平川祐弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2009年1月16日~17日。
右のほほを打たれたら相手の左のほほを殴り返せ!
というキリスト教の教えの本(キリストはそんなことはもちろん説いていないが)。
自意識過剰男ダンテ(作者が作中の登場人物)が自分の気に入らない人間を地獄に落として呵責に苦しませている。
そんな感じ。
つまらなかったか?
いやいや、物凄く面白かった。
詩的な文章はそれこそ「文学!」って感じがするし、なによりもダンテ(作者としても、登場人物としても)が人間臭くて。
それにしても、キリスト教ってのも自己中心的な教えだなぁとも感じた。
洗礼を受けなかっただけで地獄(ま、辺獄ではあるが)に落ちてしまうんだから。
「信じる者は救われる」=「信じない者は救わないもんね」
西洋、特にキリスト教圏の国々の人たちはまた違った見方をするんだろうな。
イスラム教圏の国々では「悪魔の書」と言われているらしい。
なにしろマホメット(ムハンマド)を地獄に落として真っ二つにしちゃってるんだから。
翻訳、および解説を書いておられる平川氏の「ダンテは良心的な詩人か」も良かった。
この解説は西洋人には書けないものかも知れない。 -
Posted by ブクログ
2009年1月19日~20日。
面白さからいったら地獄篇の方が上かも知れない。
それでも、これは面白い。
ベアトリーチェってのもかなり自惚れが強い女性だし、ダンテも案外傲慢で情けなくて、甘えん坊。
キリスト教ってのもどうなの?
結局は神の復讐の訳でしょ。
なんて読み方はやはり邪道だろうか。
訳者の平川氏の功績がやはり大きいと思う。
この作品を盲目的に賛辞するのではなく、きちんと俯瞰してダメなところはダメ、首を傾げるところはおもいきり傾げる。
そして懇切丁寧な注釈。
大抵は注釈なんて斜め読みするんだけど、ここでの注釈は本当に役に立つ。
痒いところにきちんと手が届くのだ。 -
Posted by ブクログ
崇高すぎて敷居が高く敬遠していたが、ドラマ「BORDER」の謎解きに出てきたので読んでみた。ダンテがラテン語ではなくトスカーナ方言で書いたのは、より多くの人に読んでもらいたかった故だろうし、分かりやすい平川訳で読んで正解だろう。
「神曲」というタイトルは森鷗外の紹介文からきていて、原題は「喜劇」という意味の「Commedia」だそうだ。当時の人物名をバンバン出し、地獄で大変な目に遭わせ糾弾するというジャーナリズム的な意味もあったらしい。知識があればもっと面白く読めたろうに残念。
大食らい、吝嗇、浪費、異教異端、暴君、自殺、男色、女衒、阿諛追従、聖職売買、魔術魔法、汚職収賄、偽善、窃盗、権謀術策、裏切、何でもかんでも地獄行き。心して生きよう。
漆黒の六枚羽の意味がやっと分かった。 -
Posted by ブクログ
いやあ楽しかった!ーー
目の前に現れるリアルな地獄の凄絶なこと!
