【感想・ネタバレ】青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集のレビュー

あらすじ

〈 じつに、ウルフ的、もっとも、実験的。〉

イマジズムの詩のような「青と緑」、姪のために書かれたファンタジー「乳母ラグトンのカーテン」、園を行き交う人たちの意識の流れを描いた「キュー植物園」、レズビアニズムを感じさせる「外から見たある女子学寮」など。

短篇は一つ一つが小さな絵のよう。
言葉によって、時間や意識や目の前に現れる事象を点描していく。
21世紀になってますます評価が高まるウルフ短篇小説の珠玉のコレクション。
――ウルフは自在に表現世界を遊んでいる。


ウルフの短篇小説が読者に伝えるものは緊密さや美や難解さだけではない。おそらくこれまでウルフになかったとされているものもここにはある。 たぶんユーモアが、そして浄福感が、そして生への力強い意志でさえもここにはあるかもしれない。(「解説 ヴァージニア・ウルフについて 」より)



【目次】

■ラピンとラピノヴァ……Lappin and Lapinova
■青と緑……Blue & Green
■堅固な対象……Solid Objects
■乳母ラグトンのカーテン……Nurse Lugton's Curtain
■サーチライト……The Searchlight
■外から見たある女子学寮……A Woman's College from Outside
■同情……Sympathy
■ボンド通りのダロウェイ夫人……Mrs Dalloway in Bond Street
■幸福……Happiness
■憑かれた家……A Haunted House
■弦楽四重奏団……The String Quartet
■月曜日あるいは火曜日……Monday or Tuesday
■キュー植物園……Kew Gardens
■池の魅力……The Fascination of the Pool
■徴……The Symbol
■壁の染み……The Mark on the Wall
■水辺……The Watering Place
■ミス・Vの不思議な一件……The Mysterious Case of Miss V.
■書かれなかった長篇小説……An Unwritten Novel
■スケッチ
・電話……The Telephone
・ホルボーン陸橋……Holborn Viaduct
・イングランドの発育期……English Youth

■解説 ヴァージニア・ウルフについて——西崎憲
■年表


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《ブックスならんですわる》
20世紀の初頭、繊細にしてオリジナルな小品をコツコツと書きためた作家たちがいます。前の時代に生まれた人たちですが、ふっと気づくと、私たちの隣に腰掛け、いっしょに前を見ています。
やさしくて気高い横顔を眺めていると、自分も先にいくことができる、そんな気がします。いつも傍に置いて、1篇1篇を味わってみてください。

