山本七平のレビュー一覧
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よい意味で「看板に偽りあり」。すらすら読める、どころではない、一個の研究書として読める。
冤罪を回避するためにユダヤの律法が設けた二重三重のフェイルセーフはこんにちの裁判制度に比肩、いや、ある意味 上だろう。選ばれし民、と自負するのもむべなるかな。
驚いたのが、二次大戦中にドイツの収容所で十字架への磔刑を人体実験したという記事。
これまで漠然と、イエスは出血多量で死んだものと思っていた。大間違い。まさか酸欠死だったとは。
救世主を美化し、讃えるべき福音書でも、明らかにイエスが処刑を怖れている様子がうかがえる。後で復活すると確信があったところで、あれは怖いだろう。
信仰の無い私だが、イエスへの敬服の念は禁じ得ない。 -
Posted by ブクログ
日本は不思議な国で、
学校教育に宗教を教えることは、あまりしない。
一種タブー化している。
また、宗教に対して、複雑な感情を持っている。
学校教育に、戦前国家神道を組み込んで、
結果失敗したと思っているからだ。
ただ、宗教と教育というのは、
切っても切り離せないモノだということを、
学んでいない。というか、意図的にやっている。
ここら辺が、現在の日本の教育の
「根本的なちぐはぐさ」を生んでいるかもしれない。
宗教なんて、よくわからない。
宗教なんて、恐ろしい。
それが「普通」だと思っている。
宗教は個人に規範と道徳を与えるが、
多くの日本人にはそんなものはない。
小室氏は、それをアノミー、無連帯と呼び、
戦後、日本人が、バラバラになった有様の病巣を、
そこに求めている。
個人、個人が繋がりたくても、その手段が、
多くの日本人にはない。
ただ、「バカ騒ぎする」ことだけが、繋がれる道具だと思っている。
じゃあ、「宗教」を持てばいいかというと、問題はそれほど単純じゃない、
日本人は、みな「日本教」の信徒であるからだ。
これが一種より深刻な問題として、日本人にのしかかっている。
じゃあ、いったい日本人は、何を基準に行動しているかというと、
明確なものはない。
日本人の若い人が、世界的に見て、
異常な不安を抱えているのは、誰でも知っているが、
その原因にあるものが、
行動規範というものが、日本にはないからだ。
何が良くて、悪いのか、そんな当たり前なことも、
多くの日本人からすれば、「わからない」のである。
これは、考えてみれば、非常に恐ろしい。
もっと恐ろしいのは、
何が良いのか、悪いのか、その時の「空気」で決める。
日本型の集団犯罪の動機を見ると、個人の動機が見えにくい場合が多々ある。
その時、その場のノリでヤリマシタという場合がかなり多い。
この意味で言えば、誰だって、犯罪者になりえる。
「あの人もやっていたから、私もやりました」
「あの空気に逆らえず、ずるずると、やってしまいました」
空気が日本を支配し、日本人は、空気を読むことを、
24時間行わないといけない。
山本氏は、日本人は皆、空気を読むことを根本教義とする
「日本教」の信徒という。
つまり、「空気」を読めることが、日本人の日本人たるゆえんで、
読めない人は、日本人とは言えなくなる。
その空気を読むことを、コミュニケーション能力と言い、
その能力の高い低いが、学校や企業の集団、組織で「うまくやる」、
最も重要な能力の一つとなっている。また、日本における就職も、
専門知識を重視されるわけでなく、組織、集団の中でのコミットメントを、
重視される。
当たり前だが、集団や組織を活性化・発展させる上で、
集団や組織が目指す「目的」は非常に大事になる。
その目的は、広い意味で、集団や組織を形成する個人へ「利益」として、
還元されるべきものだろう。
しかし、日本では個人の「利益」よりも大事なのは、
「空気」を読むことで、個人の利益よりも、
集団、組織の維持を「目的」としている所に、
数々の悲劇の種が隠されている。
少なくない人が、日本社会に違和感を持つときに、
この「空気」を読むことへの嫌悪感を持つ。
なぜなら、それは、全く論理的ではないからだ。
合理的な思考をしていれば、少なくない人が疑問を持つ。
日本での人間関係は常に緊張状態を強いられ、
多くの理不尽を生んでいる。
緊張したくなければ、徹底的に空気を読んで、
組織、集団に染まらなければいけない。
個人の意見や論理的整合性は、あまり必要とされていない。
あくまでも、個人に求められるのは、組織・集団を維持する
ための「空気を読む」能力である。
