ミラン・クンデラのレビュー一覧
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愛と性は別であると考えて、短期間に複数人の女性と交際を繰り返すトマーシュ。浮気と本気の線引きがあり、彼なりの優先順位がある。トマーシュの強さとテレザの弱さのアンバランスの描写が、読んでいて苦しかった。
生き方の異なる2人が居れば、弱い方が耐えられない気持ちになるのは自然なことだと思う。
親しい人から、自分は替えがきく存在なんだと感じた瞬間に私は冷める。だからテレザに共感はできず私はサビナに憧れる。自分を大事にしてくれる人を見つけ、自分の居場所を自分の力で見つけて生きたい。
男女の性の価値観の違い。それによって生じる問題が政治的抑圧を背景に展開されていて物語に惹き込まれた。序盤以降は読みやすかっ -
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著者のミラン・クンデラが巧妙なのは、同じ人間の中に「重さ」と「軽さ」を同居させていること。
トマーシュは政治的信念については妥協しない重厚さを持ちながら、恋愛においては徹底的に軽やかだった。
彼の性的な「軽さ」は、一人ひとりの女性との関係に深い意味や責任を求めない。でも、それは彼なりの一貫性でもある。
興味深いのは、彼がテレザとの関係においてだけは「重さ」を感じていたこと。テレザは彼にとって唯一、軽やかに扱えない存在だった。
つまり、トマーシュは自分なりの価値基準を持っていた。政治的信念は重く、性的関係は軽く。そのバランスが彼という人間の核心だったことだ。そして、その矛盾を抱えた姿に、どこか -
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ネタバレプラハの春とは、1968年のチェコにおける民主化・自由化運動である。作者のクンデラはこれを文化面で支えた作家だった。だが、この運動はソ連の介入によって鎮圧され、その後「正常化」の時代が始まる。この時代にクンデラは数々の弾圧を受け、1975年フランスに亡命した。これが本作の背景として描かれる。
この作品は風変わりな小説である。小説家はふつう、登場人物の行動をあれこれ解説したがらない。むしろ、解説のいらない文章を書くのが小説である。ところが本書では、作者であるクンデラ自身がたびたび表に顔を出す。これは恋愛小説に仕立てたクンデラの思想であり、あるいは思想について書かれた恋愛小説である。
外科医のト -
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大大大好きな本。昔は恋愛とか自意識に責められ辛くて読めなかったが、やっと22歳になって読めるようになった。
地獄のような生活から出てくるこのタイトルがすごい。
結局この本は同じことをいろんな例えで言っているのだ。人生は一回きりでやり直しも繰り返しも起きない。もし何かが一回しか起きなかったのであらば、それは起きなかったことと同じ。こんなに耐え難く辛い人生も、実は1回しかないし、耐え切れないほどの軽さだったのだ。
この軽さは実は幸福なのである。
最後に好きな言葉。
⚪︎
地球が爆弾で震撼しようが、祖国が毎日新たに侵略され略奪されようが、すべての隣人が連行され処刑されようが、これらすべての -
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まさに自由奔放
時間は真っ直ぐ進まなく、現実/虚構の区別も曖昧。
けれども、それぞれの「エピソード」が、複数の主題と結びついていき、壮大な人生の小説となる。
■「不滅」「顔」「イメージ」
2020年代現在、当時よりもより一層、(一般市民の)私たちにとって身近に潜むテーマなのではないか。
私たちは片手一つに収まる電脳世界の中で、ほぼ四六時中イメージの生成に勤しんでいるし、さらにそれを不滅の世界にいとも簡単に残せてしまう。
そして、あまりにも多い顔たち……。
■アニュスが意図もせず、死によって他者の中にあるイメージを強く刺戟したことを考えると、
きっと私たちは不滅にならざるを得ないのだと思う。 -
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存在の耐えられない軽さ
1.動機
読者レビュー「読んでみたら?の外国文学」にあったためです。
外国文学は、年に一冊読むか?読まないか?です。
結論、出会えてありがとうございます の書籍となりました。
2.舞台
ソ連に侵攻されたチェコが舞台です。
著者の故郷です。
チェコが開放されて、解禁となった著書であると後書きにありました。
3.主人公
外科医。応援でたまたまチェコへ。
外食先のレストランで1人のウェイトレスと出会います。
そのウェイトレスは、彼が読む書籍が、自身と馴染みのある同じ書であったため、彼に惹かれます。
そして、2人は、ソ連侵攻後に、夫婦となります。
4.書籍より
「人生の