【感想・ネタバレ】冗談のレビュー

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ネタバレ

メモ

クンデラ2冊目

政治的背景と運命に翻弄される男女を描いているのは存在の〜と同じだが、
今作は登場人物の独白によって構成されている。

政治、伝統、性愛、信仰に踊らされ、
それぞれ皆、葛藤しながら不条理の中を生きていく

何にせよ過去は修復出来ない、
すべては忘却されていくだけ


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2022年01月25日

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恋人への一通の絵葉書に宛てた冗談に狂わせられた人生について時代(世代か?)の価値に翻弄されながら、時にはかつて愛した女性への自身のノスタルジアから翻弄され、時には自分を追い込んだ相手への復讐を選ぶ主人公ルドーヴィク。
愛した女性ルツィエについては実体性や物質性、具体性を失って伝説や神話に自分の中で変わっていくからこそ忘れられない程の痛み、そして自身の鏡となっていることに気付く。
自信を狂わせたゼマーネクについては、彼への復讐へとその妻と不義理を交わしたが、目の前に現れたゼマーネクは既に年若い女性と密な仲になっており、復讐は果たせない。そんな中ルードヴィクは二重に間違った信念として信じた罪に対する贖罪は時代により忘れられその課題を代行するのは忘却であることを悟る。
最終章では生まれ故郷に戻って翻弄から逃れた彼の姿があり、人間の想いとは翻弄から逃れる事が自身のためであるのだとも取れ、何か仏教に通じる無我か、レッセフェール的ななすに任せよの哲学性をこの東欧小説から感じた。

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2021年10月10日

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自分が全く予期していなかったことがきっかけとなって、自分の人生が思いもよらなかった過酷な流れに巻き込まれていってしまう。そして、そんな自分の運命を左右したものに復讐を遂げようとするのだが、運命はそんな思いをあざ笑うかのように「お前にそんな復讐などできはしないのだ」ということを思い知らせる。
人生とは何か。小説というものは、そんな誰にも答えることができないことについて、「答えのようなもの」を提供してくれる。

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2021年03月17日

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ネタバレ

クンデラは、「存在の耐えられない軽さ」を読んで、こんな小説があるのかと驚かされ、「不滅」を読んで、僕の中で永遠になった。
中身はあまり思い出せないけども、不滅のような現代的でありかつ完璧な作品が有り得るのかというのは、大きな驚きであった。

でも、そのせいでそれ以外の作品で幻滅することをおそれ、見る機会を失っていた。

がために数年の間をあけてしまい、もはや不滅の内容といえば、冒頭のプールサイドの情景くらいしか思い出せないほど時間が経ってるけど、ときには小説も読みたい、と思って手をつけた。

途中、かなりまだるっこしい、それが自分が歳とってせっかちになってる(若さのせっかちに比べて、中年のせっかちの無益さ、、、)せいなのかはわからないけども、上記の2作品を読んでるときには感じなかったような退屈さもあった。
ヤロスラフのパートの唐突さがちょっと上手くないと感じた。

しかし、読後感たるやなかなか見事で、37歳のルドヴィークにおいて、わずか3日間程度の出来事として結実する十数年、それを通して、
・記憶の持続と修復の可能性を信じているが、このふたつの信念はともに虚偽なのだ。真実はその逆であり、すべては忘却され、なにも修復されない。
・ひとの運命はしばしば死のはるか手前で終わる。
という恐ろしい結論に至らせる。

コストカの「この混乱した声のざわめきのなかで、あなたの声がまったく聞こえないのです!」に至る思考の流れもとてもよかった。
どこまでが清らかな愛で、どこからが肉欲なのか、これを分けようとするから人は分裂する、が、しかし、同じなのかと言われると拒否したくなるものでもある。
それらは同じだし別のものでもある、清らかな愛と肉欲とは分断されたものでもあるし繋がったものでもある、それは量子力学のように重ね合わせて存在している、という矛盾を認めなければ、雑音に思われてしまう。
人には重ね合わせを導き出す波動関数という在り方を認めねばならないのだ。

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2019年01月02日

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ミラン・クンデラ。学生時代、存在の耐えられない軽さが映画化されましたが、初の長編小説がこのようなものだったとは。知らなかった。登場人物の独白が、緊密に綾をなし、第7部のクライマックスに向けて螺旋状で、かつ拡散するこの世界及び人間実存の描写が最高です。感動しました。

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2017年04月13日

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クンデラさんはこれで二冊目だけど、言いたいことは『存在の耐えられない軽さ』と同じ、かも、し、れな、い。個人的に、コストカさんの叫びで泣きました。また『存在の~』と同じく、直線としての時間を肌で感じる作品。そして円環としての幸せも。

