長谷川宏のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
時々、文字が右から左に流れていくような所があって、ちゃんと理解できたかどうかはわからない。わからないけれど、とりあえずヘーゲルは“古い”と思いました。
この本を読んで理解できることは、ヘーゲルにどういった“思考の癖”があったのか?ということ。
時代や他の思想家などを筆者が断定的に切り捨てる箇所がところどころあって、私のように捻くれていると「本当にそうなのかなあ」と思えて来てモヤモヤしてしまう。
そのモヤモヤ感から「この人ホントにヘーゲルのことわかって書いてるのかな?」という気にもさせられてしまうんですが、ヘーゲル原著をバリバリ読んでいろいろ考えてる人で無い限り、読む価値はあると思います。
ここからは、私が読んで思ったことを自由に書きます。
“ヘーゲル以後”の哲学、とか言われることがたまーにあるのですが、何故かがこの本を読んでわかった気がします。おそらく、彼の哲学がそれまでの世界観を否定して、新たな価値を提案したからでしょう。彼の哲学は近代という時代の転換点そのものだったように思えてきます。
また、ヘーゲルの思想と言うのは、プロレタリア革命のように、一度経験して超越しなければならない思想なのかもしれないと思うようになりました。彼の思想というのはとても理性的で、時代や文化的な相違から今の私達がそのまま受け入れるということは不可能であるし、そうすべき思想でもありません。
ですが、一度ヘーゲルの思想を完全に受け入れた上で、それを否定し、超越しようとする姿勢は求められているような気がします(本書とはあまり関係がありません)。
どうでもいいですが、ヘーゲルがこれほどまでに古代ギリシャに傾倒していたとは知りませんでした。私は彼とは見解を若干異にしていますが、古代ギリシャの芸術と宗教の合致性を指摘している人がこの時代に存在するとは思わなかった!それだけでもヘーゲル先生は仰ぎ見るに十分かもしれない。 -
Posted by ブクログ
筆者は学習塾の講師という立場に身をおく在野の哲学者である。哲学という自由度の高い学問と、極めて実用的な学習塾での授業という両方をこなしていること自体が私にとっては興味深いものであるが、そのほかにも様々な行動を通して知の実践をおこなっている方のようである。
タイトルにあるように高校生に向けられた本書では、難しい哲学用語を極力避ける方針が貫かれている。引かれている例文も読者を煙に巻くという類のものはほとんどない。ただし、述べられていることはいずれも哲学の基本的課題というべきものばかりであった。
私は最終章の「知と思考の力」に注目をした。学ぶとはどういうことなのか、私たちは日常の学習に対して無関心であることを痛感させられたのである。学習には大学受験とか就職とか資格取得とか目的があっておこなうものがある。これがいま私たちが考える学習の大半のイメージである。しかし、利害とは無関係に純粋に学びたいことを学ぶという学習が別にある。それを追求するためには場合によっては既存の枠組みの中では難しいこともあるというわけだ。
筆者は大学からはなれ市井に身をおくことによって、周囲の人々の中に潜在的に存在する普遍的な知と思考を感じ取る。こうした謙虚さとでもいうべき態度が学ぶものには必要であることを気づかされるのだ。 -
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「哲学」とは便利なことばで、何か小難しいことがあれば、何でもかんでもそれで済まされてしまうという風潮がある。
以前、友人が言っていたことだけれど「趣味で、哲学を勉強しています」というのは更に便利なことばだ。それを言うと、相手は「スゴイ!」とか「頭良さそう!」とかなるわけで。
でも、その実、そこで勉強している「哲学」というのは、昔誰かが言っていたことを暗記しているに過ぎなかったりする。ドヤ顔で「哲学では~」とかのたまっている人に限って、そういう傾向が強い。それ、別にアナタの凄さじゃないですから。
さて、そんなこんなで「哲学」の意味というのは、結局よくわからないのだけれど、本書は様々なことを考えさせてくれる。「高校生のための」と題されているが、長谷川さん自身が述べているように、別にその点に力が入れられているわけではない。もちろん、中には高校生の頭をこねくり回すような記述もあって小気味良いのだけれど。
そして、生きていく上で避けられない事々に、長谷川さんなりの見解を示していただけたということには、素直に「ありがとう」と言いたい気もする。散々悩んだ挙句、答えが出なかったようなことにも回答していただけているので、長谷川さんの見解に納得できれば、それは自分の中の一つの結論ともなる。ただ、やっぱり本書の正しい使い方は、長谷川さんの見解にナニクソと思って、自分なりの見解を築き上げることだとも思うんだ。
ところで、高校生が本書を読んで、もし楽しめなかったとしたら、それは国語教育、あるいはその指導にも責任があるのかもしれないと思ったり思わなかったり。
【目次】
はじめに
第1章 自分と向き合う
第2章 人と交わる
第3章 社会の目
第4章 遊ぶ
第5章 老いと死
第6章 芸術を楽しむ
第7章 宗教の遠さと近さ
第8章 知と思考の力 -
Posted by ブクログ
ネタバレ社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。壮大で華麗な思想の躍動を平易な日本語で説きつくす。』
上記の触れ込みを見て思わず購入してしまったが…やっぱり分からない(笑)!!
弁証法に魅了されてヘーゲルに接近してみたのですが、ドイツ哲学の集大成を成し遂げた彼の功績は複雑過ぎて咀嚼できない。。というよりも僕の頭がついていかない(笑)
哲学関係は程々に読んでいる僕ですらこの本の理解度は十分に達していないので初めて哲学に触れる人には「絶対」入門書とは言えません←きっぱり!
