あらすじ
スコットランドの孤島の別荘.哲学者ラムジー氏の妻と末息子は,闇夜に神秘的に明滅する灯台への旅を夢に描き,若い女性画家はそんな母子の姿をキャンバスに捉えようとするのだが――第1次大戦を背景に,微妙な意識の交錯と澄明なリリシズムを湛えた文体によって繊細に織り上げられた,去りゆく時代への清冽なレクイエム.
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Posted by ブクログ
非常に独特の文体で、使っている言葉や世界観が難しいわけではないのに難しく、何度も戻って読み返す必要があった。視点が非常に流動的で、誰視点での文章なのかを見失いやすい。しかし感情の表現が非常に繊細かつ美しく読んでいて飽きない。
事前知識をあまり入れずに読んだので、第一部の時点ではどういった物語なのか掴めず、第二部に入った瞬間に急に物語が一転し驚いた。
ドラマティックな出来事は作中のシーンでは描かれず、物語のプロローグとエピローグだけを切り出したような作品だ。そうすることで平坦でありながらも衝撃的であり、静かで落ち着いた作風でありながらも飽きさせない名作だった。
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灯台のそばの屋敷と、そこに滞在する人々の物語。ラムジー夫妻の関係性は陰影に富み、非現実的ながら極めてリアル(こういう夫婦、どこかにはいそう)。ほかの登場人物も違う時代のイギリス人なのになんだか知り合いのような気がしてくる。美しいものをどこか醜悪に、なんでもないものを美しく描き出す、本筋とは関係ない描写も見どころ。読み終わるのが悲しく感じた。
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第一次世界大戦というそれまでの歴史に類を見ない惨劇が世に暗い闇を落とし、そのことが当時の人々の中に道徳的な葛藤や、生きることへの哲学的な思索を促したであろうことは想像にかたくない。そうした闇のような世界の中で「灯台へ」というタイトルはとてもシンボリックであり、実際darknessとlightningは本書に繰り返し用いられるフレーズで、作品の重要なテーマのひとつとなっている。
本来、人が人のことを理解することは容易な作業ではなく、どこまでいっても推測の域を出ないものである。それは例えると、自己と他者の間には常に暗闇があるようなもので、とくにここでは、戦争という時代背景がその闇をさらに深くしているようである。本書の登場人物たちは、その闇に照らされる灯台の光を探し求めるかのように、想像力を膨らませ、思考を重ね、相手の実像を捉えようとする。その思考の機微、それらが織り成す細やかなビジョンがとてもリリカルで豊かに描き出されているのが、本書の大きな魅力である。なにか共感や物語世界への自己投影を読書の楽しみとする場合には本書はオススメはできない。しかし私としては、今のこの世の中も、人が生きる倫理観や意味合いを問われるような、深い闇が広がっていると思うし、時代の転換点に私たちは生きていると思う。その意味でヴァージニア・ウルフが本書でみせた生きることへの透徹な思索は、現代を生きる私たちにも大きく訴えるものがあると感じる。
訳文の巧さもあると思うが、文章がとても美しく、この点も楽しめる作品だと思う。
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こんなに長いのに、一日の物語。
風景描写がただただ美しく、よく知らないまま思い浮かべていた風景と、読後に調べてみた時に見たスカイ島の風景がそこそこ合致していて慄きました。
文章だけでこれだけ伝えられるってすごい。
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「明日、灯台へいく」その約束をした家族が崩壊し、その約束で再度集まるような物語。
3部構成の1冊。同じ感情を持たずとも一緒にいる家族。そこからの崩壊と最後の描きが強烈。すべてを理解できてはいないけれど、ラストの風景、ヤヴァイ、泣く。
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小説はやっぱり素敵だなと思う。
焦点をあてているのが、何か大きな出来事ではなく、折り重なり揺れ動く人の感情であるところが好きだった。誰もが人との関わりの中で、意識と記憶を織り交ぜて生きてる。その絶妙なバランスが表現できる方なのだと思う。
また、リリーが真に自立を得る様子の描写が素晴らしかった。
