宮田律のレビュー一覧
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同じパキスタンでうまれ、対テロ戦争に巻き込まれ負傷した二人の少女、しかしその二人のその後はあまりにも大きな違いが…
かたやノーベル平和賞受賞、かたやアメリカ議会公聴会で講演、しかし出席した議員はたったの5人…
なぜか?それはナビラさんと祖母を襲撃したのがアメリカCIAのドローンだったからだ。
オバマ前大統領は、アメリカの学校で銃撃事件が起きた時涙を流していたが、その裏では400回以上のドローンによる攻撃で子どもを含む一般市民が千人も犠牲になっていた。
ナビラさんもマララさんも訴えは同じ。戦争に大金を使うなら、それを教育に使うべきという事。
まずはこの本を子どもたちへ紹介、勧めたいと思う。小学生には途中中東の領土、宗教、民族、情勢などかなり難しい部分もあるが、子どもたちの知る機会を、知った人が手渡さなければ。 -
Posted by ブクログ
中東・イスラム地域の通史だが、特にオスマン帝国の末期以降は詳しく書かれている。
ゾロアスター教は、紀元前1000年頃、イラン高原東北部(あるいはカザフスタン)で生まれた。最初に天と水が、そして世界は水の上に創造された。創造主であり全能の神アフラ・マズダーと、それと対立する破壊霊アンラ・マンユが存在する善悪二元論。善悪の判断は各自に委ねられるが、最終的には神によって裁かれる。背景にはメソポタミアの混乱があったと考えられ、多彩な民族、宗教が衝突する争いを、善行という最低限の価値観のみを掲げることによって安定に導くことに気づいたのだろう。これが、その後のアケメネス朝の寛容の精神を生み出した。
善悪二元論と寛容の倫理は、ほぼ原形をとどめたままイスラムに継承されている。イスラムが拡大していく過程でアラブ・イスラム軍が求めたのは、イスラムに改宗するか、改宗せずに税を払うか、イスラムと戦うかという選択だったが、信仰を拡大したのは、キリスト教世界にあった階級的な価値観を否定し、神の前の平等を唱えたことが大きい。
16世紀にポルトガルがインドへの航路を開拓した後も、オスマン帝国とインドやスマトラ島との通商関係は維持され、イエメン産のコーヒーがヨーロッパで人気が高まると交易は盛り返した。しかし、イギリスとオランダがインドと東インドに植民地をつくって香料貿易に直接参入すると、オスマン帝国の輸入は国内消費のみを対象とするようになり、ヨーロッパの国々は1625年に陸路で輸送する香料貿易を断った。
ヨーロッパの産業革命によって、地理的に近いオリエントはさらなる原料と新たな市場を求められた。エジプトとシリアからは綿が、アナトリアとイランからはタバコ、レバノンからは絹がヨーロッパに送り込まれ、ヨーロッパで加工された商品はオリエントに輸出された。1825〜52年の間にイギリスからオスマン帝国への輸出額は8倍になり、オスマン帝国からイギリスへの輸出額の4倍になった。オリエントの貿易収支は悪化し、伝統的産業も壊滅していった。オスマン帝国は、ヨーロッパと肩を並べて経済を回復するために、軍隊や官僚機構の近代化を図り、鉄道、港湾、道路などを建設し、灌漑施設も整備したが、すでに400年続いていた統治機構は疲弊・腐敗していたため、投資はそのまま負債となり、1875年に元利償還不能に陥って財政破綻した。債権国は、1881年に帝国の債務管理局をつくって各種の税を直接徴収するようになり、国家の主権は奪われた。
黒海から地中海に抜けるボスポラス海峡の支配を悲願とするロシアは、19世紀に入るとキリスト教徒の保護という大義でオスマン帝国のバルカン地域に進出した。ロシアは、1812年にバッサラビアを併合し、モルダビアやワラキア、セルビアを保護下において自立させ、1832年にはギリシアも独立させた。オスマン帝国の親交国であったフランスが普仏戦争で敗れると、ロシアの工作によってバルカン半島各地で暴動が発生し、1878年にセルビア、モンテネグロ、ルーマニアが独立し、ブルガリアも事実上ロシアの支配下となった。
