山本七平のレビュー一覧

  • 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条

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    太平洋戦争の実録から、日本という国の持つ病癖や現代に通じる教訓を引き出す。バシー海峡の話など全く知らなかったが、
    余り知られていないこと自体が問題ありな気がする。空気の研究と合わせてお奨め。

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    2026年10月05日
  • 私の中の日本軍 下

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    上下巻を通して特に印象に残ったのが、「百人斬り競争」についての考察です。

    私は昔この話を聞いた時から、「あの繊細な日本刀で、しかも戦場で百人も斬れるものだろうか」と疑問を感じていました。

    山本さんは実際に従軍した経験をもとに、当時の戦場の実態や日本刀の特性を挙げながら、その疑問を理路整然と説明されています。感情ではなく、経験と論理によって語られているので、とても納得できました。

    そして何より心に残ったのは、「百人斬り競争」の記事がもたらした悲劇です。

    一度報じられた内容は、多くの人に事実として受け止められ、その後も大きな影響を及ぼしました。山本さんの考察を読みながら、報道が人の人生や運命さえ左右してしまうことの重さを改めて考えさせられました。

    だからこそ、何が報じられたのかだけでなく、「何が報じられなかったのか」という視点を持つことの大切さも強く感じました。

    この本は戦争体験記であると同時に、情報とどう向き合うべきかを教えてくれる一冊でもあります。

    歴史を学ぶときは、一つの情報だけを鵜呑みにせず、様々な資料や立場に触れながら、自分自身の頭で考え続けることの大切さを改めて感じました。

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    2026年07月29日
  • 「空気」の研究

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    【書名と著者】
    「空気」の研究
    山本七平

    【目的】
    空気が云々というけれど、一体全体どういうことなのか。この空気の状態に肉薄するには本書を読まねばならないと思った。
    空気に対する読む前の認識は以下。
    空気とは、共同体の維持に寄与する主体なき意思決定の作用である。
    共同体内の利害関係の対立が強ければ強いほど、作用が強い。
    空気は客観的なデータ、事例、理論を超越して意思決定に関与する。
    特徴は3つある。
    ・意思決定は権力者にとって都合のよいものである傾向が強い。
    ・権力者は意思決定の判断に対して、結果責任を負わない。
    ・権力者以外の共同体の構成員は意思決定が吉と出れば僅かの恩恵を享受するが、凶と出た場合の被害を全て負う。最悪の場合、死ぬ。

    【読後感】
    期待してた通りの、空気が研究された本ではなかった。ただ、空気の醸成と水を差すという概念を世に知らしめた点は大きな功績と思う。
    一方で空気に水を差す方法論にまでは届いておらず、わたしの勝手だが求めていた実践知の手がかりはなかった。
    一方で空気と水、西洋と日本を比較して引用多めで日本に物申すが主旨の本だったような気がする。
    ただ、1970年台はインターネットもなく情報を得る方法がテレビと新聞と書籍と人、くらいに限られたのだろうから現代において山本七平が再度書くならどう書かれるのか、興味深いなと感じた。

    【印象に残ったポイント】
    ・進化論と神話の矛盾に対するダブスタ
    猿から人間が生まれた論説の時代だと、神武天皇は否定するがイエスキリストや釈迦やムハンマドは否定はしないのだな、不思議。

    ・昔のインテリ文章はとかくわかりにくい
    自分の頭の中で名付けた概念を複数並べ、主張の論拠は冗長な引用で権威づけ、自分産の概念をこねくり回してわかりにくくじっく。論じる。
    読者迎合無用の文書にノスタルジーを感じる。

    ・空気に対して水を差せ、が解なのか?
    空気と水しかないと言いながら、水を差せるのも空気による
    んだったら水を差す空気と差せない空気の違いは?と問いだけが残る。

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    2026年06月23日
  • 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条

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    小松真一氏の虜人日記などの記述から当時の日本の問題を論理的に考えられた作品。
    当時の日本軍が悲惨で残酷な状況であったかがよくわかるものだった。いかにアメリカとの戦争が無理なものであったか、いかに杜撰な体制でのぞまれた戦争であったのかが分かるものとなっている。戦争から80年以上たっていて、戦争を体験した人はほとんど居なくなっている今日、戦争の恐ろしさを知れるとても良い本であると感じた。
    また、現代にも通ずる問題が色々と書かれていて考えさせられるものだった。自分がまったく意識すらしていなかった問題などもあり、多くのことに気付かされた。この問題はどのように解決したらいいのだろうかと考えながら読むのも楽しかった。

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    2026年05月30日
  • 「空気」の研究

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    文字がぎっちり詰まっている。難しい。分からん。こんなに難しい本だとは思わなかった。

    開始数ページで既に「空気」がゲシュタルト崩壊した。空気とは何か。改めて考えると、辞書的な意味も取れなくなる。

    以下、本書を読んだ私の理解。

    「空気」とは自身の外部にある判断基準であり、共同体の中で共有しているものであり、客観的な事実とは無関係の、みんなで支える虚構である。
    事実をもって「空気」に「水を差す」ことはできるが、その水を差せるという「自由」自体が空気を作り出しているので、水を差したところで問題は解決しない。

