ミラン・クンデラのレビュー一覧
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人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、敗けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた?復讐された?いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。
これまではそれぞれの裏切りの瞬間が裏切りという新しい冒険に通ずる新しい道を開いたので、彼女を興奮と喜びで満たしてきた。しかし、その道がいつかは終わるとしたらどうしたらいいのか?人は両親を、夫を、愛を、祖国を裏切ることができるが、もう両親も、夫も、愛も、祖国もないとしたら、何を裏切るのであろうか? -
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しかし、途中で挟まる喩えや論考の深み重みよ!作者の声で語られているところが多い小説、大好き
一人一人の憎しみや罪が交錯していくと思ったら、いつのまにかそれら全てを時間が過去にしてしまう
時代の狂気に従うのが上手い人間は降りるのも上手くて、時代の罪は被ろうとしない いじめていた側はしたことを覚えてないという話と同じ
誰も他人のすべてを知ることも理解することも出来ない みんなルツィエの断片しか知らないで、そこに自分の人生を映そうとする それしかできないよな!ほんとに 真実を知るなんてできないから 自分にとってその人が何を意味するか/したか を考えないとしょうがないんだよ たとえ自分が加害者で その人が被害者だとしても
色んな人が語り手になるけど、ルツィエは語らない 読み手もルドヴィークらと同じように、ルツィエの断片を見て、自分がそれをどう思うかを見出すしかないわけだ
最終章のスピード感が素晴らしい
野原に横たわるヤロスラフにルドヴィークが話しかけたところで終わりそうだったけど、そうはならなくて、ルドヴィークの故郷との和解と、歴史に見捨てられつつも続いていくしかない命の寂しさが描かれきったのがよかった
最後の、ヤロスラフの心筋梗塞によって民謡演奏が1人ずつ欠けていく場面の物悲しさったらない -
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とてもよかった。好きでした。
村上春樹を読んでいるときのように、人の人生や生活を少しカッコつけて捉えられるような感覚になる。少し綺麗な場所に自分の人生というものを持って上がって、眺めて考えることができるような感覚。
特定の人や物をとてつもなく大切と思っている自分と、「それってそんなに重いものでもないのでは」と客観的に見ている自分がいて、それでもまたその盲目的愛情に戻っていく登場人物たちのさまが自分を見ているようだった。世の中の愛情というものはこれだと思う。
「トマーシュ、あなたの人生で出会った不運はみんな私のせいなの。私のせいで、あなたはこんなところまで来てしまったの。こんな低いところに、これ以上行けない低いところに」
テレザのこのセリフに泣きそうになった。
人生は軽いものというのには共感する。全ては軽い「たまたま」の結果。「耐えがたい偶然性」。
文章自体もとてもよかった。好きな人の前でお腹が鳴ったということを、「2人の仲を駄目にしようとげらげら笑う母親をおなかの中に抱えているようなもの」と表現したり。最高。 -
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タイトルがとても好きで手に取った作品。
おもしろかった。
哲学的で考えさせられる美しい文章が何度も出てきて、いくつものフレーズをメモしながら読んだ。
人生は一度きりであるから、どの決断や選択が正しいかを、比較検討したり実験したりして、証明することはできない。
本当にその通りだと思った。
生きることは常に後悔や振り返りの連続で、自分の選択や自分に起こってしまった物事について、どうしたらよかったかを考えるばかりだ。
だけど、その選択を他のものと比較してよかった/悪かったなどと言うことは本当はできないし、しなくてよいのだと思えた。
