山本七平のレビュー一覧
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確か適菜収氏の本で紹介されていて著者のことを知り、今回はじめて読むことが出来た。著者紹介のページを読むと山本書店を立ち上げ店主として主に聖書関係の出版物を刊行する傍ら評論家としても活動を続ける。とあって驚いた。まさに本書で紹介されている石田梅岩とそっくりではないか。梅岩は商家で番頭をしながら私塾を開いて後進を育てていった。それに対して著者は出版を通じて明晰な評論を世間に広く知らしめている。そのどちらもいわゆる市井の人として生きながら知り得た知識や考え方を惜しげもなく社会に還元している。この庶民の意識の高さが仕事を精神的行為として捉える「モーレツ」社員を生み出すのだろう。もちろん長所は同時に短所でもあるという著者の冷静な指摘を見逃してはならないが。以下メモした箇所「自らが機能しようとすれば、まず、その共同体の一員となることが前提となる、それは他の共同体に属しつつ、機能集団では個人として機能するということは不可能である、ということでもある。」組織で活躍する為には絶対必要な観点。「だが、世の中でもっともむずかしいのは、実体を正しく見て、それに対応するあたりまえのことを実行に移すことなのである。」あたりまえのことをあたりまえに出来る=それがプロなんだと思う。や「事実を事実のまま見ることができれば、問題の大半は解決したに等しい。(中略)もちろん虚構を掲げる扇動家は、いずれの時代にもおり、それが一時的には人を動かすが、経済合理性の無視がどのような結果を生じたかは、ある意味で全日本人が学んでいた。」など。扇動家、煽動家は現代にもまさしく居て、その声の大きさや激しさに気圧されず煽られることなく冷静に言っている内容を吟味して判断することを心掛けたい。とても示唆に富む内容でよかった。また別の著書にも挑戦したい。
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Posted by ブクログ
徳川家康観に新しい側面から光を当てた評論。
一般には腹黒いだの狸オヤジだの論評が定着している家康が、置かれた状況の中での彼の考え方のロジックが理解できれば、その評は間違っていることが分かるはずだと繰り返し説く。
家康は幼少の頃人質として扱われていたのは誰しも知っていることではあるが、「人質」は今のぼくらが感じるニュアンスとは少々異なり、むしろ安全な位置にいたのだとの指摘には、なるほどそういう見方もあったのかと軽く驚いた。(全面的に賛意するわけではないけど)
著者の見解の裏付けとなる当時の文書が縦横無尽に夥しく引用されている。少し古い文章を読む力がなければ幾分敷居が高いと感じられる本ではあるが、自分のこれまでの視点の浅さを突いてくれる。
出だしがいきなり毛利元就の話で始まる理由は、読み進んでいけば自ずと理解されるであろう。
これほど傑出した人物がいたならば、あの戦争も・・・という著者の嘆息を感じるのは、この人の著作をおおかた読んでしまったぼくの深読みだろうか。 -
Posted by ブクログ
高校生のころから読もうと思っていたのに毎回難しすぎて挫折していた本でしたが、やっとのことで読み終えました。山本氏の著書は全て現在の日本の社会状況にも敷衍して考察ができるものばかりなので好んで読んでいますが、昭和の歴史観・時代観への知識が深まることでさらに読みやすくなった気がします。
第7章の「芸」の絶対化と量については現代の企業社会にも多くあてはまるところで、「マクドナルド型」の経営を再度勉強してみたいと思う部分でもありました。また、11章の『不合理性と合理性』についても首肯する部分が多かったです。
西郷隆盛の例を出したあたりはあまりの十年一日振りに苦笑するばかりでした。良くも悪くも日本の歴史と文化と精神性というのはそうそう途切れていないんでしょうね。 -
Posted by ブクログ
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了雲は、その最後にあたって、梅岩に、自分が注を施した書をすべて与えよう、と言った。これは今でもたいへんに名誉なことであろうが、師からの伝授を何よりも重んじた徳川時代には、まさに絶対的で、いわば「了雲学派」の代表という位置を譲られることである。ところが、梅岩はきわめてそっけなく、いりませんと言った。了雲がなぜかと問うと梅岩は「われ事にあたらば新に述ぶるなり。」と答え、了雲もまた、この答えを喜んだと伝えられる。(…)最終的には、自ら考えて自らの思想を述べるのが、彼の目的であった。120
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カルヴァンにアメリカを見せて、この資本主義社会はあなたの精神が生み出したのですと言えば、この峻厳な思想家は驚いて口がきけまい。私は、これから、日本の資本主義をつくった人物として、鈴木正三をとりあげようとしている。それを知ったら、彼も、前記の人物たちと同じような反応を示すにちがいない。124
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いい社会をつくるためには、彼の基本的な世界観から見れば、まず、「心なる仏」が三毒に冒されないことが必要である。(…)「内なる仏どおりに生きる」ことなのである。そのためには、当然、修行すなわち仏行にはげまねばならぬ、ということになる。(…)「仏行にはげめ」などと言われても、農民にはそんな余暇は全くない、どうしたらよいでしょう、ということであろう。これに対する正三の答えは、実に明確で、「農業即仏行なり。」なのである。130