    うーん、人に説明できない。誰かに解説してもらいたい。

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    2026年04月23日
  • 「空気」の研究

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    日本わ支配し続けている空気を知ることが、この得体の知れない空気からの脱却の一歩となる。それこそが、日本人にとっての真の自由となる。

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    2026年02月27日
  • 「空気」の研究

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    判断する時その場の「空気」によって反論出来なかったと言う人がいる。昔は恥ずべき行動と思われていたのに何故? 更にその「空気」は世間では強くなっている。1977年に書かれた本で有るけど、読む価値の有る本だと思う。出来れば数回読んだほうが更に理解深まるかも。司馬遼太郎が昭和の戦中の軍部を嫌った理由では無いかと思いました。

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    2026年01月10日
  • 「空気」の研究

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    ●感想要約:
    日本社会を支配する「空気」という無言の圧力を分析し、理性よりも場の雰囲気に流される危うさを指摘する.著者の洞察は現代にも通じ,思考停止を戒める鋭い警鐘として心に響いた.「水を差す」行為が重要ではないかと感じた.

    ●科学博士の書評指数:
    楽しみ度:★★★☆☆
    共感度 :★★★★☆
    学び度 :★★★★★
    話題度 :★★☆☆☆
    お薦め度:★★★★★

    ●本の概要:
    日本社会を支配する無言の同調圧力「空気」という概念を分析した評論である.著者は,理性や論理ではなく「空気」によって意思決定が行われる日本の特徴を,太平洋戦争の戦時体制などの具体例を通して明らかにする.個人の判断よりも場の雰囲気が優先され,異論が封じられる構造を批判し,これが日本の組織や社会に潜む危うさをもたらしていると指摘する.現代にも通じる日本的思考の本質を鋭く問う一冊である.

    ●感想:
    (1)空気の研究,水の研究,臨在感,宗教論,天皇,ユダヤ教,キリスト教,日本民族論,保守・革新の考え方,,,大変興味深く一気に読めました.著者山本七平 氏の見識の深さに恐れ入りました.半世紀前の本ですが,今でも通用すると思いました.

    (2)日本的意思決定方法の特徴について,良い面・悪い面を文章化していると理解しました.

    (3)民族気質の特徴は,そう簡単には変わらないとのこと.だから歴史は繰り返すのかな?と思いました.

    (4)指導者には「空気」に支配されることを「恥」と思う気概を持つことの重要性を理解しました.これ,忘れないようにしたいと思います.

    (5)「臨在感」で状況判断することは,状況理解追求の放棄になるということにつながります.このことは,日本人として認識しておくべき事だと感じました.

    (6)最後に,「人は、理論的説得では心的態度を変えない」という一文が強烈に心に響きます.言われれば,確かにそうだと共感できますが,これは理系の人間からすると受け入れたくない人間の特徴です.非常に敗北感を感じます.

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    2025年10月11日
  • 「空気」の研究

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    「空気」が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。

    兵庫県知事への「空気」が気になり本書を通読。人が自死している事実が、臨在感的把握で絶対視され、自死させた知事が悪いという感情移入、対象との一体化が、冷静な疑問を呈するコメンテーターを一掃する「空気」をつくったとみると判り易い。森友問題で自殺者が出た時も同様の「空気」ができたが、なぜか鎮静化できたのは、冷や水を差す行為があったか、その「空気」を上回る別の「空気」が官邸とマスコミとにあったのか?ジャニーズ問題も同様で、民事でジャニーズが負けているにもかかわらず、マスコミと芸能界との「空気」があった?としか思えない。
    筆者はこのような「空気」共同体のバックボーンは情状倫理、「すべては情状のもとに判断され、共同体内では父(共同体)は子のために隠し、子は父のために隠すことこそ直きこと」であると述べる。これは孔子儒教を日本流に解釈・アレンジして日本儒教に改変した思想であり、戦前戦後変わることはない。これに対抗する思想は「個人」の「自由」であるが、水を差す自由さえ叩かれるSNSとワイドショーの状況をみると、なかなか難しそうである。一部の人々は、どのような論理的説明を受けても態度を変えない。ある種の思想を黙示録的に伝達することで、その読者に一切の論理:論証を受け付け得ないような手法がすでに開発されているのでは?と訝しく思う。
    会社や町内会などの共同体から自由になって、「空気」が薄い状況をすがすがしく感じるが、それでもなお日本国や世界の国々に透けて見える「空気」を感じるにつけ、未来はどうなってしまうのか?と憂える今日この頃である。

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    2024年10月09日
  • 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条

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    「失敗の本質」と同様に、第二次大戦での日本の敗因を論じた刺激的なタイトルの本書は、雑誌「野性時代」への連載(1975〜76年)が2004年に書籍化されたものです。
    山本七平氏の著作を読むのは「空気の研究」以来ですが、とても読み応えがありました。

    本書は、ガソリンの代用としてブタノールを製造する技術者としてフィリピンに派遣された、つまり軍人ではないが戦争に参加した小松真一氏の「虜人日記」をもとに、そこで氏が掲げた敗因21カ条について分析が加えられています。
    その主なものを見ただけでも、精兵主義の軍隊なのに精兵はいなかったが米軍は未訓練兵でもできる作戦をやってきた、日本の不合理性と米国の合理性、反省力なき事、思想的に徹底したものがなかった、日本は人命を粗末にし米国は大切にした…等々であり、山本氏は、日本は大東亜を治める力も文化もなかったと結論付けます。