おびただしい罪人がさまざまな苦行を強いられて、苦しんでいる。
それをただただ目にし、目的地へそぞろ歩いていく。
ダンテのおののきがこちらまで伝わってくる。
読む前はもっと抽象的で難解な作品だと思っていた。
それぞれの歌の前に訳者による「内容紹介」と、本文あとの注解により理解が進む。
とにかく情景が具体的で生々しい!その情景を見るだけで読書の醍醐味を与えてくれる。
おびただしい人名は読み飛ばして、ひと息に目を通しながら文章を味わうだけで大きく満足できる作品。
よーし、煉獄篇天国篇もサクッと読んでいくぞ!! -
Posted by ブクログ
眩しいばかりの光で目が眩みそうだった。
神学理論は難解で理解に苦しんだ。
ベアトリーチェの美しさは抜きんでていた。
聖母マリアの慈愛は心を溶かした。
聖母の助けによって至高天に昇った時、全てがわかった。
地獄を下り、煉獄の山を登り、天国で神の玉座まで上昇していく。
「神曲」という建築物を駆け上ることができたのは、平易な現代語訳があればこそであった。
ゴシック建築は立体的な聖書と言われるが、高校時代の無神論者であrと公言していた師が、フランスに旅行に行った折、シャルトル大聖堂に入り、思わず跪いて神に祈ったと語ったことが忘れられない。
たとえ全てが理解できなくともこの3冊を読み通すと同じように神に祈りを捧げたくなる気持ちになる。
自分もキリスト者ではないが、聖書の引用があれば聖書にあたり、ジョットをはじめとするルネサンスの絵画をみたことで少しキリスト教について理解が深まったように思う。 -
Posted by ブクログ
ダンテ。男。35歳。フィレンツェ出身。14世紀の人。人生の旅の半ばで、正しい道を見失う。神への道を求めるのではなく、世俗的なものに心を向けてしまい堕落。迷える人類の代表▼ベアトリーチェ。女。ダンテが憧れる片想いの相手。すでに死んでいる。亡霊。堕落したダンテを救うには堕落して破滅した人間たち(地獄)を見せるほかない。そこで、ウェルギリウスにダンテの案内役を涙ながらにお願いする▼ウェルギリウス。男。古代ローマの詩人。「アエネイス」の作者。すでに死んでいる。亡霊。地獄・煉獄の案内役・先達をつとめる▼地獄の門。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と暗い色で刻まれている。地獄の門をくぐると、アケロンの川。カロン(ギリシャ神話)が船頭▼川を渡ると辺獄(第一圏)。キリスト教の洗礼を受けていないが、徳のある異教徒や善人がいる。ホメロス、ホラティウス、オウィディウス、ウェルギリウス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス。ダンテは「六番目の(偉大な)詩人」として認めてもらう▼その下に肉欲の地獄(第二圏)。罪人セミラミス(アッシリア女王)、ディド(カルタゴ女王)、クレオパトラ 、ヘレネ(トロイア戦争の原因となった美女)、アキレウス。ミノス(クレタ王)が魂を裁き、行き先の圏を決める。ミノスは長い尾を罪人に巻きつけ、尾を巻きつけた回数がその罪人の落ちる圏を示す▼その下に暴食の地獄(第三圏)。冷たい雨。異臭。ケルベロス(三つ頭の番犬)が暴食者を見張る。罪人チアッコ(大食らい, フィレンツェ市民)▼その下に貪欲・浪費の地獄(第四圏)。門番プルートン(富の神)。法王や枢機卿だった者もいる。こうした者たちが一番欲が深く、貪(むさぼ)って飽くことを知らない。見境のない生活を送り汚れている。悪をばらまき、悪を溜め込んでいる。だから美しい国に入ることができなかった▼その下に憤怒・怠惰の地獄(第五圏)。フレギュアス(神々に反逆した王)がステュクス川を渡す船頭。罪人フィリッポ・アルジェンティ(ダンテの政敵)▼その下に城塞都市ディス。地獄上層(~第五圏)と下層(第六圏~)を分ける。復讐の女神エリニュスたち▼その下に異端の地獄(第六圏)。罪人ファリナータ・デッリ・ウベルティ(フィレンツェの政治家)▼その下に暴力の地獄(第七圏)。門番ミノタウロス(牛頭人身)。