ヴァージニア・ウルフのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
初ヴァージニア・ウルフである。
イギリスアメリカの本や映画によく引用されたり、名前が上がってくるので、もちろん名前は知っていた。「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」という映画もあるほどである。
友人がSNS で勧めているのを見て読んでみた。
基本は、登場人物たちが何を感じて考えているかの頭の中を文章にしたもの。主人公であるラムジー夫人のものが一番多いが、ラムジー夫人の考えを意識について書いていたかと思うと、次に別な登場人物の意識や考えに変わっていたりする。
この前読んだ「長い一日」はこれであったかと改めて思った。「意識の流れ」という、20世紀のモダニズム文学の手法であると、何かのレビューで読んだ。
確かにプルーストの「失われた時を求めて」はこんな感じである。今となっては当たり前と思われる手法が、実はある時代において、新しいものであったということに、まずは驚いた。
この作品については集中して読んてしまうところと結構読み飛ばすところがあった。主にラムジー夫人が夫について考えてることや別の登場人物であるリリーの思考などが私の興味を引いたようだ。
そして、私自身の意識や思考や感情も考えてみると、絶え間なく流れている。いろんな新しいことを考えている。ずっとまっすぐに同じことを考えてるのではなく、いろんなことが入ってくる。例えば、仕事で1つの大きいこと考えたとしても、「あ、そういえば昨日の夕ご飯何食べたっけ?」とか「あの人のあの言葉ムカついたんだ」とか、いろんなことをちょいちょい思い出しながら、メインのストリームに戻っていく。メインのストリームがあることもあれば、それすらもなくて、細切れの考えが次から次へと、しりとりのように動いていくこともあるし、全然関係ないものが動いていくこともある。
これを表現した作品らしい。2章があることによって、意識の流れの羅列に大きなメリハリがつく。 -
Posted by ブクログ
チャレンジの気持ちで読みました。近代文学。
感想。めっちゃ味わいのある面白さ。唯一無二。
1番印象的だったのは、その独特な筆致。"〇〇が恭しく言った"とかわざわざ書かない。こんなに流れるように人物の視点が変わりがわりするんだ!ととっても驚きました。でもそれが非常にクセになるんです。気がつくと同じ文なのに主語が入れ替わってる。なんてことが沢山ある。この"アクションを起こす主体が入れ替わる立ち替わりする妙技"を、この一度目の読書の中で多分に感じて面白かったのは、家族が揃って同じ卓で夕食を取るシーンでした。
このスタイルなのに全体通した感想が"読みにくくて分かんないなぁ"という感想にならないのが凄い…
あとは
"灯台"というのが登場人物全員から"心理的距離があるもの"として描かれている感じもあり、なんというか"この本の灯台って実は読んでいる自分たちが思い描いてる灯台の形を思い描いて書かれていないんじゃないか?"と予想でき得る感覚を得て、そこも面白ポイントだった。
近代文学なので表現が文語的なところもあり、(多分他に比べたら全然マシな方だと思うけど)そこには読書経験のなさから苦戦はしたところはある。しかし間違いなく"また読みたいな。絶対また時間作って読もう!"って思えた作品だった。2回目読んだ時には感想はまた変わると思う… -
Posted by ブクログ
家族には絶対的な存在で逆らうことが許されない哲学者ラムジー氏、偉大な家長として頼られ崇められ、時には反発される。海の向こうに見える灯台へいこうという息子のジェイムスに、にべもなく「明日は晴れないだろう」という。美しくしっかりもので周囲からあがめられる8人の子持ちの理想的な母親ラムジー夫人、独身女性には結婚しなければいけないと解き、身近に集う若い男と女を結びつけようとする。
独身の女性画家リリー・ブリスコウやウィリアム・バンクス、チャールズ・タンズリー、オーガスタス・カーマイケルなどもラムジー家のスカイ島の別荘に一緒に滞在している。
第一部では、そんなラムジー家の別荘に集う人々の一日が描かれる。
第二、第三部は、10年後の別荘の一日。ラムジー夫人も美しかった娘のプルーも息子のアンドルーも亡くなっているが、ラムジー夫人は美しく理想の女性としていまだにあがめるリリーは、独身で、ラムジー夫人が画策したウィリアムバンクスとは結婚していない。ラムジー氏は10年前に果たされなかった灯台行きを決行する。反発するが逆らえず同行する16歳になった息子のジェイムスと娘のキャム。
われわれが周囲の景色やまわりの人々を見た時に、相手の機嫌を推察したり、時には高圧な態度に反発したり、でも敬愛すべき人であると思い直したり、そこから派生して過去の行動や会話も連想したり、まわりの景色に思いを寄せたりといった心象風が続く。 -
