ヴァージニア・ウルフのレビュー一覧
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イギリスの作家ヴァージニア・ウルフの小説。
時は1900年代初頭。そこに遠足に行くことを心待ちにしている幼い子供が明日は灯台に行けるのかを母に問うと、横から気難しい父親が「天気は、まず駄目だよ」と全否定し、幼心がショックを受ける場面から始まる。
以降、複数の登場人物が他人をどのように知覚しているかを、イギリスの小説っぽく冗長に描く。著者は「(人の)生はつり合いよく整えられた一連の馬車ランプの光ではない。我々を取り巻いている半透明なかさ、luminous haloである。この定まららぬ、捉えがたい精神を書きあらことが小説家の仕事ではないだろうか?」と述べている。つまり、いつまで経っても変わらないのではなくて、生は無常であること、そんなことに迫ろうとしているのだろうか。 -
Posted by ブクログ
SNSでおしゃれに紹介されていて、憧れを持って手に入れて、読み出してびっくり!難しいというか、流れが、意味が頭に入って来ない…最初の20ページほどで中断し、数ヶ月。それでも何とか再開し読み進めるうちに、(ああ、タイトルの波とは、この波のように寄せては返すような文章の構成のことを言うんだな…)と理解してから何とか最後まで辿り着きました。訳者あとがきに著者ウルフのご主人が「一般の読者には最初の100ページは難解すぎるだろう」とおっしゃったとあり、私は心の内で「それな!」と叫びました(笑)私が特別読解力がないわけではなかったのだ…と安堵しました。というわけで、内容についての感想はあと2回くらい読まないと書けそうにありません。頑張ります(拳)
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Posted by ブクログ
絶版のちくま文庫版と収録作品はほぼ同じ。以前読んだとき同様、やはり「キュー植物園」の完成度がとびぬけてすばらしい。園を行き交う人びとが、ありえたかもしれない過去に思いをよせたり、でもいま手にしているこの現実でよかったんだと思いなおしたりする意識の流れが、花々や蝸牛の描写をおりまぜつつ見事に点描されている。絵で喩えるならジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のよう。
他には「堅固な対象」「池の魅力」も好み。一方、焦点のない構図で撮影された写真みたいに、とりとめがなくてよくわからない話も。
【ノーツ】
▶20世紀は「メタ」の時代
・訳者解説によると、ブルームズベリー・グループはメタ倫理学のG.E.ムーア(ケンブリッジ大学)と関係が深かったらしい。ウルフの解説でムーアの名前が出てきて意外。以下のムーアの主張は小説の解釈にも援用できるとのこと
・「美しい客体というものは有機的な統一体であり、ひじょうに複雑な統一体であるので、どの部分であれ一部を熟考することに価値はないかもしれない。けれども統一体にかんする熟考は当該のその一部にたいする熟考を含まないかぎり、価値をもたないだろう」(G.E.ムーア『倫理学原理』)
・メタ =「一段と高い階型の」、メタ的な視点に立つ = 対象の前提を疑う = 自己言及
・20世紀は「メタ」があらゆる学問分野で生じた時代。多くの人がそれまでの前提や自明性を疑うようになり、あらためて「自己」について考えだした。ウルフの意識の流れもその一例
▶視覚=指示
・(語り手が)xを視覚的に描写する、xに視線をむけながら語る =(読者に)xを視るよう指し示す
・ウルフの短編を読むなかで読者が目にするのは、「細部まではっきりと見える本質的に不明瞭なもの」(230頁)
【目次】
■ラピンとラピノヴァ……Lappin and Lapinova
■青と緑……Blue & Green
■堅固な対象……Solid Objects
■乳母ラグトンのカーテン……Nurse Lugton's Curtain
■サーチライト……The Searchlight
■外から見たある女子学寮……A Woman's College from Outside
■同情……Sympathy
■ボンド通りのダロウェイ夫人……Mrs Dalloway in Bond Street
■幸福……Happiness
■憑かれた家……A Haunted House
■弦楽四重奏団……The String Quartet
■月曜日あるいは火曜日……Monday or Tuesday
■キュー植物園……Kew Gardens
■池の魅力……The Fascination of the Pool
■徴……The Symbol
■壁の染み……The Mark on the Wall
■水辺……The Watering Place
■ミス・Vの不思議な一件……The Mysterious Case of Miss V.