警備隊ケンタウロス(半人半馬)たち。三つの円に分かれる。第一の円では、他人に暴力を働いた罪人たちが煮えたぎる血の川に沈められている(アレクサンドロス大王、アッティラ、ディオニュシオス1世)。第二の円では、自分に暴力を働いた罪人=自殺者たちが木に変えられており、怪鳥ハルピュイア(顔は人間の女, 体は鳥)が木の葉を食いちぎったり、枝を傷つけ、その傷口から黒い血が流れ出す。第三の円では、神に暴力を働いた罪人たちが火の雨が降る砂漠で苦しんでいる(カパネウス)。翼のある怪物ゲリュオン(人面・蛇身・サソリ尾)がダンテたちを第七圏から第八圏へと運ぶ▼詐欺の地獄(第八圏)。十の濠(ほり)に分かれる▪︎第三の濠では、聖職売買者たちが逆さまに穴へ差し込まれ、足だけを地上に突き出したまま、足裏を炎で焼かれている。「コンスタンティヌス(1世)よ、お前の(キリスト教への)改宗は悪いとは言わないが、お前が貢いだから成金の法王が世に出たのだ」(ダンテ)▪︎第四の濠では未来を占った者(罪人テイレシアス)が首を前後ろ逆にされている▪︎第八の濠では、権謀術数を事とした者たち(トロイア戦争の英雄オデュッセウス、ディオメデス)が、炎に包まれて苦しんでいる。「お前たちは獣のように生きるために生まれたのではない。徳と知識を追い求めるために生まれたのだ」(オデュッセウス)▪︎第九の濠では、ムハンマドが体を引き裂かれ、アリーが泣きながら歩いている。これらの者は中傷をこととし、分裂禍根の種を蒔いた。※イスラム圏では神曲は禁書扱い。巨人アンタイオス(ギリシャ神話)に次の層へ降ろしてもらう▼最下層(第九圏)。裏切り者の地獄コキュートス。極寒の地。その第四の円(ジュデッカ)に神を裏切った悪魔大王(堕天使ルシファー)がいる。裏切り者の罪人たち(イスカリオテのユダ、カエサルを殺したブルートゥスとカシウス)を口で噛み砕いている。悪魔大王は顔が3つ、中央だけでなく左右にもある。ダンテたちは悪魔大王の毛をつたって下へと降りて地獄から脱出。ダンテ・アリギエーリ『Divina Commedia神曲 Inferno地獄篇』1308★
*Comedìa=喜劇。比較的平易な文体で、最後が幸福で終わる作品
*cf. ホメロス「オデュッセイア」の冥界、ウェルギリウス「アエネイス」第6巻 冥界下り(カタバシス)
*地獄の門。北半球、エルサレムの近くにある。
*Lasciate(捨てよ) ogne(あらゆる) speranza(希望), voi ch’intrate(あなたたち入る者よ).
■われらの人生の道の半ばで、私は暗い森に迷い込んだ(ダンテ, 第1歌)
■逆境において幸せなる時代を憶い起こすことにまさる悲しみはない(フランチェスカ, 第6歌)
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カトー。カエサルの独裁に反対して自殺に追い込まれた共和主義者。自由・正義・信念の人(*キリスト教徒ではなく、さらに自殺したのに地獄ではなく煉獄にいる)。煉獄の海岸でカトーはダンテに煉獄への準備として、顔を洗ってイグサの帯を身につけるよう伝える▼マンフレーディ。シチリア王。フリードリヒ2世の子。ローマ教皇庁と対立し、破門される。教会から排除された人間でも悔い改めれば神の救済を受けられる。教会の処罰と神の慈悲は異なるもの▼煉獄山。地獄と天国の間に存在する、死者の魂が罪を浄化するために登る巨大な山(地獄は地下だが煉獄は地上、南半球)。上に行くほど魂が清められる。山の麓(煉獄の門)で、ダンテの額に7つのP(Peccatum=罪)の印が天使によって刻まれる。以後、山を登り、苦行をして罪を浄化するたびに罪の印が1つずつ消える。煉獄の苦しみは魂を清めるための訓練であり、永遠の罰(地獄)ではない。山には七つの環(段)▼第一環。重い石を頭の後ろに背負い、頭を低くして歩くことで謙虚さを学ぶ(高慢の罪を浄化)。地面に刻まれた彫刻に、ニムロデ(バベルの塔を建設して天に届こうとした傲慢な男), 狂女アラクネ(女神アテナに挑戦し、神を超えようとして蜘蛛に変えられた傲慢な女)▼第ニ環。