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Posted by ブクログ

代表作「キュー植物園」など20篇を収録した短篇集。


以前から唱えている〈ヴァージニア・ウルフ=少女漫画説〉が、この短篇集を読んでより自分のなかで強固なものになった。小動物や植物、世間的には取るに足らないとされる小さなものたちにシンパシーを感じ、そこに個人的な象徴や啓示を見いだしていくモチーフの使い方。ディテールに注ぐ偏執的な凝視。言葉になる前の不定形な感情をとらえようとしてあふれだす、言いさしのような未然の文体。
これらはみな、萩尾望都や大島弓子などの作品にある謎めいたほのめかしや、わかりきれないけど「わかる」と思わされてしまうモノローグの魅力にとても近いのではないか。漫画家が絵と言葉を組み合わせて表現するものをウルフは言葉だけで表したと思えば、目指していた場所はかなり接近しているという気がする。文章で「バナナブレッドのプディング」を書いたような人だということだ。
たとえば表題作「青と緑」は、マントルピースの上に飾ったものたちの世界を異様なクロースアップで幻想を交えながら描写する。「乳母ラグドンのカーテン」ではカーテンのなかに世界が広がり、「壁の染み」ではたったひとつの染みに対して数多の可能性が検討される。空想というより妄想と言うべきその世界は、家という静の空間で自らも静の存在となって対象を凝視している語り手の窒息感みたいなものが伝わってくると思うのだ。
最初に置かれた「ラピンとラピノヴァ」は新婚カップルの蜜月期を描いたユーモラスな作品だが、ラスト一文の切れ味といったらない。ロザリンドはアーネストと一緒に窒息感からの逃げ場所を作ったのに、それが崩壊してももはやアーネストはひとりで新聞を広げて読みだすだけ、という完全な断絶に、ロザリンドと同じく読者も絶望する。
男が新聞を読む描写は他作品にもくり返し現れる。女性がこまごまとしたインテリアを見つめて意識の〈内〉の世界へ飛んでいくとき、男性は新聞やホイッティカー年鑑を読んで〈外〉の世界へ飛んでいる。この断絶。だが、「堅固な対象」の主人公は男性でありながらも小さくてくだらないものの側につく。そのために彼は政治という世間的な価値のある世界からは離れていく。
前時代的な家観に息苦しさを感じながら動けずにいる人びとを書く一方、「外から見たある女子寮」は恋の予感に浮き足立つ少女の一夜を描いた瑞々しい作風で他と違う印象を残す。この作品はシチュエーションも含めてかなりストレートに少女漫画っぽい。女性同士の同性愛という、従来的な"家"からは逸脱する関係をほのめかしているということも重要だろう。
あるいは、他の誰かになりかわることが一種の解放をもたらすこともある。「サーチライト」では、偶然漏れ聞こえてきた声すら即興的に取り込んでしまうほど巧みな語り部が、サーチライトと望遠鏡の類似に幻惑されて自分が語る話のなかに入りかけてしまう。語っているのか語られているのか曖昧になり、演者自身が自分の台詞を信じ始めてしまうような演劇空間の神秘が、サーチライトに照らされた夜の庭に幻出したのだ。少し乱歩の「押し絵と旅する男」を連想させるところがある。
訳者解説によるとウルフの作風は「不安を惹起させる Unsetting」と評されているという。たしかに、一匹の蝸牛をねっとり見つめたかと思うと来園者の話に聞き耳をたて、最後には天高い視点から植物園を睥睨する「キュー植物園」の語り手は語りの対象との遠近感がめちゃくちゃで得体がしれないし、死者と生者が鏡合わせのように語られる「憑かれた家」も、不思議なあたたかさがありつつ落ち着かない気分にさせられる。土地の精霊[ゲニウス・ロキ]的な存在が人や生き物に自由に出入りして思考をのぞいているようだと言えばいいのか。読心ができたら世界はこんなふうなのかもしれない。
原題がそのままSympathyな「同情」という一篇からもわかるように、ウルフは知的でありながらも自他境界をたやすく踏み越えてしまうような女性もよく描く。共感力の高さによって浮遊霊のように人や動物やものたちに乗り移り、その意識に同調する。それが〈意識の流れ〉という方法でウルフが捉えようとしたものなのではないだろうか。そしてそういう魂を持った人が社会的にあるいはジェンダー的に自身の肉体に縛られている苦しみと虚しさ、それが私には昭和の少女漫画家が身を削って描きだした世界の在り様と完全に重なって見えるのである。

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2024年03月24日

Posted by ブクログ

ヴァージニア・ウルフを初めて読む。ヴァージニア・ウルフについては意識の流れ文体とか、精神疾患といわれるとか、最期がどうだったとか、そして映画『めぐりあう時間たち』で描かれていことしか知らずにいた。
あとがきでは翻訳者西崎憲によるヴァージニア・ウルフの生涯とか、解説が詳しく書かれる。幼少期から成長するまで母の連れ子(父親違いの兄)たちから性的対象にされていたんだとか、もしかしたら有名なのかもしれないけれども初めて知ったので、なんというか…(ー_ー;)
本文の翻訳では、ちょっと変わった漢字を使ったり(「滑る」ではなくて「辷る」、とか)、カタカナでなくて漢字が使われたり(麝香撫子にカーネーションとルビ)しているのだけれど、ページを見た時の印象が柔らかさを感じる。
全体的に「見えたこと、考えたことを連連綴る」なのであらすじにあまり意味はないのだが、読んで感じたことを書いてみる。そして一冊読み終えたのだが集中して入り込めばこの文体に交じることができたのだが、全部がそんな調子だったので途中で集中力がなくなってしまいました…。

『ラピンとラピノヴァ』
(冒頭引用)
<ふたりは結婚した。ウェディングマーチは高らかに鳴り響いた。鳩は飛び立った。イートン校の制服を着た小さな少年たちが米を投げた。フォックステリアがのんきにふたりの道を横切った。>
ロザリンドは結婚してアーネスト・ソーンバーン夫人になった。アーネストだなんて古くて固くて自分からは遠い名前。それなら彼はなんという名前かしら。そうね、トーストを食べる様子は穴うさぎみたい。うさぎ、フランス語でラピン。「それならきみは白い野うさぎだ」。逞しい夫と柔らかい妻は、二人だけの王国でラピン王とラピノヴァ女王になった。
ソーンバーン家の晩餐に呼ばれたロザリンドは、そこに野原のうさぎ一族を見た。
だがアーネストはラピン王になる時間がかかるようになる。ラピノヴァ女王は一人で野原の王国を彷徨う。そしてある日…。