私は、こういう作品に小説の醍醐味が詰まっていると思う。
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第一部ではたった1日の出来事を意識の浮遊と比喩の連鎖にたくして語りが進んでゆく。第二部になると嵐のなかで急速に時間がながれ、第一部でも絶えずちらついた灯台の影が妙な主体性を帯びるように感じる。個人的にはこの章が最も好きだった。そうして10年の月日がながれると、第三部では幻想と現実がおおいに入り乱れる。静かながらも重みのある小説だった。
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小説であるが小説ではない。言葉も展開も見事。さまざまなところに意識がいきわたりそれを言葉にすることをどこまでも追求しているのがわかる。本当に面白かった。
作中言葉の無力さを嘆く場面、ラストの場面などから筆者の葛藤や決意が見て取れる。芸術に対する態度についてしっかりと作中で言及し表明していることは、彼女の人生を写しとった作品だからこそ顕在化した父の影響なのであろうか。
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わずか400ページに凝縮された10年の歳月、でもその遠隔が確かな重みをもってこちらに伝わるのは構成の妙ゆえか。時の流れの描写が展示品のように端正だった
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非日常を書く作家は数多くいるが、なんでもない日常を書く作家は少ない。
事実を書いた作品は山ほどあるが、心を書いた作品は少ない。
これはなんでもない日常、その場にいた心を書いた作品。ウルフさんまじ半端ねぇ。
いつもと違う物語を読みたいという方へ。
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なんて美しい小説なのだろう。波の満ち引きの様に押しては返す内面の機微、それを優れた知性と洞察力によって掬い取り、繊細に言葉を紡ぐ事によって日常に寄り添う幸福や憂鬱を情景豊かに描き出す。家族と友人たちの一日の風景と瞬く間に過ぎる10年という歳月、そして再び描かれる一日の風景。内面描写の主体を次々と移しながら表象には出てこない感情のひだまで丁寧に描き出すその文章は、雪の結晶の微細な美しさに触れた時の感覚に似ている。だからこそそれはどこか儚く、触れてしまえば粉々になってしまいそうな危うさも感じさせてしまうのだ。
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読み終わった後、自分がなにを読んだのかよくわからなくなってまた繰り返し読んでしまうような本。
文章の力のせいかどんどん読めてしまう。書いている内容はある意味ほんとうに生々しいのに、どことなく清潔ですらすらと読める。
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今まで読んだことがないタイプの小説。独特の読みづらさがあり、不快では決してないものの、終始違和感を抱えながら読み進めた。
この小説には明確なストーリー性はほとんどなく、主要な登場人物の意識の微妙な動きがひたすら描写されている。意識は浪々と流れる。まだここにいるのかと思えば、突然別の場所に飛んでいく。だから、中々ついていけない。自分自身の意識でさえ追いつくのが難しいのに、架空の人物の意識となると、なおさらだ。意識の早さ(あるいは遅さ)についていけない感覚が、読んでいる間じゅう抱き続けた違和感の正体なのだろう。
このような小説も存在するのだという事実は新鮮で、貴重な読書体験となった。
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すごく面白かった。
第一部「窓」では8人の子どもをもつ良妻賢母ラムジー夫人から見た1日の出来事が描かれている。ラムジー夫人は美人で、気分屋の夫ラムジーをよく観察してケアし、バラバラな人達を繋ぎ止め、誰からも好感をもたれる魅力があるが、結婚することが女の幸せという古い価値観に疑問をもたず、牛乳や水道のような取るに足りない生活の話題ばかりをする点から、一部の人からは愚かしいとも思われている、一つの理想の母親像を体現している人物である。しかし、ラムジー夫人は女性として求められた役割を果たしていることに自覚的で決して頭が悪いわけではなく、一人で灯台を見つめる時間を必要としており、典型的な母親像をはみ出す部分が随所に描かれていて、その心理描写は鮮やかである。