    特に印象に残った分析は、日本軍には実数ではない員数主義がはびこっていた、秩序は文化ではなく暴力(恐怖心)により保たれていた、個人の持つ武芸(芸)を絶対化し合理化を怠った、非常識な前提を常識として行動した、というような点ですが、半世紀前のこれらの指摘は、未だにわが国に当てはまる部分も多いのでは、と思わざるを得ませんでした。

    読んでおくべき名著だと強く思います。

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    2024年09月18日
  • 「空気」の研究

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    空気の支配、空気とは宗教的なもの。空気決定。日本の公害問題、大和戦艦の出撃、西南戦争のプロパガンダ。責任を空気に転嫁する民族。会議の空気、、など。
    反対に、旧約聖書とアリストテレスで鍛錬した、アングロサクソン型民族、相対的把握力、対立概念で把握する力。

    臨在感の支配により人間が言論行動を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、感情移入を前提とする。

    原則?対立概念で対象を把握する事を排除すること
    →対立概念があると臨在感的把握を絶対化できない。一方を善、他方を悪と二極化、決めつけてしまうと両者絶対化される。

    対象の絶対化を排して、例えば公害問題の場合、経済の発展と公害問題という相対関係を排して、公害を絶対化し、臨在感的に把握してブームを巻き起こし、空気を醸成した。
    →相対化を排すると、解決する自由を失う。公害を絶対化してしまったために、公害問題は解決できなくなってしまう。

    周恩来首相が日本人に贈った言葉、小人、おっちょこちょい、的をいた日本人論、皆真面目に取り組む、が、おっちょこちょいである。時代先取りといって、右左一目散に突っ走る、物事を絶対化し、永遠に問題解決できない。大人は、対象を相対化し大局をつかむにんげんのこと。対象から自己を自由にすることを知っている人のこと。

    一神教の世界は、唯一絶対化された神とそれ以外相対化された世界。なので、偶像崇拝はだめ。創造神を侮辱する行為だから。一方、日本は、アニミズム、絶対化された世界、空気主義。天皇制とはまさに、空気支配の体制である。

    ヨブ記、絶対化の恐ろしさ。絶対化の逆用。相対化から命題が出てくる、絶対化すると、命題そのものが実際は失われてしまう。

     ?水通常性の研究、水を差すという言葉。
    絶対化の論理、無責任性、あの状況では仕方なかった、あの状況を作り出した人が悪いという責任転嫁。

    日本的状況倫理、当時の状況という言葉の時点で、現在との対比であり、当時の状況を説明できるはずがない。

    人間を基準にするという日本的概念、単位も然り、宗教も然り。欧州は、メートル法を適用、これは状況に関係ない非人間的なもの、宇宙的規範である。ユダヤ教の律令もそう。しかし、日本人は人間を規範にする、単位にしても生活空間を規範にする、日本的平等主義である。

    固定論理、状況論理、辻褄の合わない論理。
    辻褄の合わない理論→前提の前提、特異な状況にあったが、それない。なぜ、特異な状況と、殊更に誇大表現するか?何もないのなら、何もなかったことの前提とはなんなのか?

    通常性的判断の論理的基本、状況倫理と辻褄の合わない論理。時代を超えて同じ論理が展開されている。

    欧州の伝統は一貫して峻厳な固定倫理であり状況倫理ではない。

    日本人的考え方、一君万民。一君は超越者、人間の極限的概念、状況論理の視点。万人はオール3平等民、これが日本人的考え方。

    日本的儒教、君君たらずとも臣臣たれ。
    中国的儒教、君君たらずば、臣臣たらず。
    日本的儒教と中国的儒教は根本的に考え方が違う。
    組織への帰属を忠誠の絶対視として、孔子は、どちらかというとアメリカ的。自分のプランを採用してくれるところに。

    孝、血縁といういかんともしがたい非契約的な秩序
    忠、契約的な秩序。

    日本的自由 一社長オール平社員への回帰。儒教に触発された日本教。一君万民、情況論理。父と子、相互隠蔽、直し中。人が死ねば癌がなくなる的な発想。

    情況論理→ある情況を維持してそれに対応しようとする通常生の論理。これは、父子隠し合いの中で生まれる。全体主義的無責任体制である。

    何かの力、これを解明する必要がある。この力は外圧ではなく、内部に含んでいる、通常性の問題なのであり、これをひもとき無意識の規範を有識のもとにする必要がある。

    空気の研究、原理原則は対象の臨在感的把握。感情移入し、シンボル化する。文明開花しかり、尊皇攘夷しかり。過去と断絶し得たと信じようとした時、対象の臨在感的把握。古き自分を捨て、新しき自分となること。これは、宗教的コンバージョンと同じ、故に対象は絶対的である必要がある、経済成長や商社、天皇など。

