柳田國男のレビュー一覧
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”遠野物語remix 付・遠野物語”京極夏彦・柳田圀男著 角川ソフィア文庫(2014/06発売)
・・・遠野出身の佐々木喜善が語る怪異譚を柳田が記した”遠野物語”、その京極夏彦版。(柳田の原板も収録)
現代語に訳出したものや、関連のある話を近くに集めたり、非常に読みやすい構成。
・・・柳田版を前に読んだときも思いましたが、間に人が入りすぎ。
遠野住人(複数の場合あり)→佐々木→柳田、で、
話の内容が相当変わっているのではないだろうか。
また、実際にあった話のように語られている中にも一から作られたっぽい話も多数。
各話の成立の過程を考えながら読んでいくと非常に面白い。
今年のベストを狙えるクラスの一冊でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み終わりました!
ちょっと読みにくかったなぁ・・・
だけど、ずっと気になっていた本が
やっと読めたので良かったです(〃^^〃)
最初。。色んな妖怪さんのお話がぎゅっと詰め込まれた本なのかなと思っていたら、
予想と違っていてビックリしました!
遠野では昔話の終わり「コレデドンドハレ」なんですね!
最後のお話『百十七』は、
ドンドハレじゃないでしょ!?と突っ込んでみたりしてました(^_^;)笑
狐とか河童とか知っている妖怪が出てきたのは嬉しかったです♪♪
妖しに化けて人間の前に出てくるエピソードが
夏目友人帳に似ていたのも嬉しかった////
知っている人が妖怪さんになって現れる…
折角現れたのに怖がるところは、
ちょっと切なかったなぁ(;ω;)
九十七のラストは。。おそろしを思い出しました…
どのお話も不思議な話でした!
冬に怖い本を読むのもいいですね〃^^〃 -
Posted by ブクログ
・京極夏彦・柳田国男「遠野物語remix」(角川文庫)は 紛れもなく京極の作物である。だてにremixと付したわけではない。それなりの理由と京極の意志がここにはあつたのである。冒頭に「remix序」といふ序文がある。これは所謂旧漢字、歴史的仮名遣ひの文語文である。「遠野物語」のごく簡単な説明と、それを現代語訳するについての決意を述べたものと言へよう。そこにかうある、「柳田先生は文学者にはあらざれども名文家として識られる碩学の人なり。自分もまたその端正なる美文に因り喚起せらるる感動を損なはぬやう、一字一句をも加減せず、時に補い時に意訳し、順序を違へて、拙き筆なれど感じたるままを伝へらるるやう努め書きたり。」(13頁、原文の正字体 は新字体に直した。)この引用の口語文くさいところは気にせずとも、しかしやはり気になるところがある。それは「遠野物語」序文の次の一節を直ちに想起させるからである。「鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。」(青空文庫本、ただしルビ 削除。)基本は同じ、京極が少し足しただけである。柳田は佐々木鏡石の話し言葉を書き言葉とし、京極はその文語文を現代語(口語)訳した。つまりは同じやうなことをしたわけである。この一文が使はれるのは当然と言へる。しかも、京極の序はかう終はる、「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」(13 頁)この有名な柳田の一文を己が序の末文とする。この序の最後には京極夏彦とある。これは京極なのである。この序の先の引用以降が、つまりは大半が、実は柳田の書き換へであつたとしても、やはりこれは京極の作物なのである。たぶん京極のここでのremixとはかういふことである。
・remixとはある楽曲に手を加へて別の楽曲に仕上げることであらう。京極には柳田を極端に改変する気は全くないが、しかし、ただ訳せば良いとはしなかつた。それが、例へばこの序であつた。これ以下の本文の構成には大幅に手が入つてゐる。柳田は内容は気にせずにバラバラに置いた。京極はそれをほぼ分類別にした。分かり易い。同種の話が並ぶのだから比較もし易くなる。柳田の注は本文に組み込んだりした。簡潔さを欠くことになりかねぬものを、そこは京極、さすが手練れである。うまくさばいて、うまく本文に組み込んである。その時も、当然のことながら、いつもの改行の多い文体を使ふ。個人的にはこれは好きではないが、整理された文章にするといふ点では案外役だつてゐるのかもしれない。柳田の序文も、「これから語る話は、すべて遠野の人である佐々木 鏡石君より聞いたものである。(原文改行)去年ーー。(原文改行)明治四十二年の二月頃から、折々に聞いた。」といふやうに、見事に京極の文体である。しかも、ここには先の「一字一句をも加減せず」あたりもきちんと現代語訳されてある。当然のことではあるが、こんな二度手間も厭はないのである。使へる材料 は何回も使ふなどといふのはむしろ合理的な判断であらうが、普通の現代語訳ではたぶん行はれない。正確に訳したことにならないからである。そこが remixのremixたる所以、京極はそれをためらはない。のみならず、柳田の序文は分断された。さうして最後に、といふより鹿踊りの詞章の前に、「序 (二)」が置かれる。これが先の「願わくはこれを語りて。(原文改行)平地人を戦慄せしめよ。」(238頁)で終はる。ここは分かち書きである。いかにも京極らしい処理と言ふべきであらう。そんなわけで、私はこの序の処理だけでremixを堪能したのであつた。