ミラン・クンデラの作品一覧
「ミラン・クンデラ」の「存在の耐えられない軽さ」「小説の技法」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「ミラン・クンデラ」の「存在の耐えられない軽さ」「小説の技法」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
小説・文芸
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Posted by ブクログ
この本を通してクンデラはあらゆる二元的なものに対する警鐘を鳴らしていると感じた。
軽さに走ったサビナの結末、自分の中のキッチュ(理想)に対する重さによって滑稽な死を遂げたフランツ。逆に軽さと重さの両端が歩み寄ろうとし、ボロボロになっていくトマーシュとテレザ。
そしてこの対比を理解する上で必要な考え方が本書の後半で出てくるキッチュだと思う。
キッチュは苦しみや矛盾、汚いものなどには目を向けず、理想の状態を美とする態度のこと。
この登場人物の4人は愛や生き方などに自分の理想を持っており、その反対側から目を背けシフトするとどのような生涯を送ることになるのかを本書を読むことで感じ取ることができる。
私たちは理想だけでなく、現実にしっかり目を向けた上で人生の選択や考えを持つようにするべきであるとクンデラは伝えたかったのではないかと私は思う。
あとこの本からはヘルマンヘッセのデミアンや福田恒存の人間この劇的なるものと通ずるものがあると感じた。
Posted by ブクログ
人間は偶然のできごとを運命と呼んで意味を与え、その意味を信じながら人生を生きていく。何も保証されていない世界に、そうやって自分だけの意味を作っていくが、それが自分を救うこともあれば自分を縛ることもある。
愛は人を軽くするのか、重くするのか。
軽さは自由なのか。それとも、何ものにも深く結びつけないことの空虚さなのか。
重さは愛なのか。それとも、愛という名前を与えられた執着なのか。
人生は一度きりでやり直すことができず、自分の選択が正しかったのかどうか比較することも、重い人生と軽い人生を実際に生き比べることはできない。
人生が一度きりだからこそ、その存在の軽さに耐えるために、あえて誰かを愛し、運命という比喩を背負い、自分の人生に重さを与えようとするのかもしれない。
Posted by ブクログ
人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、敗けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた?復讐された?いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。
これまではそれぞれの裏切りの瞬間が裏切りという新しい冒険に通ずる新しい道を開いたので、彼女を興奮と喜びで満たしてきた。しかし、その道がいつかは終わるとしたらどうしたらいいのか?人は両親を、夫を、愛を、祖国を裏切ることができるが、もう両親も、夫も、愛も、祖国もないとしたら、何を裏切るのであろうか?
Posted by ブクログ
しかし、途中で挟まる喩えや論考の深み重みよ!作者の声で語られているところが多い小説、大好き
一人一人の憎しみや罪が交錯していくと思ったら、いつのまにかそれら全てを時間が過去にしてしまう
時代の狂気に従うのが上手い人間は降りるのも上手くて、時代の罪は被ろうとしない いじめていた側はしたことを覚えてないという話と同じ
誰も他人のすべてを知ることも理解することも出来ない みんなルツィエの断片しか知らないで、そこに自分の人生を映そうとする それしかできないよな!ほんとに 真実を知るなんてできないから 自分にとってその人が何を意味するか/したか を考えないとしょうがないんだよ たとえ自分が加害者で その人が被害者だとしても
色んな人が語り手になるけど、ルツィエは語らない 読み手もルドヴィークらと同じように、ルツィエの断片を見て、自分がそれをどう思うかを見出すしかないわけだ
最終章のスピード感が素晴らしい
野原に横たわるヤロスラフにルドヴィークが話しかけたところで終わりそうだったけど、そうはならなくて、ルドヴィークの故郷との和解と、歴史に見捨てられつつも続いていくしかない命の寂しさが描かれきったのがよかった
最後の、ヤロスラフの心筋梗塞によって民謡演奏が1人ずつ欠けていく場面の物悲しさったらない
Posted by ブクログ
とてもよかった。好きでした。
村上春樹を読んでいるときのように、人の人生や生活を少しカッコつけて捉えられるような感覚になる。少し綺麗な場所に自分の人生というものを持って上がって、眺めて考えることができるような感覚。
特定の人や物をとてつもなく大切と思っている自分と、「それってそんなに重いものでもないのでは」と客観的に見ている自分がいて、それでもまたその盲目的愛情に戻っていく登場人物たちのさまが自分を見ているようだった。世の中の愛情というものはこれだと思う。
「トマーシュ、あなたの人生で出会った不運はみんな私のせいなの。私のせいで、あなたはこんなところまで来てしまったの。こんな低いところに、これ以上行けない低いところに」
テレザのこのセリフに泣きそうになった。
人生は軽いものというのには共感する。全ては軽い「たまたま」の結果。「耐えがたい偶然性」。
文章自体もとてもよかった。好きな人の前でお腹が鳴ったということを、「2人の仲を駄目にしようとげらげら笑う母親をおなかの中に抱えているようなもの」と表現したり。最高。