■書かれなかった長篇小説……An Unwritten Novel
■スケッチ
・電話……The Telephone
・ホルボーン陸橋……Holborn Viaduct
・イングランドの発育期……English Youth
■解説 ヴァージニア・ウルフについて——西崎憲
■年表
【引用】
■堅固な対象……Solid Objects
ジョンの心のなかにこうした思いがあったか、あるいはなかったか、いずれにせよガラスはマントルピースの上に置かれることになった。ガラスは請求書と手紙の束の上に鎮座し、素晴らしいペーパーウエイトになっただけでなく、書物のページからふと目が離れた折など、視線の止まり木として絶好のものになった。考えごとの途中で何度も何度も視線の対象になったものというのはそれが何であれ、思索の織物と深く関係を持ち、本来の形を失い、すこし違ったふうに、空想的な形に自らを作りなおし、まったく思いがけないときに意識の表面に浮かびでたりするものだ。(32頁)
■キュー植物園……Kew Gardens
こうした言葉のあいだには長い沈黙が挟まれていた。ふたりとも表情も変化も乏しい声で話した。ふたりは花壇に密着するようにして凝と動かずに立っていた。それからふたりで女の持っていたパラソルを柔らかい地面に深く突き刺した。その行動と女の手の上に男の手が重ねられたという事実は、ふたりの感情を奇妙な形で表現していると言えた。あたかもふたりの取るに足らない会話が、やはり何かを表現していたように。短い翼しか持たない言葉は意味で重くなったふたりの体を遠くまで運ぶには力が足りず、ただ周囲をとりまくごく当たりまえのものに無様にぶつかるだけだった。そしてそのせいで接触がそれほど力の籠ったものになった。(128頁)
■池の魅力……The Fascination of the Pool
もし人が藺草の茂みに腰を下ろして池を見るならば──池というものは何かしら不可思議な魅力を具えている。人が説明することのできない魅力を──赤と黒の文字が記された白い紙が水の表面に薄く貼りついているというような印象を覚えるだろう。また一方、その下では理解の及ばない水の生活が営まれているという印象も受けるはずである。人の精神における思索や熟慮といったものによく似た営みがそこで行われているという印象。時の推移にかかわらず、時代の推移にかかわらず、多くの者が、ひじょうに多くの者が独りでここにやってきたに違いない。自分の想念を水のなかに流しいれるために、何事かを池に尋ねるために。この夏の夕つ方ここにいる者がいまやっているように。たぶん池が魅力を持つのはそのせいだ──水のなかにあらゆる種類の夢想や、不平や、確信を擁しているのだ。書かれたこともなく、口にされたこともないそれら。ただ流体のような状態で犇めきあう、実体性のかぎりなく希薄なそれら。葦の刃によってふたつに断ちきられ、その隙間を一匹の魚が擦り抜けていく。月の皓く大いなる円盤はそうしたものすべてを殲滅する。池の魅力は立ち去った者たちが残した想念の存在ゆえである。そして肉体から離れた想念は自由に、親密に、会話を交わしながら、出入りする。共有地のこの池に。(135頁) -
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ネタバレ同窓の男女6人の人生が彼らの独白オンリーで綴られているんだけど、あまりに詩的で繊細、内面的に描かれていてはっきりした筋を追うような作りにはなっていない。ところどころで海辺の夜明けから日没までの美しい風景描写が挿入されて、人生のうつろいと重なり合う。読み始めは素敵だなあと思ったものの、ずーっと同じ調子にあいまいで装飾が多い文章なので疲れてしまった。飴玉をなめるみたいにゆっくりゆっくり読む本だと思う(そうしなかった私に非がある)。一番好感度高かったのはロウダ。最後に自殺したことが明かされるけど、そうなっちゃうよねえ、と思わされる。
全体を通して精神しか書かれないので、中盤で皆の精神が溶け合い、一つになったかのように感じられるシーンも自然と入ってきた。自分たちは6人の個別の存在ではなく、一つなのだとバーナードは言う。そもそも最初から、彼らの独白は会話しているわけでもないのにお互いに答えあっている。でも、ゆるくつながった独白で進めるという書き方がその焦点に特化しすぎていて、感動的というよりは、そういう風に書いてあるからそうなるよな、という感想が勝った気がする。 -
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1938年出版のウルフの長編エッセイ。
ヒットラーやムッソリーニなど全体主義の台頭、そして戦争の足音が近くなかでの戦争と女性の関係について論じている。
が、視点は、国際政治というより、イギリス国内、中産階級的な世界のなかにおける男女差別、家父長制の偽善というところにフォーカスされている。
そして、全体主義、戦争と家父長制、女性の抑圧といった問題がフラクタルであることを多くの具体事例をまじえながら、論じられていく。
1930年代のイギリスにおける女性という「階級」の扱いが、今から考えると、「まだこんな感じだったのか〜」と驚くと同時に、現在の日本はまだこれに近いのかもなどと思った。
エッセイは、戦争を防止するために、どこに三ギニーのお金を寄付するのかということを書簡の形で表現するスタイルをとっているのだが、具体事例が多くてリアリティがあると同時に、当時の状況が今ひとつわからないこともあり、今ひとつ理解が難しい。
ロジックの展開も、行きつ戻りつ、螺旋状に議論が高まっていく、あるいは深まっていく感じで、なかなか読むのに苦労する。
とても重要な作品であると思うが、訳者による解説を読んで初めて、全体的な内容がすこしわかった気になる感じかな。。。 -
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あらすじを追っていくこと、それを自分の経験や知識に照らして理解へ落とし込んでいくことが、いかに無意味かということを、この小説は教えてくれる。
この作家は、とても自分の心の動きに敏感な人だったのだろう。
人が人と視線を交わす。ただそれだけの刹那、どれほどの思索が交差するか。それをあますことなく文字にしたらこうなるのかもしれない。
こんな小説、ほかに見当たらないのではないか。
そしてまた、これほど内省に特化した小説もない。
すでに100年も前にものされてしまっているのだから。
自分という存在は、果たして一貫しているのか。
それにさえ疑念が湧いてくるようだ。
それでも作家は、人間の最後の希望の拠り所は人とのつながりに見出しているのだろう。
がんばって解釈すると上のようなことだろうが、まだまだ読み切れていないと思う。そして、きっと元気なときに読まないと、ひどいことになりそうな、そんな気がする本でもある。