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本屋の棚に割と目立つように展示していたので、購入。
登場人物が考えていることが長々と綴られていく。いつの間にか、その叙述が別の人間の考えになっていたりする。その点については、あれ、と感じるが、読みづらくは感じない。
ただ、何かが起こるというより、登場人物の頭の中の考えをずっと読まさせていくのは、すごく疲れた。ページが進まない。前半はほんの半日の話なのに、だいぶ時間が掛かってしまった。
登場人物たちについて説明的な記述がある訳ではないので、哲学者ラムジー、美貌のラムジー夫人、その子供たち、夫妻の別荘に集う独身主義の画家リリー・ブリスコウ、学者、詩人達の人となりが判ってくるまで、ずいぶん時間が掛かってしまった。
ラムジー夫人はリリーに結婚を薦めるが、彼女にはその気なし。だけど、リリーは夫人を慕っている。また、夫妻の間の心理合戦がテレパシー会話のように語られる。
後半は10年後。夫人や子供にのなかには亡くなったものもいる。リリーの頭の中に夫人への愛慕、その不在が語られる。ジェームスは父親ラムジーを憎む気持ちがあるが、父がそれにまったく気づいていないような有様。
解説にジョイスの「ユリシーズ」との比較があった。
確かに凄い作品だと思うが、同じような本を喜んで読むかと云われたら、微妙な処だ。 -
Posted by ブクログ
ヴァージニア・ウルフを初めて読む。ヴァージニア・ウルフについては意識の流れ文体とか、精神疾患といわれるとか、最期がどうだったとか、そして映画『めぐりあう時間たち』で描かれていことしか知らずにいた。
あとがきでは翻訳者西崎憲によるヴァージニア・ウルフの生涯とか、解説が詳しく書かれる。幼少期から成長するまで母の連れ子(父親違いの兄)たちから性的対象にされていたんだとか、もしかしたら有名なのかもしれないけれども初めて知ったので、なんというか…(ー_ー;)
本文の翻訳では、ちょっと変わった漢字を使ったり(「滑る」ではなくて「辷る」、とか)、カタカナでなくて漢字が使われたり(麝香撫子にカーネーションとルビ)しているのだけれど、ページを見た時の印象が柔らかさを感じる。
全体的に「見えたこと、考えたことを連連綴る」なのであらすじにあまり意味はないのだが、読んで感じたことを書いてみる。そして一冊読み終えたのだが集中して入り込めばこの文体に交じることができたのだが、全部がそんな調子だったので途中で集中力がなくなってしまいました…。
『ラピンとラピノヴァ』
(冒頭引用)
<ふたりは結婚した。ウェディングマーチは高らかに鳴り響いた。鳩は飛び立った。イートン校の制服を着た小さな少年たちが米を投げた。フォックステリアがのんきにふたりの道を横切った。>
ロザリンドは結婚してアーネスト・ソーンバーン夫人になった。アーネストだなんて古くて固くて自分からは遠い名前。それなら彼はなんという名前かしら。そうね、トーストを食べる様子は穴うさぎみたい。うさぎ、フランス語でラピン。「それならきみは白い野うさぎだ」。逞しい夫と柔らかい妻は、二人だけの王国でラピン王とラピノヴァ女王になった。
ソーンバーン家の晩餐に呼ばれたロザリンドは、そこに野原のうさぎ一族を見た。
だがアーネストはラピン王になる時間がかかるようになる。ラピノヴァ女王は一人で野原の王国を彷徨う。そしてある日…。
『青と緑』
(冒頭引用)
<玻璃(ガラス)の尖った指先はみな下方を指している。光はその玻璃を辷り(すべり)降り、滴って緑色の水たまりを作る。>
ヴァージニア・ウルフには、日々の当たり前の光景がこのように見えているのだろうなあ(嘆息)
多分リビングで、太陽の光が玻璃(ガラス)に反射する。光の緑の水溜まりから砂漠の海を避けて歩く駱駝が見える。やがて海から大きな生き物が上がり、打ち上げられたその身体に青が覆い尽くす。
『堅固な対象』
(冒頭)
<砂浜の広漠とした半円のなかで動いている唯一のものはその小さな黒い点だった。そして、肋材(ろくざい)と竜骨だけになった鰯船が打ち上げられた箇所に近づくにつれ、黒さに生じた斑から点に四つの足があることが分かった。さらに推測が確信に変わっていく。それが二人の若い男に違いないという確信に。>
現状に憤り政治の世界に打って出ているジョンは砂浜でガラスの欠片を拾う。長年の波と風で角の取れたガラスをなんとなく部屋に飾った。ふと目に入るガラスの欠片はジョンの心に影響を及ぼしたのだろう、彼は丸くて中に輝きを持つような物に惹かれていった。ジョンの書斎には磁器や石やガラスの欠片、楕円のもの、いらなくなったものが増えていく。ついに彼の心はそれでいっぱいになり、政治にも、生活にも興味をなくすまでに。
カメラワークが、大写しから人間、内面に!
