う。読みだすと、定説にとらわれない意表をつく論考が次から次へと示されて、これがいつまでも続いてほしいという気持ちになる。
    『日本精神史 近代編』(上・下)や『ヘーゲルの歴史意識』も続けて読んでみたい。
    朝日新聞の連載記事で存在を知り、読んでびっくり。今までこの人のことを知らなかった。

    この本は「美術と思想と文学を主な対象として日本の人びとの精神の移り行くさまをたどる」というもの。
    作者は、若い頃は本を読んでいて体が熱くなることがよくあったが、齢80代で自分の書いているものを読んでいて「心が波立つ経験」をしたので書いていた時も「波立っていたのかもしれない」と。
    2015年の初版を‘23年に文庫本にするために読み返した時の気持ちを「まえがき」に書いている。

    4500年前の三内丸山遺跡の巨大建造物が「当時の人びとの共同の生命力と精神力の結晶として聳え立ちつつ同時に人びとに生きる力をあたえる美しい造形物として近くから遠くから眺められた」・・・第1章
    火焔土器の「造形意思の強靭さと想像力の雄渾と技術の確かさに驚かざるをえない」・・・第2章
    銅鐸、古墳、仏教の受容-霊信仰と仏像崇拝、『古事記』 ‥‥『万葉集』‥‥最澄と空海、『古今和歌集』と『伊勢物語』‥‥『枕草子』と『源氏物語』‥‥
    法然と親鸞‥‥『平家物語』‥‥能と狂言‥‥江戸の儒学‥‥本居宣長、浮世絵の成立と展開、鶴屋南北『東海道四谷怪談』等々   上・下 全35章

    作者は最後に「日本精神史の数千年に及ぶ長い旅で人間の、人々の精神そのものが豊かであること、精神は一国や一地域の精神を超えた普遍的な精神であるとの思いが育まれた」と書いている。
    日本の政治・文化の歴史に人の温もりを通わせる佳作で、読み応えのある作品であった。
    ”心が波立つ体験”のおこぼれに与った。




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    2024年09月01日
  • 哲学史講義 I 試し読み増量版

    購入済み

    割とおすすめかも。

    哲学、それも歴史的な大家のヘーゲルが書いたものならさぞかし困難だろう…と思いましたが、翻訳家の方がなるべく哲学の専門用語を使わない、ですます調を心掛けて実際の講義のような雰囲気の文体にしてくれてる、という配慮があり、私はまだ序文を読んでいるところですが、思いの外読みやすかったです。そうは言っても西洋思想の歴史なので、物語を読むようなわけにはいきませんが。でも哲学をこれから始める人にはいい一冊ではないでしょうか。

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    2023年10月21日
  • 幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで

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    幸福論の西洋哲学史の解説書である。三好達治の詩やメーテルリンクの青い鳥などを取り上げてわかりやすくイメージを説明してくれる。当然ながら「幸福」の定義は時代と場所によって違う。ギリシャローマの「幸福」は神と結びついていた。神に認められることが幸福であり、徳や善から導かれる行動こそが幸福なのだ。次に近代になると社会性が現れ、そこに「共感」という概念が出てくる。カント以降、幸福は生活への満足であり道徳とは一線を引かれる。そしてアランからラッセルへ。自己への興味から外界への興味が幸福を生む。孤立や自省から逃れ、興味の対象をより広範囲に広げ好意的に捉えられるものを増やしていくことこそが幸福を獲得する方法となる。近代以降、進化が良いことという思い込みに囚われて進化の奴隷となってきた現代人にとって、文明の発展が人々の孤立と自閉を生み出しているという悲観的な現代で締めくくられる。しかしラッセルが「幸福論」を書いたのは100年近く前。現代を語るのに現代哲学にまったく触れないのは物足りない。著者が高齢なこともあるだろうが現代に対してなぜこうも悲観的なのか。光はないのか。

