内澤旬子のレビュー一覧
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「飼い食い」の内澤氏の著作。飼い食いより少し前の出版だが、内容は2000年代前半で、随分前を扱っている。内澤氏の屠畜(屠殺より屠畜を使いたいと)への情熱ほとばしる筆致に圧倒される。私も肉好きであるが、日々食肉業者の方々への感謝を忘れないようにしないと、とは思う。屠畜への感情はなかなか著者のようには熱を持って語れないが、興味深いのは確か。各国によって文化の違いが屠畜の仕方にも反映されている。それは古くからの生活習慣であったり、宗教の差であったり。
屠畜場の描写では、日本とアメリカが特に印象深いかな。我々の口に入る肉を処理する日本最大の芝浦屠場で働く人々の様子、そして屠畜大国アメリカにおける関係人の思いの強さには驚く場面も多かった。アメリカの関係者には女性が多いのもいいね。面白い対比はエジプトで家族も見守る中で羊が屠畜されるときの陽気さと、インドでイスラム教徒が羊を屠畜する際の陰気さかな。インドでは多数派がヒンドゥー教徒でベジタリアンも多く、屠畜は少数派のイスラム教徒の仕事なのだ(らしい)。
ところで、本書は月刊「部落解放」に雑誌に連載されていた文章が大半のようで、そのせいでか、部落差別に絡んだ日本の屠畜業者、関係者への差別感情をどうにかしたいという気持ちも溢れている。個人的にはそこの部分があまりピンとこないというか、今の日本でそこまで差別されてる?と思ってしまうのだがそう考えると怒られそうでもある。私も50過ぎだし同和教育も受けたけど、実感としてはなにもないんだよねえ、、だから日本と違い屠畜への差別意識が無い国々として中東諸国、エジプト、チェコ、モンゴル、バリ島、などなど紹介されるけど、違和感は感じてしまう。ちなみに韓国では差別が根強いそうだが。。そのあたりは、差別の有る無しも20年経った現在ではどうなのか気になるところ。 -
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「世界屠畜紀行」を読み終えた私に、akikobbさんから「次は『飼い喰い』を熱烈にオススメします!」とあったので紐解いた。なんやかんやで、ここまで遅くなったけど、安定の内澤節が、クセになりそうな読書だった。中毒にならないうちに撤退したいと思う程に。
屠畜工程に世界の誰よりも詳しくなった内澤女史は「次はその前の段階、種付けから飼育、売って食うまで全部体験してみたい」と理の当然の如く発想して実行に移す。もとは革製品を作りたいという欲望から此処迄来たらしい。その泥縄的人生は、私もわからないことはないけど、行動力とコミニュケーション力、楽天性で、人生の指針にはしたくないと思う。
馬の種付けなどは未だ原始的だけど、豚はある意味オートメーション化しているのは少しショック。偽牝台で精子採取、人口受精、基本的に「父は不明」なのだそうだ。豚の「去勢」の仕方も初めて知った。畜産民族(韓国やモンゴル、一部中国)は、これらを日常化しているのだから、日本人の精神性といろんな所で違うのも当たり前なのだ。
女史は、一から豚小屋をつくる。これがかなり大変だし、説明ないけど夫と離れて一人暮らし、幽霊屋敷のような小屋を大改造して半年間住むわけだ。この本で初めて女史の近影を見たけど、なんと細面の眼鏡美人さんだった。それが飼料とクソまみれで半年間奮闘したのだから、なかなか男前と言わざるを得ない。
ちなみに豚は3キロ食べて1キロ太る。一頭あたり70キロの枝肉を作るのに115キロの生体重にするとして、345キロの餌を食べて、980キロの糞尿を出すということだ。3匹だから、この3倍。私は勘弁してもらいたい。
女史は飼育豚に「夢、秀、伸」と名前をつける。飼育関係者は揃って反対。女史はしかし「昔の小規模農家ではそうではなかったか」という。その上で殺して食べる。一応私も頭の上では女史を理解する。
少数飼育だから試してみるようなことも幾つか。例えば、豚は人糞を喰うかどうか。確かに高野秀行のミャンマー記事ではそんなこと書いていた。女史が夜中に出したソレを持ってゆく様はなんとも‥‥。結果は⸺。
ところどころ、サラッととんでもない事書いているのが、内澤節というか‥‥。例えば、「乳癌で4回目の手術から7月でやっと一年経った」のに、友だちもびっくりするぐらいの筋肉労働しているとか。「20年ぶりに夜中に非現実的な、つまり霊的な足音を聞いてしまい」長く住む気が失せたとか。そりゃ、こんな処そもそも住めないだろうけど、気になるのはそこじゃない。「乳癌」「霊的」をもっと説明して欲しかった!