『乳母ラグトンのカーテン』
(冒頭)
<乳母のラグトンは動きを止めている。彼女は大きな鼾を一つ放つ。>
「人間がいない間にモノたちは動いたり遊んだりしているのでは?」という子供向けの情景はありますがそれを大人の心にも生き生きと描写する。ほら、ラグトンが寝ている間に、彼女が縫っている布の動物たちが息づいている。
(あとがきによると、姪のために書かれたのだそうだ。動物のカーテンは本当にあったんだろうな)
『サーチライト』
(冒頭)
<十八世紀に、とある伯爵のものだったその邸は、二十せいきにあってクラブとしての務めを求められることになった。円柱が連なり、シャンデリアが皎々と照る広場で食事をしたあとバルコニーに出るのは実に爽快だった。>
サーチライトが通り過ぎる。アイヴィミー夫人は曽祖父から聞いた話を語る。曽祖父が住んでいた館、ある日望遠鏡で見た情景。話しをするアイヴィミー夫人は長い年月を超えたように見える。
(あとがきでは、書かれた見る人と語る人とそれを読む読者の入り混じりが解説されています。そのためのこの読み心地か!)
『外から見たある女子学寮』
(冒頭)
<羽毛の白を湛えた月の光があるので空は決して暗くなることはない。>
光り輝く年頃の女たちは部屋でおしゃべりをしてゲームをする。アンジェラは突然心に輝きを感じる。彼女は部屋に何人もの友人がいても、アリスに対して話し、心のなかでは彼女の髪にキスをしていたのだ。
『同情』
(冒頭)
<ハンフリー・ハモンド。四月二十九日、バッキンガムシャー、ハイ・ウィッカム、荘園館ーシーリアの夫だ。これはシーリアの夫に違いない。なんてこと。信じられない。ハンフリー・ハモンドが死んだ。>
若い友人の若い夫が死んだニュースを見て、あまり親しくしなかった過去や、今彼女に会ったらなんというだろうなどの情景が浮かんでは流れていく。それがいつの間にか実際にシーリアに会って直接彼女からネタバラシを…、えええ?
『ボンド通りのダロウェイ夫人』
(冒頭)
<手袋を買いに行ってくるつもりだとダロウェイ夫人は言った。>
長編『ダロウェイ夫人』(読んだことない)の一部でしょうか?ロンドンを歩きながらクラリッサ・ダロウェイ夫人が見たもの、それにより感じたことを連ねていく。
『幸福』
(冒頭)
<ステュアート・エルトンがズボンについていた白い糸くずを屈んではらったとき、些細なその動作には感覚の滑動それに殺到があり、一輪の薔薇から一枚の花片が落ちたようでもあったし、状態を起こしてミセス・サットンとの会話を再開したステュアート・エルトンが感じたのは、自分が何枚もの花片の固く密な集合であり、そしてどの一枚も先端が赤く色づき、生気に溢れ、説明できない耀きをまとっているということだった。>
二人の男女が会話を交わす。女は男に「あなたは私が知っている中で一番幸福そうだ」という。男は自分に挑みかからんばかりのその言葉に、幸福の中にあるものを考える。そしてその日のこと、自分が持っているものを思う。
『憑かれた家』
(冒頭)
<あなた方が起きたのが何時だったにせよ、そのときドアが閉まる音が聞こえたはずだ。>
夜明け前の家で何かを探すまるで幽霊のような男女の影。わたしが求めるこの家の宝がなにか知っているようだ。
家の中の女性が、夢のように自分が求めるものを示されるのを感じた、ってこと?
『弦楽四重奏団』
(冒頭)
<さあ、ようやく辿りついた。>
サロン?の広間にいる主人公が、周りの人たちの会話を聞き何かを考え、四重奏の音を聞いて、広間から外を見て見えないところのことを考えたり…する話?
