【感想・ネタバレ】現象学の理念のレビュー

あらすじ

現象学とは何か。
現代思想に絶大な影響を与えるその要諦をフッサール自身が解きあかす必読の入門書。
各紙誌が絶賛する分かりやすい新訳。

【内容目次】
編者の緒論
現象学の理念(五つの講義)
五つの講義の思考のあゆみ
A.現象学的考察の第一段階
B.現象学的考察の第二段階
C.現象学的考察の第三段階
講義一
自然的な思考態度と学問
哲学的(反省的)な思考態度
自然的立場における認識反省の矛盾
真の認識批判の二重の課題
認識の現象学としての真の認識批判
哲学のあらたな次元、学問に対立する哲学固有の方法
講義二
認識批判のはじまり――あらゆる知識を疑うこと
デカルトの懐疑考察にふれつつ絶対確実な土台を獲得すること
絶対的所与の領域
反復と補足――認識批判の可能性を否定する議論の否定
自然的認識の謎――超越
内在と超越の区別
認識批判の第一の問題――超越的認識の可能性
認識論的還元の原理
講義三
認識論的還元の実行――すべての超越物の排去
探究の主題――純粋な現象
絶対的な現象の「客観的妥当性」
個別の所与に問題を限定できないこと――本質認識としての現象学的認識
「アプリオリ」のふたつの意味
講義四
志向性を軸にした探究領域の拡大
一般的なもののほんものとしてのあたえられかた――本質分析の哲学的方法
明証性の感情論の批判―ほんもののあたえられかたとしての明証性
実在的内在の領域に視野を限定すべきではないこと――ほんものとしてのあたえられかたすべてが主題となる
講義五
時間意識の構成
本質の明証的なあたえられかたとしての本質把握――個別的な本質のあたえられかたと一般性の意識
カテゴリーのあたえられかた
記号による思考
最広義の探究領域――認識対象のさまざまな様相の構成。認識と認識対象の相関関係
付録
付録一
付録二
付録三
訳者あとがき

【訳者プロフィール】
長谷川 宏(はせがわ・ひろし)(訳)
一九四〇年、島根県生まれ。一九六八年、東京大学文学部哲学科博士課程修了。
主要著書=『ヘーゲルの歴史意識』(紀伊國屋書店)、『格闘する理性』『同時代人サルトル』(河出書房新社)、『哲学者の休日』『日常の地平から』(作品社)
主要訳書=ハーバーマス『イデオロギーとしての技術と学問』(紀伊國屋書店)、フッサール『経験と判断』、ヘーゲル『哲学史講義』(河出書房新社)、ヘーゲル『精神現象学』(作品社)。

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Posted by ブクログ

本書を読むにあたって、まずは、
入門用にセンチュリーブックス
の「フッサール」を読んだ。
前置きもなく本書を読めば、
多分、撃沈していただろう。

朧気ながら、何をテーマにした
哲学なのかといったことは理解
したが9割方意味不明だった。
それから、本書に挑む。

結果、読破することは出来た。
理解できたと思えるまで一つ
一つの章を五回から十回ほど
繰り返し読み直し、分からない
哲学用語があればChatGTPに
尋ねながら進めた。
ただし、聞くのは用語だけだ。

例えば " 超越的認識 " に
ついてGTPに尋ねても正しい
回答は得られない。誤った
解釈で返ってくる。Copilot
でも試したが、AIと哲学に
ついて語り合うといったこと
は現在でも不可能なようだ。

いずれにせよ、せっかく
現象学を理解しかけたのだから、
フッサールの他の本も読んで
みようと思う。

0
2024年03月14日

Posted by ブクログ

まず竹田青嗣氏の「超解読!はじめてのフッサール『現象学の理念』」を先に読んでいたので、比較的文意を理解しやすかったように思う。
ただ、竹田氏の解釈と比較しながらフッサールの思索の軌跡を追っていったつもりではあるが、どうしても竹田氏の解釈に僕の思考が引っ張られた感は否めない。

そこを前提としての所感になるが、フッサールがエポケー(判断停止)によって自然的超越(外界の事物)を本来的認識の明証性の議論から排去したことと、その上ですべての認識は内在における「あたえられかた」の直感とその様々な様相の構成によって明晰な妥当性を得るというフッサールの現象学的還元の要諦は読み取れたように思う。

ただ、本書はフッサール現象学の初期の、学生に向けて編まれた講義録であるが故に、論を立てるに当たっての注意深い(取りようによっては迷走的な)既存の認識論(デカルトのコギトエラズム、カントの悟性、科学主義、心理学などを含む)が行なった主客的中の方法論を退ける要素に多くの字数を割いており、肝心の現象学的還元の具体的な方法についてはまだ入り口に立ったところ、即ち、序章というふうな印象を受けた。

また、5章における内在への対象の明晰な「あたえられかた」が個的なものから一般へと構成される(たとえば、家の様々なパーツの色や形の記号的な認識から家という一般認識が内在において純粋に明証的に構成される)といった考え方は、現代の機能脳科学における認識の段階的な成立の仕方と類似した構造を持つように思った。たとえば、バラバラな部分の認識を統合して意味のあるひとかたまりの事物を認識するゲシュタルトは、フッサールの現象学的還元による内在的認識の構成に似ているのではと。それに連関して、人間の脳内における主観が主導しない認識の構築方法は、現代の人工知能(AI)研究にも繋がるように思う。

フッサールをもう少し踏み込んで咀嚼するためには、「イデーン」の通読が必要と感じた。

0
2020年02月07日

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