    空気、水の通常性、それらは、虚構の中に真実を求める世界言わば、虚構の支配である。それが日本。

    日本的儒教では、自由や個が忌み嫌われる。自由とは何か?全体主義的無責任体制の日本にとって、自由という概念そのものが不明瞭。がんらいは、奴隷解放の意。自由になることとは、空気的拘束を断ち切り、思考の自由および模索である。

    革新、革命と呼べるものは、しばしば新しいものではなく、復古主義である。今に絶望して、昔に戻りたいという、人間のサガである。

    日本的根本主義、ファンディについて
    →外部のファンディを見ずに、合理性のみを分離して欧州から輸入したのが伊藤博文。ただ、これは仏作って魂入れずの状態であり、制御装置や抑制力にはなり得なかった。ゆえに、骨抜きにされ、非合理性が出てきた際、そのエネルギーは破滅の方向に進んだ。中根千枝、日本人は未来に火傷することを説いても誰も聞かない、実際に火傷してからでないと動かない。臨在的把握に基づく行動が起こす現実、現代人の無反応状態の一因では。要は、絶対化、情況論理が引き起こして過去に絶望し無反応になっているのでは。

    空気支配は、近代から。昔は違ったのでは。男子たるもの、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは、、との言葉にも表れている通り。当時は、空気は猛威を振るっていない。
    うやむや化の原則も、空気、水に行き着く。

    空気支配に気付き、脱却し、自由思考を手に入れる、探究とはその一連の活動の積み重ねである。

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    2026年01月18日
  • 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条

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    虜人日記を下敷きにした冷静な歴史の検証。
    時制の峻別。その時代の目撃者の証言か後代の記録か。
    我々はまだ「自由な思考」「自由な談話」ができないでいるのか。

    戦時中の愚かしさと、それが今なお変わらぬことに、二重に戦慄する。

    ・予定稿を押し付ける記者となれ合う取材者、世論。これに侵されていない記録としての虜人日記。

    ◯人びとは危機を叫ぶ声を小耳にはさみつつ、有形無形の組織内の組織に要請された日常業務に忙しい。そしてこの無反応を知ったとき、危機を叫ぶ者はますますその声を大にする。しかし声を大きくすればするほど(略)人びとは耳を傾けなくなる。(略)だがそのとき、だれかが、危機を脱する道はこれしかない、と具体的な脱出路を示し、そしてその道は実に狭く(略)全員の過半数は脱出できまい、といえば、次の瞬間(略)一斉に総毛立って、その道へ殺到する。

    ◯バジー海峡の「死のベルトコンベア」
    →制海権のない海に一坪14人の兵員を満載したボロ船で戦地に送る。戦わず何もせず死ぬ。士気、思考の喪失。
    →意図、方法論、組織立ったこともなく場当たり的な対処で結果としてアウシュヴィッツ以上の効率で大量殺人装置となる。
    →同一方法、同一方向へとただ繰り返し拡大にのみ終始し、その極限で崩壊。「やるだけのことは、やった」

    ◯「員数」という架空の数を実数と仮定しての命令だから、はじめから実行不可能。できぬといえば精神が悪いと怒られるので服従するが、実際問題として命令は実行されていない。

    ◯「相手を自分と同じ人間とは認めない」という立場で発言しており、その立場で相手の非を指摘することで自己を絶対化し、正当化している。
    →一方で、ゲリラとの会話により交渉している個人もいた。

    ◯個人のもつ“芸”であっても、客体化できる“技術”ではない。

    ◯「それでは、西南戦争の西郷

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    2024年05月26日
  • 日本人を動かす原理 日本的革命の哲学

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    鎌倉幕府、三代執権北条泰時を中心とした、日本的革命論

    公家から武家への階級闘争は、鎌倉幕府の成立ではなく、承久の乱の過程で生じたと論ずる。
    東国を支配していた鎌倉幕府は、それまで、西国については、支配することはできていない。天皇および上皇・院が西国を支配していたからだ。
    しかし、乱以降は、京都に六波羅探題を置き、以後明治に至るまで、武家が全国統一して日本を支配することになるのである。

    北条泰時の偉業は以下のとおりである。

    ・ゆるやかな武士の連合である、鎌倉幕府が、京都の天皇連合軍を破り、源頼朝でさえ成し遂げられなかった武家の全国統一を成し遂げた。
    ・三上皇を地方に流して、鎌倉幕府に都合のよい天皇に変更、貞永式目をつくって、公家を制御した。以後、日本は、象徴天皇制に移行、現在に至る。
    ・貞永式目とは、これまでの律令(中国からの輸入)から、はじめて、日本古来の固有法を制定した。しかも、律令制では、立法権をもっていないかった北条泰時であり、その後全国にこの制度を定着させた。この制度は、承久の乱にて混乱した世を収める上で、必要な明文法でもあった。
    ・北条泰時の政治とは、暴力を極力嫌う、徳の政治であり、承久の乱で敵となった多くのものを救った。
    ・承久の乱で敵となったものを、かくまった明恵上人を許したどころか、貞永式目制定にあたっては大いに、参考にした。