『月曜日あるいは火曜日』
(冒頭)
<物憂げに、無関心に、翼で軽々と大気を打ち震わせて、行くべき道を知る青鷺は協会の上空を飛ぶ。>
飛ぶ青鷺を主体にして、その下の光景を流れながら見ているような語り。一瞬飛び去ったそこにも人々の生活がある。
『キュー植物園』
(冒頭)
<楕円の花壇からハートの形の、あるいは舌の形の葉を身の丈に半ばまでつけた茎が百本ほど群れて上空を指している。>
最初はキュー植物園の花の様子が輪郭をはっきりさせない感じで書かれる。側にいる夫婦はそれぞれ昔のことをも出して打ち明ける。蝸牛は葉っぱの上を行ってそして戻る。年配と若い二人連れの男が通りかかる。次には年配の二人の女。蝸牛は角の先で自分の道を確かめる。若い男と若い女が通りかかる。花弁の色、太陽の光の色、進む蝸牛。
物事に輪郭はないのかもしれない。
『池の魅力』
(冒頭)
<たぶん、かなり深いのだろう――たしかに底は見えない。>
あの頃は、今は売りに出されている農場にいた。近くの池に釣りに行った。あの時恋して、キスした女は池に身を投げたのだ。人はなぜ池に近づいて底を見ようとするのだろう、久しぶりに訪れた場所で、思いが湧き上がり沈んでいく。
『徴』
(冒頭)
<山の頂には月のクレーターによく似た小さな窪みがある。>
中年の女性がアルプス避暑地のホテルで手紙を書いている。彼女の目に映るもの、考えたことが連連と綴られる。山間には墓場があり、山の遭難者も多い。女性は母の死のことを考え、その後の人生を思う。療養に来ている病人のことを思う。
全体的に死に近いところにいる感じ。
『壁の染み』
(冒頭)
<はじめて壁の染みに気がついたのは今年の一月のなかばだったろうか。>
お馴染みの空想に浸りそうになったときに壁の染みに気がついたのだった。あのとき立ち上がったのか、そうはしなかったのか。どうやってできた染みなのか、前の住人はどんな人だったのかを考えたのだろう。そして思考の小道に入り込む。死後のこと、あの時の会話のこと、壁の染みのこと、家具のこと。染みを見ていると盛り上がっているみたいだ。塚のように。それとも墓?そこに考古学者たちが来るのだろう。何も証明されていない。
彼女の思考は、部屋に入ってきた男(夫?)の現実的な言葉により終える。
『水辺』
(冒頭)
<海辺の町がどこでもそうであるようにそこも魚の匂いに満ちている。>
そんな町に避暑に来たのかな?目に止まったものを次々に書き留めたり、現実な会話が聞こえてきたり。
『ミス・Vの不思議な一件』
(冒頭)
<群衆のさなかで覚える孤独感が類例のないものであることは常識になっていると言えるだろう。小説家たちは飽くことなくそれを取り上げ続ける。>
ミス・Vのようにロンドンでは、人々から「気に掛ける必要はない」と結論されることがある。確かに生きているし、見かけたかもしれないし、挨拶もしているだろう。でも人々の意識には残らない。そんなミス・Vのことを突然思い出したら?影を改めて消すことはできるのだろうか?
『書かれなかった長篇小説』
(冒頭)
<そのような不幸の表出は視線を新聞の上まで引き上げさせ、憐れな女の顔を注視させるに十分値した。>
電車の向かいに座った人々の中で、彼女のことが目に留まった。頭の中で彼女の人生を考える。長い乗車時間で彼女と言葉を交わした。彼女の義理の妹。彼女はわたしにではなく自分に話しているみたい。義理の妹、きっとヒルダ。そして彼女はきっとミニー。ヒルダはきっと不幸なミニーとは違って若くて活気に満ちているのだろう。甥や姪たちはミニーを黙って見つめるのかもしれない。過去にミニーは過ちを犯して、彼女から去った男がいるのだろう。
わたしの頭の中の「書かれなかった長編小説」は彼女が電車から降りるときに砕かれる。わたしの連想とぜんぜん違って、幸せそうな彼女の人生が見えたのだ。わたしは人生の空虚を感じたのだが、でも人生への温かさ、広がる空想と、現実の生命の耀きを感じるのだった。
真剣に書いているけど「妄想が違ってたー!びっくり!」な話・笑
『スケッチ』
・電話
<ロンドンはひっそりとガラスの窓に打ちよせる。>
夜、窓にロンドンの人々の思いだとか音だとかが集まってくる用に感じている、のかな?
