学園が舞台で、超能力者が出てきて、生徒会と戦う。
ジュブナイルSFとは、昨今でいうラノベの、本当に正当な先祖なのだろう。
読んでて懐かしい感じがたんまり。
昨年、アニメ映画になりまして、文庫で再版されたので読んでみたわけですが。
こういうのが好きで好きでたまらない。
骨子はラノベと本当に近似なんだけど、ラノベがキャラクターに依存する傾向が強いのに対して、キャラクターそのものは現実感があり、ある意味で「普通」なんだけど、だからこそ、キャラクターというものは、その設定に意味があるのではなく、行動にこそ意味があり、行動するからこそ主人公は主人公たり得るのだ、ということに改めて気づかされる。
単純な話。
道に10,000円落ちていて、
・拾う人
・拾わない人
・拾いはするがこそこそとしている人
・拾わなかったが、気になって気になってしょうがない人
・etc......
ある事象があり、それに対してどのように行動するかで、初めてそのキャラクターはキャラクターとして成立し、そしてそのような行動を取った末にどのようにストーリーが転がるのか?それが、本来の物語。
・拾って、豪遊(?)して、でもそれは実は、ヤクザの所持金だったために、狙われることになりました。
・拾わなかったために、何の物語も起きませんでした。(終わり……じゃあ寂しいから……)拾わなかったが、知り合いがその10,000円を拾ったところ、あぶく銭だからと宝くじを購入、スピードくじで100,000円になり、その100,000円を元手に競馬をしたら、なんと万馬券大当たりで、10,000,000円になり、会社を辞めて豪遊している。幸運の10,000円だったという話を聞き……
・拾いはするがこそこそとしているために、持ってはいるが使う勇気が出ず、いつまでも財布の中にあり、日常生活を送る中で、自分が窃盗という罪を犯したことに気づき、プレッシャーに押しつぶされるうちに、何者かに命を狙われるようになり……
・拾わなかったが、気になって気になってしょうがなくて、次の日に同じ道を通ってみると、また同じところに同じ10,000円が落ちていて、(これは同じ一万円札が、誰にも拾われていないのか?それとも、誰かが拾った後で、不運な誰かが、また一万円札を落としたということか?)逡巡している間に、拾って持って行く人が現れて、でも次の日、やはり同じところに10,000円が……!
一つの状況から、キャラクターの行動によって、物語はいかようにも変わっていく。
『ねらわれた学園』の主人公耕児は、特に何の能力も持っていないし、美形でも頭脳明晰でもありません。幼なじみの女生徒・和美は、読書家であるというキャラクターづけがなされているけど、逆に言うとそれくらい。
だけど、耕児も和美も、自らの行動によって、見事に主人公たり得ています。
あとがきでも、作者本人が、「物語性の強い作品になっている」と書いていますが、キャラクターたちの行動によって物語がぐいぐい進むために、読んでる方も自然と前のめりになって読み進めることができる。
ストーリーテリングの基本中の基本として、非常に丁寧に描かれている「物語のお手本」のような作品です。
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ちなみに、映画は観てないのですが、どうだったんでしょうね。
若手男性声優人気トップクラスの小野Dと、AKBのまゆゆこと渡辺麻友が声をやっているので、話題になっていましたが。
原作はちょっとばかし古いし、あくまでもこの小説を原作として作られた別解釈の作品だと思うので、別物にはなっていると思いますが、だからこそ、それはそれで面白いものになっているのではないかと思います。
機会があったらみてみたいと思います。