山本七平のレビュー一覧
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社内政治や派閥問題など、組織の課題を考えるにあたって、空気に支配される日本人的集団行動はどうなのか?
興味を持って。
歴史的な名著と言われる。
確かに、臨在感的把握、絶対化などはなるほどと思う概念。
また絶対化ではなく相対化や、水を差す、など対処方法を論じているところが特徴。
扱われている事例が、イタイイタイ病はカドミウムと証明されていないとか、空気汚染がNOxの成果どうかは証明されていない、など時代を感じるものではある。また、共産党、丸紅事件などに対する鋭い目線も時代を感じる・・・
戦後、日本人は天皇を信じているのに進化論が受け入れられるのか(神を信じる米国人には無理)、の話題がとても面白い。
総合★★★
読みやすさ★★
なるほど感★★★★ -
Posted by ブクログ
かなり色んな角度から掘り下げをして聖書から江戸や明治、昭和の文化文学もあり難解でした。空気の支配はいつから始まったか、江戸や明治初期までは空気の支配は恥とされていた文化があり、始まりは昭和期に入るととも空気を読む日本人が増えていったとある。
また、うやむやにするなと叫びながら、うやむやになる原因をうやむやにしている事に気づかない点に現れているとある。
いわば空気に拘束されているからうやむや反対の空気に拘束されているからうやむやの原因の追求をうやむやし、平気でいられる自己の心的態度の追求もうやむやにしている。コレがすなわち空気の拘束と記載されていた。
要は色々考えるより先導者が示した言葉や空気感に暗黙の了解を読むのかとも思ったり、色々西洋文化を取り入れて試行錯誤した結果でもあるのかと思たり。日本人は不思議な人種だなぁと感じた。 -
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一言ですごく難しい。そりゃそうだ。だって、普段から『空気を読む』ってすごく難しいなーって感じることが多いのに、それについての著者による研究をまとめた本なんだから。
そして、S52年著ということもあり、例えも近代史的な内容が多く、一般教養も必要。
で、本著で語られていた『空気』とは、実態はないのに絶対の権威の如く、驚くべき力をふるい、科学的最終決定すらも覆す妖怪、あるいは超能力のこと。
その最たる例が戦艦大和の特攻や天皇制について。そして、その『空気』の醸成方法が分断化である。例えるなら一方を善とし、もう一方を悪とする等。その最たる例がマスメディアとなる。
ただ、その空気をリセットする役割を持つのが『水』であると。それはよく『水を差す』と表現されるように、一方的に偏った際の通常性作用として、日本語で用いられる表現方法であり、空気に対しての知恵である。
で、本当はもう一章本著では語られてるんだけど、難解すぎて理解できんかった。
そのうち頭がリセットされたらもう一度チャレンジしよう。
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昭和期以前の人々には「その場の空気に左右される」ことを「恥」と考える一面があった。しかし、現代の日本では「空気」はある種の「絶対権威」のように驚くべく力をふるっている。あらゆる論理や主張を超えて、人々を拘束するこの怪物の正体を解明し、日本人に独特の伝統的発想、心的秩序、体制を探った名著。(解説:日下公人) -
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鈴木正三と石田梅岩の思想を読み解きながら、日本人の勤勉性がどのような性格のものであるかということを明らかにするとともに、非西洋諸国であるにもかかわらず日本が近代化に成功した理由をさぐる試みがなされています。なお巻末には、小室直樹による70ページを超える分量の「解説」が収録されています。
マックス・ウェーバーは、西洋において資本主義が成立した理由を、プロテスタンティズムのエートスのうちに求めました。これに対して著者は、神道・儒教・仏教をひとつに帰するものとしてあつかい、プラグマティックに「薬種」として参照しながら「勤勉」という、日本人に受け継がれているエートスにせまった思想家として、鈴木正三や石田梅岩らを参照しています。著者によると、剣道や書道といった「道」への随順によって一種の悟りに達することができるという彼らの思想は、農業や商業といったそれぞれの労働のなかに「生きがい」を見いだす態度に通じています。こうした職業観のおかげで、日本は非西洋諸国であるにもかかわらず、資本主義の精神が定着することが可能になったと著者は主張しています。
梅岩にかんしてはわたくしはほとんどなんの知識ももっていないので、著者のような理解のしかたがはたして正しいのかどうかわからないのですが、すくなくとも正三の禅道にかんしては、著者の理解と禅思想家の秋月龍珉の理解には、かなりへだたりがあるように感じます。なによりも正三は禅者であり、世俗的な価値観の否定をひとたびくぐり抜けたうえで「道」に徹するという立場が説かれているのに対して、著者の解釈では世俗的価値観から一歩も抜け出ることはおこなわれておらず、そのうちに埋没しているといわざるを得ません。わたくしには、こうした著者の解釈は、龍珉のそれにくらべると魅力の乏しいもののように感じられました。 -