そして、第三部「灯台」では、第一部から第一次大戦をはさんで10年が経過しており、その間にラムジー夫人(及び子2人)が亡くなったことを知らされる。夫ラムジーの暴君ぶりは顕在で、子ども達も父から命令されて嫌々ながら10年前にラムジー夫人と行くはずであった灯台を目指すことになる。みんなを繋ぎ止める役割の不在という形で、ラムジー夫人の存在感は増しており、第一部の日常が掛け替えのないものであったことが実感される。それでも、ラムジー親子によるセンチメンタルになりそうな旅路は、残った者だけでも生活が続いていくという頼もしさがあり、予想に反して清々しい。
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こんな小説は初めて読んだ。
人物の視点で、意識の流れる様子を整理したりせずそのまま映し出したような文章。
人から人へ、するすると視点が切り替わっていく。
それでも置いてけぼりにはならず、実際の人間の頭の中ってこんな感じだよなあ、と自然に感じられた。
【印象に残った表現など】
・哲学者のラムジーが妻の同情を求める様子。
「生命の輪に参入して励まされ宥められることを求め」
・ラムジー夫人「いろいろ人に与えたい、助けてあげたいと思う自分の気持ちも、虚栄心にすぎないのではないか」
(これは考えたことある。)
・普段の生活での人間性と学問における偉大さの乖離。
(これも実感としてわかる。)
・「我らは滅びぬ、おのおの一人にて」
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思考の大間違い(たとえば、世界が自分ひとりのために完結しているというような)を冒しているときに読み直したい本。人びとが、さまざまの視点からさまざまのことを、物語がばらばらになりそうなほど語るけれど、それはその実細い糸で丁寧に縫い合わされて、読者を場から離さない。……かと思えば時はあっという間に過ぎ去る。そうして最後は、印象的な場面(シーン)の数々をひとりの人物のもとイメージのもとに残して幕を閉じる。こんがらがっていた真珠のネックレスが、糸をするするとただされて、終わりにかちりと留金をされたよう、でもあって、奇妙な充足感とともに、裏切りを成し遂げたみたいなおかしな達成感を見た。
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イギリスの女流作家。初期の“Jacobʼs Room”(1922)あたりから伝統小説のプロットや性格概念に対して実験的再検討を試み、”Mrs. Dalloway”(1925)や”To the Lighthouse”(1927)などで刻々と移り変わる人物の意識の流れを叙述していく方法を確立
ウルフは外側のリアリズム、すなわち人間の外面的なものをいかに現実らしく書くかを重視した19世紀のリアリズムを否定し、独自の新たなリアリズムを作り出そうとした。
いわゆる実験小説と呼ばれる彼女の三つの作品、『ジェイコブの部屋』『灯台へ』『ダロウェイ夫人』を比較してみると、それぞれの作品における客観的時間の長短は極端に異なっている。
『ジェイコブの部屋』→ジェイコブの幼少期から戦争に出て死ぬまでの20年間
『灯台へ』→10年を挟んだ前後それぞれ1日づつ
『ダロウェイ夫人』→朝起きてからパーティーまでの10数時間人物を外側からでなく、内側から描こうとする。
『灯台へ』においてもウルフはこの方法を採用しているが、実験第一作『ジェイコブの部屋』では多数の人物を登場させ、各場面でそれらの人々の目に映るジェイコブを描いたが、それに比べると、彼女の技法の用い方はその時より効果的になっている。
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きっと多くの作家がウルフの作品から、神の啓示ではないけれど影響を受けたのではないかと思う。
だってそういうイマージュを引き起こさせるものがありすぎる小説だもの。
はじめ、とりかかりは難しいなーと思った。
意識の流れが登場人物のあの人この人に飛ぶものだから、
人物関係がぼんやりとして戸惑い、いらいらさせられたのだけれど、
慣れてくるにつれ心地よく全体の流れに身をゆだねていた。
古き良き時代、美しき良妻賢母のラムジー夫人は哲学者で気難しきラムジー氏と
8人子ども達と仲良く別荘暮らしをしていたそうな。
そこはイギリススコットランド北西岸沖、ヘブリディーズ群島のひとつの島。
別荘に招くお客も多く、8人の子持ちにもなれば仲良くはご多分にもれず簡単ではなかった。