1908年、青年トルコ党が挙兵してスルタンを退位させ、立憲君主制の軍事政権を立ち上げた。この混乱を衝いてイタリアがトリポリやキレナイカ(リビア)を占領し、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、ギリシアが宣戦布告した。青年トルコ党は、国家の近代化を求めて軍事面ではドイツに頼り、この関係が第一次世界大戦へとつながっていった。オスマン帝国はドイツと同盟して戦い敗れたが、最後まで連合軍に食い下がって苦しめた。イギリスは、トルコ民族主義を苦々しく思うメッカのアミール(総督)であったフサイン・イブン・アリーと密約(フサイン=マクマホン協定)を交わし、1916年にオスマン帝国に対して反乱を起こさせた。同時に、イギリスとフランス、ロシアはオスマン帝国を分割する秘密条約(サイクス=ピコ協定)を交わし、イギリスはパレスチナとヨルダン、イラク南部を、フランスはイラク北部、シリア、レバノンを獲得した。ロシアはトルコ東部、イスタンブールとボスポラス海峡、ダーダネルス海峡を支配することになっていたが、翌年の革命により実現しなかった。イギリスは、アメリカとロシアのユダヤ人世論の支持を得るために、1917年にバルフォア宣言を出して、パレスチナのユダヤ人民族郷土を建設する約束をした。
第二次世界大戦の莫大な戦費によって財政難に直面し、次々に植民地を放棄していったイギリスに代わって、アメリカはソ連などの社会主義陣営に対抗するため、オリエントに自由と民主主義をもたらすという理念を掲げて介入していった。トルーマン大統領は、共産主義の脅威を強調して、ギリシア、トルコに対する経済・軍事援助を求めるトルーマン・ドクトリンを表明し、19世紀の孤立主義から転換した。
イランは1953年の王政以降、アメリカの信頼を得て軍事予算を増額し、アメリカの武器の最大の輸出先となった。ケネディ政権の圧力を受けて、1960年代に婦人参政権の導入や農地改革などの非イスラム的な改革を断行し、これを非難する聖職者を弾圧した。1970年代には、原油価格の乱高下によって経済が翻弄されたため、増税やインフレによって社会の不満が膨れ上がり、1979年のホメイニによる革命が起きた。
1980年、イラクはアラブ系住民の多いフゼスタンの石油獲得を目指してイランに侵攻した。レーガン政権は、イラクのフセイン政権と友好関係を結んだ。イランは、王政時代に大量に購入したアメリカ製の武器に使用できる弾薬やスペアパーツを入手するために、イスラエルとの石油取引に応じた。1982年には、パレスチナ難民の流入によって混乱していたレバノン南部にイスラエルが侵攻し、シーア派武装集団によるゲリラ活動を引き起こして、事態は泥沼化した。中米のニカラグアでは、1979年にサンディニスタ左翼政権による革命が起きていた。レーガン政権はイラクの支援をしながらも、国会の承認なしにイランにも武器を売却し、その代金をニカラグアの極右武装集団コントラに与えていた(イラン・コントラ事件)。一方、アフガニスタンに共産党政権が成立し、イスラム教徒のムジャヒディンが反乱を起こすと、ソ連は1979年に軍事介入した。レーガン政権は、ムジャヒディンに対して軍事援助と軍事訓練を行ったが、その中にオサマ・ビンラディンがいた。サダム・フセインもオサマ・ビンラディンもアメリカが生み育てた。
イラク戦争後にアメリカが作り上げたシーア派主体の政府は権威主義的方策をとったため、スンニ派の人々がイスラム国を支持する背景になった。
