保阪正康のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
2004年の夏、鹿児島県の知覧町と加世田市(現・南さつま市)に行って来た。
特攻基地があったところだ。
ちょうどとても暑い日に訪れ、思いにふけた。
特攻に行った人たちよ、安らかにと。
その後この本が出版された。
「国を思って、あの人たちは特攻へ行った」
ある意味、英雄的な感じさえ私は持っていた。
この本によると、特攻へ行った人は、当時の指導者によって特攻へ行かされてし
まった犠牲者だという。
英雄でも、犬死にでもない。
犠牲者である。
私にとって、これは新鮮な論だった。
そうか、当然、犠牲者であるという考えが出てこないとおかしいじゃないか。
この本には、「きけ わだつみのこえ」に記載されていない「遺書」が載ってい
る。
そして、彼らの発言のメモも載っている。
「ああ、だまされちゃった」
…こんな発言も載っていて、驚きだった。
ただ、二度とあってはならないことには間違いない。 -
Posted by ブクログ
相変わらず「虐殺」を信じていたり、何度もこの人から聞いたとか、そう思われる、では無いかといった感じの推測が多いわけですが、今回はネタ的に面白かったです。
陸軍中野学校、田中角栄、大本営発表、宮中祭祀このあたりは非常に興味深く読めました。
角栄に関しては、なんかのTVの特番でもやっていたりしたけど、まったく違う方向や、TVでは語られなかったコトなどがズラズラ出てきていた。やっぱり、あれは大物だし、すごい人だ。
ゾルゲ事件とかも書いてあるけど、Pert1でもやったことの焼き直しみたいだったし、吉田茂のネタも微妙ですねぇ。
今回は読む価値アリです。 -
Posted by ブクログ
日本はかつて世界を敵にまわし戦争を行った。誰もが知る真珠湾攻撃は、アメリカが知りながらハワイを犠牲にして黙認したとの陰謀説もあるが、ハルがどう言った反応をしようが、アジアを目指した日本がいずれ早晩、ヨーロッパ列強の持つ植民地を侵略し、列強と戦争になる流れは大して変わらなかったかもしれない。アメリカによる対日の石油や鉄屑の輸出禁止は日本、特に軍部にとっては「戦争を始める」良い口実だったのかもしれない。そして1941年12月8日未明(ハワイ現地時間:の1941年12月7日朝)、大日本帝国海軍はハワイ・オアフ島の真珠湾を根拠地とし、そこに停泊していたアメリカ太平洋艦隊とその基地を奇襲した。こうして始まった太平洋戦争でアメリカ国民から「卑怯な日本人」呼ばわりされるのは、至極当然のことである。時を同じくして、マレー半島に進出して、オランダやイギリスとも戦闘状態になる。緒戦の日本は連戦連勝を重ね、ヨーロッパ列強の植民地を次々と奪っていった。特にイギリス海軍の最新鋭戦艦プリンス•オブ•ウェールズを航空機で撃沈するなど、イギリスの怒りを買ったのは言うまでもない。それまで優越的に振る舞っていた白人相手に、アジアの端っこにいる黄色い日本人が刃向かっただけで、相当な怒りであった事は容易に想像できる。ヒトラーが「我が闘争」の中で日本人のことを黄色い猿と記述していたのは有名な話だ。ドイツもイタリアも劣等扱いしていた日本に好意的な感情をもって同盟を結んだわけではない。
そしてそれより前、中国との泥沼の戦争、更には朝鮮半島を併合した日本人は同じアジア人からも嫌われる。日露戦争で大敗を喫したロシア(ソ連)も日本に対して大きな恨みを抱えたままだ。本書がタイトルでも示す通り世界から嫌われる日本。それは今でも当時を知る高齢者からすれば、消え失せることのない恨みであるかもしれない。だから今も中国や韓国は国家間の友好度を測らねばならぬほど、必ずしも仲の良い国とは言い難いのが現状である。若い頃に韓国を旅行して道に迷った際に、高齢者が日本語で道案内をしてくれた。何故そんなに日本語が上手なのか。若い頃に戦争で植民地化された際、日本語教育を受けていたそうだ。戦争の爪痕は後々まで残り、表面的にはそう見せずとも、日本人を嫌う気持ちは残っているのではないだろうか。流石に本書はタイトルそのままに、日本人を嫌う理由と、かつて日本がしてきた悪事や幼稚な外交について並べていくから、仕方ない事だと諦めたくもなるのだが、今を生きる我々現代人が、このまま何もしなければ、それを変えることは叶わない。その点では補償は終わっているとか、ODAがどうとか関係なく、ただ歴史の過ちを認め、お互い歩み寄れる状況をまず日本が作らねばならないと感じる。一生嫌われ者では生きづらい。 -