「お互いに愛し合っているということは、過ちが二人や、二人の話し合いの中や、二人の不安定な感情にあるのではなく、お互いが合わない点にあるという証拠であった。」
愛し合っていなかったら、お互いが合わないことは過ちにならないということ。愛し合っているということが、過ちがお互いが合わない点にあるという証拠。これもとても響いた。
第3部 理解されなかったことばのサビナとフランツの解釈の違いを読むのがとてもおもしろかった。
何かに対する捉え方の違いをあれほどおもしろく他方向から描写できるのはすごい。
カレーニンがロールパン2つと蜜蜂を1匹産んだ夢がよかった。かわいい。「ロールパンは静かにしていたが」と言うところが特に。
選択も感情も、重い方が良いのか軽い方が良いのか、そのとき自分がどちらの方が良いと思えるのか、それはわからないし、それはその時々によってちがう。だから人生における選択やそのとき感じた感情に対して、後悔や苦しみを覚える必要はない。
一度は数のうちに入らず「ただ一つの人生を生きうるとすれば、それはまったく生きなかったようなもの」であるなら、「そうでなくてはならない」は常にあると同時に常にないのであれば、時に重くのしかかるように感じる自らの人生や選択を、軽やかなものとして捉え直せると思った。
存在は耐えられないほど軽いからこそ価値があるし、価値がない。だから私たちは私たちを自由に生きられる。 -
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ネタバレ好きな女の子の気を引こうと軽率な冗談を書いたために人生が狂ってしまった男の話。1950年代から60年代のチェコが舞台で、当時の歴史を踏まえた上で読むとチェコの歴史と主人公の姿がダブる。タイトルは主人公が書いた手紙を指すとともに、人々を翻弄する歴史も指している。
かつては冗談では済まされなかった手紙も自由を求める機運が高まる時代なら見逃される。しかし犠牲になった人生はやり直せない。誰もその償いをしてはくれない。ただ忘却されるのみ。かつては許されなかったことも時代が変われば問題視されない。価値観の変化、それが歴史の冗談だ。
登場人物たちの行動がことごとくその意図を裏切られる展開はコメディのよう。極め付けはかつて自分を追放した旧友との再会のシーン。いじめの加害者がいじめた記憶なんてすっかり忘れているように、彼は自分が昔したことを、当時はそういう時代だった、の一言で済ませてしまう。そして若い世代から見たら、かつて反目した二人の中年男は時代遅れな同類にしか見えない。
シニカルなユーモア精神が充溢している小説ながらラストシーンだけは切ない。消えていく記憶、戻らない時間を、演奏されたそばから消える音楽に重ね合わせるかのような描写は感傷的だが美しい。
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以前一度読むのを挫折していて、数年経って改めて読んだらとても面白かった。
わかりにくい比喩や慣れない言い回しに、なかなかテンポ良く読み進めることができなかったが、新しい考えを与えてくれるパートがいくつもあった。
ただ1度では理解しきれず、何度読んでも意味が分からなくて飛ばしてしまった箇所もあるので、また改めてじっくり読み返したいと思う。
タイトルの意味について腑に落ちた箇所
「サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。
これまではそれぞれの裏切りの瞬間が裏切りという新しい冒険に通ずる新しい道を開いたので、彼女を興奮と喜びで満たしてきた。しかし、その道がいつかは終わるとしたらどうしたらいいのか?人は両親を、夫を、愛を、祖国を裏切ることができるが、もう両親も、夫も、愛も、祖国もないとしたら、何を裏切るのであろうか?
サビナは自分のまわりに虚しさを感じた。ところで、もしこの空虚さが彼女のこれまでのすべての裏切りのゴールだとしたら?」 -
Posted by ブクログ
非常に面白くて、この本に出会えてよかったと思う!言い回し、表現が面白く、時代も場所も違う物語だった。語り口がコロコロと変わるのも面白い。もちろん理解できない部分もたくさんあった。ぜひもう一度読みたい!!!