タイトルの問いに答えるならば、オスマン帝国は、近世のヨーロッパの海路開拓によって衰退し、近代の産業革命によって食い物にされ、それでも第一次世界大戦では最後まで食い下がって苦しめたために、イギリスとフランスによって分割されてしまった。戦後は、ソ連の共産主義への対抗政策をとったアメリカによって、イラン、イラク、アフガニスタンが次々に軍事的介入を受け、過激派を育てて戦場になってしまった。ゾロアスター教やイスラム教が育んだ寛容の精神が、西洋によって無残にも壊されてしまったことを嘆かずにいられない。 -
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日本はアジアで嫌われている。そう思っている人がこの本を読んだならば驚くだろう。
多くのイスラム国家が尊敬してやまない国、日本。
この本は、なぜそれほどまでにして中東諸国は日本に好意的なのか、その秘密を探ったものであり、イスラム教に詳しい著者ならではの視点も斬新だ。
原爆を落とされながらも、戦後の焼け野原から復興した日本に対する尊敬のまなざし。
キャプテン翼やおしんなど古くから日本のアニメや漫画、ドラマが人気だった意外な事実。
キティちゃんやジャニーズ、少年ジャンプにいたるまで最近のイスラム諸国の若者の間では日本人気は一段と上昇しているようだ。
また日本の礼儀正しさや真面目さ、勤勉、おもてなしの心などイスラムの教えと共通している部分が多く、それが親近感を抱かせている要因との記述も興味深い。
イスラム教とイスラム原理主義者との違いについても述べられており、本来イスラム教は他の宗教には寛容であり、他宗に対する排撃や自爆テロは本来のイスラムの教えとは異質であるらしい。
中東にエネルギーのほとんどを依存する日本にとって、イスラム諸国の事をよく理解し良き友となることは、これからの日本の未来にとって極めて重要であろう。
日本の友人は意外と多い。TVのニュースでは知ることの出来ない事実が記されている本である。 -
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ネタバレおなかいっぱい。中東各国が抱えている問題・動向が、いかに中東他国・外国および外国資本・イスラム・歴史と複雑に絡んでいるかよくわかる。
情報量が多く、知らなかったことだらけ。。。
結局、
・いま中東は激動の最中にあって、
・民主化ドミノがおこっていて、
・どの国も経済問題=貧困(格差)/失業/インフレを抱えていて、
・それは一部の人間による、政治の腐敗と抑圧が原因とされていて、
・実はそこには欧米の影響が多分にあって、
・こうした腐敗や欧米化に、宗教的要素が加わって、
・イスラムの名のもとに、国を再建しようという動きがあって、
・それにはインターネットが広く使われていて、
・民主化運動が続いていて、
・なかでもヤバいのはイランとサウジで、
・イランは直接の戦争(イランvsイスラエル・欧米)
・サウジは政変による石油ショック・軍需産業の排斥
これで世界経済は大きな打撃をうけることになるに違いなくて、
・ついでにいえば、もはやイスラムのあり方も、必然的かつ流動的にかわらざるを得なくなっている。
0.中東に翻弄される日本
・中東の情勢変化は、これまでの歴史を紐解いても世界を揺るがす
・1973 第四次中東戦争→イスラム非友好国への石油制裁(第一次オイルショック)
・1979 イラン革命→オイルマネーと欧米文化の流入で貧富拡大、イスラム原理主義への回帰、石油生産/輸出の停止
・欧州は中東政策に早期から取り組んだが日本はその場しのぎ、「アラブへのアブラ乞い外交」
・「中東激動10年周期説」では、2010年~再び激動の最中へ→真剣に中東の独自政策を検討しないとやばい
・韓国(李明博大統領)は、アブダビの原子力発電所建設でトップセールス受注
1.中東社会の地殻大変動
・近代化の最中で、経済的問題(つまり貧困)に直面
