柳田國男のレビュー一覧
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初めて読む、柳田國男の本。
子供時代から老年にいたるまでの、心に残ったことが書きつけてある。
子供時代は、何に心を惹かれて民俗学に興味を持ったか、どんな経験が作用したか、壮年からは自身の問題意識と民俗学を通した解決に向けての思いが書かれている。
民俗学会のおこりの話や、外国人が日本を研究することを推進し、国内の研究そのものを活発にさせたいという意図があったことは印象的だった。
単に民俗学を振興するだけではなくてそれをとおして解決できるのではないかという示唆もあり、例えば四民平等になって、農民は士族を批判していたが結局士族の真似をし、自分たちのこれまでの生活を軽蔑する向きがある。これは民俗学 -
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昨日まで東北を旅行していました。最後の訪問地が遠野です。その前に遠野物語を読もうと思いました。
最初に手にしたのが青空文庫。しかしなかなか読みづらく。たどり着いたのがこの本でした。
原文を単に口語体に変換するだけでなく、本来なら注釈とすべき内容を本文内に上手く取り込むことによって、平易で読みやすくなっています。さらに説話の順番を入れ替えて括ることによって、頭に入りやすく工夫されています。
後ろには柳田さんの原文も付いています。入門編ともいうべき京極さんの文章を読んだ後にこちらを読むと、原文が削ぎ取られたような名文である事が良く判ります。
ところで実際に訪れた遠野。
卯子酉様とか五百羅漢、コ -
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島崎藤村の「椰子の実」は柳田が伊良湖岬で体験したことを聞いて詩にしたもので、島崎の体験ではないと。
島崎が「台湾で兄に会ってくれ」と言うので会ったら、土地の払下申請に在留期間が足りないので口利きを頼んできた。藤村も承知のことと知った柳田は、自然主義とかいって、やってることは役人(当時柳田は農商務省勤めだったか)を馬鹿にしたこんなことか、と憤慨して絶交したと。
民俗学絡みの話は興味深いが、真剣には読めない。遠野の話は一つも出てこないし。
80歳を過ぎてからの口述筆記なので、話が前後するし、体系立っていない。
念のため付記。面白くないわけじゃないです。 -
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「海上の道」柳田国男
柳田の最後の著書であり、様々な論議を呼んだこの論文を私は初めて読んだ。「日本人の祖先が、南方海上より流れ着いた人々であった」という論旨そのものは、現在では明確に批判・訂正されているので、改めて読むモチベーションがなかなか持てなかったのである。この全集では、まず「文学」として読もうとしている。「科学」と対立する文学という意味で、私も確かに文学であると思う。構造はほとんど随筆だからである。柳田は、青年の頃拾ったヤシの実からこの論を立てている。私は勘違いしていたが、ヤシの実を沖縄の浜辺で拾ったのかと思いきや、伊勢の浜辺で拾ったのである。そこから、様々な思いと民俗事象を述べた後に -
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「遠野物語」を読みやすく現代文にかみ砕きながら、装飾はほとんど行っていないので、原典の持つ素朴な「得体のしれないものを伝承する」という姿勢を感じ取ることができます。
怖がらせようという意図のある「伝承話」ではなく、あくまでただそう伝わっている、ということを伝えていこうとする話のかけらたちなので、物語の背後に統一された意図があるわけでも、意外性ある展開があるわけでもありません。
けれど、繰り返し描かれる「この世ならざるもの」がなにかの暗喩なのか、はたまたほんとうの異形なのか、などと想像を巡らせると、とらえどころのない不安やおののきを感じたりもするのでした。 -
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独特な文体に目が行く。
簡潔な短い文が重ねられている。ここは読点なのでは?と思うところで句点だったり。
京極夏彦の文章を読むのは実は初めてで、これが京極調なのかどうか、わからない。多分、柳田の文章に合わせて工夫したものなのだろうとは思う。
経立(ふったち、長生きした獣)や、座敷童、山神、山人といった不思議なものたちには、心がひきつけられる。
そして、それらが土地の地形や地名と深く結びついていると感じた。
きっと遠野だけではなく、全国各地にこういった話はあったはずなのに、どうして残らなかったのだろう。
ほら、この岩にはその時の熊の爪の跡がのこっているだろう―といった形で、自分の生まれ育った土地 -
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正体の分からないものへの畏敬、姿は見えているが自分とは違う物への怯えは今の日本人の好む物語にも通じるとおもう。カッパ、雪女、山男、童話だったり小説、漫画、映画でも有名な妖怪達の物語が京極夏彦さんの手によって読みやすくなっているので興味はあったけど古い作品だし手を出しづらいと考えている人がいたら、これを! と差し出したいです。
現代人以上に神仏信仰が盛んで、生活に馴染みすぎたが故に無宗教であると言う人もいない時代だからこそ、たぶん勘違いだろう、見間違いだろうではなく化け物に違いないという方向に転がっていくのは興味深い。
五十九の胡桃の合間に赤ら顔の河童が見えたのはその最たるものだと考える。
後 -
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”遠野物語remix 付・遠野物語”京極夏彦・柳田圀男著 角川ソフィア文庫(2014/06発売)
・・・遠野出身の佐々木喜善が語る怪異譚を柳田が記した”遠野物語”、その京極夏彦版。(柳田の原板も収録)
現代語に訳出したものや、関連のある話を近くに集めたり、非常に読みやすい構成。
・・・柳田版を前に読んだときも思いましたが、間に人が入りすぎ。
遠野住人(複数の場合あり)→佐々木→柳田、で、
話の内容が相当変わっているのではないだろうか。
また、実際にあった話のように語られている中にも一から作られたっぽい話も多数。
各話の成立の過程を考えながら読んでいくと非常に面白い。
今年のベストを狙えるク