「健やかに育て」と愛情こめて育てることと、それを出荷して、つまり殺して肉にして、換金すること。動物の生と死と、自分の生存とが(たとえ金銭が介在したとしても)有機的に共存することに、私はある種の豊かさを感じるのだ。大規模化して薄まっているとはいえ、やっぱり畜産の根本には、この豊かさがある(190p)。基本、女史に賛同します。
屠畜から枝肉になり、内臓から骨から皮から全て持って帰って、3人のシェフに料理してもらい、大試食大会を起こす過程は、本書のクライマックスである。その前に、驚愕の事実がわかる。こんなに苦労して育てた豚の枝肉、一頭あたり約2万円にしかならないのだ(2009年価格)。いや、確かに私もこの20年間100g100円以下の肉しか買わないようにはしてきましたよ(最近は高騰で肉そのものが買えない)。それとこれとは別。畜産農家の厳しさがよくわかりました。
2009年9月29日、3頭を食べる会が行われた。200人以上が来たという。多分私のような好奇心の塊が行ったのだと思う。みんなブログで、女史の苦労や赤ん坊から育ててきた豚たちをよく知っているはずなのに、出てきた料理は、あっという間に無くなる勢いで消費され尽くしたのだそう。内澤女史も食べる時間なかったようで、可哀想たらありゃしない。やはりトークの時間を設けてしんみり食べるさせるように仕向けるべきだったと、他人事ながら思う次第です。とっても気になったので、ブログで募集した「お知らせ」見てきました。会費は2500円だった。それでも正味見入りは50万円ちょっと。あの手間暇と実際の費用を考えると、とてもPayはしない。まぁ無事本にはなったけど、あんまり売れているとは言えないし⸺。
akikobbさんからは、高野秀行さんの解説だけでも読んで!とおススメ頂いていましたが、解説デザートは勿論美味しかったですが、やはりメインディッシュは最高でした。
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「この本は、二〇〇八年一〇月から二〇〇九年九月までの一年間をかけ、三頭の肉豚を飼い育て、屠畜場に出荷し、肉にして食べるまでを追ったルポルタージュである。」
本の紹介としては、冒頭のこの一文に尽きるが、まあ壮絶である。当たり前のことながら、「豚飼養体験サービス」なんて商品が世の中にあるわけではない。自分で育てた豚の肉を食べたい、という企画を実現するために、各方面に説明し協力を仰ぎ、環境をゼロから構築するところから始めるのである。
実際、豚と暮らし始めるまでが長い!豚を提供してくれる農家を探したり、受精や出産に立ち会ったりと豚との接触もあるが、それと並行しての、豚を飼える物件探し、そして豚小屋建設もかなりハードそうであった。しかも内澤さん、運転免許はあるが運転できない。自転車暮らしも検討するが、やはり無理があると考え直し、ペーパードライバー講習を受け、車をなんとか入手する。ちなみに、予算などどこからも出ない。すべて(?たぶん)自腹のようだ。
過酷だなあ、と、こう書き並べてもやはり思うが、でも読んでいて悲壮感があるかというと、ない。第一に、自分でやりたくてやっているのであり、内澤さん自身の熱意と信念は揺るがない。第二に、周囲からの、呆れと驚き混じりのサポートが心強い。養豚のプロたちによる専門的な力添えもさることながら、個人的な友人たちが遠くからやってきて土木作業など手伝ってくれたり、豚たちと遊んでくれたりする様子も微笑ましい。