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ネタバレ輸入したひとつの組織と日本の伝統的社会構造と言うのが非常にうまく働くときは、おそらくプラスになるのでしょう。これがおそらく明治と言うもの、あるいは戦後と言うものでしょう
一度組織を作ると家族になってしまうので、それ自体が存在理由を主張する。だからいらなくなった組織を解体できない。これは日本の組織が絶えず持っている問題点でして、これをどう処理するかというのがおそらく国家の場合でも、企業経営の場合でも問題になる点だと思います
日本における指導者の条件は色々と言えると思いますが、必ず密かなる第二案を持っていること、これは必要であろうと思います -
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西洋とは異なる日本の資本主義のなりたちを、鈴木正三や石田梅岩、上杉鷹山らの思想にまでさかのぼることで明らかにしようとする試みです。
著者は、小室直樹の発言などを引用しながら、神への絶対的な帰依の精神が存在しない日本社会において西洋的な契約の観念がいまだ十分に理解されていないと指摘します。さらに、疑似的な血縁関係にもとづく社会構造が日本社会のさまざまな局面で見られることを指摘し、石門心学を中心に、そうした精神的風土に根差した思想が江戸時代に生まれていたことを明らかにしています。
主として文化的要因によって日本的経営の特色を説明することには大きな問題が含まれていますが、そのことはさておき、『勤勉の哲学』や『日本人とは何か』(ともにPHP文庫)とともに、著者の日本文化論の中心的な主張を知ることができる本だと思います。 -
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「いえ、ただ、ちょっと、あの、何となく、名所だそうですから」この言葉は一つの思想の立派な表白のはずだ。ではこの思想はどこから来て、どのように日本人を律しているのであろう。15
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無洗礼派とは、おそらく最も強く洗礼を意識している人びとであろうから、この人びとのほうが、より強い洗礼を心に受けている、とも言えよう。17
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日本人の意識の中には明治天皇の墓はないのである。前述のように墓は思想だから、意識の中にないことは、存在しないことである。20
「だって、ちゃんとお墓もあるんですから」という反論も当然出てこよう。その通りなのである。だから「ちんぷんかんぷん」になってしまう。確かに墓はあるのだが、人が死んでも、絶対に、きれいさっぱり墓の彼方に行ってしまわないから妙なのである。24
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「だから幼稚なのだ、迷信なのだ。それだから宗教はアヘンなのだ。それによって支配階級は、すべては来世において報われるから現世では忍従せよと人民をだましたのだ」ということになろうが、実はこの解釈がアヘンなのである。31
といえば「とんでもない、これは科学的な解釈だ」と言われよう。それならばアヘンは撤回して、LSDとしておこう。これなら科学的所産だから文句はあるまい。科学的所産が幻覚の材料にならないと信ずることほど非科学的なことはない。
こういう解釈は「英霊に相すまぬ」は、軍部が人民を沈黙させるための手段であったと言っておしまいにしてしまうのと同じで、なぜそれが「手段」となりえたかを考えようとしないために、何かがわかったつもり、何かをわからせたつもりで、実は何もかもわからなくしているのである。32
その鍵とは「免罪符」である。といえば、「ああ、あれか。あれこそ最もひどいもので、愚民どもをだまし、『罪を赦してやる』と言って金をまきあげた」といったLSD解釈がすぐ出てこようが、この解釈をそのまま受けると、受けとった人が愚民になってしまう。33
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氏も日本教徒の常として、お神酒がないと、真正なる「告白」ができないのである。43
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ついにA氏は「フン、意識の低い奴はしようがないな」と言わざるをえなくなった。45
ついにこの先生はタメ息とともに「しばらく通っていれば、そのうちにだんだんとわかります」と言った。48
