山本七平のレビュー一覧
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この本もう何度読み直しただろうか。10年以上も本棚に置いてあり折に触れ読み返している。小松真一著「虜人日記」を紹介しつつ、山本七平氏が解説を加えていく体で構成されているこの本を読めば、日本人というものがどんなものなのか、よくわかる。太平洋戦争末期の状況下における日本人たちの振る舞い。
時折「日本の軍備は実はどこそこの国よりも凄いから、日本人が戦争をしたとして弱くはないのだ」というような物言いを見かけるが、ハード重視ソフト軽視な日本人らしい見方だと思う。この本に示されている「出鱈目な人たち」は、まんま、昨今会社で見るあの人や電車で見掛けるあの人らと、何ら変わらない。今日本が戦争に参戦したとして、 -
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今も、戦前と変わらない日本人の思考様式を再発見することができる。
・いきあたりばったりの思考
・量だけ増やして同じ方法をやめれない
・ネガティブな事実をニュートラルな言葉に置き換えて、真実か目をそらす気質
・思想的貴族の、真の貴族の不在。
・押し着せられた、思考や組織を採用して、うまくいかなないときにどうにも動けない日本人
・芸の絶対化。職人礼賛的な思考様式が、結局は、その職人を成立させている前提条件が変わっても、それを認めようとせずに、それを貫きとうし、最後に崩壊するまで続ける
・思想的不徹底さ。。。
書ききれないが、すべてが現代の日本にも通じている。 -
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1970年に出版された著書「日本人とユダヤ人」で有名な山本七平氏が、外交をテーマに日本と各国の違いに焦点をあてながら、自分たち(日本人)とは何かを論じた一冊。
本書を読んで最も驚いたのは、本書が著者が1976年~1988年に世に送り出した著書・記事などを再構成したものにも関わらず、現代においても変わらず輝きを放っていることです。
外交をテーマにしていますが、国家間の交渉に留まることなく、ビジネスやプライベートにおいても示唆に富む内容となっています。そして、本書で一貫して著者が言わんとしていることは「相手を知ることは言うまでもなく当然のことであり、何より大切なことは相手を知ることによって『自 -
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ネタバレ日本が第二次世界大戦でなぜ負けたのか?
戦前・戦中・戦後を生きた著者山本氏(戦時中軍人→捕虜→帰国)が、戦後からの視点・思い出で語られた分析・批評ではない、一国民・一文官(陸軍付き)として戦争を体験した小松真一氏(戦時中軍属文官→捕虜→帰国)の記した「虜人日記」(山本氏曰く現地性・同時性をもった目撃者の記録)を元に、日本の敗因について記述。
小松氏の挙げた敗因21ヶ条や山本氏の解説分析する出来事(バシー海峡の悲惨であまりに知られていない出来事、員数と実数、ルソンでの日本軍・軍属の出来事、山での出来事、pw・収容所での出来事、現実と虚構等々)は、現在の日本でも当てはまることが多いと痛感。
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大東亜戦争の生々しい戦闘ではなく、そこにいた人々の生き様が描写されており、生き方を、人とは何か?をあらためて考えさせられる。
現代の企業戦士も環境や状況かわれど同様と思えるところ多く、自分自身も自己認識をあらたにすべきと感じたし、非日常としりつつ日常を装っている面が少なからずあるように思ったし、そうさせられている面もあるようにもおもった。
本当の意味で事実を認識し、正しい道を選ばねばならない。
かなりハイライトをつけたが、そのひとつが以下。
「前提が違えば、前提を絶対視した発想・計画・訓練はすべて無駄になる」
一体「反省」とは何なのか。反省しておりますとは、何やら儀式をすることでは -
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ネタバレ故小松真一氏の『虜人日記』を現地性と同時性がある目撃者の記録としてとらえて太平洋戦争の敗因21ヶ条について解説している。
太平洋戦争の敗因分析は、野中郁次郎氏らの『失敗の本質』が有名であるが、それとはまた違った生々しい記録に基づいているのが本書の特徴である。
冒頭の「バシー海峡」の例からガツンと頭を叩かれた感じがする。
米軍はあの手がだめならこれ、この手がだめならあれと、常に方法を変えて来た。
一方日本軍は、50万を送ってだめなら100万を送り、100万を送ってだめなら200万を送る。そして極限まで来て自滅する。「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言う。
何が恐ろしいかと言う -
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「民主的か民主的でないか」といった対立軸では日本の政治状況を正確に把握できないとして、著者は「政治化」と「非政治化」という対立軸を持ち出す。
「政治化」とは、生活の全てが政治にかかわってしまう状態を指す。これは文化大革命時の中国を考えれば良い。ベートーベンの交響曲やピカソの絵画までもが政治に組み込まれてしまう思想である。
逆に、「非政治化」とは、生活の全てが政治と無縁の社会である。政治に関係ない限りにおいて、すべての自由は保障される。言論も表現も宗教も財産権も居住権もすべての諸権利は保障されるが、国民の全ては非政治的存在として絶対に政治に関わってはならないという思想である。
そして、著者 -
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ネタバレ1.精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと、2.物量・物資・資源、3.日本の不合理性・米国の合理性、4.将兵の素質低下、5.精神的に弱かった、6.日本の学問は実用化せず、7.基礎科学の研究をしなかった、8.電波兵器の劣等、9.克己心の欠如、10.反省力なきこと、11.個人としての修養をしていない、12.陸海軍の不協力、13.一人よがりで同情心がない、14.兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた、15.バアーシー海峡の損害と、戦意喪失、16.思想的に徹底したものがなかった、17.厭戦気分、18.日本文化の確立なきこと、19.日本は人命を粗末にしたこと、20.日本文化に普遍性なきこと、21.指導者に生物
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日本人とは何か 下 山本七平 PHP
キリシタン禁止や弾圧の内容を見ると
「バテレンはその者の心次第たるべきこと」
「領主の改教や移動で領民を強制的に改宗させてはならない」とあり
むしろ仏法や神教を強制的に妨げない限りお構いなしと言うことで
逆に信仰の自由を保障している状態の場合が多かったようだ
長崎では寺や神社が壊され寺が一つもなくなり
すべてキリシタンの教会ばかりになった時期もあったと言う
その裏には他の存在を認められない一神教の思いがあるようで
領主がキリシタンになった場合領民もキリシタンにならなければ
居場所がなくなり街中が一色になっていくらしい
信長も秀吉 -
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ネタバレ【書評】
政権交代が生じてもなぜ日本の政治は変わらないのか?本書は1975年に4度にわたって連載されたものを編集したものである。本書の指摘から35年以上経った今でも、その内容は今日の日本を考える際に極めて有効である。本書の価値は、「民主的か非民主的かを超えて」、民主主義に対峙するものとしてひと絡げにされて来た、官憲主義と全体主義という本来異なる二つの政体間の循環によって日本政治を捉える点だ。天皇機関説排撃運動や民法典論争、開戦時と終戦時の新聞の記事などを通して、この循環を明らかにする。その内容は、私たちの社会を包み込む「通常性」という規範こそが変化を拒むもである。しかしながら、その「通常性」