なかでも『着せる女』で内澤さん著書読みデビューした私としては、あの本で散々着せられていた仲良し男性陣、高野秀行さん、宮田珠己さん、杉江由次さんがこぞってやってくるシーンは楽しかった。これについては、高野秀行氏による文庫版解説でさらに補足情報もあり、この四人組の馴れ初め(?)まで知ることができ嬉しかった。
高野さんの解説これまたすばらしく、この本の「三大“引く”要素」のうちに数えられるであろう「豚に◯◯を食べさせる」「豚の◯◯を撫でる」についてツッコミとも援護射撃とも言える言及があり、この二人ウマが合うんだろうなあとつくづく感じさせるものがあった。彼ら仲間内における「ジュンコ・ウチザワ観」の紹介も面白く、読者として彼女にどう振り回されていけば良いかがなんとなくつかめた気がする。(ちなみに「三大“引く”要素」のもうひとつは……、候補がありすぎる。読者によって諸説あり、ということで。)
豚については、想像していた以上に可愛くて賢いんだなと感じた。そしてやはり美味しい。「可愛いからかわいそう」と「美味しいから食べたい」のせめぎ合いを実に正直に見せてくれた内澤さんのご両親の言動も味わい深かった。 -
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『カヨと私』に続く小豆島でもヤギたちとの暮らし。
『カヨと私』には一対一の濃密な時間があったが、カヨが何度か出産しヤギが増えて、カヨパレス(ヤギ舎)もできてヤギ社会ができた。カヨだけではわからなかったヤギという生き物の生き方が見えて興味深い。内澤さん自身も、カヨ一頭の頃より人間として関わっている気がする。(カヨだけの頃は恋人同士のような感じだった。)
群れで暮らす生き物は、やっぱり群れの方が落ち着くんだなと思うし、人間が思っている以上にヤギどうしの関係は複雑で、ヤギも人間と同じく一筋縄ではいかない心を持っているのだなあと感じる。人間は食べたり使役したりするから、家畜が思考したり感じたりするとは考えたくなかっただろう。でも一緒に暮らしたら伝わったはず。動物にひどい扱いをする人間が信じられなくなる。
『カヨと私』でも椿のフルコースという名文があったが、この本でもヤギたちが様々な植物を美味しそうに食べている。雑食性の人間からしたら、「草しかたべられないの?」と思うかもしれないが、それぞれに味も食感も違うし、季節によって同じ植物でも味が変わるから、草食動物が不満を持っているとは思えない。それに、反芻してるということは、飲み込んだらおしまいの人間より何度もじっくり味わっているわけだ。「あなたたち、一回しか味わえないの?」と思っているかも。
ヤギの好きな植物は果物の木の葉(枇杷、葡萄、柑橘類、無花果など)、蔓性の植物(葛、烏野豌豆など)、楡、榎、赤芽柏などが上がっているが、意外と味の好みは人間と変わらないのかも。楡や榎は食べたことないが、葛、豆、果物は人間も美味しいと感じる。葉や茎や枝も同じような味がするに違いない。豆苗は豆の味がするし、人参の葉の香りも人参ににてるから。人間は食感を気にするので葉や茎はあんまり食べないだけだと思う。だとしたら榎や楡も味はいいのだろうか。
この本は植物の名前が漢字で書いてあるので、命名の由来がわかるのが面白い。素敵な絵がカラーで入っているのも良かった。
大変そうだけど、豊かな自然と時に格闘しながら、ヤギたちと充実した毎日を送る内澤さんが見えてくるようで、楽しい読書だった。
タイトルが、前作は『プラテーロと私』、今回は『園芸家十二カ月』のオマージュになっている。『私は貝になりたい』もあるのかもしれないけど、内容は被ってない。『私はヤギになりたい』はあとからつけたのでは?