まぶたを縫われ、羨望の目で他人を見ないようにされている(嫉妬の罪を浄化)。罪人サピア(シエナの女): 自国シエナの人々が成功・繁栄していることに嫉妬していた。ある日、自国シエナの軍が敵国に敗れ、敗走している姿を見て「ざまぁ見ろ」と大喜びした▼第三環。煙の中で憤怒を浄化。罪人マルコ・ロンバルト「人間には自由意志がある。だから人間は自分の行為について責任を負う。また、宗教(教皇)が世俗権力(皇帝)に介入して、教会と国家の役割が混同されていることが政治腐敗を生んでいる」▼第四環。休むことなく走り、善への努力を学ぶ(怠惰を浄化)。「人間のすべての行動の根には愛(欲求)があり、罪とは愛(欲求)が間違った方向へ向かった状態。愛(欲求)はあらゆる徳とあらゆる罪の種である」(ウェルギリウス, 第十七歌)▼第五環。地面にうつ伏せになり、日用の糧(必要なもの)だけを神に祈る(貪欲を浄化)。罪人ユーグ・カペー(フランス王, 富・王権・領土を際限なく求めた罪)▼第六環。極度の飢えと渇きを味わい、節制を学ぶ(暴食の罪を浄化)。食べたいのに食べられない、飲みたいのに飲めない。罪人フォレーゼ・ドナーティ(大食い, ダンテの親友)▼第七環。炎の中を通り、貞節を唱える(色欲を浄化)。罪人グイド・グイニツェッリ(神へ愛ではなく、人間への愛に傾きすぎた恋愛詩人)▼山頂には地上の楽園(エデンの園)。案内役がウェルギリウス(人間の理性)からベアトリーチェ(神への信仰)に交代。ダンテは過去の罪の記憶を洗い流すレーテ川の水を飲み、さらに善い行いの記憶を蘇らせるエウノエ川の水を飲む。ダンテの魂は完全に浄化され、天国へ向かう準備を整える。ダンテ・アリギエーリ『Divina Commedia神曲 Purgatorio煉獄篇』1308★
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9つの天を上昇。地球から遠ざかるほど神に近づく▼月光天(第一の天)。ピッカルダ・ドナーティ(修道女として貞潔の誓いを守ることを望んでいたが、兄によって望まない結婚をさせられた)▼水星天(第二の天)。ユスティニアヌス1世(『ローマ法大全』は単なる法律集ではなく、神の秩序・正義を地上に実現する道具だった)▼金星天(第三の天)。カルロ・マルテル(ナポリ王子, 神は人間一人一人に異なる才能・性質を与えている, もし神が与えた性質に合わない者が権力を持つと、国が不幸になる)▼太陽天(第四の天)。トマス・アクィナス(神学と理性の調和を説く)。知恵ある聖人・神学者たちの魂が、光となって輪(円環)を作り、神を賛美しながら回っている▼火星天(第五の天)。カッチャグイーダ(十字軍に参加し、戦死した人, ダンテの先祖, ダンテがフィレンツェから追放され、亡命生活を送ることを予告)▼木星天(第六の天)。正義を行った君主たちの魂が集まって、巨大な鷲の形を作っている。ダヴィデ(イスラエル王)、エゼキア(ユダ王)、リピウス(トロイア国の戦士)、トラヤヌス、コンスタンティヌス▼土星天(第七の天)。観想生活を送った修道者・聖職者たちの魂 が黄金の梯子を上り下りしている。修道生活を重視したピエトロ・ダミアーノ、モンテ・カッシーノ修道院を創設した聖ベネディクトゥス▼恒星天(第八の天)。徳に優れた聖人たち。ペテロ(信仰とは望みの実体であり、まだ見ぬものの論証『ヘブライ人への手紙』11:1)、ヤコブ(希望とは未来の栄光を疑念をさしはさまずに待つこと)、ヨハネ(愛とは神という最高の善を認識し、その善へ魂が向かう力)▼原動天(第九の天)。宇宙を動かす根本原理は神の愛。神を中心に回転する天使たち。神への愛が強いほど、神の近くを速く回る▼その外側に、9つの天を超えた領域、至高天(エンピレオ)。物理宇宙の外側。運動はなく、時間もない。時間や空間を超えた「神の光」の世界。白い薔薇のように、無数の祝福された魂たちが花びらのように集っている。ベルナルドゥス(神秘主義寄りの神学者)。宇宙と神の意味を理解する段階(ベアトリーチェ)から真理そのものを体験する段階へ進む。神学的な理解から神秘的な直感へ。至高天(エンピレオ)そのものは動かないが、そこにある神の愛が原動天以下の宇宙の運動の根本原因。ダンテ・アリギエーリ『Divina Commedia神曲 Paradiso天国篇』1308★