印象的な言葉を書き写しておく↓
人生はたった一度限りだ。それゆえわれわれのどの決断が正しかったのか、どの決断が誤っていたのかを確認することはけっしてできない。
歴史も、個人の人生と似たようなものである。
ただ一度なら、全然ないことと同じである。歴史も個人の人生と同じように軽い、明日はもう存在しない舞い上がる埃のような、羽のように軽い、耐えがたく軽いものなのである。
(試行錯誤ができず、意味が確定しないので、判断が宙に浮く、軽すぎる。)
人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。(動物の方が幸せ、と説かれる。また、最後に描かれた田舎での日常でトマーシュとテレザが同じような日を繰り返しているよころ、繰り返しているように錯覚できるところで、永遠ではないけれど幸福を感じられる)
(トマーシュは、女と関係する自由、外科医として働く自由を捨てて、田舎でテレザと2人で暮らしている時が、結局1番幸福だった)
→ 引き受けた重さの中でしか、安らぎは生まれないということも伝わる
(トマーシュが、窓拭きの仕事をしながら毎日のように女性と関係を持っていた時期、この時期も彼は自由(=軽さ)を享受していたけれど、テレザとの関わりは薄く、軽薄な日常だった。多くの女と関係することについて、セックスまで持ち込むことができることに対する達成感と、それぞれの女の性行為中の反応の違いを見ることが、外科医として手術をするのと同じように、面白いことだと感じるようだ。嫉妬するテレザ鬱陶しくおもって消し去りたいとも思うが、それでも手放さず、同情し続けて、テレザのことを思うんだよね)
誰が正しいかじゃなくて、どの矛盾を引き受けるかという話…!
私の今の彼氏との関係については、今はまだ軽くて、お互いの自由を尊重しあっている。軽すぎて、空気が抜けるように、実感がない時もある。お互いの自由を尊重した上でのこの関係だし、重さの芽は出始めてる。重さは、一緒に過ごす回数、不安を越えた経験、勝手に増えるから今を楽しもう。一緒に、お家でまったりする時間が楽しみだね。(繰り返しへの憧れ!) -
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愛と性は別であると考えて、短期間に複数人の女性と交際を繰り返すトマーシュ。浮気と本気の線引きがあり、彼なりの優先順位がある。トマーシュの強さとテレザの弱さのアンバランスの描写が、読んでいて苦しかった。
生き方の異なる2人が居れば、弱い方が耐えられない気持ちになるのは自然なことだと思う。
親しい人から、自分は替えがきく存在なんだと感じた瞬間に私は冷める。だからテレザに共感はできず私はサビナに憧れる。自分を大事にしてくれる人を見つけ、自分の居場所を自分の力で見つけて生きたい。
男女の性の価値観の違い。それによって生じる問題が政治的抑圧を背景に展開されていて物語に惹き込まれた。序盤以降は読みやすかった。 -
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著者のミラン・クンデラが巧妙なのは、同じ人間の中に「重さ」と「軽さ」を同居させていること。
トマーシュは政治的信念については妥協しない重厚さを持ちながら、恋愛においては徹底的に軽やかだった。
彼の性的な「軽さ」は、一人ひとりの女性との関係に深い意味や責任を求めない。でも、それは彼なりの一貫性でもある。
興味深いのは、彼がテレザとの関係においてだけは「重さ」を感じていたこと。テレザは彼にとって唯一、軽やかに扱えない存在だった。
つまり、トマーシュは自分なりの価値基準を持っていた。政治的信念は重く、性的関係は軽く。そのバランスが彼という人間の核心だったことだ。そして、その矛盾を抱えた姿に、どこか共感を覚えた。
しかし彼が本書で本当に書きたかったことは、理想が先走って、個人の現実が踏みにじられていく世間への問題提起だったのだろう。それに気づくと改めて「重さ」と「軽さ」の意味を考えることになる。 -
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まさに自由奔放