まぁでも、所々『へぇ~』と思える箇所はありました。 -
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いわゆる経哲草稿。マルクス26歳(1844年)の頃の草稿で、死後49年経ってから刊行されたもの。
書きかけの草稿を集めたもので、著作としては全然まとまっていない。
極めて若い頃の文章だが、晩年の「資本論」はもちろん、「共産党宣言」にさえ見られないような、革命家的情熱があふれていて興味深い。「搾取」される「労働者」への同情、「資本家」への憎しみ、このパッションはまさしく青二才のものだ。
後年にあってもマルクス思想はこの「階級」認識によってゆがんでいると思うが、この本に見られるわかりやすい情熱やルサンチマンが、そのまま最後まで継続したのではないだろうか。
たぶんマルクスの思想にちかづきたい人には、これは格好の入門書と言っていいのではないか。なにもかも未完成で、未熟ではあるけれども。 -
Posted by ブクログ
理性的なものは現実的であり、
現実的なものは理性である。
・・・・・・『新しいヘーゲル』79頁
この本は、ヘーゲルを中心に、当時の宗教観や、西洋哲学に対する日本、ヘーゲル以後の哲学などについても語られており、俯瞰からの解説という印象を受けた。
ヘーゲル自身の著作を読んだことがないのもあって、
朧気な人物像しか掴めていない。
最初に、生の言葉を聞いてから、解説書として読むべきだったかもしれない。まずは、『精神現象学』がいいだろうか。。。
断片的な印象をメモしておこうと思う。
理性への信頼。その姿勢には大いに好感が持てた。
この感情は、カントやスピノザの思想に触れた際の、感覚に似ている。
私は、ブルース・リーの教えにはついて行けない質なのだ。
ルター率いる、プロテスタントに賛同するキリスト教信者であったこと。
形式に拘るカトリックへの反発は、「自由なる理性」、「自身との対話」を重んじていたからこそ。つまりは、理性への信頼によって。
青年期にフランス革命を体験したことが、その思想に大きな影響を与え、
哲学、宗教、芸術という枠組みを用いて、頑然たる体系的哲学を創り上げた。
なにより、近代哲学を語る上で欠かせない存在であること。
それは、ほぼ全ての哲学解説書に「ヘーゲル」が登場しないことがないという事実が裏付けている。
近代以降の哲学の多くが、ヘーゲルへの反発、もしくはヘーゲルを踏み台としているようだ。
中でも、真正面から反発したというキルケゴールに興味が湧いた。
哲学は広大だ。 -
Posted by ブクログ
『自分と向き合う』
・思春期の不安と孤独は,同時に,世界とずれた自分と向き合い,自分らしい生き方への模索と向かう第一歩だ.
・世界と自分とのあいだのずれを自覚したとき,世界に帰一するのではなく自分と向き合うことで世界との関係をいっそうの深みにおいてとらえようとするのがデカルト哲学.
・このように切実に自分の生き方を模索することこそ,人間らしい生き方なのである.
『人と交わる』
・他人の人となりに目がいくとき,いやでもその他人と自分との違いを意識せざるをえない.自分と他人の違いと共通性をともども意識しつつ,深め,おもしろがる.それが,人となりへの興味を軸とする交わりの基本だ.
『社会の目』
・人間は,社会的存在の不可欠の一要素として,社会の目を意識して生きていく,生きていかねばならないという事実がある.
・社会の目に従って生きる生き方と,抗って生きる生き方.前者は,社会の目がよしとする生き方と,個々人がみずから生きたいと思う生き方の間の葛藤を,社会の目のほうに力点を置いて解決しようとする生き方.後者は,個人を個として独自の価値を持つ存在ととらえる個人主義であり,近代的な考え.社会にゆとりが生まれた証拠.
『遊ぶ』
・遊びの世界の楽しさとは何か?人は,みずから緊張状態を作り出そうとし,そのなかに自ら溶け込もうとしている.そういう気分の高揚が遊びの基本要素の一つだ.不確定の状況に身を置く不安と,自他の工夫によって不確定を確定へともたらす主体性の発現とがからまりあって生み出されるのだ.
『老いと死』
『芸術を楽しむ』
『宗教の遠さと近さ』
・しあわせな毎日を送っている人は宗教とは縁が薄い.生きることを苦しく思っている人こそ宗教に近い人だ.
・「信じる」とは何か.日常生活では,不確かだな,という思いを抱きつつ,とりあえずこうだと決めること.宗教では,疑いのあるものを信の力によって疑いなきものたらしめる.
----------以下感想----------
こういう本を読むと,自分の感情がどこから生まれてきていたのかがよくわかる.
哲学もいいもんだ. -
Posted by ブクログ
丸山の思想は学問に向かっているから一般庶民、生活者の視点からするとわからない。それでも学術論文としてはわかりやすい。
理解できるようになるためには不断の努力が必要。日本を代表する知性なんだから当たり前のことです。
丸山は行動する大学教授だ。
ナチスには独裁者がいて、日本にはいなかった。どちらが良い悪いとは一概には言えない。ナチスではユダヤ人迫害があり、日本は南京虐殺があった。そんなことは百も承知で丸山は、独裁者の不在、独裁観念の欠如をもって、ナチスに対する軍国日本の意識の遅れをいう。独裁の前提となる「自由なる主体意識」の存在が丸山にとってどんなに大きな意味を持っているか象徴している。