Posted by ブクログ
2013年05月07日
北方領土
1年ちょい前に本書が発刊されたときには北方領土交渉の糸口は無かったが、東郷氏は2011年10月3日のラジオ「ロシアの声」でプーチンはガスプロム社長に「日本、韓国、中国などとの協力発展についての拡大的な提案を準備するよう支持した」と発言した話を紹介し、この紹介順が日本に対するメッセージになっ...続きを読むていると言っている。
ともかく昨年の森元首相訪問、に続き安倍首相訪問で交渉再開ができることにはなった。ただし東郷氏の見立てでは四島一括返還にこだわる限りは交渉は決裂するし、メドベージェフ訪問以降北方四島のロシア化は進んでいる。少なくともプーチンは平和条約締結後に色丹、歯舞諸島の返還をするというのは過去にも認めている。2島先行返還でも択捉、国後への道はつながると信じると言うがそれは正直な所わからない。四島一括と言う正義の御旗をかかげていれば国内的な批判は受けずに済むかもしれないが過去の交渉は何度かこの国内向けの強気な表現で決裂している。
対談での保坂氏の爆弾:2島返還で決着するのはどう考えるか?
竹島
韓国からみると1905年の島根県の竹島編入はその後の1910年の韓国併合とワンセットで捉えているらしい。歴史的にどちらの領土であったかと言うとどちらの主張にも瑕疵はあり(韓国の主張は位置的に無理があり、日本も編入までは日本領とは見なしていたとは言えない)、結局20世紀の初めは無主の地であり国際法上は編入は有効で日本の領土であったとしても、韓国からすると力関係上文句が言えない際に取られた土地と言う感情があるのだろう、1950年以降は韓国ナショナリズムのシンボルになってしまっている。逆に日本からしても敗戦後どさくさ紛れに武力支配されたと言う思いは残っている。韓国にある独島ナショナリズムあるいは独島憧憬主義には東郷氏もどうしてそこまでと理解しがたい物はあるらしい。
2010年京都産業大学で開かれたセミナーをきっかけに名古屋大学池内教授の「竹島/独島と石島の比定問題・ノート」と言う論文と嶺南大学金秀姫教授の「竹島の日制定後の日本における独島研究動向・石島解釈論」と言う批判論文が鉢合わせした。(大韓帝国勅令41号:1900年に韓国政府は鬱陵島を鬱島と改名し管轄地域を鬱陵全島と竹島石島とした。この竹島石島が何をさすかという話、江戸時代の鳥取藩は鬱陵島を竹島、竹島を松島と呼んでおり1696年幕府に対し松島は鳥取藩に属さないと答えている。名前がかぶるのでややこしい)だがこの二人の意見は真っ向から対立しているにも関わらずお互いの研究の進め方に敬意を払いそれぞれの意見を尊重した議論が出来たそうだ。
対談での保坂氏の爆弾:主権を放棄し経済利権だけ確保するのでどうか?
尖閣諸島
これは日本がチャレンジを受ける立場、東郷氏は領土問題があると言う認識に立つべきではないかと。そして武力衝突につながらないように緊張緩和策を検討すべきだと言っている。(国有化で緊張は高まってしまったのだが・・・)しかし同時に武力衝突やむなしと覚悟して十全たる準備もすべきだと。
その上での東郷氏の爆弾:主権は維持するとして日中台共同で石油開発をしてはどうか?
保坂氏からの逆提案:3つの領土問題をあわせて国際司法裁判所に提訴してはどうか?