次回作はどんなタイトルになるか楽しみ。動物や自然との毎日を描いた名著って他に何があったっけ?『森の生活』? -
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以前著者の「カヨと私」という本を読んだ。
都会暮らしを捨て、小豆島に移住してカヨというヤギと暮らす女性の話、だった。
今回の本はその続き。
それも、カヨを中心とした5頭のヤギ家族に、いかに食事を与えるか、
一年を通して取れる植物をカラーイラスト付きで紹介する本になっている。
ヤギの生態を詳しく知ることができる。ほのぼの。
著者は一年中ヤギのエサの確保に追われているような、、
本人はどうやって食べているんだろう。収入も、実際の食糧も。
そちらが気になってしまった。
色々大変なのだろうけれど、気楽に読める本。
四月/卯月嬉しや待望のご馳走を刈りとる
五月/皐月あおめき浮かれて噛め呑め若葉は甘露
六月/緑深まり葉も茎も大きく硬く虫育ち駆け抜ける水無月梅雨は干草
七月/豪雨にも耐えて文月カヨパレスからむし刈り取りかたつむり転々
八月/繁る葉の月酷暑でもヤギの食欲衰えず掴み引く蔓
九月/長月ながく酷暑終わらず夏枯れのあと芽吹き花咲きまるで春
十月/天高くヤギ盛る秋酔えば雌雄人獣神無く月仰ぐ
十一月/山眺め色づき落ちゆく葉に焦り霜降る日まで刈り回れ
十二月/食べ尽くせ小春の草々霜降るまでの美味や愛おし
一月/霜枯れて草がなくても大丈夫山の照葉があると山羊啼く
二月/青葉恋しやうづきのヤギ飼い山駆け巡り集める照葉
三月/モリモリと萌え出る美味や草伸びて枯らす無粋も湧く
付章/目を凝らし耳を澄ませる十六夜照る月笑むヤギ潜むイノシシ -
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本を開いたとき、文字の大きさや行間から、さっくり読めそうな気がしましたが、結構時間がかかりました。
というのも、ストーカーが気持ち悪いんですよ、読んでいて。
直接暴力を振るわれたりしなくても、行動を監視され、一方的に「見ている」ことをアピールされ、何なら個人の秘密を不特定多数の人に公表されたりするのは、吐き気がするほど恐ろしい。
無視すればしつこくつきまとい、相手をすれば調子に乗る。
しかし、直接の被害がなければ警察は動かないし、誰かに相談しようにも巻き込んでしまうわけにはいかないため、うかつに相談に乗ってもらうわけにもいかない。
さらに、引かれてしまったり、「あなたにも悪いところがあったのでは」と説教されたりもする。
なぜ被害者がこんな目に合わねばならないのか。
一番腹立たしかったのは、著者が雇った弁護士。
被害者である著者の気持ちを慮ることは一切なく、法律の文面でだけの解決を図る。
ストーカー事件なんて弁護士からしたらちっぽけな仕事なのかもしれない。
だから、著者の希望はことごとく無視され、さっさと示談を成立させるべく、妥協に妥協を重ねて慰謝料を100万円も値切られたうえ、彼女の安全さえ図られない内容の示談書を作成する。
不安がどれだけ冷静な判断を阻害するのか。
恐怖はどれだけ突然にフラッシュバックするのか。
残念ながら日本の法律では、その辺の考慮は全くなく、事件が凶悪化するのを防ぐことも再発を防止することもできない。
「生活保護を受けているから、慰謝料は払えない」と言いながら、保釈請求をする加害者。
保釈金は用意できるということなのか。
最初は、著者の態度が手ぬるいのではないかと思った。
相手の立場や気持ちを忖度して、何度も説得しようと試みる。
怖いのに。
気持ち悪いのに。
でもそれは、彼女がことばを使う仕事を生業にしているからなのではないかと思った。
話せばわかる、と思っていたのだろう。
だが、残念なことに、どんなに心を込めて話しかけても、言葉をつくして語りかけても、全く響かない人というのはいるのだ。
私のささやかな人間関係の中にも、いる。
悪気なく人の心の痛みを感じることのない人が。