Posted by ブクログ
特攻兵たちは英霊なのか、犬死になのか。特攻はなぜ起こって、国民に容認されていったのか。国の動きと特攻兵が書き残した遺稿をもとに、特攻という悲劇の源流を探る。
---------------
戦争について、あれやこれやと知識はあるものの、それらはあちこちから集まった断片的な知識にすぎなくて、実は総合的にまとめて体系的に学んだことってあまりないのではないか。戦争のあれこれについて、実は自分が思っているほど知らないのではないか、と最近思っていて、折に触れてこうした本を読むようにしています。
特攻については様々な見方で多くの本がありますが、膨大な資料をもとに信頼できる内容を書き上げるのはなまなかな話ではありません。それをやるのが保阪さんという作家だと思いました。特攻兵士たちが残した膨大な遺稿と、国に残っている特攻に関する膨大な資料を突き合わせて、なぜ特攻ははじまったのか、国民(臣民)たちはこれほど非道な攻撃をなぜ容認したのか、そして特攻兵たちは、心の中でどう思っていたのかを立体的に論じた良書だと思いました。
特攻については様々な角度から知ることも大切だと思っているので、本書の中で引用された書籍など引き続き読んでみたいと思います。しかし「きけわだつみのこえ」に続いてこんなの読んでいるので精神的にはかなりこたえます(夏だ)。 -
Posted by ブクログ
参謀総長の梅津が戦後も生き残り敗戦文書の署名もしたのに、なぜ陸相の阿南だけが直後に自決したのか長年よく理解できなかったのだが、クーデター計画を阿南が持ちかけ梅津は同調しなかったという経緯があったとは驚く。半藤も知っていて伏せていたかのような話しぶりでサラッと流されているが、本書を読んで一番の新発見だった。
どうも気になるのはこの対談・鼎談を読んでいると、日米開戦前の天皇は軍部と一人で直接対峙していたように見えてしまう。奈良や本庄ら侍従武官は登場するが、木戸や牧野ら宮中内臣の影響力が全く見えてこない。そのために天皇の態度の揺らぎが「どうお考えだったんでしょうかねぇ」といった個人の内面の迷いとして処理されてしまい、ブレーン達の意見の齟齬や事態の推移に従った彼らの保身も含めた軌道修正等、複雑な事実の蓄積として映らないのだ。
実録自体が本当にそんな書き方になっているのだろうか。大いに疑問であるがこの大著に挑戦する予定は今のところ無い。 -
Posted by ブクログ
毎年この時期(終戦記念日8月に近く)になると、書店は多くの太平洋戦争関連の書籍が出版され、店頭に専門のコーナーが設けられ、沢山並んでいる。かつては半藤一利氏だけで本屋の一角を占領するくらいあったのだが、その半藤氏も数年前にお亡くなりになられた。他にも太平洋戦争関連を描く研究者たちが、同じ様な題材で新しいものをリリースしてくれるのだが、毎年似た様な顔ぶれであって、なんだか安心してしまう。
本書はこの時期になると書店を賑わす太平洋戦争の著名な研究者たちの座談会形式の様な内容となっている。顔ぶれは、保阪正康氏、戸高一成氏、大木毅氏の3名だ。個々が記してきた書籍もかなり読んできたので、私としては本書内でどの様な会話がなされているのか、買わずに通り過ぎる事は出来ない。