今、日本を滅ぼそうとしているのは、
この日本教かもしれない。
日本は、歴史上、外部からの圧力によって変化したが、
変化の仕方は、全く変わらず、その時の「空気」によるものだった。
現在、起こっている社会的変化は、
おそらは、多くの日本人を破滅と導くだろう。
その兆候は、噴出している。その問題を外に求めるのは、
やはり、日本人らしい行動様式かもしれない。
先の大戦で、空気を多分に読んだ国民は、合理的な行動をして、
結果、世界の文脈では、破滅的な不合理な行動をした。
そして、取り返しのつかない犠牲を生んだ。
戦後も、その’文脈と根本的には変わっていない。
今も、その時の空気と同じことが日本で発生している。
ばつが悪いのは、国民自身が、率先して、空気を読んで、
破滅に行こうとしていることだ。
これだけ、クレージーな国は、
世界にはあまりないだろうと思う。 -
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この本もう何度読み直しただろうか。10年以上も本棚に置いてあり折に触れ読み返している。小松真一著「虜人日記」を紹介しつつ、山本七平氏が解説を加えていく体で構成されているこの本を読めば、日本人というものがどんなものなのか、よくわかる。太平洋戦争末期の状況下における日本人たちの振る舞い。
時折「日本の軍備は実はどこそこの国よりも凄いから、日本人が戦争をしたとして弱くはないのだ」というような物言いを見かけるが、ハード重視ソフト軽視な日本人らしい見方だと思う。この本に示されている「出鱈目な人たち」は、まんま、昨今会社で見るあの人や電車で見掛けるあの人らと、何ら変わらない。今日本が戦争に参戦したとして、どんなことになるのかは、この本を読めば火を見るより明らかだ。
そして戦争に限らず、外交や諸々の政策において、日本のダメさというのは、小松真一氏が敗因二十一ヵ条としてまとめたうちのひとつ「日本文化に普遍性なき為」これが非常に大きいのだと、思わざるを得ない。 -
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今も、戦前と変わらない日本人の思考様式を再発見することができる。
・いきあたりばったりの思考
・量だけ増やして同じ方法をやめれない
・ネガティブな事実をニュートラルな言葉に置き換えて、真実か目をそらす気質
・思想的貴族の、真の貴族の不在。
・押し着せられた、思考や組織を採用して、うまくいかなないときにどうにも動けない日本人
・芸の絶対化。職人礼賛的な思考様式が、結局は、その職人を成立させている前提条件が変わっても、それを認めようとせずに、それを貫きとうし、最後に崩壊するまで続ける
・思想的不徹底さ。。。
書ききれないが、すべてが現代の日本にも通じている。 -
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1970年に出版された著書「日本人とユダヤ人」で有名な山本七平氏が、外交をテーマに日本と各国の違いに焦点をあてながら、自分たち(日本人)とは何かを論じた一冊。
本書を読んで最も驚いたのは、本書が著者が1976年~1988年に世に送り出した著書・記事などを再構成したものにも関わらず、現代においても変わらず輝きを放っていることです。
外交をテーマにしていますが、国家間の交渉に留まることなく、ビジネスやプライベートにおいても示唆に富む内容となっています。そして、本書で一貫して著者が言わんとしていることは「相手を知ることは言うまでもなく当然のことであり、何より大切なことは相手を知ることによって『自らを知る』こと」であり「自ら(と相手)を知ることで初めて、問題解決に必要なアクションを起こすことができる」ということだと感じました。相手を知っただけでは何もはじまらず、それにより自分との違いを認識し、そのギャップを埋めることが必要であると。
これもまた当然と言えば当然だとは思いますが、自分を知るという実践は、相手を知るよりもさらに難しく、たゆまぬ訓練が必要であることを改めて思い知らされました。
1970年~1980年代から、現代に生きる我々に届いた名著、だと思います。
【本書抜粋】
「称揚面」だけが見える、「否定面」だけが見えるという現象は、日本人であれ外国人であれ、相手にあるよりも、むしろ自己の内にある「心理的要因」に基づくのであろう。
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ネタバレ日本が第二次世界大戦でなぜ負けたのか?