『青と緑』
(冒頭引用)
<玻璃(ガラス)の尖った指先はみな下方を指している。光はその玻璃を辷り(すべり)降り、滴って緑色の水たまりを作る。>
ヴァージニア・ウルフには、日々の当たり前の光景がこのように見えているのだろうなあ(嘆息)
多分リビングで、太陽の光が玻璃(ガラス)に反射する。光の緑の水溜まりから砂漠の海を避けて歩く駱駝が見える。やがて海から大きな生き物が上がり、打ち上げられたその身体に青が覆い尽くす。

『堅固な対象』
(冒頭)
<砂浜の広漠とした半円のなかで動いている唯一のものはその小さな黒い点だった。そして、肋材(ろくざい)と竜骨だけになった鰯船が打ち上げられた箇所に近づくにつれ、黒さに生じた斑から点に四つの足があることが分かった。さらに推測が確信に変わっていく。それが二人の若い男に違いないという確信に。>
現状に憤り政治の世界に打って出ているジョンは砂浜でガラスの欠片を拾う。長年の波と風で角の取れたガラスをなんとなく部屋に飾った。ふと目に入るガラスの欠片はジョンの心に影響を及ぼしたのだろう、彼は丸くて中に輝きを持つような物に惹かれていった。ジョンの書斎には磁器や石やガラスの欠片、楕円のもの、いらなくなったものが増えていく。ついに彼の心はそれでいっぱいになり、政治にも、生活にも興味をなくすまでに。

カメラワークが、大写しから人間、内面に!

『乳母ラグトンのカーテン』
(冒頭)
<乳母のラグトンは動きを止めている。彼女は大きな鼾を一つ放つ。>
「人間がいない間にモノたちは動いたり遊んだりしているのでは?」という子供向けの情景はありますがそれを大人の心にも生き生きと描写する。ほら、ラグトンが寝ている間に、彼女が縫っている布の動物たちが息づいている。
(あとがきによると、姪のために書かれたのだそうだ。動物のカーテンは本当にあったんだろうな)

『サーチライト』
(冒頭)
<十八世紀に、とある伯爵のものだったその邸は、二十せいきにあってクラブとしての務めを求められることになった。円柱が連なり、シャンデリアが皎々と照る広場で食事をしたあとバルコニーに出るのは実に爽快だった。>
サーチライトが通り過ぎる。アイヴィミー夫人は曽祖父から聞いた話を語る。曽祖父が住んでいた館、ある日望遠鏡で見た情景。話しをするアイヴィミー夫人は長い年月を超えたように見える。
(あとがきでは、書かれた見る人と語る人とそれを読む読者の入り混じりが解説されています。そのためのこの読み心地か!)

『外から見たある女子学寮』
(冒頭)
<羽毛の白を湛えた月の光があるので空は決して暗くなることはない。>
光り輝く年頃の女たちは部屋でおしゃべりをしてゲームをする。アンジェラは突然心に輝きを感じる。彼女は部屋に何人もの友人がいても、アリスに対して話し、心のなかでは彼女の髪にキスをしていたのだ。

『同情』
(冒頭)
<ハンフリー・ハモンド。四月二十九日、バッキンガムシャー、ハイ・ウィッカム、荘園館ーシーリアの夫だ。これはシーリアの夫に違いない。なんてこと。信じられない。ハンフリー・ハモンドが死んだ。>
若い友人の若い夫が死んだニュースを見て、あまり親しくしなかった過去や、今彼女に会ったらなんというだろうなどの情景が浮かんでは流れていく。それがいつの間にか実際にシーリアに会って直接彼女からネタバラシを…、えええ?