時間は真っ直ぐ進まなく、現実/虚構の区別も曖昧。
けれども、それぞれの「エピソード」が、複数の主題と結びついていき、壮大な人生の小説となる。
■「不滅」「顔」「イメージ」
2020年代現在、当時よりもより一層、(一般市民の)私たちにとって身近に潜むテーマなのではないか。
私たちは片手一つに収まる電脳世界の中で、ほぼ四六時中イメージの生成に勤しんでいるし、さらにそれを不滅の世界にいとも簡単に残せてしまう。
そして、あまりにも多い顔たち……。
■アニュスが意図もせず、死によって他者の中にあるイメージを強く刺戟したことを考えると、
きっと私たちは不滅にならざるを得ないのだと思う。殊に現在……。
■私たちは定められた主題に沿って、生きている。喜劇的な存在である。
主題と関係がないエピソードは積み重なっていくが、これは謂わば地雷みたいなもので、何かの折に強く私の気持ちを揺さぶる可能性がある。
■記憶は映画的ではなく、写真的である。 -
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恋人への一通の絵葉書に宛てた冗談に狂わせられた人生について時代(世代か?)の価値に翻弄されながら、時にはかつて愛した女性への自身のノスタルジアから翻弄され、時には自分を追い込んだ相手への復讐を選ぶ主人公ルドーヴィク。
愛した女性ルツィエについては実体性や物質性、具体性を失って伝説や神話に自分の中で変わっていくからこそ忘れられない程の痛み、そして自身の鏡となっていることに気付く。
自信を狂わせたゼマーネクについては、彼への復讐へとその妻と不義理を交わしたが、目の前に現れたゼマーネクは既に年若い女性と密な仲になっており、復讐は果たせない。そんな中ルードヴィクは二重に間違った信念として信じた罪に対する贖罪は時代により忘れられその課題を代行するのは忘却であることを悟る。
最終章では生まれ故郷に戻って翻弄から逃れた彼の姿があり、人間の想いとは翻弄から逃れる事が自身のためであるのだとも取れ、何か仏教に通じる無我か、レッセフェール的ななすに任せよの哲学性をこの東欧小説から感じた。
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ネタバレクンデラは、「存在の耐えられない軽さ」を読んで、こんな小説があるのかと驚かされ、「不滅」を読んで、僕の中で永遠になった。
中身はあまり思い出せないけども、不滅のような現代的でありかつ完璧な作品が有り得るのかというのは、大きな驚きであった。
でも、そのせいでそれ以外の作品で幻滅することをおそれ、見る機会を失っていた。
がために数年の間をあけてしまい、もはや不滅の内容といえば、冒頭のプールサイドの情景くらいしか思い出せないほど時間が経ってるけど、ときには小説も読みたい、と思って手をつけた。
途中、かなりまだるっこしい、それが自分が歳とってせっかちになってる(若さのせっかちに比べて、中年のせっかちの無益さ、、、)せいなのかはわからないけども、上記の2作品を読んでるときには感じなかったような退屈さもあった。
ヤロスラフのパートの唐突さがちょっと上手くないと感じた。
しかし、読後感たるやなかなか見事で、37歳のルドヴィークにおいて、わずか3日間程度の出来事として結実する十数年、それを通して、
・記憶の持続と修復の可能性を信じているが、このふたつの信念はともに虚偽なのだ。真実はその逆であり、すべては忘却され、なにも修復されない。
・ひとの運命はしばしば死のはるか手前で終わる。
という恐ろしい結論に至らせる。
コストカの「この混乱した声のざわめきのなかで、あなたの声がまったく聞こえないのです!」に至る思考の流れもとてもよかった。
どこまでが清らかな愛で、どこからが肉欲なのか、これを分けようとするから人は分裂する、が、しかし、同じなのかと言われると拒否したくなるものでもある。
それらは同じだし別のものでもある、清らかな愛と肉欲とは分断されたものでもあるし繋がったものでもある、それは量子力学のように重ね合わせて存在している、という矛盾を認めなければ、雑音に思われてしまう。
人には重ね合わせを導き出す波動関数という在り方を認めねばならないのだ。