ミラン・クンデラのレビュー一覧
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1967年チェコスロバキア第二回作家大会の冒頭で演説された「文学と小民族」、および1983年フランスの『ジュルナール・デバ』誌に掲載された標題評論の2編と、訳者阿部賢一の長めの解説が収録されている。
1つ目の講演では、19世紀初頭のユングマンらによる「民族再生」運動から語り起こされ、チェコ民族の非自明性や、それが絶えず東のロシア、西のドイツという「大民族」への同化の危機に晒されていた「小民族」であることが語られ、自分たち「小民族」が存立する理由を文化の多様性、その特殊性に求め、文化を破壊する「破壊者」たる政治的な検閲を暗に批判している。この背景には、60年代に演劇や映画、文学の領域で起きた文化 -
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まったく違うと思っていた話がここで繋がっていたのかとなる感覚がとてもおもしろい。
本当に音楽のような小説。
どなたかが感想で村上春樹好きな人は好きだと思うって書いてたけどほんとその通り。
最後の7部の会話な感じとか村上春樹みたいだった。
6部を読む前に登場人物紹介を見て、ベルナールってだれ?と思っていたらまさかの私が言っていた通り、ひょっと出てきてひょっと去っていく人物だったとは。
ベルナールが新妻の名前と間違えて違う人の名前を呼んでしまうシーンの「大失敗!」がお気に入り笑
ベッティーナのあの感じ怖いなあ、、ゲーテが好きなのではなくて著名な作家ゲーテという記号が好きで自分を残すためにな -
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私は同性ということもありテレザに感情移入してしまいトマーシュの人生というものに目を向けていられなかった。しかし最終章のテレザの語りで、確かにトマーシュはテレザのために何もかもを捨ててここに来たのに、テレザは何も失っていなかったことに気がつき、私こそがトマーシュの人生を軽く見ていた(無視していた)ことに気がついた。相手のために生きることは難しいにもかかわらず、誰かのために自分を捨てて下へ下へ行くということを選んだトマーシュの人生は、本当に軽々しいものなのだろうか?
一度は数のうちに入らない、人生は軽い、これはこの小説で言われていた言葉だが、カレーニン含む三人の人生は、確かに人生自体は軽いもの(傍 -
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最初は「軽い男の恋愛と思想の話」だと思って読んでいたけど、読み終える頃には全く違う印象になっていた。
この小説は、人生に「正解」や「答え合わせ」が存在しないことを突きつけてくる。人生は一度きりなので、選ばなかった選択肢と比較することはできない。だからこそ、どの選択も“軽い”とも“重い”とも言い切れない。
トマーシュの軽さは、単なる無責任さではなく、彼なりの原理や論理に裏打ちされたものだった。どこかキリッとした白ワインのような、無駄を削ぎ落とした軽さ。一方で、サビナの軽さはもっと直感的で、過去や意味を切り離していくような軽さで、夏に飲む強めの酒のようにあっけらかんとしている。この二人の軽さは -
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美しい距離(山崎ナオコーラ)でも感じた、一回きりの人生なら確率など問題ではなく、あるかないかの2択でしかないという不思議さ
「Einmal ist Keinmal
一度は数のうちに入らない。一度だけ起こることは、一度も起こらなかったようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それは全く生きなかったようなものなのである。」これは本当に共感できる。一回きりしかないものを対象に確率を考えても、実際に起こったことと起こったかもしれないこと、その2種類しかない。
まるでrctをしたかのように正解不正解を語り推論するのはおままごとでしかない。
65偶然が次々と舞い降りて必然の形によみとれる(カッ -
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冒頭からニーチェの「永劫回帰」を持ってくるあたり、クンデラ氏の「自分の世界の様式」を表現し思索し実行している良作である。
永劫回帰から小説の主題である「存在の耐えられない軽さ」へ落とし込み、物語を通して深掘りしていく作品である。
人生も環境も自然も宇宙もあらゆる森羅万象が永遠に永遠に繰り返され、それらを乗り越える勇気(超人)へ至るとニーチェは言う。ニヒリズムではあるが、もう一度、同じ人生を歩みたいかと問う視点と、一度っきりの人生を全て奇跡的な偶然と捉え、その軽さの中で人生を歩みたいかと問う視点の両者の視点が読者をという「存在」という重さと軽さを同時に味わうことができ、深く思索することができるで