長谷川宏のレビュー一覧
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私は今まで哲学を学ぶにつけてある重大なことを蔑ろにしてきたことを告白せねばならない。それというのは、「最初の哲学はもっともまずしく、もっとも抽象的」だということ、或いは「哲学の発展ということを考えれば、古代の哲学的教養がいまだ把握するに至っていない概念内容をもちだしてきて、古代哲学にそれがないと非難するようなことは許されない」ということ、そして、「深い明確な概念を所持する今日の精神に、以前の哲学が満足をあたえることはありえない。」ということである。
これは、私がプラトン、ヒューム、ルソーといった名だたる哲学史の名雄達を相手にした時に、その名声と比較した時の驚愕の、新鮮の度合いの相対的少なさを感 -
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本を読みながら、印象に残った箇所、覚えておきたい箇所をノートに写すようにしているのだけれど、この本は、全部写したくなるくらい最初から最後まで感動的な一冊だった。クセノフォン、エピクロス、セネカなど古代ギリシャから始まり、ベーコン、デカルト、ヒュームなど西洋近代を経て、アダム・スミス、カント、アラン、ラッセルの幸福論を復習っていく。時代とともに人々が「幸福」という観念に見出すものが移り変わることを学び、それを経て、2023年の今、どういう状態が「幸福」と言えるのかを考察する。
最も印象に残ったのは本の後半、「幸福」と「自由」、「幸福」と「思考」あるいは「理論」がそれぞれ相反する観念であるとい -
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本書はヘーゲルの本の翻訳などで知られている長谷川氏による「幸福論」の概説です。本書では、ソクラテスから始まり、アリストテレス、セネカ、そしてヒューム、アダム・スミス、ベンサムを経て、20世紀のアラン、ラッセルにいたる哲学者が幸福をどう捉えていたか、を解説しつつ、実は長谷川氏本人の「幸福論」も展開されている本です。結論から言えば非常に満足していますし、長谷川氏が冒頭に述べている「静かで平穏で身近」なところに幸せはある、という主張に100%同意できました。しかし、めまぐるしく外部環境が変化し、競争や効率性に対する強迫観念が渦巻いている現代社会に生きる我々からすれば、「静かで平穏で身近なところにある
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ヘーゲル「精神現象学」にトライするための前段として購入。著者は言わずと知れたヘーゲル研究の泰斗。本書は著者が「精神現象学」を訳出する前年に出版されている(ただし僕が読もうと考えているのは熊野純一のちくま学芸文庫版。やはり時点が新しいのと、なんと言っても嵩張らないサイズであるが大きい)。内容は非常に平易で読みやすく、今となってはややストレートにすぎる議論もあるが、単純に面白くて思わず一気読み。精神現象学はもう別に読まなくてもいいかも、とすら思ったほど(いかんいかん)。
まず著者が主張するのは、ヘーゲルの難解さはヘーゲル自身の著作にあるのではなく、特に日本の研究者に救いがたく根差す教養主義、 -
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「経済学・哲学草稿」は、昔、岩波文庫を買ったことがあり、長い間――数十年間(笑)――持っていたのだが、結局、中をチラと覗いたっきり、1ページも読まないで棄ててしまった。
なぜ読まなかったかといえば、もちろん難しかったから。
いや、1ページも読んでないんで、難しかったかどうかもわからん。
難しそうに感じたからというのが正確か。なんか漢字も多かったし。
そして実際読んでもやっぱり難しかったはずである。
なんせマルクスの本ですから。
ところで、長谷川宏という人の名前は、ヘーゲルをわかりやすく訳した人らしいということをどこかで聞いていて、光文社古典新訳文庫もなかなか粒のそろったラインナップで、 -
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マルクスが26歳の時に書き著した草案。
全体を通して感じることは、
労働者の隷属状態に対しての批判。
これが書かれたのは1844年。
産業革命は1700年代後半からイギリスでおこっていった。
マルクスはドイツ人だ。
この時にはドイツにも産業革命の波は届いていただろう。
波とは、工業化の波である。
前提として意識しておきたいのは、マルクスの批判しているのはこの時代の主産業が工業であるということだ。
工場というのは、
なるだけ24時間フル稼働させている方が工場にとって利益が出る構造になっている。
すなわち、労働者にとっての長時間労働が工場主にとっての利益につながる。
自然と労働者を -
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近代が持つ様々な政治的、文化的、社会的イメージと、ヘーゲルの生み出した思想とがいかに重なっているかが分かる。
現代においても学校や職場など建前上は近代主義の思想に満ち溢れている。近代的理性を持つ自由な意思の集合体が、素晴らしい社会や国家を形成するという。
この建前が存在しなくなると、選挙制度すら足元を揺さぶられそうだ。
いくらニーチェやキルケゴールやハイデガーたちが後世に現れて批判を繰り返そうとも、近代という思想はそれほど堅牢な思想だということだ。
現在の社会制度を見る限り、根本的に取って代わる思想は存在しない。
普段の身の回りの生活の影にヘーゲルがちらついて見えるようになった。 -
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読みやすさに定評のある長谷川訳ではあるが、ついに読み通すことができたという感慨がある。
経済学のほうはたいして見るべきことはない。経済学史の授業で習うような事がわかっていればよいのだろう。
面白いのは、マルクスの疎外、外化の概念や類的存在の概念が説明されているところと、さらに面白いヘーゲル批判である。
マルクスのヘーゲル批判は、まず、マルクスは人間と生活手段を非理性的なもの、ヘーゲルは理性的になりうるものと考えていたという前提の違いから始まる。そしてマルクスは、ヘーゲルの論は意識に始まり精神で終わり、理念の域を出ないものであると批判する。さらに進んで価値の点で、ヘーゲルの考える人間は神、絶対知 -
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岩波版の「経済学・哲学草稿」を一度通読した限りでは、さっぱりわからない事が多かったものの、光文社版では非常にわかり易い文章となっていた。
マルクスの文章はまだ岩波版が多勢を占めているが、数少ない光文社版であることからも、初めてマルクスを読む人はこれがいいかもしれない。
個人的には、経済学的思索の部分より哲学的思索の部分のほうが興味を持てた。例えばマルクスは、「資本主義のもとでは、労働者が作った商品が自分のものにならないことに『疎外』がある」と云った。元々労働は自分の為にあるのに、他人に強制されることは非人間的で非自然的である、ということだ。
その疎外を克服するところに、社会主義があり -
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[ 内容 ]
「自分」とは、「社会」とは。
私たちの「生きにくさ」はどこから来ているのか。
難解な語を排し、日常の言葉で綴る待望の哲学入門。
[ 目次 ]
第1章 自分と向き合う
第2章 人と交わる
第3章 社会の目
第4章 遊ぶ
第5章 老いと死
第6章 芸術を楽しむ
第7章 宗教の遠さと近さ
第8章 知と思考の力
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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読書の速度(時間がかかった