    鎌倉時代の特長として驚いたものは以下です
    ・女性も相続権を有していた。北条政子を含めて女性が強かったのは、相続権を含めて女性の発言力が大きかったため。
    ・鎌倉幕府とは、統制が厳しい組織ではなく、緩やかな豪族の連合としてなりたっていたこと。執権とは支配者ではなく、あくまでも調整者であった。
    ・天皇家にはむかってはならないという不問律が存在していて、ぐずぐずしていては、天皇家に味方する豪族が寝がえりかねなかったこと。
    ・承久の乱までは、日本は、東国は鎌倉幕府、西国は、天皇家と分かれていて、別の国のように統治されていたこと。

    乱を収め、争いをまとめるために、大変な貧乏だった、北条泰時の治世は、後世徳政とうたわれるのであった。穏やかで、人を殺したり、争うことが嫌いであった執権が、一代で成し遂げたのが、日本的革命であった。

    目次

    序文
    第1章 日本に革命思想はなかったか
    第2章 聖書型革命と孟子型革命
    第3章 北条泰時の論理
    第4章 「承久の乱」の戦後処理
    第5章 明恵上人の役割
    第6章 明恵上人と北条泰時
    第7章 明恵の裏返し革命思想
    第8章 「貞永式目」の根本思想
    第9章 調整型経営者・泰時
    第10章 象徴天皇制の創出とその政策
    第11章 「貞永式目」の制定過程
    第12章 日本人の相続原則
    第13章 「泰時の平和」のジレンマ
    第14章 鎌倉時代の宗教の自由
    第15章 「式目」の刑罰思想
    第16章 日本に奴隷制はあったか
    第17章 統治する側の職務と権限
    第18章 日本的実力主義の論理

    ISBN:9784569564630
    出版社:PHP研究所
    判型:文庫
    ページ数:362ページ
    定価:621円(本体)
    発売日:1992年04月15日 第1版第1刷

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    2023年08月22日
  • 日本資本主義の精神 なぜ、一生懸命働くのか

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    マックス・ウェーバの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に、対して、山本七平がぶつけてきた、「日本資本主義の精神」論。
    日本の伝統と倫理に根づいた日本的特質を論じたものである。
    そして、江戸時代の三人から描かれている。それは、鈴木正三、石田梅岩、そして、上杉鷹山である。

    気になったのは以下です。

    ・では、いったい、日本資本主義の「見えざる原則」は何なのか。という疑問である。ここで忘れてはならない点は、その「見えざる原則」が外部にとっては確かに「見えざる」だが、内部においては当然自明の原則であり、それを少しも隠さずに、堂々とそれで動いているということである。商店の番頭は、「日本資本主義の精神」を経験により体得しているが、経済学、経営学などという学問は全然しらない。彼が体得しているのは、文字どおり「見えざる原則」なのである。
    ・ただ、その原則を、言葉にして客体化し、それをひっさげてアメリカ帰りの若い社長と討論する方法を彼はもっていないのである。したがって、討論すれば、「言い負かされる」にきまっていることを彼は知っている。
    ・だが、言い負かされても自分のほうが正しいことを彼は知っているから、「ではお手並み拝見」という態度にならざるを得ない。この態度の背後には、「言葉の論争では敗れても、現実の争いでは必ず自分が勝つ」という、実に強い自信がある。日本の会社が経済学、経営学とは無関係の「見えざる原則」で動いていることの、一つの証拠でもある。

    ■共同体の原則
    ・徳川時代の享保のころの年功序列の世界なのである。享保の頃も、商店には、丁稚、手代、番頭、大番頭、宿這入り、暖簾分けという序列があった。
    ・終身雇用や年功序列は、会社種族にだけ適用される共同体の原則だから、それ以外の者には適用されない。正規の新入社員は、血縁社会における新生児のように、会社種族になったとたんに、すべての基本的権利を認められる。
    ・会社には、下請けという小共同体を傘下にもっている。下請け会社を別の共同体として両者のあいだを取り引きという関係で結びながら、両者が同じような仕事をしている。
    ・日本社会は、正当、不当の二種類の解雇をはっきり区別している。したがって、実質的に解雇であっても、それは希望退職、すなわち本人が希望し、その自由意志で自ら共同体を去った、としなければならない。
    ・社員が不名誉なことをしでかしたとなれば、厳しい攻撃をうけるであろう。というのは、ここに二つの要素があるからである。一つはいうまでもなく、社の名誉すなわち共同体の名誉という意識があるはずであり、もう一つは、世間に対して相済まないという感情があるはずだという前提である。
    ・三年契約をしたからといって、三年で終わるという論理は日本では通用しない。それは、三年たったら、また、話し合いをしますということなのである。
    ・日本の契約書には、「双方誠意を以て云々」の文言がはいっている。契約書と同様に、日本の法律には、すべてこの要素が含まれている。
    ・外国人から、「中東は、問題はあるが理解できる。日本は、問題はないが理解できない」