『ボンド通りのダロウェイ夫人』
(冒頭)
<手袋を買いに行ってくるつもりだとダロウェイ夫人は言った。>
長編『ダロウェイ夫人』(読んだことない)の一部でしょうか?ロンドンを歩きながらクラリッサ・ダロウェイ夫人が見たもの、それにより感じたことを連ねていく。

『幸福』
(冒頭)
<ステュアート・エルトンがズボンについていた白い糸くずを屈んではらったとき、些細なその動作には感覚の滑動それに殺到があり、一輪の薔薇から一枚の花片が落ちたようでもあったし、状態を起こしてミセス・サットンとの会話を再開したステュアート・エルトンが感じたのは、自分が何枚もの花片の固く密な集合であり、そしてどの一枚も先端が赤く色づき、生気に溢れ、説明できない耀きをまとっているということだった。>
二人の男女が会話を交わす。女は男に「あなたは私が知っている中で一番幸福そうだ」という。男は自分に挑みかからんばかりのその言葉に、幸福の中にあるものを考える。そしてその日のこと、自分が持っているものを思う。

『憑かれた家』
(冒頭)
<あなた方が起きたのが何時だったにせよ、そのときドアが閉まる音が聞こえたはずだ。>
夜明け前の家で何かを探すまるで幽霊のような男女の影。わたしが求めるこの家の宝がなにか知っているようだ。
 家の中の女性が、夢のように自分が求めるものを示されるのを感じた、ってこと?

『弦楽四重奏団』
(冒頭)
<さあ、ようやく辿りついた。>
サロン?の広間にいる主人公が、周りの人たちの会話を聞き何かを考え、四重奏の音を聞いて、広間から外を見て見えないところのことを考えたり…する話?

『月曜日あるいは火曜日』
(冒頭)
<物憂げに、無関心に、翼で軽々と大気を打ち震わせて、行くべき道を知る青鷺は協会の上空を飛ぶ。>
飛ぶ青鷺を主体にして、その下の光景を流れながら見ているような語り。一瞬飛び去ったそこにも人々の生活がある。

『キュー植物園』
(冒頭)
<楕円の花壇からハートの形の、あるいは舌の形の葉を身の丈に半ばまでつけた茎が百本ほど群れて上空を指している。>
最初はキュー植物園の花の様子が輪郭をはっきりさせない感じで書かれる。側にいる夫婦はそれぞれ昔のことをも出して打ち明ける。蝸牛は葉っぱの上を行ってそして戻る。年配と若い二人連れの男が通りかかる。次には年配の二人の女。蝸牛は角の先で自分の道を確かめる。若い男と若い女が通りかかる。花弁の色、太陽の光の色、進む蝸牛。
物事に輪郭はないのかもしれない。

『池の魅力』
(冒頭)
<たぶん、かなり深いのだろう――たしかに底は見えない。>
あの頃は、今は売りに出されている農場にいた。近くの池に釣りに行った。あの時恋して、キスした女は池に身を投げたのだ。人はなぜ池に近づいて底を見ようとするのだろう、久しぶりに訪れた場所で、思いが湧き上がり沈んでいく。

『徴』
(冒頭)
<山の頂には月のクレーターによく似た小さな窪みがある。>
中年の女性がアルプス避暑地のホテルで手紙を書いている。彼女の目に映るもの、考えたことが連連と綴られる。山間には墓場があり、山の遭難者も多い。女性は母の死のことを考え、その後の人生を思う。療養に来ている病人のことを思う。
全体的に死に近いところにいる感じ。

『壁の染み』
(冒頭)
<はじめて壁の染みに気がついたのは今年の一月のなかばだったろうか。>
お馴染みの空想に浸りそうになったときに壁の染みに気がついたのだった。あのとき立ち上がったのか、そうはしなかったのか。どうやってできた染みなのか、前の住人はどんな人だったのかを考えたのだろう。そして思考の小道に入り込む。死後のこと、あの時の会話のこと、壁の染みのこと、家具のこと。染みを見ていると盛り上がっているみたいだ。塚のように。それとも墓?そこに考古学者たちが来るのだろう。何も証明されていない。
彼女の思考は、部屋に入ってきた男(夫?)の現実的な言葉により終える。

『水辺』
(冒頭)
<海辺の町がどこでもそうであるようにそこも魚の匂いに満ちている。>
そんな町に避暑に来たのかな?目に止まったものを次々に書き留めたり、現実な会話が聞こえてきたり。

『ミス・Vの不思議な一件』
(冒頭)
<群衆のさなかで覚える孤独感が類例のないものであることは常識になっていると言えるだろう。小説家たちは飽くことなくそれを取り上げ続ける。>
ミス・Vのようにロンドンでは、人々から「気に掛ける必要はない」と結論されることがある。確かに生きているし、見かけたかもしれないし、挨拶もしているだろう。でも人々の意識には残らない。そんなミス・Vのことを突然思い出したら?影を改めて消すことはできるのだろうか?