※cf. アリストテレス「形而上学」第12巻の第6章。この世界には変化(運動)がある。木材は「家になりうる」という可能性を持ち(可能態)、実際に家(現実態)になる。「家になる」などの変化(運動)には「動かすもの」が必要。大工(動かすもの)が木材を使って家を建てる。AはBによって変化(動かされる)。そのBはCによって動かされる。CはDに...。もし「動かすもの」が永遠に別のものによって動かされ続けるなら、現在の運動を説明できない。なので「他を動かすが、自分は動かされないもの」があるはず。可能態を一切持たない純粋現実態。トマス・アクィナスは(自らは動かされない)第一の動者こそが神だと考えた。ダンテは文学的に「宇宙を動かしている究極の原理こそ神の愛」だと表現した。
※中世的な部分: 神を中心にした宇宙、キリスト教的救済、神学的世界観; 新しい部分: 個人としてのダンテ、人間の経験、母語による文学
※人間(ダンテ)が他者の魂の価値を決めてよいのか
※自分の政敵を地獄に置くことは正当か
※神の正義と個人の正義をどう区別するか -
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ネタバレ怪談にハマっている身として、小泉八雲を読まないわけにはいかないだろうと思い読んでみました。
特に好きだったのは以下の作品です。
・お貞の話
杏生目線では美しい話ですが、ラストに背筋がゾッとしました。
ハーンがどういう意図で書いたかは分かりませんが怖すぎました。
意識のないうちに知りもしない倍以上も歳が違う男と結婚したことになっている、許嫁という制度とも重なる気がします。
・策略
怪談版一休さん
・葬られた秘密
少し寂しさも残る良い話でした。
・蝿の話、雉の話
蝿の話が良い夫婦の話だったので、続く雉の話もそれに似た話だと思っていたら、夫が怖い話でした。
たぶん普段からモラハラとかDVとかしてたんでしょうね。
・露の一滴
わかるようなわからないような感じですが何故だかすごく好きです。
・病理的なるもの
猫の話。可愛いけど悲しいです。
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ラフカディオ・ハーンが来日前に書いた2作の小説を収録した1冊
とにかく風景や風俗の描写が丁寧で細かいのだけど、文章が素晴らしく上手くて読みながらその場所の景色が目の前に広がるような臨場感が半端なかったです。延々と風景描写が続いて一向に物語が進まないのも全く気にならないし、なんならもっと読みたいと思ったくらい。
物語の方も、白人の立場ではなくて、クレオールや黒人に寄り添う書き方をしていて、後年、異国の地で生涯を終える人生を歩んだベースがこの頃にはすでにあったのだなと思いました。
ユーマの方で、地元の怪談的な民話が挿入されていたのも面白かったです。
朝ドラを見てるので、作品を通して彼の人生観みたいなものを垣間見ることができたのが良かった。 -
Posted by ブクログ
小泉八雲の日本名で知られる「ラフカディオ・ハーン(1850~1904年)」の、その54年の生涯に於いて書かれた小説は僅か二編のみで、それら「チータ─最後の島の思い出」と、「ユーマ─西インド諸島の奴隷の物語」を収録したのが、本書になります。
1886~1889年にかけて執筆された作品だけれども読みやすくて、これには平川祐弘さんの訳が大きいのではないかと感じながら、更に彼自身による29ページもの充実した解説がハーンの作品を初めて読む私にはありがたくて、そこからは本書の二編についてだけではなく、他の作品やハーン自身のパーソナリティや生き方との繋がりも知ることができたことによって、ハーンに対する新たな興味を促してくれた。