    ■江戸の思想的巨人 鈴木正三と石田梅岩
    ・石門心学の祖、石田梅岩、当時の農村共同体内の相互規制が実に厳しいものであった。奉公先にどんな不備があったとしても、口外してはならない。また、梅岩は徹底的に理詰めで考えないと気が済まない人間であった。
    ・日本の思想家を扱う場合、最も困難を感ずるのは、その思想が体系化されていないことである。だが、不思議なことに、鈴木正三だけは、組織禅学と、それに対応している禅宗社会倫理とを抽出できるのである。この点からまさにユニークな思想家と言わなければならない。
    ・仏教の三毒を超えて善にはげめ。三毒とは、欲、怒り、そして無知である。正三の教えは、仏教の教えを士農工商の各層へ教えたことであった、特に、商には、欲をむさぼることはいけないが、正道として、商売の道を行っていった結果、利益がでることは善と説く。
    ・結果としての利潤については、決して否定していない。ここの倫理が、日本においても、ビジネスを開花されるのである。
    ・一方、日本のプラグマティズム:実用主義、は、心学の梅岩から始まる。人間は本心に素直でなければならない。倹約第一主義、浪費、贅沢は悪なり。つぎに、必要以外のものは身につけない。これはピューリタンの倫理にたいへんに似ているものである。
    ・すべての階級にとって、経済性と合理的の追求は、そのまま倫理になりえる。
    ・心学は、孫弟子の時代には、町人の知るところとなり、武士にも受け入れていった。

    ■資本の論理と、武士の論理 藩の資本主義
    ・江戸時代には、藩の経営自体がなりゆかなくなっていく。その中で、特筆すべき人物が現れる。それが上杉鷹山である。鷹山は倒産寸前の上杉家を率いて経営改善を行わなければならなかった。
    ・鷹山は決して、命令という形をとらずに、あくまでも、みなに相談をし、全員の総意という形にもっていっている。と同時にみずからが模範を示した。
    ・鷹山の手足となって動く近習は、辞任に追い込まれてる。彼の相談できる相手は侍医の藁科貞裕だけになってしまった。まったくどうにもならない状態に追い込まれたのであった。
    ・鷹山の方針は、まず多少なりとも藩政の黒字を回復し、それを基に、会社更生法にも似た藩更生法というべきものを発動して、旧債を一時的に棚上げし、新たに資本を導入し、武士をも生産的労働力として活用して、拡大再生産へもっていこうということであった。
    ・鷹山が行ったのは、経済政策だけでなく、社会福祉も教育施設も拡充した。それは、今日の大企業が、企業内教育施設と企業内福祉を充実させていくのに似ている。

    ・徳川時代とは、上は諸侯から下は庶民にまで、いや応なく経済を教え、「資本の論理」に従わない者は破滅することを、実地に教育した時代であった。と同時に、この「資本の論理」の上に、「資本の倫理」を樹立しなければ、その「資本の論理」自体が崩壊することを教えた時代であった。
    ・いわば、「資本の論理」を厳格に実施しつつも、本人は、無私・無欲であらねばならぬという、倫理である。これはおそらく、かつてのピューリタンが持っていた倫理とともに、人類史においてきわめてユニークなものである。

    ■日本資本主義の美点と欠点
    ・日本人は、「資本の論理」は否定せず、経済的合理性なきものは、評価しない。
    ・非倫理性への糾弾はもちろん当然であり、これを失えば日本の資本主義は崩壊する
    ・梅岩も私欲を禁じた。利益追求は、共同体のためにでなければならなかった。それは、共同体に属する人々の生活を保障するための行為であった。

    目次

    まえがき
    第1章 日本の伝統と日本の資本主義
     1 日本のこれまでを支えたものは何だったのか
     2 血縁社会と地縁社会
     3 「契約」の社会と、「話し合い」の社会
    第2章 昭和享保と江戸享保
     1 日本をつくった二人の思想家
     2 善とエコノミック・アニマル
     3 神学と心学
    第3章 現代企業のなかの「藩」
     1 「資本の論理」と「武士の論理」
     2 日本資本主義の美点と欠点
     3 日本資本主義の伝統を失わないために

    ISBN:9784569568164
    出版社:PHP研究所
    判型:文庫
    ページ数:248ページ
    定価:505円(本体)
    発行年月日:1995年11月15日 第1版第1刷

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    2023年07月29日
  • 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条

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    大蔵省出身で、陸軍専任嘱託となってフィリピンにわたり、そこで敗戦を迎えた、小松真一が残した「虜人日記」をテキストに日本軍の敗因21ヶ条を1つ1つ検証する労作。その内容は衝撃そのものでありました。
    「虜人日記」とは、戦後の民主主義の洗礼をうけておらず、戦後の現実に中立の立場で書かれたものであるとしている。
    大東亜戦争の日本軍と、西南戦争の敗軍とは驚くほど類似している。そして、西南戦争の教訓を、活かしきれないかったとありました。

    衝撃を少し紹介すると、以下のような内容です。

    ■暴力と秩序
    ・組織の確立している間はまだしも、一度組織が崩れたら収拾がつかなくなるのは当然だ。兵隊たちは寄るとさわると将校の悪口をいう。ただし人格の優れた将校に対しては決して悪口をいわない。世の中は公平だ。