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商人蔑視はいずれの国にもあり、徳川時代の日本だけが特に強かったわけではない(…)われわれは、自由という言葉をさまざまに使うが、少なくともその基本的な「不自由でない」という状態は、流通によって支えられていることに、案外気づかない。(…)これを担当するものはまさに「国中の自由をなさしむ」べく、天道から命じられた役人なのである。したがって、正三には、「売買の作業」とそれに従事する商人への蔑視は皆無である。こういう人が十六世紀の日本の武士にいたというのは不思議であり、この点だけを取り上げても、まさに独創的な思想家であろう。135
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商が巡礼のごとく一心不乱に働けば、利潤を生ずる。これは農でも工でも同じであり(…)では、利潤を追求してよいのであろうか。もちろん否であり、それをすれば三毒の一つである「貪欲」に冒される。では、それを追求したのではないのに、結果において利潤が生じた場合はどうなのであろうか。正三は、この「結果としての利潤」は、否定していない。すなわち、「正直の旨を守て商せんには(…)天の福、相応して、万事、心に可叶。」なのである。ただ、この「福徳を得て悦べきにあらず」である。これは「有漏の善」であるから、それで満足していては堕落し「必悪に入なり」だから、この状態のままであってはならず、さらに「無漏善」となすべく願い、巡礼のごとくにあらねばならない、と説いている。140
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「世俗の行為は、それを修行とすることによって、宗教的行為になりうる。」といった考え方は、日本人に実に大きい影響を及ぼした。(…)たとえば、われわれの社会では「ブラブラしている」は非難の言葉である。働かないということは、仏行を行っていないことだから、非難されて当然である。(…)もちろん、経済的に充足すれば、われわれは仏行を他に求めるであろう。しかし、それを求めること自体は、将来も変わらないし、求めても見いだしえないことが、われわれにとって最大の苦痛であることも変わらないのである。(…)そして、これが前述のように、徳川時代という自前の体制を自らの手で築きあげたときの、日本人の独創的な思想であった。145
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Posted by ブクログ
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小松氏にはゲリラとも話し合いができた。そして結局、ゲリラとの話し合いのできる人間だけが、対日協力者とも話し合いができ、相互に納得できる了解に達しうることができたわけである。147
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だれ一人として、「彼らには彼らの生き方・考え方がある。そしてそれは、この国の風土と歴史に根ざした、それなりの合理性があるのだから、まずそれを知って、われわれの生き方との共通項を探ってみようではないか」とは言わなかった。従って、一切の対話はなく、いわば「文化的無条件降伏」を強いたわけである。148
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もし許されないことがあるなら、自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげ、人びとにそれを強制することであると思う。簡単にいえば、日本の滅亡より自分の私物が心配なら軍人になるのをやめ、日本の運命より家作が心配なら、はっきりとそう言ってその言明にふさわしい行動をとればそれで十分だということである。307
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Posted by ブクログ
ちょっと話題になった本なので最近の出版かと思いきや、随分古い本でした。
でも、現代にも通じる話です。
とはいえ、抽象化された言語が私にはわかりにくくて、読み終えるのは少し苦戦しました。。
本書は、空気という、日本独特の同調圧力の正体を解剖した本です。
空気、とは、人々が無自覚に共有してしまう感情であり、その雰囲気が絶対的な力を持って集団を支配してしまうことがあって、それは、論理よりも優先され、後になって振り返ってみても理由なく納得するしかない状態に・・・
考えてみたら今も、空気に逆らうこと自体に罪悪感があり、空気にのまれて、会議室で、SNSで、流されることって多々あります。
日本人は感情移入を共有する力が強いため、こういうことが起きるそう。
そして、空気に対抗できるのが水。
空気にのまれず、現実を指摘する行為が「水を差す」と言うことです。
ただしこちらもあやうく、水を差した人間がヒーロー化され、その人が新しい空気を作ってしまうという悪循環が起こる可能性があると言います。
日本人ならではの気質についてが言語化されてすっきりしました。
私自身は空気が読めない人に引いてしまう傾向があり、同調圧力を強める役割をしてしまっている・・と反省しました。
けど、水も差せないし・・・
理屈を解明しても、難しい問題ですね。。