でも、この家族の交流のあたたかさ、親しみは凡庸ではないのだ。
と、これが美しくも繊細な文章で綴ってあるのが第一部「窓」。
第二部「時はゆく」で暗転。
第三部「灯台」にいたると、にじみでるような希望の光がほのみえる。
この構成がにくい。
美しきラムジー夫人と末っ子ジェイムズを庭から描こうとしている、お客様の画家リリー・ブリスコウ。
全編の表と裏に登場し、意識の独白をして、その目を通し語られる家族の姿が、
作者の意識であり、思想であるともいえる。
ヴァージニア・ウルフの亡き両親にささげるレクイエムの意味も。
ああ、
通俗的に書いてしまったのだが、本当はものすごく芸術的な、芸術的な作品なのである。
もちろん、何度も読まねばならない、愛読書になるだろう。
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”百年の誤読”から。最近専らそればかり。それはさておき、これは言ってみれば、灯台へ行くだけの小説。何じゃそらって感じだけど、内容のことを表現するとしたらそうなんだもの仕方ない。文章の美しさに心酔するって読み方が、いまひとつ身についていない自分だから、きっと本書も味わい切れていないんだと思う。美しい文とか、素敵な表現とか、そういうのを目いっぱい味わうための小説だと思う。人物描写とか物語の内容だけでいうと、これより没頭できる作品は数多あると思うもの。でもウルフ作品、他にも挑戦したい。もう少し分かりたい。
Posted by ブクログ
1927年発表、ヴァージニア・ウルフ著。孤島に住む夫人とその一家、彼らを取り巻く画家ら数人。第一部「窓」:明日灯台へ行くことを思いながら日が暮れ、夕餉の席で頂点に達する各人の心理的緊張を描写する。第二部「時はゆく」:擬人化した風や闇などに視点を据えつつ、それらに家が侵食されて廃墟と化していく過程を描く。第三部「灯台」:十年後、再び家に戻ってきたラムジー氏と子供達がようやく灯台に向かう。
濃密な心理の流れだった。
第一部:主観人物はころころと入れ替わり、特に夫人の存在感が他の登場人物の心理に及ぼす影響を精密に、詩的に、哲学的に描いている。静かな池に石を投げ入れて波紋が広がっていく様を眺めているような印象を受ける。ストーリー自体はほぼ動いていないのだが、微妙な精神の揺れを介して、各人の関係や思想が浮かび上がり、物語に深みを与えている。
第二部:この部が一番面白かった。風の小隊など、自然現象に関するユニークな表現が目を引く。それに比べて、主要人物のストーリーは非常に簡潔に語られている。生き生きとした自然と無機的な人間。全てが朽ちていく、という事実がひしひしと伝わってくる。
第三部:つくづく人の死というものは、肉体としての死だけでなく、心理的な内面の世界(それは他の人の心にも食い込んでいる)をも含むのだと痛感した。そしてようやく灯台に到着したシーンでは深い解放感を覚えた。特別取り立てて言うことのない本小説のストーリーなのだが、たったそれだけの行為に膨大な心理が詰まっているのかと思うと、感慨深いものがある。こうして一旦は灯台に流れ着いた精神の流れは、これからも、永久に、主観人物を変えつつどこかへ流れ続けていくのだろう。
解説によると、本小説は著者自身の両親に対するレクイエムらしい。永久に続く流れに身を委ねること、委ねられると納得できたこと、その穏やかさを著者はきっと感じたことだろう。
Posted by ブクログ
とにかく描写が繊細。精神描写も情景描写も、繊細すぎて粘着質に感じるくらい。ウルフの言葉へのこだわりを感じるなあ。と言ってもウルフについてはほとんど無知で、精神を病んでいたとか自殺で亡くなっているとか、巻末の解説等を読んで知ったんだけど。
二章の時間経過の表現はすごく好きだ。なんとなくガルシア・マルケスの「百年の孤独」を思い出した。
「われらは滅びぬ、おのおの一人にて」後半から最後まで何度か繰り返されるけど、繰り返されるうちにこの一節が段々胸に響いて切ない気持ちになってくる。
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Xでよく見かける本。確かにおすすめされる理由がわかる。
まず、女性作家という点だけで時代的に価値がある。ドストエフスキーもワイルドもみんな男性作家だし、当時の女性の立場を女性自身の視点で描いたというだけで大きな意味がある。
この作品は「見られる性」としての女性を描いている。夫やその友人たちに見られていることを気づかないふりをしているが、意識していたり、男性が求めているものを分かっていながらも、それを渡さない男女の駆け引きだったり、なるほど。そういう瞬間がたくさんあるよねの連続。