戦前・戦中・戦後を生きた著者山本氏(戦時中軍人→捕虜→帰国)が、戦後からの視点・思い出で語られた分析・批評ではない、一国民・一文官(陸軍付き)として戦争を体験した小松真一氏(戦時中軍属文官→捕虜→帰国)の記した「虜人日記」(山本氏曰く現地性・同時性をもった目撃者の記録)を元に、日本の敗因について記述。
小松氏の挙げた敗因21ヶ条や山本氏の解説分析する出来事(バシー海峡の悲惨であまりに知られていない出来事、員数と実数、ルソンでの日本軍・軍属の出来事、山での出来事、pw・収容所での出来事、現実と虚構等々)は、現在の日本でも当てはまることが多いと痛感。
・・・戦争を経ても真の意味の反省ができておらず、あまり変わっていないかも。。。
あとがきより・・・
兵士であるのに戦場にも着けず、海の中に消え、餓死し、住民に虐殺され、人肉を喰らうところまで追いつめられ、また食われた人々。
彼らに「安らかに眠れ」とは言えない。・・略・・
敗戦の、原因と責任者の究明は、いまだ終わっていない。しかしそれをしなければ、また地獄を見る日が来るのではないか。・・・平成16年イラク報道に接しながら・・横山氏
明るい希望もある。「無一物中無尽蔵」 -
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大東亜戦争の生々しい戦闘ではなく、そこにいた人々の生き様が描写されており、生き方を、人とは何か?をあらためて考えさせられる。
現代の企業戦士も環境や状況かわれど同様と思えるところ多く、自分自身も自己認識をあらたにすべきと感じたし、非日常としりつつ日常を装っている面が少なからずあるように思ったし、そうさせられている面もあるようにもおもった。
本当の意味で事実を認識し、正しい道を選ばねばならない。
かなりハイライトをつけたが、そのひとつが以下。
「前提が違えば、前提を絶対視した発想・計画・訓練はすべて無駄になる」
一体「反省」とは何なのか。反省しておりますとは、何やら儀式をすることではあるまい。それは、過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分のはずである。
この戦争で両国の最高首脳部が敵国の国力、工業力を計算し合った。米国は日本の力を大ざっぱに大きめに計算し、日本は米国の力を少な目に計算しそれにストライキ、その他天災まで希望的条件を入れて計算した。そしてその答は現実にあらわれてきているが、日本のは計算が細かすぎて大局を逸しているようだ。 -
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ネタバレ故小松真一氏の『虜人日記』を現地性と同時性がある目撃者の記録としてとらえて太平洋戦争の敗因21ヶ条について解説している。
太平洋戦争の敗因分析は、野中郁次郎氏らの『失敗の本質』が有名であるが、それとはまた違った生々しい記録に基づいているのが本書の特徴である。
冒頭の「バシー海峡」の例からガツンと頭を叩かれた感じがする。
米軍はあの手がだめならこれ、この手がだめならあれと、常に方法を変えて来た。
一方日本軍は、50万を送ってだめなら100万を送り、100万を送ってだめなら200万を送る。そして極限まで来て自滅する。「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言う。
何が恐ろしいかと言うと、日本軍の話ではなく現代社会の会社においても同じ事が行われていると感じるときがあることだ。
この本の帯には、『奥田碩前会長が「せひ読むように」とトヨタ幹部に薦めた本!』と書いてある。まさにこれは、マネジメントの本である。『失敗の本質』同様太平洋戦争の敗戦という多大な犠牲から何も学ばないでは、太平洋戦争の英霊に申し訳が無い。 -
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「民主的か民主的でないか」といった対立軸では日本の政治状況を正確に把握できないとして、著者は「政治化」と「非政治化」という対立軸を持ち出す。
「政治化」とは、生活の全てが政治にかかわってしまう状態を指す。これは文化大革命時の中国を考えれば良い。ベートーベンの交響曲やピカソの絵画までもが政治に組み込まれてしまう思想である。