・ホルボーン陸橋
<これがホルボーン陸橋…そして生気のない芝地。>
生気のない芝地、といいながら、それぞれの家では暖かくしっかりと生活しているだろう、ということも考える。
・イングランドの発育期
<いつも根だ、彼女が目にするのは。>
幼い頃の思い出なんだけど、家の外では狩猟が行われて競馬馬をみて、でも家の中では父は厳しく母は自分に関心を持たず…、ええ?作者本人の心に浮かぶことなの?
(あとがきによると幼少期には色々と…(-_-;) -
Posted by ブクログ
諸外国語のことは知りませんが、日本語で文章を書く場合、「です・ます調」で書く場合と「である調」と書く場合とでは印象がずいぶん異なります。
さらにいわゆる「女性ことば」(「〇〇ですの」「〇〇ですわ」「〇〇かしら」など)を文末に用いると、筆者の人物像の印象はまた異なってくることでしょう。
本書の翻訳では、「である調」で訳されているエッセイと、「です・ます調」で訳されているエッセイがありました。
訳し方の違いは何から生じているのかしらん? と思ったしだいです。
日本語で書かれたエッセイなら、その筆致から筆者の人となりをまだ想像しやすい(ような気がする)のですが、翻訳の場合はなかなか難しいのかな、と思いました。
もちろん、筆者の物事に対しての目のつけどころや意見・行動から、人物像や考え方の変化は見えてくるのですが、言葉遣いが与える印象というのは、それなりに根深いと思いますので。
「それなら、原文で読めば?」って言われちゃうと、それはそれでまた困っちゃうんですけどね。。。
ヴァージニア・ウルフがお好きなかた、関心があるかたはどうぞ♡
〔作品紹介・あらすじ〕
「文学はだれの私有地でもありません。文学は共有地です。切り刻まれて国家に分割されていませんし、戦争はありません。自由に恐れずに侵入して、自分で自分なりの道を見つけましょう」
文学や社会におけるジェンダー、階層を超えた女性の連帯、空襲下で綴られた平和論……。
「ベネット氏とブラウン夫人」「病気になるということ」「ロンドン上空を飛ぶ」「女性にとっての職業」「傾いた塔」ほか、初訳を多数含む25篇のエッセイを収録。初期から晩年までウルフの思想をたどる、オリジナル・アンソロジー。
【目次】
1 初期のエッセイ(一九〇五〜二〇年)
路上の音楽(ストリート・ミュージック)
アンダルシアの旅館
夜に歩く
『リジストラータ(女の平和)』
丘(ダウンズ)で聞こえた──神話の起源
ケンブリッジの救急看護師(VAD)
サスーン氏の詩
村の中の戦争
路上から見た戦争
羽毛法案
2 中期のエッセイ(一九二四〜三一年)
ベネット氏とブラウン夫人
ウェンブリーの雷
病気になるということ
映画
ロンドン散策──ある冒険
太陽と魚たち
ロンドン上空を飛ぶ
『ヴァネッサ・ベルの新作』のまえがき
女性にとっての職業
序文に代えて──マーガレット・ルウェリン・デイヴィスへの手紙
3 後期のエッセイ(一九三四〜四〇年)
どうして?
今日(こんにち)の芸術はどうして政治に注目するのか
職人の技術(クラフツマンシップ)
傾いた塔
空襲下で平和について考える
訳注
出典一覧
訳者解説 -
Posted by ブクログ
『自分だけの部屋』『自分ひとりの部屋』といくつか翻訳版が分かれているようですが、自分は『私だけの部屋』西川正身訳を。翻訳者ごとに表現がどう異なるのか気になるところ。
エッセイ風のフィクションで、自身の見解や論旨を繰り出しながら当時のイギリス女性作家達が辿った道を垣間見ることができる。
女性の劣等性を力説してきた男性たちは実像よりも二倍に大きく見せている小さな自分の姿を直視したくない、自分を優位に置きたいが余りに、物書きの女性たちは歴史の陰に追いやられ虚構の存在となっていた。
物を書くための静かな一人部屋はしばらく与えられてこなかったという現実。
「シェイクスピアの妹」もきっと物書きを志したら悲惨な運命をたどることになっただろうという想像。
現実世界の私たちが生きて書くことを続ければ、存在として彼女は生き続けるであろうという希望。
時に皮肉を織り交ぜながら(時に差別も。時代を考えたら仕方がないけど)
締めで鼓舞する彼女は、当時の女性たちに計り知れない影響を与えたことは想像に難くないです。
彼女が今の社会を見たらどう思うかしら?