Q氏の二つの反論ないし質問は、実は一つの質問なのである。そしてこの質問は実に立派な質問であり、今から三百年以上昔、すなわち伴天連が聖書的世界をはじめて日本に紹介したとき以来、日本人が、さまざまな形で発しつづけてきた質問なのである。
この三百数十年にわたる質問の基本となっている前提、日本人が異論の余地なしと信じている前提を、私は「日本教」と呼んでいる。これらの質問は一種の「護教論」といえる。49
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市場へ行って、あの汎用機がいいだろうとか、こっちのほうが能率的だろうとか、いろいろ選定して買ってきた。61
奴隷は生産性が低かったそうである。62
「自由」と「奴隷解放」とは同じ意味である。63
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徳川幕府は、軍事と外交は一切やらないというのが原則であるが、自民党もそうである。そのくせ、かゆいところに手が届くような、国内的な経済政策はやる。
武士がなぜ経済官僚に変化したかといえば、徳川幕府は、経済政策しかやっていなかったからであろう。
外交面における政略的発想などと言っても無理な話で、だいたい民族的に、経験がないことは、どうにもならぬというところであろう。159
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下巻では、キリスト教の受容史から始まり、江戸時代の文化史・技術史・思想史が詳しく解説されています。
キリスト教受容史では、豊臣秀吉や徳川家康の禁教政策が、ふつう考えられているような宗教弾圧ではなく、個人の信仰のうちにまで立ち入るものではなかったことが語られます。
また、江戸時代の思想史を扱ったところでは、中国の儒教的な枠組みから脱する動きがさかんであったことに、著者の関心は向けられています。埼門学派の浅見絅斎は、日中の対等を主張しました。また鈴木正三や石田梅岩、山片蟠桃、鎌田柳泓、海保青陵、本多利明といった思想家たちは、商業を重視するとともに、商業の中に働く倫理思想を明らかにすることに力を尽くしました。こうした思想を育んだ江戸時代が、明治以降の日本の飛躍的な近代化を可能にしたと著者は考えています。 -
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日本人の精神が形成されるプロセスを、伊達千広の『大勢三転考』の歴史観に従って記述した本。下巻の「解説」を執筆している谷沢栄一によれば、「この本は、山本七平の、最高傑作である」とのこと。
幕末の紀州藩士・伊達千広が執筆した『大勢三転考』では、江戸時代までの日本の歴史が、「骨(かばね)の代」「職(つかさ)の代」「名の代」の3つに区分されています。これはそれぞれ、「氏族制の時代」「律令制の時代」「幕府制の時代」という意味になります。このような、政治形態の変化に基づいて客観的に歴史を区分し、儒教的な名分論や勧善懲悪といった価値観に基づく判断を加えない歴史観を持ちえたところに、日本の精神の独自性が示されていると著者は考えます。そして、日本の歴史を中国の基準や西欧のによって裁断するのではなく、日本の政治形態に基づく内在的な基準によって把握することが、本書の目標とされています。
なお下巻の最後の章では、「なぜ日本は明治維新に成功したのか」という問いが立てられています。日本がアジアでいち早く近代化に成功したのはなぜか、という問いがしばしば建てられますが、明治以前に飛躍的な近代化を可能にする条件が醸成されていたことに、あまり目が向けられないと著者は述べています。江戸時代までの日本の歴史の中に、近代化を準備した要素を探ることも、本書の主要テーマの一つになっています。 -
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まとまった「イエス伝」ではなく、著者の山本七平がこれまでイエスについて書いた文章を、彼の死後に夫人がまとめた本です。
サタンについて著者は、『旧約聖書』ではサタンは神に敵対する存在ではなく、神に従属し、人間の悪を神に報告する存在としてえがかれていると述べています。そのうえで、このサタン像を、ラインホルト・ニーバーの「われわれが遠慮なく真理を語っているときは、相手に憎しみをもっている時か、全然人間的な愛情をもっていない時だ」ということばに関係づけています。つまり「人が義を口にするとき、正義の側に立って告発するとき、それがじつは憎悪であって「愛」ではないという恐るべき事実」を教えているとしています。
またイエスの復活については、熱心党の指導者だったベン・ヤイールを引き合いに出して論じています。ヤイールは、自分たちの死が神の意向ならば、それをそのまま受け取ろうといいます。しかしここには「わが神、わが神、なんぞ我を見捨て賜いし」と述べたイエスの精神はないと著者はいい、ヤイール信じたのは、神の意志ではなく、むしろ彼自身の意志ではなかったかと問いかけています。これに対してイエスの復活を信じたパウロは、主の復活を信じ、死の勝利を信じたヤイールとは異なっていたと著者は主張しています。