警察から注意を受けてもストーカーであることをやめられない場合は、依存症のように病である場合が多いのだそうだ。
しかしその認識はあまり一般には知られていず、仮に逮捕されたとしても一年足らずで社会に戻ってきてしまう。
一番に守られなければならないのは、被害者の心身における安全と安寧。
そして再発防止のための各種の制度。
少しずつ是正されているとはいえ、もっと実効性のある制度の構築を早急にすべきである。 -
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生き物がどう殺されていくのか知りたくて読んだ。
主題としては「なぜ日本では屠殺業を営む人が差別されているのか、他の国でもそうなのか」というルポ。
私自身は「人間に殺されて可哀想だな、でも私も肉好きだしな…」という想いはあり、ただ屠殺業に従事する人に対して残酷だとか感じたことは一度もない。本書が書かれてからだいぶ時間も経っているから、差別意識も少しずつ無くなってきているのではないかと思うけど。
家畜がどういう風に私たちの目の前に肉として運ばれてくるのか全然知らなかったので、本書はイラスト付きでわかりやすく解説されているためとてもイメージしやすかった。自分が読んできた本の中でも珍しいジャンルなのでとても勉強になった。正直動画とか写真で見られるかというとなんとも言えない…ので、イラストという点もありがたい。血とか苦手な人でも大丈夫そう。
日本だけじゃなく各国の屠殺文化まで綿密に取材されていて面白かった。
同じ仏教国でも生きるために必要だからと、差別意識などがない国、完全に汚れた仕事だと思われている国…国の数だけ価値観が多様で面白い。
私はお肉が好きだから、しっかり家畜に感謝をして残さずお肉を食べ続けたい。可哀想と思うなら食べないのではなく、命に感謝してちゃんと頂くことが大事だと思う。
ちなみにこの本自体は良い内容だと思うが、著者に関してはちょっと行きすぎというか、殺されるところをワクワクしながら見たりちょっとサイコみを感じてしまう。個人的には家畜を「つぶす」という表現も好きじゃない。 -
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読もう読もうとずっと先延ばしになってた本。
千葉に土地を借り、家を修繕しながら、豚3匹を飼って、
肉にして食べるまでの1年間の緻密なレポ。
今まで読んできた内澤さんの本の中にもこの時の話はたびたび出てきたが、
『身体の言いなり』『捨てる女』と並行して、豚を飼う生活があったのかと思うと驚く。
これまで読んだ本を読み返してみたらまた発見がありそう。
温度の変わらない淡々とした文章の中に、
ハプニングやら養豚業の内情やら豚の可愛さやらが書かれている。
内澤さんの凄さは実際に行動してしまうことだけど、
豚との生活が半年程度だったのはなんだかもったいない。
短期間の中で得た、圧倒的な経験の濃さ。
なのにことさら大騒ぎするでもない、飾り立てない文章の力に唸ってしまう。
しかし全部食べられる野菜と違って、豚を職業として成り立たせることの割の合わなさ。
もっとありがたく、大切にいただかないといけないなと反省した。 -
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・私が食べているお肉が生きている動物からどのように作られているのか
・屠畜場の重要な役割
動物には病気や不衛生な個体がおり安全に屠り食肉にするには技術や設備が整う屠殺場が重要な役割を担っている。日本で獣畜(牛豚馬羊山羊)を勝手に解体してはいけないのも食中毒や病気の蔓延を防ぐためである。ただ少し前の沖縄では羊と山羊は捌けたらしい。
・屠殺やその職に関わる労働者に対する国毎のイメージや考え方
面白いなと思ったことが国や宗教によっては屠殺にとても肯定的な考えがあること。