大きなテーマとして扱っているのは、海軍善玉論、石原莞爾、山本五十六、黒島亀人や源田実に代表される戦後生き残った人々についてであるが、いずれも高名なお三方であるから、一体どの様な話が飛び出すのか、通説とは異なる側面や裏話が盛りだくさんとなっている。戦後何故陸軍が悪玉に仕立てられ、海軍は先見性のあるインテリの様なイメージで戦争に反対した善玉と見られたのか。真珠湾を急襲し緒戦の大勝利を齎し、その後も数々の名言を残した山本五十六、彼は本当に英雄だったのか、はたまた単なる博打内だったのか。戦後天才戦略家として最もその名を上げた石原莞爾は天才だったのか。そして、宇垣纏の日記を盗んで焼いたと言われる黒島亀人や、戦後の自衛隊でもその名を轟かせた源田実。戦後はひっそり身を表に出さなかった黒島と、書籍まで出して表舞台に立ち続けた源田。対照的な2人であるが、いずれも戦争中は重要なポジションで作戦の成否に重要な影響を及ぼしてきたが、結果的に日本は敗戦した。2人が消し去りたかった戦時中の黒い歴史とは何か。
わざわざこうした本を出すのであるから、一般的に知られている様な事実や描写、人物像に止まらず、様々な戦争関係者へのインタビューなどから得られた、知られざる話(あまり知られていないという意味で。どこかで既出の話であることには変わりない)中心に進められる会話。読み手にも様々な思い入れや考え方があるであろうが、一つの側面を捉えたものとして、どの話も興味深い。
「またこの人たちか」という感覚の方もいるとは思うが、戦争経験者が減り、口頭での伝承が難しくなる今後に備え、こうした経験者へのインタビュー経験のある研究者から我々は学びたい。毎年同じ様な顔ぶれに私は安心感しかない。 -
Posted by ブクログ
興味深く思った点を幾つか列挙。
・実録執筆者の中に“エース”(昭和史の核心を担う執筆者)を想定し、“エース”が昭和天皇の「天皇像」を明確にし、天皇に「プラスに働く材料」(p.128)がない箇所は、記述が少なくなったりするという保阪正康の指摘。
・「軍部にとって天皇とは、最高指揮官などではなく、神殿の壁のようなもの」(p.81)で、それは幕末の長州藩の藩主が“そうせい様”(報告さえすれば、「そうせい」としか言わず、自由に行動させてくれる)で、この長州藩が後の明治政府の担い手となったことで、この「神殿の壁」構造が引き継がれていったのだ、という磯田道史の指摘。
・戦中戦後を通じて、短波放送が昭和天皇にとっての重要な情報源だったという話。(p.253~)
・昭和天皇が、立憲君主である「天皇」、軍を統帥する「大元帥」のほかに、皇祖皇宗に連なる大祭司である「大天皇」という三つの顔を持っていて、開戦・終戦の時期において「天皇」と「大元帥」の間に生じる齟齬に悩む「大天皇」という図式の話(p.100)と、「国体」について軍部と意識が違っていたという話(p.231)。ページは飛んでいるがこの話は一つながりのものと思う。「大天皇」であるところに昭和天皇自身のアイデンティティを置かざるを得なかったがゆえに、終戦時の昭和天皇にとって、国体護持とは、領土や戦争責任よりも「三種の神器をいかに守るか」(p.230)にあった。 -
Posted by ブクログ
三島由紀夫の『青の時代』の題材としても知られ、戦後の価値紊乱、典型的アプレゲール型の事件と評された山崎晃嗣の光クラブ事件。
「事件」とは言うものの、東大生が金融業を興したことが物珍しく脚光を浴びただけで、よくよくみると、法のグレーゾーンで運営していた新興金融会社が杜撰な経営と社会の急激な変化により破綻し社長が自殺した、という話である。「東大生」の冠が無ければ話題にもならなかったのではないだろうか。
ただ山崎はその死に際して手記を2点遺しており、また自殺の直前には芥川賞作家らと雑誌で鼎談する等メディアを賑わしていて、その妙に印象的な言説で後々まで語られる存在となった。自己演出の塊のような人物である。
著者の見立ては、その演出の煙幕の後ろに親族との葛藤や挫折感の残る戦争体験があり、東大生という肥大したプライドによって世間との無謀とも言える対決にのめり込んでいったのではないか、という。
同じ11月25日に死を選んだ山崎と三島。おそらく相当な親交があったのではと著者は見るが、三島が事件決行の日を選ぶのに、山崎のことが念頭にあったのか、気になるところである。