└①人口増加による失業率UP(若者が食えない)
└②人口増加による物価上昇(とくに食糧)
・人口増加は、「イスラム」であることが実態についていかないため
└女性の社会進出の遅れ(出生率高い)
└中絶の禁止
└家族的な結びつきの重視(子だくさん)
・世界的な食糧不足と、中東の人口増加が反比例、政府による食糧輸入の補助金ではまかなえなくなる→エジプト革命の発端
・外国には「石油」を売り、人口増加の国内では、新たなエネルギー源の創出が必要
(例)アブダビ→新都市計画、イラン→原子力開発
・イスラム経済からモラルが欠如、本来の平等思想とかけはなれて貧富の差が拡大
└イスラムに関係ない(イスラム的とはいえない)王族の独裁
└欧米化
※ちなみに、イスラム経済では、働かないで得られる「利子」、ギャンブルや他者を搾取することによって獲得した収入は不当。
・中東の王様はみなバカ殿、国民には厳格なイスラムをまもらせるくせに、自分は放蕩生活
(例)エジプト/ファルーク王(1952)、イラン/ムハンマド・レザー(1979)
・過去の歴史に学ばない王様たちが今また同じ危機に直面
(例)サウジ/ファハド前国王→巨大ヨット、自家用ジェット(機内に噴水)、休暇の滞在に9000万ドル
(例)サウジ/アブドゥーラ国王、バンダル王子→外資献金(武器購入)で贅沢三昧
(例)チュニジア/ベン・アリー大統領夫人→政変で金塊1.5トン持ち逃げ
・最初は貧民の味方だったイスラム原理主義者たちも、上に立つようになると腐敗
(例)イランの革命防衛隊→マフィア化し、国民の反感を招いている
・欧米の中東戦略は、民主化といいつつも自分たちに都合のよいように建前として使ってきたに過ぎない。
・中東の政治の腐敗・混乱は、そもそも欧米が招いたものだから。
2.王政がドミノ崩壊をおこす
◆チュニジアの場合→中東の民主化ドミノは、そもそもチュニジアの反体制(王政)デモが発端
└街頭で商売していた青年が、警察に商売道具を没収され、返却と引き換えに賄賂を要求→焼身自殺(イスラムでは火葬も自殺もタブー!)
◆バーレーンの場合→2011.11民主化デモ(王政独裁反対)
└スンナ派(王政)vsシーア派(多数派)
└王政もネットを使用
└絶対君主制から立憲君主制にかわったが実態はスンナ派優遇のまま
└外国人(アラブ人/パキスタン人)を軍・警察に採用
・サウジを中心にスンナ派GCC加盟国にとって、バーレーンの民主化ドミノは脅威→バーレーンの弾圧強化、軍事介入
◆イエメンの場合→サーレハ大統領一族の腐敗と抑圧政治に対して、イスラム原理主義が反旗、欧米人を狙ったテロが続発
└北部イエメンにおける最高指導者の世襲(シーア派イスラムの理念と逆行)
└反政府群を「アラビア半島のアルカイダ」とすることで、アメリカの支援を受ける
└旧南イエメン(社会主義者)の分離独立運動
◆リビアの場合→もともとはイタリアの植民地化に反対、イスラム神秘主義のもとに戦後再建されていたが(イドリース朝)、イギリスの影響を受けて政治的には近代法に準拠、これに対してカダフィが「イスラム社会主義」のもとクーデータをおこす
・『緑の書』→カダフィのイスラム社会主義の教本、リビア社会の指針
└脱西欧、脱帝国主義
└完全イスラム化
※家族法のみシャリーアに準拠
・湾岸戦争でイラクが多国籍軍に負けてから、カダフィは方向転換
→資源(石油/天然ガス)の輸出、大量破壊兵器の放棄、テロの否定
・オイルマネーが流入するも国内の経済が復活せず、国民の不満が爆発
・ヨーロッパ(とくに仏)は、石油調達のため、親リビア・親カダフィだったが、リビア動乱に際して一番に空爆をしかける
└石油調達の再開(調達先をロシアに頼りたくない)
└ムスリム難民の回避(国内の労働力を優先したい)