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    2023年08月19日
  • 幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで

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    ・幸福とは「心身の健全さ」である
    ・幸福になるためにすべきことは「穏やかな前進」である
    ・結果的に「自分自身に対して無関心になる」ことが幸福論のゴール

    「倫理的な緊張に堪え忍び、ストイックな努力を積み重ねることによって得られる価値序列の最上位に位置するもの」といった幸福観に対して、「静かで、穏やかで、身近にあるゆるやかなもの」という幸福観を比較提示しているのが本書の大枠だと思います。

    何故かは分かりませんが、自分自身が前者の幸福観に支配されていたことが本書を読んで分かりました。
    何というか、「幸福になれない(と感じている)のは、幸福になるのがとても大変なことだからだ」と自分に言い聞かせていたような気がしました。
    「幸福とは身近なものであり、だからといって簡単に手に入るものではないけれど、少なくとも修行のような人生を経なければ得られないような高みにあるものではない」というのが、本書を読んで感じた幸福に対するイメージです。


    幸福になるためにすべきことを一言でまとめると、「穏やかな前進」になるかと思いました。
    本書から得た気付きは2点あり、一つは「幸福とは瞬間ではなく期間に対する言葉である」こと、もう一つは「幸福には成立と持続の2側面がある」ことです。
    よく「幸福は"ある"ものだ」という意見と、「幸福は"なる"ものだ」という意見の対立を見ることがありますが、前者は幸福の「成立」に、後者は幸福の「持続」に対応しているのかと思いました。
    それらはどちらが正しいというものではなく、幸福を構成する2側面であると考えると、辻褄が合うような気がしました。
    つまり、幸福で"ある"ために「身近にある心の穏やかさの重要性に気づく」必要があり、また幸福に"なる"(幸福である状態を持続する)ために「外への興味・関心に集中し、小さな前進の努力を重ねる」必要があるのだと理解しました。
    これらを一つにまとめると、「穏やかな前進」になりました。
    本書を読んで幸福というとらえどころの無いものに対する見方がかなり定まったように思います。


    やはり色々考えても幸福というものはなかなか判然とせず、雲を掴むような感覚を感じるなぁと思います。
    幸福論と哲学的思考は相性が悪い、と本書に書かれていましたが、全くその通りだなと思います。
    幸福について真剣に考えた結果よく分からなくなった、という体験自体が大きな学びかなと思い始めました。
    自己の内面に向きすぎると必ず不幸になる、という話からも、「幸福って何だろう?」なんていう取り留めもない考えはほどほどにして、「幸福とかよく分からんけどとりあえず外の世界にある面白そうなものを探そう」というのが明日からの心構えになりそうです。

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    2022年09月25日
  • 新しいヘーゲル

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    ヘーゲルと言えば弁証法だが、その弁証法の意味が、ヘーゲルの生きた時代の解説を通して本書で体験できた。


    近代的個人とはなにか、という問題意識に貫かれている。
    日本の文明開化はヘーゲル哲学で多くが説明できる。
    ドイツにおけるナチスの登場は近代とはなんなのか?という問いに明確な答えを出せなくなっているが、諦めてはいけないというヘーゲリアンの主張だ。

    キルケゴール、マルクス、メルロ=ポンティ、フロイト、ニーチェ、ハイデガー、レヴィ=ストロースが最後に登場。

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    2022年09月06日
  • 幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで

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    ネタバレ

    「幸福とは何か」という壮大なテーマを扱う本書の序章で、著者は与謝蕪村の「夜色楼台図」の情景、三好達治の「雪」という詩を持ち出し、そこから著者が感じた「静けさと平穏さ」が幸せの基本的な条件ではないかという仮説を立てる。また、絵本「100万回生きたねこ」を取り上げて、描かれたねこの生涯から、ねこにとっての本当の幸せは何だったかを思索している。