    ■自己の絶対化と反日感情
    ・日本人は一切の対日協力者を、その生命をも保証せず放り出し、あげくの果ては本多氏のように、その人たちに罵詈雑言を加えている。

    ■性悪説
    ・日本は余り人命を粗末にするので、終いには上の命令を聞いたら命はないと兵隊が気づいてしまった。
    ・人の口に食物をとどけることが、社会機構の基本であって、それが逆転して機構のため食物が途絶すれば、その機構は一瞬で崩壊する
    ・戦友も殺しその肉まで食べるという様なところまで見せつけられた
    ・負け戦となり困難な生活が続けばどうしても人間本来の性格をだすようになるものか。

    目次

    第1章 目撃者の記録
    第2章 バシー海峡
    第3章 実数と員数
    第4章 暴力と秩序
    第5章 自己の絶対化と反日感情
    第6章 厭戦と対立
    第7章 「芸」の絶対化と量
    第8章 反省
    第9章 生物としての人間
    第10章 思想的不徹底
    第11章 不合理性と合理性
    第12章 自由とは何かを意味するのか
    あとがきにかえて

    ISBN:9784047041578
    出版社:KADOKAWA
    判型:新書
    ページ数:320ページ
    定価:781円(本体)
    発行年月日:2004年03月
    発売日:2004年03月10日

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    2023年02月09日
  • 「空気」の研究

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    「思考すること」と「自分の軸」の大切さ。

    生きていく上で、「空気を読む」ことは重要ではあるものの、同時に嫌気がさすこともある。職場では特に、空気を読む機会が多く、その空気に屈する機会も多々ある。言いたい意見も空気を読んで発言しないとか、そもそも自由に言えるような空気じゃないとか、そんな空気を何度も味わった。そもそも空気ってなんだろうと思い、この本を読んでみた。

    空気とは
    ・感情移入の絶対感
    ・こうあるべきであるという絶対感
    によって生まれる。
    感情移入の絶対感とは、例えば上司が「俺がいいと思うからお前らもそう思うよな」とか「こんなのできて当たり前だよな」といった個人の感覚によるものを出してしまうことによって発生する空気
    こうあるべきである空気とは、みんながやってるんだからやるべきとか、社会人はこうあるべき、この階級ならこうあるべき、といったような同調圧力のような空気である。
    そして、そういった空気は狭い人間関係の場所に特に発生しやすい。

    空気に対抗するのは「水」であり、抗えないような空気にたいして、最もらしい反対意見を述べてみたりすることだ。まさに「水を差す」といった言葉はそのままである。しかし、その水は
    「状況倫理」という、あの空気間ではああするしか無かったといったような圧倒的な空気感によって淘汰されることも多々ある。
    更には、その「水」がさらなる空気や同調圧力を生むことにもなる。

    そういった空気に対抗するためには
    思考して、常に自分の軸を持ち根本に立ち返る事が重要である。
    そうすることで空気に流されることもなく、自分をはっきりと主張する事が可能になる

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    2023年01月10日
  • 「空気」の研究

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    これは日本文化論として、大事な分析だと思う。空気は確実に存在し、時間が立つと雲散霧消してしまう。海や空、米軍の強さを知りぬいた海軍エリートがなぜ戦艦大和をして、沖縄特攻に向かわせたか。
    コロナ禍の日本でもこの「空気」が未だに続いている。

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    2022年12月28日
  • 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条

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    本書は「虜人日記」(フィリピンでアルコールの製造に携わって、敗戦を迎えた小松真一氏の記録)と著者自身の体験をもとに、なぜ日本は太平洋戦争に負けたのか、そして、戦後日本にも受け継がれている日本の弱点は何かを論じている。

    「虜人日記」に挙げられている敗因は21か条あり、本書は12章構成となっているが、まとめとして挙げられているのは「日本には自由がない」ということである。つまり、「建前」が「現実」を支配しており、皆がおかしいと思っていてもそれを口に出せないことが、戦前戦後の日本を貫く欠点だと述べられている。

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    2021年07月18日
  • 「空気」の研究

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    ネタバレ

    日本人がつよく拘束されている「空気」を論じた1977年発刊の名著。

    「空気」へと決定打をあびせた本書の論考をもってしても、現在において「空気」という現象はしぶとくつよく僕らのあいだに根付いてしまっています。でも、ちょっと難しいながらも、本書の内容をある程度咀嚼できる人が増えたならば、「空気」を覆すチャンスも増えていくし、本書が読まれ続けることで、「空気」に抵抗するためのファイティングポーズは継承されていく、つまり覆すチャンスが潰えずつないでいけるのだと思うのです。

    本書は、具体例を多く引きながらだけれど、でも中心は本格の抽象的論考で進めていく形ですから、言外でイメージするところでけっこう苦労しました(というか、この本で僕は、読書中にその内容を言葉を離れて考えていがちなことにはっきり気付かされました。そして読書は本来そういうものだとも思います)。読んでいる途中の抽象的論考のその後の展開を推理する、対象となっている「空気」を自分なりにどう捉えてきたかをふわっと整理する、「空気」に関する考えで著者を出し抜く気持ちもまんまん(だって時代の利がある部分はあると思っていますからね)。合計すると、まあ疲れるし思ったほど読み進まないのでした。が、しかし、そのワンダーランドを濃密に冒険しているのは確かなのです。