『書かれなかった長篇小説』
(冒頭)
<そのような不幸の表出は視線を新聞の上まで引き上げさせ、憐れな女の顔を注視させるに十分値した。>
電車の向かいに座った人々の中で、彼女のことが目に留まった。頭の中で彼女の人生を考える。長い乗車時間で彼女と言葉を交わした。彼女の義理の妹。彼女はわたしにではなく自分に話しているみたい。義理の妹、きっとヒルダ。そして彼女はきっとミニー。ヒルダはきっと不幸なミニーとは違って若くて活気に満ちているのだろう。甥や姪たちはミニーを黙って見つめるのかもしれない。過去にミニーは過ちを犯して、彼女から去った男がいるのだろう。
わたしの頭の中の「書かれなかった長編小説」は彼女が電車から降りるときに砕かれる。わたしの連想とぜんぜん違って、幸せそうな彼女の人生が見えたのだ。わたしは人生の空虚を感じたのだが、でも人生への温かさ、広がる空想と、現実の生命の耀きを感じるのだった。
真剣に書いているけど「妄想が違ってたー!びっくり!」な話・笑

『スケッチ』
 ・電話
<ロンドンはひっそりとガラスの窓に打ちよせる。>
夜、窓にロンドンの人々の思いだとか音だとかが集まってくる用に感じている、のかな?
 ・ホルボーン陸橋
<これがホルボーン陸橋…そして生気のない芝地。>
生気のない芝地、といいながら、それぞれの家では暖かくしっかりと生活しているだろう、ということも考える。
 ・イングランドの発育期
<いつも根だ、彼女が目にするのは。>
幼い頃の思い出なんだけど、家の外では狩猟が行われて競馬馬をみて、でも家の中では父は厳しく母は自分に関心を持たず…、ええ?作者本人の心に浮かぶことなの?
(あとがきによると幼少期には色々と…(-_-;)

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2026年04月12日

Posted by ブクログ

もちろん後からの私たちは、彼女の最期を知っていて読むわけで、つい儚さとか弱さとか繊細さとか脆さとか…をイメージしながら読んでしまうのだけれど、意外にもしっかりとした強さをも感じる。

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2022年02月14日

Posted by ブクログ

ヴァージニア・ウルフの本は2冊目。
ウルフは「意識の流れ」という文学的手法を使ったことで有名。

調べてみたら、意識の流れとは、人物の思考や感情が、川の流れのように途切れなく変化していく様子を表現する方法。出来事を客観的に書くのではなく、人物の主観的な視点から、思考や感情の動きを直接的に書くことが特徴。

という説明があったけど、個人的には客観的に感じちゃったな。
思考や感情が途切れなく変わっていくところがのめり込めなかったのか、フィルターを通して世界を見ているような、夢の中にいるような、そんな感覚がずっと続く。
話は入ってきにくかったから読み切れるか心配だったけど、読み心地は嫌いじゃない。

意識の流れを使ったものから、ファンタジー、ゴースト・ストーリー的な作品など、短編20作。

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2025年07月25日

Posted by ブクログ

絶版のちくま文庫版と収録作品はほぼ同じ。以前読んだとき同様、やはり「キュー植物園」の完成度がとびぬけてすばらしい。園を行き交う人びとが、ありえたかもしれない過去に思いをよせたり、でもいま手にしているこの現実でよかったんだと思いなおしたりする意識の流れが、花々や蝸牛の描写をおりまぜつつ見事に点描されている。絵で喩えるならジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のよう。

他には「堅固な対象」「池の魅力」も好み。一方、焦点のない構図で撮影された写真みたいに、とりとめがなくてよくわからない話も。

 【ノーツ】

▶20世紀は「メタ」の時代
・訳者解説によると、ブルームズベリー・グループはメタ倫理学のG.E.ムーア(ケンブリッジ大学)と関係が深かったらしい。ウルフの解説でムーアの名前が出てきて意外。以下のムーアの主張は小説の解釈にも援用できるとのこと
・「美しい客体というものは有機的な統一体であり、ひじょうに複雑な統一体であるので、どの部分であれ一部を熟考することに価値はないかもしれない。けれども統一体にかんする熟考は当該のその一部にたいする熟考を含まないかぎり、価値をもたないだろう」(G.E.ムーア『倫理学原理』)
・メタ =「一段と高い階型の」、メタ的な視点に立つ = 対象の前提を疑う = 自己言及
・20世紀は「メタ」があらゆる学問分野で生じた時代。多くの人がそれまでの前提や自明性を疑うようになり、あらためて「自己」について考えだした。ウルフの意識の流れもその一例