また、「女性」を超えて「ケアする側」の感情の揺れも細かく描かれていて、現代でも通じるリアルさがあると思う。誰かを支えることの与えつくす疲労、そしてケアする/される側の両者依存。男女問わず、「ケア役割」にいる人なら共感できるところも多いと思う。
ただ、文体がとにかく読みづらい。意識の流れをそのまま書いている感じで、今誰の思考かわからなくなる瞬間が多い。
あと、主人公の女性像があまりに旧時代的で、令和を生きる大学生にとっては「化石レベル」。ノスタルジーにもならない印象。だから、入り込めなかった。
でも、考えさせられる部分は多く、もう少し成熟してから読めば確実に見方が変わる本だと思う。
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灯台へ行くという設定おもしろい。
物語はアクションが起きるのではなく、思考の流れが主になる。めたんこたくさんの比喩表現があり、ある意味とてつもなく回りくどい。
何個か好きな表現はあったが、個人的にはあまりピンとくるものは多くなかった。
Posted by ブクログ
イギリスの作家ヴァージニア・ウルフの小説。
時は1900年代初頭。そこに遠足に行くことを心待ちにしている幼い子供が明日は灯台に行けるのかを母に問うと、横から気難しい父親が「天気は、まず駄目だよ」と全否定し、幼心がショックを受ける場面から始まる。
以降、複数の登場人物が他人をどのように知覚しているかを、イギリスの小説っぽく冗長に描く。著者は「(人の)生はつり合いよく整えられた一連の馬車ランプの光ではない。我々を取り巻いている半透明なかさ、luminous haloである。この定まららぬ、捉えがたい精神を書きあらことが小説家の仕事ではないだろうか?」と述べている。つまり、いつまで経っても変わらないのではなくて、生は無常であること、そんなことに迫ろうとしているのだろうか。
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津村のよみなおし世界文学の1冊。3部構成になっているイギリス文学である。最後が灯台へということであるが、最初の窓の1部から灯台がシンボルとして出てくる。アメリカ文学のように具体的な場面の連続ではなくて、考えが中心である。
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あらすじを追っていくこと、それを自分の経験や知識に照らして理解へ落とし込んでいくことが、いかに無意味かということを、この小説は教えてくれる。
この作家は、とても自分の心の動きに敏感な人だったのだろう。
人が人と視線を交わす。ただそれだけの刹那、どれほどの思索が交差するか。それをあますことなく文字にしたらこうなるのかもしれない。
こんな小説、ほかに見当たらないのではないか。
そしてまた、これほど内省に特化した小説もない。
すでに100年も前にものされてしまっているのだから。
自分という存在は、果たして一貫しているのか。
それにさえ疑念が湧いてくるようだ。
それでも作家は、人間の最後の希望の拠り所は人とのつながりに見出しているのだろう。
がんばって解釈すると上のようなことだろうが、まだまだ読み切れていないと思う。そして、きっと元気なときに読まないと、ひどいことになりそうな、そんな気がする本でもある。
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3月にある読書会課題本。「ある一家の十年」というタイトルでもよいような話。個人的にはあまり嵌らなかった。ストーリーにドラマチックな展開などは、ほとんどない。全体に詩的な雰囲気があり、しかもところどころに戦争の暗い陰がただよっていて、それが本書に独特の深みを与えていると思う。誰にでもお薦めできるものでもないが、一読をして損はしないと思う。
Posted by ブクログ
読み終えるのになかなか時間がかかった。
登場人物の間に張りつめた糸を手繰っていくような感覚。
あるひとりの思考を辿っていると、それがいつの間にか他の人の思考につながっていて…時間の流れにそって漂う意識を言葉によってなぞっていく、不思議な体験だった。
オールドミスのリリーが良妻賢母の権化ともいえるラムジー夫人に抱く複雑な感覚はわかるなぁ、と思いながら読んでいた。ぼんやりとした憧れと、お節介を少し疎ましく思う心と、愛し愛される人を「自分とは違う人種だ」と思いつつも羨む気持ち。
二章の時間の流れの描写がとても好き。