    そうした仮説をもとに、著者は古代ギリシャ~古代ローマ時代の哲学、18世紀の西洋近代思想、及び20世紀の西洋思想において語られる「幸福論」を検証していく。

    本書で取り上げられた人物は次の通り。
    ■古代ギリシャ~古代ローマの哲学
    ソロン
    ソクラテス
    アリストテレス
    エピクロス
    セネカ

    ■18世紀の近代西洋思想
    ヒューム
    アダム・スミス
    カント
    ベンサム

    ■20世紀の西洋思想
    メーテルリンク
    アラン
    ラッセル

    ソロンは政治権力や社会的栄達(クロイソス王)をただちに幸福とするよりも、一人の人間(戦士テッロス)の生涯を通して幸福を考えるべきだと考えた。

    ソクラテスは「知」や自ら信じる「正義」のために、死をも恐れることなく生涯を終えた。客観的にみれば、死を選択したソクラテスは不幸のように思えるかもしれないが、当の本人は「知」や「正義」のために生き切ったことがむしろ幸福であったのだということを述べている。

    アリストテレスの「二コマコス倫理学」(=「徳」とは何か、立派な生き方、優れた行いを問う)において、徳を考えた生き方や行動の目的を「善」とし、その最高善が「幸福」と考えられている。徳ある人は、善のために生き、行動し、究極的には幸福のために生き、行動するということだろうか。そうであれば納得できるが、著者はアリストテレスの観想的な幸福論にはやや否定的のようである。

    エピクロスは、個人の感覚を重視する。次の言葉が分かりやすかった。
    「幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである。」

    また、「快とは祝福ある生の始めであり終わりである」「身体の健康と心身の平静こそが祝福ある生の目的だ」という言葉も印象的だ。

    セネカは「幸福な人生について」でこう述べていた。
    「我々は自然を指導者として用いねばならないのである。理性は自然を尊重し、自然から助言を求める。それゆえ、幸福に生きるということは、とりもなおさず自然に従って生きることである。」「外的なものを求めるがよい。しかし理性は再び自らの中に立ち帰らねばならない。」

    ソクラテスやアリストテレスが都市国家(共同社会)の一員として生きることが、正義であり善の追究であったが、暴君ネロに仕え自殺に追いやられたセネカには、共同社会を離れた一個の生活における幸福への視点がある。

    ヒュームの思想は、やや極端に感じられた。経験から得られる「印象」「感情」がすべてであるという。「感情」と「理性」という対比については、「感情」のほうが優位と考える。経験から理論や法則へと向かうのが哲学や科学の一般であるのに対し、ヒュームは頑なに経験の領域に踏みとどまろうとする。

    「幸福」ということについていえば、「幸福論」というものはなく、経験の中で「幸福」と感じた瞬間が「幸福」だということになるだろうか。

    「国富論」で著名なアダム・スミスもヒュームと同じくイギリス経験論者の一人であるが、そのスミスは「共感」ということを軸においていた。人間が他人とかかわり、社会とかかわる中で「共感」する生き方は、感情的にもまた行動面においても幸福の可能性を秘めたものであると考えていた。

    カントは、行動の是非善悪を左右する道徳的法則は、個人の理性が己の中から紡ぎだすものであると考える。すなわち理性には自由があり、自らの意思でそれを紡ぎだす内発的、自主的なものであるとする。

    カントは「幸福を望むことは人間の本性であるが、だからといってそれは義務でもなく、目的とすべきことでもない」という趣旨のことを言っている。

    幸福は意志によるもの、自己選択によるものととらえてよいだろうか。

    ベンサムの言葉に「最大多数の最大幸福」という言葉がある。功利主義の代名詞的な言葉であり、その着眼は経済活動に軸足を置いている。「利益、快楽、善、幸福」vs.「損害、苦痛、悪、不幸」の構図がある。