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2016年06月19日

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ミラン・クンデラの初の長編作品である本作。冒頭、故郷の街に降り立ったルドヴィークの目的も過去もまったく見せずに始まるこの物語は、語り手を替え時代を行き来しながら展開し、少しずつ彼と彼に関わる人々の背景や生き様を明らかにしていく。まずこの構成に引き込まれて、一気に読んだ。
1949年、前年の二月事件によりソ連型共産主義政権が樹立したばかりのチェコスロバキアで、党を支持する学生の一人として時流に乗りながらも、ごく普通の若者らしく恋に懊悩していたルドヴィーク。彼が離れた場所で過ごす恋人の楽しそうな様子をやっかんで書き送ったほんの「冗談」のつもりの葉書が、党、そして大学から彼を追放するに至る運命の転換を招く。15年後、辛い炭坑労働を経て研究者として生活を立て直した彼は、この事件の背後にいた恋のライバルへの復讐を胸に故郷へと戻ってきたのだった――。
語り手となるのは、ルドヴィークのほか、彼の現在の恋の相手であるヘレナ、故郷の街に住む幼馴染のヤロスラフ、ルドヴィークと同じく党ににらまれているキリスト教的共産主義者のコストカ。ルドヴィークの復讐に一役演じるヘレナは別として、ヤロスラフとコストカは彼の過去とも関わる人物であり、また、彼ら自身、一人の人間としての弱さ、主観的な正義にとらわれながら懸命に生きている男たちでもある。
「冗談」が冗談として通じない世界、そんな世界の不正義を憎み、自らを陥れた友人とその声に和した仲間たちを憎んだルドヴィークは、復讐計画の思いもよらない展開と、炭坑時代の真剣な恋の相手・ルツィエをめぐる真実を知ったことで、この世界そのものによる「冗談」の中に自分が含まれているのだ、と不意に気づく。世界=歴史には理性や真理などない。人も、行為も、いずれ忘却され、時の中に消えていく。意図や思想による差別化のない忘却、大きな「冗談」としての無意味な世界=歴史の中では、個人のちっぽけな人生も無意味で、過去への憎悪も、復讐も、恋の思い出でさえ、何とも軽く、空しいものでしかない。
モラヴィアの民俗芸能の伝承に心を注いでいるヤロスラフ、自らの熱意の正当性に自負を持ち、一番近しい存在である息子もその熱意を引き継いでくれるものと信じている彼も、準備を重ねた祝典行事の場で、彼の目に見えていた世界とは全く異なる真実を知る。共産主義とキリスト教徒としての信仰の重なりに揺るぎない信念を持つコストカも、独白の果てに信仰を口実として利用している自分自身に気づき、激しく動揺する。
裏切者への憎悪。真剣な恋。伝えていくべき民族の文化。仕事や愛より優先すべき神の声。すべては「冗談」のごとき幻影であり、止まることのない流れに運び去さられ、忘れ去られるだけのものだとしても。そんな感情、熱意、信仰を抱き、あるいは放擲し、そしてまた愚かしく立ち戻る、無意味で空しい人間一人一人の人生は、無意味さ・空しさと共にあってなお、たくましく、まばゆく、愛おしい。
個人的にとても好きな、クンデラの、シニカルなようでいて根底に人生や生命に対する愛を感じる眼差し。そんな彼らしい個性が、初長編作品のこの作品でも存分に発揮されていた。後の作品に繋がるテーマも随所で顔を覗かせていて、その点も興味深かった。

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2021年10月27日

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存在の耐えられない軽さよりも政治的な小説である。ソルジェニーツィンの収容所群島とおなじような小説である。フランス語の作者の手直しを翻訳したものであり、かなり厚い本であった。チェコでの個人の冗談の手紙がどのように政治的に判断されたか、ということが、大西の神聖喜劇に通じ、日本も同じ歴史を辿ってきたことが感じられよう。

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2021年05月08日

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抒情的な青春時代。
小さな1つの冗談によって大学から追放されてしまったルドヴィグは、復讐のために生きていく。
全ての冗談が真面目に受け取られる世界、共産主義体制下のチェコで、クンデラと主人公の青春時代が重ねられる。