「チータ」は、冒頭から約30ページかけて、アメリカはニューオーリンズの南、メキシコ湾の岸に連なる島々に関する自然描写が続くことに驚いたものの、平川さんの解説によると、ハーンの小説について『民俗学的観察と印象主義描写』が色濃く表れているということには肯けるものがあって、それはハーンの自然描写に思わず想像してみたくなるような一つ一つの対象にフォーカスした精密な細やかさがあると共に、どこか彼自身の思いも投影したような詩的な雰囲気を漂わせていたことと重なるものがあったからだ。
中でも印象深かったのが『海』の描写で、海とは生涯の友とも思えそうな感覚として捉えることのできる素晴らしさがある一方で、海とはこんなにも恐ろしいものなのだということを何度も痛感し、それは『人、祈ることを学ばんためには、海におもむくべし』や『海とは複雑で奇怪な一つの生命なのではないか』と人に思わせてしまう、他を超越した存在感には改めて自然の偉大さを思い知りながら、物語の主題となる奇跡の少女との、時の経過と共に移り変わる関係性も忘れられない。
そして、奇跡の少女のエピソードと交わるもう一つの主題とも思えた終盤のある人物の展開からは、これまた平川さんの解説より『感傷的小説』としての趣を感じられたことから、何とも言えない後味をもたらしてくれたのが、また印象深かった。
そんな小説としての構成に斬新さを感じられたのが「チータ」であるのならば、物語としての醍醐味を堪能できたのが「ユーマ」なのだと思い、それは「ダー」と呼ばれる黒人奴隷女の乳母が、その家族の中で高い地位を占めていることや、誰もがストーリーテラーで黒人、白人問わず口承文学を楽しんだことなどがあると聞くと、世の中も中々捨てたものではないなと感じられそうではあるけれども、法的には所有物だという奴隷であることを、人生の中のとても大切な局面に於いて痛感した時の絶望感といったら、どれ程のものであったのか、その狂おしいばかりの憤りは、『自分はこれまでずっと不幸だったのだという幻覚にとらわれた』、『燃えるような怒りを過去の長い、長い不正に対して向けた』なもよく表れていて、こうした絶望感はユーマのそれに比べたら遠く及ばないものの、私も自分自身を否定されたような現実に直面した時に感じる、これまでの人生に於ける悲しいことや不快なことを思い出しては、ずっと不幸だったのだと怒り嘆く様と重なるものもあり、共感できたのだ。
更にそうした絶望感は、奴隷解放という待ちに待った歴史的な出来事が起こった後にも降りかかり、やはり長年積み重なってきた怒りの火はそう易々と消えるものではないことを思い知ったのだが、ユーマはそうでは無かったことに激しく心を打たれ、それは『自分の道義の感覚にそむく何かを感じたのである』や、『人間はなんらかの動機のためだけで親切になれるとお思いですか?』の言葉に秘められた、ユーマが乳母として人生を送った家族への恩や感謝の気持ちであり、それはマイヨットを支えてあげられるのは私だけだという確固たる意志の表れでもあった、そうした気持ちが、『ことごとく不幸だった、などというのは真実ではない』ことを思い出させてくれたことによって、同じ人種の中に於いても人間は変わることができるし救われることができるのだということを実感できたのは、『ユーマは人種としての狭い連帯よりも、人間としての連帯をより尊いもの』と信じた結果なのだと思う。
そんなユーマのキャラクター像は、『ギリシャの母ローザから受けた原体験が深く刻まれていたからこそ』だと書かれた平川さんの解説によって、ハーンの作品には彼自身の人生が色濃く投影されていることを感じ入った、それは『来日後も異人種の人である、小泉節子と正式に結婚し、家族のためを思って異国の日本に帰化するという、当時としては非常識な道を選んだのだろう』、という彼の行動から、『この世界には人種や民族を超えた価値がある』ことを教えられたことにも、よく表れていた、これだけ厳粛なテーマを題材にした作品に於いても大きな希望を与えてくれた、小説ならではの力なのであろう。