    「何をもって幸福が成り立つかといえば、快楽を享受することと苦痛を感じないでいられることがそれだ」

    この考えを個人にのみ適用しているうちはよいが、ベンサムは個人の幸福の総和が共同体の幸福と考え、共同体の幸福を重視することで、一部の個人の不幸に目をつぶろうとする不合理さがあると思える。これは、今の現実社会にも実際に存在することだ。

    メーテルリンクの「青い鳥」。青い鳥は「幸福」の象徴として描かれている。捕まえたと思ったら、逃げられていた。それでも思いもよらぬところで見つけることもできる。「幸福」を掴むことは難しいけれども、「希望」を失わないで求め続ける姿を現しているようでもある。

    現代の幸福論として、アランの幸福論とラッセルの幸福論が紹介されている。

    アランの幸福論は、日常の出来事の中に感じられる幸福について述べられた言わばエッセイ的なもの(プロポ)の寄せ集めである。

    「幸福は私たちのもとからいつでも逃げていくといわれる。人からもらった幸福についてはそれは本当だ。人からもらう幸福など存在しないからだ。しかし、自分の作り出した幸福はだましたりしない。それは学ことであり、人はいつでも学んでいるのだから」

    また「自分の心と体を落ち着きのある安定した状態に置き、冷静に外界と対峙する。それが人間にふさわしい一の取り方だ」とアランは言う。

    自他ともの幸福という発想がある。相手の幸福を思い、それが達成されることが自分の幸福につながるという発想だ。それをさらに発展させ、相手も自分の幸福を願い、その達成によって自らの幸福を得ようとしている。そうであるならば、自分の幸福は他人に対する義務でもあるという。この発想にははっとさせられた。

    最後にラッセル。
    一見深刻そうに見える不幸についても、その不幸を脱することは可能であり、不幸を幸福に転じることは可能だと考える。不幸の大半はまちがった世界観、まちがった倫理、まちがった生活習慣によるもので、それらを正すことができるのだという。

    現代でいうならば、外界とのつながりが希薄となり、疎外感に見舞われた自閉状態がある現実に対し、外界に興味をもつことが幸福獲得への一歩であるというのがラッセルの考えだ。

    西洋の幸福論を概略的に学ぶことができ、それぞれに共通する視点もあるし、着眼点が異なるということも感じられた。そのなかで、ただ座して「幸福」が得られるというものではないということに確信がもてたことと、「幸福」の機会は、誰にも平等に与えられているものであるということが再確認できたように感じる。

    先人の言葉をヒントに、我々が自らが進めていくものであるのかな。

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    2021年12月01日
  • 現象学の理念

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    まず竹田青嗣氏の「超解読!はじめてのフッサール『現象学の理念』」を先に読んでいたので、比較的文意を理解しやすかったように思う。
    ただ、竹田氏の解釈と比較しながらフッサールの思索の軌跡を追っていったつもりではあるが、どうしても竹田氏の解釈に僕の思考が引っ張られた感は否めない。

    そこを前提としての所感になるが、フッサールがエポケー(判断停止)によって自然的超越(外界の事物)を本来的認識の明証性の議論から排去したことと、その上ですべての認識は内在における「あたえられかた」の直感とその様々な様相の構成によって明晰な妥当性を得るというフッサールの現象学的還元の要諦は読み取れたように思う。

    ただ、本書はフッサール現象学の初期の、学生に向けて編まれた講義録であるが故に、論を立てるに当たっての注意深い(取りようによっては迷走的な)既存の認識論(デカルトのコギトエラズム、カントの悟性、科学主義、心理学などを含む)が行なった主客的中の方法論を退ける要素に多くの字数を割いており、肝心の現象学的還元の具体的な方法についてはまだ入り口に立ったところ、即ち、序章というふうな印象を受けた。