青春はクンデラにとって
自分のことしか見えなくて、それでもそれが愛だと思う、初々しく未熟な時期らしい。

青春と愛、憎しみと赦し、復讐。
復讐の虚しさ、盲目的な人生の空虚さ
クンデラ作品でも結構好きだな

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2019年04月21日

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・ミラン・クンデラ「冗談」(岩波 文庫)は 「作家自らが全面的に手直しした決定版を定本とした新訳。」であるといふ。これは販売用のコピーなのだらうが、ごく素直に読めば、クンデラのチェコ語原典版からの翻訳と解せる。ところがさうではないのである。訳者解説中にかうある、「〈プラハの春〉も〈ビロード革命〉ももはや遠い過去になった二一世紀の現在、もっぱら一個の古典的文学作品として読まれることを願う岩波文庫のこの新訳は、原著者の強い要望に沿って、八五年のフランス語決定訳を収めた二〇一一 年刊行、フランソワ・リカール監修のプレイヤード版を定本としている。」(525頁)だから決定版で旧訳とは違ふのだといふわけである。では、なぜクンデラはチェコ語版を差し置いてこんなフランス語版を作つたのか。大きな誤解があつたことにクンデラが気づいたからである。西欧では「冗談」が「ソ連を中心と する社会主義諸国の社会の実態を暴露し、糾弾する政治・イデオロギー的文書として読まれ」てをり、その文脈で訳もなされてゐた。つまり、それまでの訳は誤 解と誤読の上に成り立つた訳文であつた。これを知つて「衝撃を受けたクンデラは」(524頁)決定訳を求めたのであつた。
・わざわざこんなことを書くのは、さう読んだ方が安直で手つ取り早くて分かり易いと私も思ふからである。「冗談」の初版刊行は'67年であ る。この翌年はプラハの春であり、それがソ連の戦車で蹂躙された年である。東西冷戦の真つ只中である。従つて、このやうな内容の作品が出てくれば、西側の 人間は「政治・イデオロギー的文書として読」みたくならうといふものである。現在でも事情はさう変はらないやうな気がする。ソ連邦は消滅しても中共の支配する中国はあるし、その隣には北朝鮮もある。かういふ国を横目に見てこの「冗談」を読む時、初めのあたりの党に関する記述が妙に生々しく感じられる。私自身は共産党と関係したことは一切ないが、かつて読んだ学生運動等に関する小説に描かれた内容とも重なつて感じられるのである。誤解かもしれないし、私の偏見かもしれない。クンデラにはきつと忌み嫌はれるであらう。しかし、さう読んでしまつた方がどれほど分かり易いことか。またある意味、安心できることか。 時の西欧の人々も同じであつたのかもしをれない。ところがさうではないらしい。当時のチェコでは「人間の実存の小説」(523頁)などと「すこぶる真っ当な文学的受容がなされ」(同前)てゐたといふ。さうか、実存なんだと思ふ。大江健三郎などはそれを正しく理解してゐた(524頁)らしいが、これは類は友 を呼ぶといふことであらう。その点、私はそこに入らないわけで、今に至つてもまだ先の誤読をしたがつてゐる。3日間か4日間の出来事の間に、主人公が己が人生と女性を思ふ……それは確かに「実存」といふことであるのかもしれない。サルトルの「戦後史の実存的経験、ヨーロッパ左翼の神話の崩壊という主題」 (526頁)といふ言ひ方はまだ分かり易い。「存在の耐えられない軽さ」などはこの例であらう。つまり、やはりこれは「政治・イデオロギー的文書として 読」むしかないのではないかと私は思ふ。ルドヴィークの人生は党なくしてありえない。党員になつてしまつたからには、たとへ反党活動で除名されようとも、 党から逃れることはできない。それが共産主義国家といふものであり、そこに生きる主人公ルドヴィークの人生なのである。そんな人生に重きを置いて読んで理解するかどうか、これが分かれ目なのであらう。それなりにおもしろい作品なのだが、私には岩波書店の望む読み方はできないのであつた。

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2015年02月08日

Posted by ブクログ

プラハの春(1968年)より前の1965年脱稿の作品。「存在の耐えられない軽さ」に続いてクンデラ作品を読んでみた。
身も蓋もない要約をすると、
自分の不用意な手紙がもとで共産党から除名された男が、数年後に、処分の判断をした委員長の妻を復讐のために寝取ったが、委員長はもっと若い愛人とよろしくやっていて復習は空振りに終わりました、
というお話。

ヒロイン的なルツィエさんの過去が突然明かされる場面は衝撃が大きいが本人の内面は殆ど明かされることはない。

終盤に登場するエレナの助手の青年の薬の話(鎮静剤と見せかけて実は下剤で、エレナはそれを知らずに大量服用する)は、全体の暗い色調の中で最も喜劇的な場面だった。

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2021年11月03日

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