例えばバリのヒンドゥー教徒の考えにお供えとして殺された植物や動物は位が上がり天国に行けたり生まれ変わったらより良い身分になれるとされている。人間の食事も人間へのお供えとそれるので屠殺は良い行為である。
他にもモンゴルの遊牧民はそもそも食は他の生命の犠牲に成り立っているとしてる。
屠殺という職業に関しても一部の宗教的には神様への生贄やお供えとして動物を屠ることが多々あるためその技術は良いものとされている。
・韓国や中国での犬食文化
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購入済み
面白かった
養豚のドキュメンタリーだと思って読んだら
ドタバタ奮闘記だった。
そういう意味では期待外れだったかなと思うけど
物語的な面白さで一気に読んでしまった。 -
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鼻の奥に蘇った、屠畜場のにおいと母の背中
筆者がモンゴルにて、羊を目の前で解体され振る舞われたことをきっかけに「屠畜」に興味を持ち、海外と国内の屠畜の現場を回ったルポです。文庫で450P以上と長いですが、各国の屠畜を通じて文化人類学、歴史、動物の情動、宗教観、日本特有の差別の構造にも触れ、興味が途切れることなく読めました。
オリジナルの単行本は2007年に発表されてますが、それ以前にも屠畜・屠殺を題材にした本は多く出版されています。しかし屠畜をこのようなポップな装丁、感性、文体で本にしたことは凄いと思います。当時話題になりましたし、多くの人の価値観への見事なカウンターとなったのではないかと想像します。
文体および文中の著者の振る舞いは、よく言えば天真爛漫、悪く言えば(著者ご本人も文中で書いてますが)不躾で、著者の素直なリアクションが伝わってきます。素直ということは当然、著者のバイアスもそのまま文中に現れるので、動物愛護の気持ちの強い人などからしたらケンカを売られているように感じる物言いも見られます。そのあたりは読者の好みによりますね。
基本的には、動物が気絶させられたり、ノドを捌かれ吊るされたり、皮を剥がされたりする場面においても終始ネガティブな反応はほぼなく、ワクワク!な筆者ですが、文中で一箇所だけ著者が「かわいそう」と思う場面があります。それは肉の需要量に応えるため、人工授精によって牛を増やしている現実に触れた時です。人間の都合で自然な繁殖である「交尾」をせずして生涯を終える牛がいるということを知った時の筆者の心情はワクワク!の時と対照的で印象に残っています。
日本の食肉文化の歴史は世界的に比べて浅く、そのうえ現代は家畜を飼う一般家庭も少ない。「動物を殺して生きている」という感覚は極限まで薄められています。ベジタリアンではないわたしとしては、動物がどういう風に肉へと加工されていくのかを見ずして美味しい思いだけするのはフェアではないと思ったので(フェアにはなり得ないとも思っていますが)、この機会に屠畜の現場の動画を目を逸らさずに視聴しました。おそらくその動画は動物愛護的観点に偏った編集がされていて、特に残酷に見えるものであったと思いますが…。あとはお肉を食べられることに感謝を忘れないようにしようと思います。
個人的な話ですが、わたしの幼少期に母は移動販売業をしており、顧客の中にたまたま屠畜場で働く人がいて、学校を終えたわたしの送り迎えのついでに仕事のため2、3回ほど屠畜場へ母はわたしを連れて行きました。けものの匂い立ち込める中、初めて吊るされた大きな枝肉を見たわたしは、恐れおののきながら「本当にあの『牛』が『お肉』になるんだ」と悟ったことを読後に思い出しました。そして今思えば母は屠畜業に対する差別がなかったのかもしれないと気づき、今更ながら母を尊敬しました。
日本の屠畜場は世界に比べて衛生面ではトップクラスであり(その分めちゃくちゃスタッフさんが働いてくれている)、日本産の肉を食べられていることはとてもありがたいことだと改めて感じました(ま、食肉偽装という別の問題はあるでしょうけれど…)。