    また、5章における内在への対象の明晰な「あたえられかた」が個的なものから一般へと構成される(たとえば、家の様々なパーツの色や形の記号的な認識から家という一般認識が内在において純粋に明証的に構成される)といった考え方は、現代の機能脳科学における認識の段階的な成立の仕方と類似した構造を持つように思った。たとえば、バラバラな部分の認識を統合して意味のあるひとかたまりの事物を認識するゲシュタルトは、フッサールの現象学的還元による内在的認識の構成に似ているのではと。それに連関して、人間の脳内における主観が主導しない認識の構築方法は、現代の人工知能(AI)研究にも繋がるように思う。

    フッサールをもう少し踏み込んで咀嚼するためには、「イデーン」の通読が必要と感じた。

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    2020年02月07日
  • 新しいヘーゲル

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    ヘーゲルの思想が現代にどう繋がっているか、歴史のダイナミズムに沿って詳述されており、近代哲学に至る流れを大局的視点から外観できる良書。

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    2019年10月06日
  • 幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで

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    プラトン・アリストテレスの古代から、西洋近代、20世紀の哲学者まで、幸福についての捉え方がまとまっていて勉強になります。

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    2019年07月16日
  • 幸福とは何か ソクラテスからアラン、ラッセルまで

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    「幸福」とは何か。巻頭に掲載された水墨画に見せながら、時には詩文を読ませながら、「幸福」の問題へといざなう。人単位の論考なので、ぶつ切れ感はあるものの、各人の考え方がよくわかる。やはり、「幸福」は至極個人的な状態なのである。

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    2018年08月20日
  • 丸山眞男をどう読むか

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    「丸山眞男における具体的な民衆像の欠如」という一文、そしてそれをもたらす丸山の「民衆の生活への異和感」を指摘したのは、本著者の質実な生活が可能にした極めて重大な、決定的な指摘。それだけで十分価値ある一本。

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    2017年06月27日
  • 新しいヘーゲル

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    ヘーゲルの入門書。タイトルの「新しい」の意は、やたら韜晦な感じがするヘーゲル像の刷新を図る、ぐらいのものだろう。その方法論は、新たなヘーゲル解釈を打ち出す、とかではなくて、平易な言葉でヘーゲルの思想を辿る、というもの。実際、かなり気楽に読める。

    著者は「あとがき」で、「この小著でヘーゲルを論じつくすことなどとうてい無理だが、その壮大な体系がどういう問題意識と構想のもとになりたっているかを大づかみにはできるよう工夫したつもりである」と書いているが、その狙いは十分達せられていると思う。良くも悪くも「浅く、広く」といった感じだ。入門書としては申し分ないが、やはり本書を足掛かりにヘーゲル自身の著作に挑んでいくことが大事なのだろう。

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    2017年02月08日
  • 新しいヘーゲル

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    やしいく読みやすい平易な言葉で書くのだと、はじめに書かれてたのに。西洋哲学を何か立派なものとして拝み奉る為に、分かりにくい言葉を使っていると、これまでのヘーゲルに対する日本での扱いを否定的にはじめにではかかれていたのに。本論に入ると、とっても哲学してました。その中でも、印象に残ったところ(理解できたところ?)を書いておく。
    思考の旅は知への旅である。歴史の中に脈々と流れる知にたどり着く旅であると。その思考の旅が行き着く先に、歴史の大河がありそこに至って絶対知を会得するとともに、歴史の知である学問が現れる。
    ルターの宗教革命は、神と聖書というよりどころを残しはしたが、そのルターが行ったことが、人を思考の、精神的な独立した個人として浮き立たせることになった。近代哲学は、そのルターが残した神と聖書すらも否定し、自己の精神にとことん向き合う方向に至ったがヘーゲルは、ルター派であり、言及し評価することにはやぶさかではなかったが、一線を画した。
    そして、ヘーゲルを否定する形で、キルケゴールの不安を基底とした哲学が、マルクスの資本論が生まれていく。
    僕は弁証法とは何かを知りたくてこの本を読んだが、違う知識を得たようだ。楽しかった。

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    2016年05月28日