逆に、「非政治化」とは、生活の全てが政治と無縁の社会である。政治に関係ない限りにおいて、すべての自由は保障される。言論も表現も宗教も財産権も居住権もすべての諸権利は保障されるが、国民の全ては非政治的存在として絶対に政治に関わってはならないという思想である。
そして、著者は言う。
「日本は15年周期で政治化と非政治化を振り子のように行ったり来たりするのだ」と。
実に興味深い論考。
中でも特筆すべきは、日本人の強みと弱みを「組織的家族社会」に求めた点だろう。
調和を求める日本的な組織は、上手く機能するときは強烈なチーム力を発揮して無類の強さを誇るが、一旦機能しなくなると植物人間化する。誰もとどめを刺す者は存在せず、無為の組織に成り果てても延命措置を施されて死ぬまで生き続けさせられるのだという著者の指摘は、現在の日本を的確にとらえている。 -
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ネタバレ1.精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと、2.物量・物資・資源、3.日本の不合理性・米国の合理性、4.将兵の素質低下、5.精神的に弱かった、6.日本の学問は実用化せず、7.基礎科学の研究をしなかった、8.電波兵器の劣等、9.克己心の欠如、10.反省力なきこと、11.個人としての修養をしていない、12.陸海軍の不協力、13.一人よがりで同情心がない、14.兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた、15.バアーシー海峡の損害と、戦意喪失、16.思想的に徹底したものがなかった、17.厭戦気分、18.日本文化の確立なきこと、19.日本は人命を粗末にしたこと、20.日本文化に普遍性なきこと、21.指導者に生物学的常識がなかったこと
以上が敗因21箇条であり、一見すると戦争の敗因を示しているようであるが、現代にも共通する貴重な教訓を含んでいる。とりわけ反省力がないこと、文化の確立がない、不合理性、思想的に徹底したものがない、といった点は現在の政治の混迷を見ていて納得できる。日本人としてどこへ向かい、何をすべきなのか、考えさせられる一冊です。 -
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日本人とは何か 下 山本七平 PHP
キリシタン禁止や弾圧の内容を見ると
「バテレンはその者の心次第たるべきこと」
「領主の改教や移動で領民を強制的に改宗させてはならない」とあり
むしろ仏法や神教を強制的に妨げない限りお構いなしと言うことで
逆に信仰の自由を保障している状態の場合が多かったようだ
長崎では寺や神社が壊され寺が一つもなくなり
すべてキリシタンの教会ばかりになった時期もあったと言う
その裏には他の存在を認められない一神教の思いがあるようで
領主がキリシタンになった場合領民もキリシタンにならなければ
居場所がなくなり街中が一色になっていくらしい
信長も秀吉も家康も政治に手を出さない限り信仰の自由を認めているが
一向宗のように領主と領民が一丸となる事を恐れていたこともあった
この本は実際に生きた人による日記や記録を掘り起こしたものなので
あらかじめ方向性を内に持って政治性は体面をつくろった洗脳書でなく
本質に近いドキュメント史といえるかもしれない
マスコミもマスメディアもその本質を置き去りにして
無責任な大本営発表に頼った嘘と建前のニュースになっている現在
こうしたものは見えにくく隠された本音を知る小さなチャンスである
さらに存在していても押し付けてくることがないから
こちらから積極的に探し求めて行かなければ出会うことができない
こうした出会いには感動が伴うし思いもよらない発見が待っている
江戸末期の藩同士の関係と国家間に置き換えると
明治や戦後の政治に似ていると山本氏は言う
その優れた面としては能率的な近代化による国家利益の擁護
国家独立の保持・平和外交に基づく経済発展擁護
欠点は政治に無関心で経済的繁栄だけを喜びとする国民のため
真の近代国家になれないこと
本多利明・海保青稜は戦争放棄による発展であり
戦後日本の原型とも言える
もし世界が幕末の幕藩体制のようになるならば
二人は世界の先覚者と言えるようになるかもしれないと結ぶ