    ほんとうによい読書になりました。こういった、「格闘に似た対話」となるような読書でこれまで読解力をつけてきたんですもの。まだまだ自分にとって高い山はたくさんあるのだ、と希望に近いなにかを感じるのでした。

    閑話休題。

    最初に「空気」とはどう生まれるのかについて。「臨在感的把握」という語句で著者は表現していますが、モノや言葉、人などから元々感じとれるイメージのようなものがあります。お寺のお札や神社のお守りになにを感じるでしょう? そうやって自然と感じとることが「臨在感的把握」であり、ここから空気が生まれます。そうして、その空気が共有されてつよくなり、仕舞いには科学的な論証までもはねのけて物事を決定する動力源になってしまう。太平洋戦争中に戦艦大和が、沈む覚悟で出港して撃沈されたのも、空気による決定のためだと、本書で例に引かれていました。

    さて、40年くらい前の本ですが、ここで語られる日本人像はいまもそうは変わらない。まず、政治家や官僚、会社員などさまざまな人々は何かを隠しているものだと前提するいわば「不信」の態度を持っていることがそのひとつ。次に、これは欧米では革新的な視座ではあるのだけれど、実は日本人的だとされるものがふたつめ。それは、ある出来事にはその背景にこそ原因がある(生活習慣病の原因は高カロリーの食物を入手しやすいからなど)という現象学的(現象学という概念にもさまざまな捉え方があるようですが)といえるような捉えかた(本書では「情況論理」と表現)に潜む「無責任さ(自己無謬性=自分は関係していないという意識)」。

    つまり、「不信」と「無責任さ」が大きく二つ、日本人の気質としてあるのだと読める。これこそ、空気を生みやすく、そして空気に翻弄されやすい気質でしょう。この、「空気」と密着した気質は、何を起源としているか。明治以降のみを考えれば、王政復古によって力をもたされた天皇を「空気」で把握しなければならなくなったことが大きいのかなと思いました。そこで「空気」の扱いが血肉化したのかもしれないと推察するところです(ただ、あとがきによると、明治がきっかけでも、初期はそうでもないようで、徐々に空気支配がつよまっていったようです)。

    明治維新によって、それまでの臨在感的把握を切り捨てる方向へとパラダイムシフトを促されます。そういったものは科学的ではない、西洋的ではない、だからいわば「ドライ」な考え方を持ちましょう、という有名どころでは福沢諭吉らによるリードです。著者は、このようにあるものを「ないことにする」ことによって、かえってそれは深く沈潜し、逆にあらゆる歯止めが利かなくなり傍若無人にふるまいだすことになり、結局、「空気」の支配を決定的にする、と述べています。抑圧して失敗するパターンです。

    また、「空気」支配はつきつめると、暴力などの「原理主義」行動に行き着く。だから、警戒してそこから脱却するのがほんとうはよいことです。対象を相対的に見れなくて、絶対的に見たうえで対象と一体化してしまうのが空気醸成のエネルギーですから、脱却のためには自由でいないと、なのでした。それも生半可な自由(水を差して現実へ引き戻す自由程度のこと)では、空気から脱却したはずの通常化したところからさらに空気支配が生まれてしまうとのこと(ここはもっとちゃんとまとめて説明しておきたいところなんですが、気になる方は本書をあたってください)。だから突っ切った自由が大切になる。それはたぶんに、孤独をかなりの割合で含んだ自由です。さらにいえば、その自由とは、一体化から逃れた自由であり、自分を拘束している「空気」を把握することだそうです。これは今でいえば、メタ認知的に「空気」を見てみることではないでしょうか。

    それにしても、ここまで分析・考察されていても、「空気」ってまだまだ現代でもつよいですもんね。「空気」という現象を否定しようとすらしない人が多いし。「空気」を自分のために使ってやろうとする気持ちが上の世代から下へと再生産されてきたからじゃないのかなとも思いました。あるいは、空気に逆らったら怖い、という気持ちの再生産、でしょうか。

    僕の簡単なまとめはここまでです。本書を読むと、もっと豊潤に「空気」の論考や「水=通常性」の論考を楽しめます。こまやかに考えてみたい人はぜひ手にとって読んでみてください。

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    2021年06月11日
  • 日本教の社会学

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    戦後の一番の問題は、なぜこのような規範に従っているか考えないこと。

    日本人が知らずうちに強く信じ込んでいる”日本教”を構造神学から読み解く。日本教には教義(組織神学)が存在しない。古来より天変地異が多かった日本では、歴史感覚に乏しくつねに「今」だけで、その瞬間ごとに生まれる「空気」が教義となる。情緒における美的感覚が即規範化し、「空気」を通してみた事実である”実情”に対して
    行動することが正直であるとされる。事実を事実として言うのは嘘つき、事実に対して行動すれば不正直。情緒規範であるため論理は通用せず、人の外面だけでなく内面の規範まで求められることになる。事実に対応する「実体語」を機能させる、「空体語」に対して行動することが規範化される。天皇を「実体語」として尊敬することは意味をなさない。戦前もまた天皇制ではなく、天皇信仰は空気によるものであった。

    本書は1981年のものであるが、冒頭で「1980年代というのは、日本の骨組みそのものにガタが来ているのではないか」と予言しており的中している。

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    2020年08月05日