◆サウジの場合→法律のすべてがシャリーアに拠る厳格さをもちながら、政治のありかたもシャリーアにのっとっているかどうかを測られ、いつ「世俗的」という反体制(王政)運動が勃発してもおかしくない状態
└湾岸戦争以降、アメリカ軍の駐在を許す(イスラムの聖地に非イスラムの外国人兵士を招きいれることは、理念に反する)
└ビン・ラディンもこれに反対→サウジ国籍はく奪される
└二級国民として差別してきたシーア派の暴挙(飛び火)
→2011.3.11「怒りの日」 民主化デモがおこり武力弾圧
①宗派の対立(スンナ派vsシーア派)
②
3.イスラム原理主義を超えたネット主義 -
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[ 内容 ]
インド、パキスタン、アフガニスタンを中心とした南アジア地域の不安定の背景には何があるのか―。
近代国家が成立するまでの歩み、複雑な民族問題、周辺諸国やアメリカの思惑を辿りながら読む、国際情勢の行方。
[ 目次 ]
第1章 民族の博物館、アフガニスタンを読む(不安定な国家;かなえられない夢;「タリバン」という名の下に;インドの影響力)
第2章 悲劇の国、パキスタンを読む(矛盾を抱える国家;国際社会の懸念;九・一一後の劇的な変化)
第3章 アメリカの思惑がもたらしたもの(イスラム国家の創設;イスラム急進思想の発信地)
第4章 南アジアの大国、インドの行方(近代国家の枠組み;経済発展の陰で;毛沢東主義、イスラム過激派、ヒンドゥー過激派)
第5章 日本が果たすべき役割は何か(インドと日本、深まる交流;平和的関与)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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ネタバレ[ 内容 ]
アラブ・イスラームの正統な後継を自任し、イラク戦争後の新秩序を模索するイラク、サーサーン朝以来の繊細華麗な文化を誇り、核開発を巡って西欧諸国との対立を深めるイラン、多様性を内包し、EU加盟を目指してヨーロッパとアジアの境界を問うトルコ―。
イスラームを共通の基盤としつつ、競合と協調を繰り返してきた三民族の歴史を辿り、米、欧、露、イスラエルを巻き込んで展開される地域のダイナミズムを描く。
[ 目次 ]
序章 中東三民族の特徴
第1章 イスラームを誕生させたアラブ
第2章 イスラーム世界に多大な影響を与えたイラン文明
第3章 欧米支配とイラン民族主義の台頭
第4章 トルコ民族の興亡
第5章 共存していたトルコ人とアラブ人
第6章 近現代におけるアラブ・ナショナリズム
第7章 トルコをめぐる現代中東の国際関係
第8章 突出するイラン・ナショナリズムと米欧・イスラエル
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[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
以前『物語イランの歴史』でも紹介した宮田律先生の著書です。この本では西アジアを構成する主要3民族、アラブ、イラン、トルコの各民族についてその歴史と現在の国際関係を記しています。内容の前半は、それぞれ3民族の前近代史について比較的詳しく、民族に焦点を当てながら解説しており、とくにイラン史などは先の『物語イランの歴史』より充実していると思えます。後半はそれぞれ各民族のナショナリズムや宗派を縦軸に、各国との利害関係を横軸に近現代の国際関係を論じておりますが、ここはさすがに先生の専門分野ですから、かなり詳しく、入り組んだ国際関係を一つ一つ繙きながら解説しています。この本を読んでみると、前近代はあれだけ各民族が共存していたのに、なぜ近現代になるとこれだけ憎しみあうのか、と深く考えてしまいます。「温故知新」の考え方を大切にしていきましょう。