▶視覚=指示
・(語り手が)xを視覚的に描写する、xに視線をむけながら語る =(読者に)xを視るよう指し示す
・ウルフの短編を読むなかで読者が目にするのは、「細部まではっきりと見える本質的に不明瞭なもの」(230頁)

 【目次】

■ラピンとラピノヴァ……Lappin and Lapinova
■青と緑……Blue & Green
■堅固な対象……Solid Objects
■乳母ラグトンのカーテン……Nurse Lugton's Curtain
■サーチライト……The Searchlight
■外から見たある女子学寮……A Woman's College from Outside
■同情……Sympathy
■ボンド通りのダロウェイ夫人……Mrs Dalloway in Bond Street
■幸福……Happiness
■憑かれた家……A Haunted House
■弦楽四重奏団……The String Quartet
■月曜日あるいは火曜日……Monday or Tuesday
■キュー植物園……Kew Gardens
■池の魅力……The Fascination of the Pool
■徴……The Symbol
■壁の染み……The Mark on the Wall
■水辺……The Watering Place
■ミス・Vの不思議な一件……The Mysterious Case of Miss V.
■書かれなかった長篇小説……An Unwritten Novel
■スケッチ
 ・電話……The Telephone
 ・ホルボーン陸橋……Holborn Viaduct
 ・イングランドの発育期……English Youth

■解説 ヴァージニア・ウルフについて——西崎憲
■年表

 【引用】

■堅固な対象……Solid Objects

 ジョンの心のなかにこうした思いがあったか、あるいはなかったか、いずれにせよガラスはマントルピースの上に置かれることになった。ガラスは請求書と手紙の束の上に鎮座し、素晴らしいペーパーウエイトになっただけでなく、書物のページからふと目が離れた折など、視線の止まり木として絶好のものになった。考えごとの途中で何度も何度も視線の対象になったものというのはそれが何であれ、思索の織物と深く関係を持ち、本来の形を失い、すこし違ったふうに、空想的な形に自らを作りなおし、まったく思いがけないときに意識の表面に浮かびでたりするものだ。(32頁)

■キュー植物園……Kew Gardens

 こうした言葉のあいだには長い沈黙が挟まれていた。ふたりとも表情も変化も乏しい声で話した。ふたりは花壇に密着するようにして凝と動かずに立っていた。それからふたりで女の持っていたパラソルを柔らかい地面に深く突き刺した。その行動と女の手の上に男の手が重ねられたという事実は、ふたりの感情を奇妙な形で表現していると言えた。あたかもふたりの取るに足らない会話が、やはり何かを表現していたように。短い翼しか持たない言葉は意味で重くなったふたりの体を遠くまで運ぶには力が足りず、ただ周囲をとりまくごく当たりまえのものに無様にぶつかるだけだった。そしてそのせいで接触がそれほど力の籠ったものになった。(128頁)

■池の魅力……The Fascination of the Pool

 もし人が藺草の茂みに腰を下ろして池を見るならば──池というものは何かしら不可思議な魅力を具えている。人が説明することのできない魅力を──赤と黒の文字が記された白い紙が水の表面に薄く貼りついているというような印象を覚えるだろう。また一方、その下では理解の及ばない水の生活が営まれているという印象も受けるはずである。人の精神における思索や熟慮といったものによく似た営みがそこで行われているという印象。時の推移にかかわらず、時代の推移にかかわらず、多くの者が、ひじょうに多くの者が独りでここにやってきたに違いない。自分の想念を水のなかに流しいれるために、何事かを池に尋ねるために。この夏の夕つ方ここにいる者がいまやっているように。たぶん池が魅力を持つのはそのせいだ──水のなかにあらゆる種類の夢想や、不平や、確信を擁しているのだ。書かれたこともなく、口にされたこともないそれら。ただ流体のような状態で犇めきあう、実体性のかぎりなく希薄なそれら。葦の刃によってふたつに断ちきられ、その隙間を一匹の魚が擦り抜けていく。月の皓く大いなる円盤はそうしたものすべてを殲滅する。池の魅力は立ち去った者たちが残した想念の存在ゆえである。そして肉体から離れた想念は自由に、親密に、会話を交わしながら、出入りする。共有地のこの池に。(135頁)

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2023年02月16日

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